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あえてLGBTに特化せず、生きづらさを抱える若者の拠り所でありたい【後編】

あえてLGBTに特化せず、生きづらさを抱える若者の拠り所でありたい【前編】はこちら

2017/05/30/Tue
Photo : Taku Katayama  Text : Mana Kono
平山 裕三 / Yuzo Hirayama

1985年、宮城県生まれ。首都大学東京経営学部卒業後、ソフトバンク株式会社就職。法人営業部トップの成績を収めるも、2011年に退職。現在は株式会社はぐくむに入社し、大学生向けのコーチングや企業向けの採用コンサルティングに従事。個人としても、NPO法人バブリングでの活動や、社会人向けのプライベートコーチングなどもおこなっている。

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INDEX
01 家族のポジティブさがルーツ
02 クラスの中心的存在
03 付き合ってる彼女はいるけれど
04 ビッグになりたい
05 カミングアウトで人生が変わる
==================(後編)========================
06 両親の葛藤も、ひとつの愛情の形
07 カミングアウトで終わりじゃない
08 恩返しをするために
09 自分だからこそできる仕事
10 無防備な子どもたちに勇気を与える

06両親の葛藤も、ひとつの愛情の形

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母へのカミングアウト

家族へのカミングアウトは、自分でも意図せぬタイミングで迎えることとなる。

「人とは違うことをしてやろうと思っていたから、就活中、『服装自由』と書いてある会社の面接に私服で行こうとしたんです」

もちろん、スーツで行くことが正解だなんてわかっている。それでも、予定調和に合わせることには抵抗があった。

「それで、スーツで行くか私服で行くかで母親と喧嘩になってしまったんです」

母に「なんであなたは、昔から人と違うことばかりわざわざするの?」と言われて、売り言葉に買い言葉。

「昔から男が好きだったから!」と、つい口走ってしまった。

「別に、自分でもやりたくて人と違うことをしているわけじゃないんだって伝えたかったんだと思います」

できることなら普通になりたい、そう伝えたかった。

でも、普通にはなれないから、あえて人とは違う道を選ばないといけない。

「その悲しみを訴えたくて、思わず言ってしまったんでしょうね」

父からの言葉

自分でも予期しなかった突然の展開。

母とは気まずい雰囲気になってしまったが、タイミングよく帰ってきた2番目の兄が間を取り持ってくれて、改めて3人で話をすることに。

「母親はまだあまり理解できてなかったんですけど、兄がすごく取り持ってくれたんです」

その後父も帰宅し、母が父にことの次第を告げる。

「そしたら、親父の一言目が『気持ち悪い』だったんですよ」

ショックだった。

あまりにショックだった。

「泣きながら説明して、最終的には母親に『普通なら言えないことだろうけど、話してくれてありがとう』と言ってもらえました」

心ない言葉をかけてきた父と改めて話をしたのは、数日後のこと。

「たまたま父と2人きりになった時に、泣きながら『つらい思いをしていたのに、今までわかってあげられなくてごめんな』と言われたんです」

「すごく救われました」

それでも、両親は未だに「息子がゲイだ」ということを完全には受け入れられていない。

60歳を超えているストレートの両親からすれば、ゲイである自分の心境を理解することは難しいことだろう。

「でも、それが逆に愛情なんだと、最近になって感じられるようになりました」

赤の他人がゲイなら、「そうなんだ」で済ませられるかもしれない。でも、いざそれが自分の息子だった時、そう簡単には受け入れられない気持ちもわかる。

「だけど両親とはこうやって今も、親子関係を築けている。それは、ゲイであろうがなかろうが、自分そのものを愛してくれているからだっていうのがすごい伝わってきたんです」

