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あえてLGBTに特化せず、生きづらさを抱える若者の拠り所でありたい【前編】

「たとえLGBTであっても、悩みがセクシュアリティだけではない」。平山さんはゲイでありながら、セクシュアリティと同じくらい、家族関係にまつわる悩みも深かったという。そうした自身の過去から、「LGBTに限定せず、すべての若者が心から生きる喜びを感じられる社会を築きたい」と、現在は若者の教育事業に熱を入れている。とにかくポジティブで、仕事熱心。そんな平山さんのひたむきなエネルギーは、いったいどこから生まれているのだろうか。

2017/05/28/Sun
Photo : Taku Katayama  Text : Mana Kono
平山 裕三 / Yuzo Hirayama

1985年、宮城県生まれ。首都大学東京経営学部卒業後、ソフトバンク株式会社就職。法人営業部トップの成績を収めるも、2011年に退職。現在は株式会社はぐくむに入社し、大学生向けのコーチングや企業向けの採用コンサルティングに従事。個人としても、NPO法人バブリングでの活動や、社会人向けのプライベートコーチングなどもおこなっている。

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INDEX
01 家族のポジティブさがルーツ
02 クラスの中心的存在
03 付き合ってる彼女はいるけれど
04 ビッグになりたい
05 カミングアウトで人生が変わる
==================(後編)========================
06 両親の葛藤も、ひとつの愛情の形
07 カミングアウトで終わりじゃない
08 恩返しをするために
09 自分だからこそできる仕事
10 無防備な子どもたちに勇気を与える

