02 活発な女の子
03 赤いシャツと青いシャツ
04 未来が見えない
05 エネルギー切れ
==================(後編)========================
06 封印
07 トランスジェンダーというセクシュアリティ
08 父のひと言
09 心と体はつながっている
10 シンプルに生きる
06封印
見たくないものにフタをする
大学では、途上国の地域支援を専攻した。
「環境問題に興味があったんです。ちょうど、ニュースで環境問題が話題になっていた時期で、自分にできることを探りたいなと思って」
友だちに誘われてスキーサークルに入部。
そこで、久しぶりに男女の差を目の当たりにすることになる。
「男の子が羨ましいと感じることもありました」
「でも、自殺を思いとどまったときに、体に合わせて生きていくって決めたから、全部見ないようにしたんです」
男の先輩は、かわいい女の子としか目を合わせて話さない。
そういう社会に馴染まなければいけないと思い、髪を伸ばし、女性物の服を着た。
周りから浮かないように注意もした。
「でも、いくら感情を殺しても、絶望感は避けられなくて・・・・・・。そういうときは、家で1人で泣きました」
「みんな何かしら諦めて生きてるんだから、自分も我慢しなきゃ、って言い聞かせてましたね」
女の子を好きになっても、その想いは封印して、男性と付き合おうと決める。
恋愛依存
高3の一時期、同級生の女の子と付き合ったことがある。
相手のことを好きだと感じる一方で、それはいけないことだと、ずっと思っていた。
周りの視線が怖かった。
「大学1年生のときに、初めて男性と付き合いました。手をつないで歩いても、変な目で見られないから、嬉しかった」
「心が安らぎましたね」
誰か1人でも、自分のことをわかってくれる人がいる。
その安心感が心地良かった。
「大学時代は、自分から告白したりして、何人か彼氏を作りました(笑)」
「誰かに嫌われたり笑われたりしても、彼氏がいれば安心っていう感じ。恋愛依存だったと思います」
キャンプへの帯同
大学時代、スキーサークルとは別に、ボランティア活動をしていた。
「小学校まで通っていた学習塾で、子どもたちをキャンプに連れて行く
ボランティアを募集してたんです」
「子どもたちと5泊ほど一緒に過ごして、色々なチャレンジをするのが、僕らの役割でした」
「それまで、自然の中で過ごしたことはなかったから、生きるって、こんなにシンプルでいいんだな、って思いました」
キャンプでは、各グループにさまざまなチャレンジテーマが与えられた。
森の中でブルーシートとロープだけでテントを張り、1泊して帰ってくる。
カヌーで対岸まで渡り、戻ってくる。
川をさかのぼって滝まで行く「シャワークライム」に挑戦する。
「自然の中で過ごして、初めて生きていることそのものに幸せを感じられたんです」
「子どもと真剣に向き合うと、感情がむき出しになるんですよね」
上手くいかないときは、子どもたちと一緒に泣くこともあった。
体を思い切り動かし、お腹を空かせた。
星空を見ながらご飯を食べ、自然の風の心地よさを感じる。
「人生において、とても貴重な経験だったと思います」
07トランスジェンダーというセクシュアリティ
固い土を耕す
大学卒業後は、山梨県の清里高原にある団体専用の宿泊施設に就職した。
キャンプの経験から、自然の中で働きたいと思ったからだ。
「食育に力を入れている施設でした。100人とか200人の食事を一気に作るのが、僕の仕事」
「料理なんて全くできなかったけど、働きながら覚えていけばいいということで、採用してもらえました」
社会人になっても、セクシュアリティの悩みは、封印したまま。
周りに合わせて目立たないようにすることが、最重要課題だ。
「そうしなければ、生きていけないと思ってたんです」
社会経験を積む中で、自分と向き合う土壌が、少しずつ育まれていった。
「でも性別については、閉じていた蓋を開ける勇気もなくて。というより、トランスジェンダーの存在を、まだその頃は知りませんでした」
清里の施設には4年間勤務した。
トランスジェンダーのドラマ
27歳のとき、当時付き合っていた男性と婚約。
その矢先に、友だちから「性同一性障害の女の子が出てくるドラマが始まるらしいよ」と聞いた。
『ラスト・フレンズ』というドラマだった。
「普段はドラマを全然見ないんです。でも、これは観ないといけないんじゃないか、って直感的に思いました」
清里の寮で、食い入るようにドラマを観た。
初めて、トランスジェンダーというセクシュアリティがあることを知った。
「観終わった後は、安堵と戸惑いを感じました。そういうことだったのか、だから自分は苦しかったんだ、って」
「自分はおかしくなかったんだ、ってすごく励まされたんです」
自分の感情を押し殺そうとして頑張ってきたが、そんなことをする必要はなかったのかもしれない。
ドラマを観て、ようやくそう思えた。
じゃあ、自分はこれからどうやって生きていけばいいんだろう?