07カミングアウトで終わりじゃない

これからが本当のスタート

カミングアウトは偶発的なものだったが、ゲイであることを家族に隠しているのは、ずっと前から心苦しかった。

「もし親に告白することがあったら、そこからがスタートだなって思ってたんです」

カミングアウトで終わりじゃない。

「これまでは家族に自分のことを話すのが嫌だったし、コミュニケーションも避けていました」

「だから、カミングアウトするのであれば、それからは隠し事をせずに、自分から理解してもらう努力をしようって思ってたんです」

弱い自分と向き合う

カミングアウトを経て、もうひとつ変わったことがある。

「親に話したことで、はじめて自分がゲイであることに苦しんでいたんだって認められたんです」

今まで、ずっと「普通とは違うけど、頑張っているから幸せなんだ」と思っていた。

いや、そう思い込みたかった。

「その根底には、『自分はゲイだから、みんなのように幸せにはなれない』という考えがあったんだって、ようやく気づいたんです」

自分は、ゲイに生まれたことが嫌だったんだ。

今までずっと「普通にはなりたくない」と言ってあらがっていたけど、本当は誰よりも「普通」に憧れていたんだ。

「それを認められたら、すごく楽になったんです」

本当の自分を見つめること。

弱い自分と向き合って、困難を乗り越えること。

「その大切さに、やっと気づくことができました」

08恩返しをするために

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ベンチャー企業か大企業か

大学卒業後は、ソフトバンクの法人営業職に就いた。

「インターン先にそのまま就職するかソフトバンクに行くかで、すごく迷ったんです」

結果、親に「とにかく安全な道を歩んで欲しい」と言われていたこともあって、ソフトバンクを選んだ。

「だけど、ソフトバンクで3年くらい働いたらまたこの会社に戻ってこようって思ってました」

相変わらず「ビッグになりたい」という思いはあったものの、自ら起業するという選択肢はなかった。

「インターンでのカミングアウト以降、すごく考え方が変わって、人生をポジティブに捉えられるようになったんです」

「そんなきっかけをくれた会社の社長にはすごく恩義を感じていたし、いずれはその恩を返していきたいって思ってたんです」

会社に恩返しするためにも、まずは大企業でしっかりと営業力をつけようと考えた。

いばらの道を進め

新卒で入社したソフトバンクには、その後2年半勤めた。

「通信業界は日進月歩。つねに熾烈な戦いがあるので、そうした厳しい環境に身を置いて、とにかく成果を残したいという気持ちがありました」

3年経ったら辞める。

そう思って入社したものの、いざ働き出したら気持ちが揺らぎはじめた。

「仕事ではしっかり成績を出していたので、5年後、10年後にある程度成功する道筋が見えていたんです」

そうやって将来が目に見えていたから、わざわざそれをドロップアウトして、ベンチャーという未来が見えない道に進むことに不安があった。

ふたつの道で揺れていた時に思い出したのは、就活中に出会った社会人に言われた「人生で悩んだら、自分にとっていばらの道を選んだほうがいい」という言葉。

「ソフトバンクに残ることはいばらの道ではないと思ったし、自分にとってのいばらの道は今の会社かなって思ったんです」

大企業に一生を捧げて働きたいとも思わなかった。

そうして、数年ぶりに「はぐくむ」に帰ってきた。

09自分だからこそできる仕事

あるがままの自分で働く

現在所属している「はぐくむ」は、自分を含めて社員は3人のみ。企業と学生をつなぐ教育事業などを中心に手がけて、今年で設立11年目になる。

「大企業と比べたら、同じところがないくらいすべてが違いますね」

「仕事って、基本的にはみんな自分を演じながら働いていると思うんです。決してリアルな自分ではなく、どこかで別の自分を作っている人が多いんじゃないでしょうか」

自分も、以前の職場ではゲイだということを隠して、ある意味別人格を作って仕事をしていた。

「でも、今の職場ではそうやって自分を隠すことが一切ないんです」

「僕は人と向き合う仕事をやっているので、自分が自分を演じていては相手と対話ができません」

「相手の学生たちには『ありのままの自分を表現しよう』って言っているので、こちらが自分を隠していたら伝えられないんです」

悩みを抱えた学生と対峙して

今は就活シーズンということもあって、毎日学生5人以上をコーチングしている。

「改めて、人の人生ってそれぞれに本当にドラマがあるなって感じますね。気を抜いては聴けないし、自分もすごくエネルギーを使います」