01家族のポジティブさがルーツ

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みんなにかわいがられる末っ子

兄は、7つ上と4つ上が2人。男3兄弟の末っ子として生まれた。

「年の離れた兄のほかに、親戚も年上ばかりだったので、小さい時はみんなにかわいがられていたと思います」

外で元気よく遊ぶよりも、室内遊びのほうが好き。

たまたま近所に住んでいた幼馴染が女の子ばかりだったから、幼稚園の頃は女の子の家に遊びにいっては、おままごとや人形遊びをしていた。

そうやってあまりに女の子とばかり遊んでいるから、母に「この子はもしかしてオカマなのかな?」と、冗談半分で心配されたこともある。

「今思えば、当時は女の子と仲良くしつつも、男の子のことをちょっと意識していたのかもしれません」

だけど、当時はまだはっきりとした自覚はなかった。

ポジティブな両親

「うちは、家族みんながすごく明るいんです。父も母も交友関係が広くて社交的で」

「父はよく仲間と飲みにいっているし、母も地域のダンスグループに所属していて、ヒップホップのダンスを踊ったりしています(笑)」

バイタリティあふれる両親は、昔から旅行好き。今でも1年に1回、祖母や兄家族を含めた大所帯で必ず家族旅行をしている。

そうした仲の良いポジティブな家庭に生まれたことは、自分の人格形成に大きな影響を及ぼしたと思う。

「物ごとをなんでも楽しもうとする姿勢や、人との付き合いをすごく大事にすることが、自分の根底にあると思います」

「最近は特に、元気なお母さんの血を受け継いでるなって思うんです。年を重ねるごとに、明るくポジティブになっているので(笑)」

父には、「人様に迷惑はかけるな」「お天道様は見てる」と言われて育った。

「社会のために何かいいことをしようと考えるようになったのは、そうした父の言葉にルーツがあるのかもしれません。『勉強しろ』と言われたことはあまりなかったですね」

ただ、今だからこそこうやって明るく前を向いていられるが、過去には家族関係に悩みを抱えていたこともある。

「家族の中で自分だけ年齢が離れていたこともあって、小さい頃はみんなの会話についていけなかったんです」

両親と年の離れた兄たちの中で、自分はひとりぼっち。大人たちの会話に混ざることができず、家ではほとんど口をきかなかった。

そんな自分を前に、両親も戸惑ってしまったのだろう。

親に「よくわからない子」「兄たちとは違う」と言われてショックだったことは、今でも覚えている。

02クラスの中心的存在

男女分け隔てなく仲良し

小学校に上がってからは、活発に外で遊ぶようになった。

「本音としては、室内遊びの方が好きだし外にはあんまり出たくなかったんです。でも、男子がみんな外に行くので、自分もがんばって外で遊んでました」

家ではおとなしかったが、学校では明るくて、どちらかとクラスの中心的な存在だった。

「クラス委員になったこともあります。友達も多かったですし、前に出て何かをすることも好きでした」

男女関係なく誰とでも仲良くできたし、小学生男子にありがちな、好きな女子への意地悪もしたことがなかった。

「男子が女子にいたずらするのも、くだらないなって思ってたところがあります。別に普通に話せばいいのにって思ってました」

学年が上がるにつれて出てくるのは、「あの子が好き、この子が好き」といった恋愛トーク。

「自分も、特に何も考えずに『この子が好き』と、一緒に話してました」

「どこかで男の子のことを気にしている部分はあったかもしれないですけど、その頃はそれほど意識してなかったと思います」

男女という垣根を越えて、誰に対してもフラットに接していたと思う。

兵庫への引越し

小学2年生の時に、親の仕事の都合で神奈川から兵庫に引っ越すことになった。

「関西はすごく楽しかったです。みんな面白かったし、先生もいい人で、ノリが合ったんですよね」

「今の自分の中にある笑いのスキルみたいなものは、その当時に培われたと思います」

しかし、4年生で、また神奈川の同じ小学校へ戻ることに。

「関西の子とは特に仲が良かったので、悲しかったです」

「でも、環境に順応するのがわりと得意なので、転校がショックで内に閉じこもってしまうようなことはありませんでした」

高学年になって部活動がはじまり、バスケクラブに入った。

「1番上の兄がバスケ、2番目の兄がサッカーをやっていたんです。本当は音楽をやりたかったけど、みんながスポーツをやっていたから僕もバスケにしました」

母に言われて兄弟3人ともピアノを習っていたが、できればクラブも音楽系のところに入りたかった。

習いごとのピアノも、兄弟の中で自分だけが大学までずっと続けていた。

03付き合ってる彼女はいるけれど

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いじめに対する怒り

小学5年生の時に、クラスでいじめが起こった。

特定の1人をいじめ続けるというよりも、いじめのターゲットが鬼ごっこのように次々移り変わるタイプのものだった。

「それで1回、自分がいじめられることになりました。その時はすごい悲しかったです」

ある朝登校したら、周囲がいつもと違う雰囲気だった。

“自分の番” はすぐに終わったものの、心にはわだかまりが残った。

「いじめとかそういうものが、やっぱり好きじゃないんです」

自分以外にいじめられていた子をかばったことで、クラスで問題が取り上げられたこともある。

「男女間だけでなく、クラスのみんなとも平等でありたかったんです。だから、なんで同じ学年の友達なのにいじめが起こるんだろうって思っていました」

「いじめに反対するのは、正義感っていうよりも怒りに近い感情だったと思います。いじめに対しても、くだらないなって思ってたんです」

はじめて付き合った彼女

受験を経て、中高は共学の私立一貫校へ進学。

かねてより「音楽をやりたい」と思っていたことから、吹奏楽部を選んだ。パートはチューバ。

「女の子ばかりの部だったので、男は必然的に重い楽器にされちゃったんです。本当は違う楽器が良かったんですけどね」

50人ほどの部員のうち、男子は3人しかいなかった。同学年では自分ひとりだけ。

「吹奏楽部っていうと地味な感じがしますけど、相変わらず前に出ていくのは好きだったから、合唱コンクールの指揮者や司会をやったりもしていました」

「だから、自分で言うのもアレなんですけど、結構モテたんですよ(笑)」

バレンタインでチョコをもらうのはもちろん、ロッカーにラブレターが入っていたこともある。

「中2の時に自分から告白もしました。それで付き合ったのが初彼女です」

クラスでも目立つ、かわいい子だった。

「中学生だったし、半年くらいで自然消滅しちゃいましたけどね」

付き合っている女の子がいながらも、女子の体への興味は全然なかったし、男子の下ネタにもついていけなかった。