悩みの根源を知ってしまったら、もう、見て見ぬふりをすることはできなかった。
「婚約者と一緒にいるときに、道ばたで、2人でジャンプしたことがあるんです」
彼は遠くのタイルまで跳べるのに、自分はそこまで届かない。
「女性として生きていこうと思いながら、そうやって、何でもないときに傷付いちゃってたんですよ」
彼のことは、人として好きだった。
しかし、このまま一緒に生きていけるか、考える時間がほしかった。
「結婚は2人の問題だけど、それ以前に、自分自身の問題を見つめさせてほしいと思ったんです」
08父のひと言
一緒には生きていけない
自分はトランスジェンダーかもしれない。
婚約者にそう話すと、最初は「わかった」と言ってくれた。
「結婚しようとしている相手から、『自分は男性かもしれない』って言われたら、戸惑うのが当たり前ですよね」
「すごく悩んだと思います」
「わかった」と言ってくれたものの、彼は、日に日に突き放すような態度になっていく。
その態度を見ていて、一緒に生きていくことは、やっぱり無理だと思った。
「入籍日や段取りを決めてしまっていたので、お互いの両親にはセクシュアリティのことを打ち明けずに、とりあえず籍を入れたんです」
「新婚旅行でタイに行って、昼間は観光を楽しんだけど、夜は泣きながらずっと話し合いをしてましたね」
LGBTの当事者に会って、自分と向き合う時間がほしい。
会社を辞めて、東京の実家に帰り、これからのことをゆっくり考えようと思った。
「親には、新婚旅行後に、彼と一緒に住むと伝えていたんです。でも、実家に帰るなら、親に話さなきゃいけないと、覚悟を決めました」
カミングアウトの日
両親に話す前に、歌舞伎町の近くのサロンで美容師をしていた姉に、カミングアウトした。
「姉の美容室には、ゲイやトランスジェンダーのお客様が来ることもあるから、理解があったんですよね」
「トランスジェンダーかもしれない、って話したら、すごく納得していました」
「『子どもの頃のあんたの行動は、そういうことだったんだね!』って」
両親にカミングアウトする日、マンションの階段を上り下りしながら、何度も頭の中で問答を繰り返した。
「本当に言ったほうがいいのかな?」
「何て言われるんだろう?」
そう考えて、心臓をばくばくさせながら、実家のドアを開けた。
彼とは一緒に暮らさずに、実家に戻りたい。
「セクシュアリティのことを話さなきゃと思いながら、どうしても言葉に詰まってしまって・・・・・・」
「親から散々問いただされて、もう言うしかないと、腹をくくりました」
話を聞き終わった父は、「わかった」と静かに言った。
当時はちょうど、トランスジェンダーのタレントが人気になり始めた時期。
「テレビでもそういう人たちが出てきているし、そういう性の人がいることもわかってる」
「お前の好きなように生きろ」
仲の悪かった父にそう言われて、やっと体の強ばりが解けた。
母は戸惑っていたが、父と同じように「わかった」と言ってくれた。
実家に帰ってから半年間は、仕事をせずに、LGBT当事者に会いに行ったり、LGBTのゴスペルサークルに参加してみた。
髪型を短髪にして、着たい服を選ぶ。それまで我慢していたことを、少しずつ実行に移した。
新たな自分として生きていこうと、男性名を自分で考え、外ではその名前を名乗ることにした。
「ようやく本当の人生が始まるっていう感じでしたね」
「第二ステージ、みたいな」
「ゴスペルサークルで知り合った友だちが『焦らずに向き合ったらいいよ』って言ってくれて、心強かったです」
FTXかFTMか
LGBT当事者の集まりに参加し始めた頃は、難しさを感じることもあった。
「知り合いにバレないようにしている人もいるから、みんな、写真撮影やSNSに敏感なんです」
「そういうことを知らなかったから、気軽に写真を撮って、すごく怒られたこともありました」
「割れもの注意じゃないけど、そっと扱わなきゃいけない感覚がありましたね」
実家に戻った後、色々な病院でカウンセリングを受けたが、FTXかFTMか、自分でも判然としない。
男性だという確信がないまま、治療を始めるのは嫌だった。
「体がそれほど強くなかったから、治療に対しては、けっこう慎重になってましたね」
半年間の休業期間を経て、学習塾でキャンプの仕事を手伝うことになる。
「この仕事を続けるなら、ホルモン治療をするわけにいかないなと思いました」
「子どもたちと宿泊するときに、どうしても、男女に分かれなければならない場面があるからです」
ホルモン治療を始めるなら、仕事を辞めなければいけない。