中には、泣きながら話をする学生も少なくない。

「10年くらいこの仕事をしているから、その子が話せていない悲しみとかも全部聴こえてくるんですよね。それで、俺もすぐに涙が出てきちゃいます」

誰しもが抱えている、痛みや悲しみ。

「みんな、普段はその痛みを感じないようにフタをして、何にもないように日常生活を送っているんです」

そうやって、人が向き合えていない無意識レベルの部分に一緒に向き合って、本質的な自分を受容できるようサポートするのが自分の仕事。

「今まで抱えていた孤独を吐露することで、学生たちは明らかに表情が変わっていくんです。その過程を見ていると、仕事にすごくやりがいを感じます」

仕事自体が好きだし、自分だからこそできる仕事だとも思う。

「数年前から、本業以外にLGBTを中心としたNPO活動もしています。けど、個人的にはLGBTだけに特化したくはないんです」

LGBTだからといって、悩みの種がLGBTだけに限定されているわけではない。

家族や友人関係に悩むことだってあるだろうし、そうした悩みはLGBTという枠を超えて、誰しもに共通するものだ。

「LGBTじゃなくても、過去に苦しんでいた自分と同じように、生きづらさを抱えている若者を支えたいんです」

今でも、「ビッグになりたい」という夢を抱き続けている。

「昔は、お金を稼げたりわかりやすいステイタスが欲しかったんです。でも、今は周囲からの評価は関係なくて、子どもたちが心から喜びを感じられるようなサポートをしていきたいですね」

そのために、より社会貢献できるようなビッグな存在になりたい。

10無防備な子どもたちに勇気を与える

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子どものためのシェルターを作りたい

「今パートナーはいないんですけど、いつか結婚をしたいです」

「あとは、里親になりたいですね。もし考えの合うパートナーができたら、里子も含めて、子どもたちのために家を作りたいなと思っているんです」

仕事を通じて、複雑な親子関係下で育つ学生たちを何人も見てきた。虐待を受けているのに実家で暮らさないといけないような子も少なくはない。

「そういう子たちが一時的にでも安心して暮らせる、シェルターのような場所を作りたいんです」

「一緒にいる人の存在は、その人の人生の中ですごい影響が大きいんですよね。だから、家庭という日常から少し離して、ポジティブになれる場所を作れたらいいなって思います」

仕事を通して叶えたい社会貢献と、自分のプライベートな夢。

それらは、気づけばひと続きになっていた。

小さな勇気を持つことからはじめる

「これまでの人生を振り返って僕が大事だなって思ったのは、勇気だと思うんです」

勇気を持って行動した時に、自分が描く未来を手に入れることができた。

「勇気ってみんな持ってるものだと思われがちだけど、それを持てない環境で生きてきた人もいっぱいいるんです」

「まず、自分は大切にされているとか、生きてていいんだって思えないと、勇気を持つのってなかなか難しいんですよね」

何か鎧や盾のようなものがあれば、勇気という剣を持って振りまわすことができる。でも、自分を守る防具が何もなかったら、勇気を持つのに恐怖を感じてしまう。

「そういう無防備な子たちに、勇気を持つきっかけを与えられたらいいなと思っています」

最初から大きな一歩を踏み出すことは困難だ。

だから、まずは小さな勇気を持つことからはじめよう。

「小さな勇気を出して行動していけば、その積み重ねで人生は変わっていくと思います」

自己肯定感が低くて勇気を持つことが難しくても、周囲から受け入れられることで、より大きな一歩を踏み出す力となる。

「でも、誰かに受け入れられて強くなるっていうのはある種の環境依存でもあります。最終的にはまわりは関係なく、自分で自分自身を受け入れられる強い存在になってほしいです」

「自分は存在していいんだって思えることが一番重要なんです。まわりの人に受け入れてもらえたことを通じて、自分は自分でいいんだって思えるから、人は前に進めるんですよね」

あとがき
吐き出せない気持ちを綴った『おれノート』を前に、裕三さんは話した。「普通に対する憧れがあった・・・」。憧れは、優れている見本に近づこうとする意志。子どもの見本は大がいが大人だ。LGBTERを通じて無数にある人生のサンプルを知って欲しい、改めて思った■裕三さんの借り物だった憧れは、いつしか誰でもない自分の夢へと変わった。「心配しないで、おとなになって!」。10代の裕三さんに、そして悩んでいる若い人たちへ、今はそう伝えるに違いない。(編集部)

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