その代わりに、男性に対して憧れ以上の思いを抱いていた。

「でも、その頃は男性を好きだと思っていたかどうかは微妙でした」

そうした思いを自覚できなかったのは、自分の中に同性愛という概念がそもそも欠けていたことも大きいだろう。

「男の先輩を見てかっこいいなとは思っていたから、もしかしたら同性が好きなのかもしれない・・・・・・と薄々感づいていた部分はあったのかもしれません」

04ビッグになりたい

家に居場所がない

思春期になり、そうして性に対するモヤモヤが少しずつ芽生えはじめた。

だが、それよりも家族関係にまつわる悩みの方が格段に大きかった。

家にいても相変わらず大人たちの会話に入っていけない。自分は異質な存在なんだと感じた。

「学校で起きたこととかも、家ではあまり話しませんでした。小さい頃から家族の中では聞き手だったから、自分のことをどう話せばいいかわからなかったんです」

「当時は家族と一緒にいてもすごく孤独だったから、ノートにポエムを書いて吐き出していました。黒歴史ですよね(笑)」

家庭での自分の居場所があやふやだったから、中高の頃はかなり情緒不安定だったと思う。

「中2からの付き合いで、初めてのカミングアウト相手でもある親友がいたんです。でも、そいつにも家族の悩みや男の子が気になっているってことは相談できませんでした」

その親友とは、部活が休みの木曜日に、駅のベンチでだらだらと数時間話をするのが習慣だった。

「今思えば、その頃そいつのことが好きだったんですよ」

「そいつもモテるタイプだったんで、中3で向こうに彼女ができた時にものすごく嫉妬したんです」

これまでは馴染みの男メンバーで下校していたのに、急に彼女と一緒に帰ろうとする親友。

「『彼女よりも友達を大事にしろよ!彼女とはいずれ別れがくるけど、友達と別れはこないだろ?』って、マジ切れしました(笑)」

「その時は自分でも嫉妬だって気づいてなかったんです。俺、やけに友達を大事にするなあって思ってて。もう、必死(笑)」

自分以外の男友達と仲良くしているのを見るのも、なんだかやきもきしてしまった。

「でも、今だからこそ言えることで、当時はそれが恋愛感情だとは一切思ってなかったんです」

“普通の人生” への反抗

自分は男性が好きなんだとはっきり自覚するようになったのは、中3の頃。

携帯を持ちはじめ、ネットの掲示板で同性愛について調べるようになったことがきっかけだ。

「自分と同じような人に会ってみたいと思って、掲示板を通じて年上の男性に会ったこともあります」

「若気の至りってやつで、興味が勝ってたから怖いとは全然思ってなかったんです。今だとすごい危ないなって思いますけど」

見ず知らずの相手に会うことに抵抗はなかったが、いざゲイに会ったからといって何か驚きがあったわけでもなかった。

それに、「自分はゲイだ」と受け入れることに、まだ少なからず抵抗もあった。

「高校生になってからも、女の子と付き合ってはいました」

「自分が男を好きだとは自覚していたけど、もしかしたら女の子を好きになれるかもしれないっていう希望的観測もあったんです」

でも、きっと最終的に恋愛対象は女の子ではないだろうと、薄々予感はしていた。

親友に、「自分は就職して結婚して、子どもを産んでマイホームが欲しい」という夢を語られた時のこと。つい、「そんな夢つまんない」と言い返してしまったのだ。

「無意識のうちに、俺はそういう普通の人生を歩めないってわかってたから、反抗してしまったんだと思います」

「その頃は世の中をうがった目で見ていて、それをモチベーションに変えていたんです。普通にはなれないから、人より成長してやろう、有名になって幸せになってやろうって思ってました」

中3の卒業文集には、「ビッグになりたい」と書いた。

「何かに、何者かになりたかったんです。『自分は何者か?』って問われた時に、当てはまる答えがないことが絶望でした」

人より努力して、羨ましがられるような存在になってやろうと思った。

05カミングアウトで人生が変わる

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親友へのカミングアウト

親友へのはじめてのカミングアウトは、卒業間近のことだった。

「親友はなんでも話してくれているのに、彼に対して隠し事をしているのが嫌で、負い目を感じていたんです」

一番大事な友だちに自分を見せられていない。それに対するモヤモヤした思い。

「それに、卒業したらこうやって毎日会えるわけでもないから。それなら言いたいなって思ったんです」

カミングアウトは、いつも2人で話していた駅のベンチで。

「あんまり覚えてないんですけど、遠回しに30分くらい恋愛話をしてから、ようやく『俺は男が好きなんだよね』みたいに言いました」

意を決してのカミングアウトだったが、親友は驚くわけではなく、「あーそうなんだ」と軽い反応だった。

「そいつは、もともとあまり多くを語るタイプじゃないんですよ。だから、カミングアウト後も特に関係が変わることはなかったです」

ベンチャー企業でのインターン

高校卒業後は、進学せずに就職するか迷っていた。

「でも、やりたいことがまだ見つけられてないなって思って、それを見つけるために大学に進もうって思いました」

1年の浪人を経て、経営学部へ進学。

「大学ではカミングアウトをせずに自分を繕って生活していたから、ものすごいストレスでした」

人生の転機となったのは、現在勤めている「株式会社はぐくむ」というベンチャー企業の社長に出会ったことがきっかけだ。

「大学の友だちと一緒に、その会社で長期インターンをすることになったんです」

人とは違うことにチャレンジしようと思い、ベンチャーでのインターンを決意した。

「そこで運営として携わりながらキャリア教育のスクールに参加して、大学生10人くらいで毎週ディスカッションしていたんです」

将来の人生について考えているうちに、「自分は、自分にも大切な人にも嘘をついて生きたくないんだ」と気づいた。

「それで、最後のクラスの時に、みんなの前でカミングアウトしたんです」

1対1ではなく、複数人の前でカミングアウトをするのははじめてだった。

「みんな、すっごい驚いてました」

「周囲にはなるべくゲイだとバレないように過ごしていたので、みんな気づいてなかったんです」

このスクールでの気づき、そしてカミングアウトが、今後の人生に大きな影響を及ぼすことになる。


<<<後編 2017/05/30/Tue>>>
INDEX

06 両親の葛藤も、ひとつの愛情の形
07 カミングアウトで終わりじゃない
08 恩返しをするために
09 自分だからこそできる仕事
10 無防備な子どもたちに勇気を与える

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