そうなると、転職活動も含めて、精神的な負担がかなりかかることになる。
「どうすべきか決められないまま、6年間キャンプの仕事を続けました」
「いざホルモン治療を始めたら、すごくストレスが減ったので、もう少し早くやっても良かったなって思いましたね」
09心と体はつながっている
ヨガとの出会い
ヨガを始めたのは、20代半ば。清里の寮にいたときだ。
「女性として生きようと思っていた時期で、無意識にストレスを溜め込んでいたんです」
「体の緊張感が強くて、冷えやすかったり、体調が悪くなりやすかったり、そんな状態が、ずっと続いてました」
調理の仕事はハードで、慢性疲労が抜けなくなっていた。
調理場の仲間に相談すると「ヨガをやってみたら?」と勧められる。
「ヨガって、どういうものかよく知らないでやり始めたんです(笑)。何度か通ううちに、心がすごく楽になっていくのがわかりました」
「心と体はつながっているってよく言うけど、その言葉の意味を、ヨガを通して実感したんですよね」
もっと深くヨガを習いたいと思い、30歳のときに、ティーチャーズトレーニングを受講。
ヨガにすっかり夢中になったが、友だちに教えてみようかな、という程度の軽い気持ちだった。
「もともと引っ込み思案で、人前に立つのが苦手だったんです。まさか自分がヨガを教える立場になるとは、想像もしていませんでした」
ヨガのインストラクターになる
2011年から友人に向けてヨガの指導をはじめ、2017年から本格的にヨガやトレーニングの仕事に就く。
現在はフリーのインストラクター、パーソナルトレーナーとして、ヨガや筋力トレーニングを教えている。
「いまはホルモン治療だけです。仕事が軌道に乗ってきているので、しっかり休めるようになるまでは、手術は我慢するつもりです」
自分のように、事情があって、すぐにオペに踏み切れない人もいるだろう。
そういう人に向けて、現在、ブログで筋トレのやり方を発信している。
「胸筋の上部を鍛えると、胸が目立たなくなるんです。鍋シャツの上にTシャツを着ても、ちょっと胸板が厚いくらいに見えます」
「こんなふうに変われるんだよ、って伝えることで、希望を持てる人が増えるといいですね」
自分の体が変わっていくこと自体が、勇気になる。
10シンプルに生きる
心の動きに従って
27歳でトランスジェンダーというセクシュアリティを知ったとき、いつもの癖で、「なぜ自分が男性だと思うか」を理屈でとらえようとした。
しかし、深く考えるうちに、自分の感覚を信じればいいと思えるようになった。
「スカートとか長い髪とか、心が嫌がっていたことはたくさんあるじゃん、って思ったんです」
「好きなメンズ服を着たら、すごく心が喜ぶのがわかる。その心の動きを、ただ単純に感じればいいんだな、って」
自分の苦しみに浸かっているとき、人の苦しみは見えない。
みんな悩みながら生きているのに、自分だけがかわいそうに思えてしまう。
「清里の寮で、深夜2時くらいにずっと考えごとをしていたときに『あなたはどれだけ人のことをわかってるの?』っていう言葉が、ふと降りてきたんです」
「電気が走ったみたいな感じで、『そうか!』と思ったんですよね」
「誰もトランスジェンダーの悩みを理解してくれないと思っていたけど、自分だって人の悩みを理解しようとしていないよな、って」
周りの人にカミングアウトする中で、相手から悩みを打ち明けられることが増えた。
悩みを抱えて生きているのは、自分だけじゃない。
そう実感してから、いままでより深く、人とつながれるようになった。
「トランスジェンダーじゃなかったら、僕はもしかしたら、人との深い絆を感じられなかったかもしれません」
「そう考えると、トランスジェンダーに生まれて良かったなと思うんです」
変えられないことを受け入れる
ヨガの教えの中に「修習(アビヤーサ)と離欲(ヴァイラーギャ)」という言葉がある。
人生には、努力によって変えられることと、変えられないことがある。
努力によって変えられないことは、受け入れていくというのが、ヨガの基本的な考えだ。
「トランスジェンダーは、ホルモン治療や胸オペなどをすれば、声や見た目を変えることができます」
「でも、医療でどうにもならない部分は、受け入れるしかないんですよね」
ヨガを通して、そういう考え方を身に付けてから、生きることが楽になった。
自分のセクシュアリティに悩む人。
トランスの過程で自分と向き合い苦しむ人。
LGBTに限らず、生きづらさを抱える人たちに、シンプルな生き方や考え方を伝えていきたい。
考え方ひとつで、目に映る景色は変わるから。