02 薄いつながり
03 ひらがな二文字
04 初めて「いいね」と言ってもらえた
05 男性の体に抗う
==================(後編)========================
06 心機一転
07 MTFとは言えない?
08 変化する体
09 どのセクシュアリティで働くか
10 境目をゆらゆら漂う
01結婚と呼称
居心地の良い関係
子どもの頃から、結婚に憧れていた。
1人で生きていくビジョンはなく、誰かと一緒に生きることが当たり前だと思っていた。
「理想は、『ニューヨーク・ニューヨーク』っていう漫画に出てくるゲイカップル。その2人の関係性が、素敵だなと思ってたんです」
10代、20代の頃、付き合った相手には、自分のセクシュアリティや性的指向をオープンにしてきた。
そのことが原因で別れた人もいるし、何も言わずに受け入れてくれた人もいる。
「たとえ受け入れてもらえても、ふとしたときに男性としての役割を求められ、苦しくなって別れてしまった人もいました」
33歳のとき、3年間付き合ったパートナーと籍を入れた。
「妻は、FTMの人と付き合ったこともあって、性別で人をくくらないんですよね」
「私に対して、性別的な役割を一切求めてこない。女でも男でも、どっちでもいい状態でいさせてくれます」
「そんな相手と出会えたことに、本当に感謝してます」
「妻」と呼べることがうれしい
結婚するまで、パートナーを誰かに紹介するたびに、硬い石をのみ込んだような、喉ごしの悪さを感じていた。
相手を「彼女」と呼ぶことで、自分は「彼氏=男性」なのだと突きつけられる気がした。
「10代の頃から、自分の男性性がすごく嫌で、そこから逃れたいと思い続けてきました」
「だから、『彼氏』なんて絶対に呼ばれたくなかったんです」
その感覚が、結婚を機にガラリと変化する。
「いまは、妻のことを『妻です』と紹介できることが、うれしくて仕方ないんです」
「『夫です』って言われるのも平気だし、『彼氏』と何が違うのか、自分でも不思議なんですけど・・・・・・」
その違いは、もしかすると「結婚」が法的な結びつきだからかもしれない。
「たかが紙きれ1枚ですが、婚姻届を出したとき、『この人と一緒にいていいですよ』って認めてもらえた気がしました」
「セクシュアリティを理解して一緒にいてくれる相手を見つけられたこと、その相手と結婚できたことが、誇らしいんです」
文字とおり、誰にでもない「自信」を感じたのかもしれない。
02薄いつながり
横浜のアパートと祖父母の家
4歳まで、両親と1歳違いの妹と一緒に、横浜市内のアパートで暮らしていた。
ところが、そのアパートで過ごした日々は、記憶に一切残っていない。
「母方の祖父母の家が近所にあって、そこが自分の家だと思ってたんです」
「おばあちゃんと朝食を食べたり、おじいちゃんと駅前のドトールでコーヒーを飲んだり、みなとみらいに連れて行ってもらったり・・・・・・」
「祖父母のことはいくらでも覚えてるのに、父や母と何かをした思い出は、全くないんですよね」
家族の中で、一番印象が薄いのは父だ。
「父方の祖父は、小学校の校長先生をしてたので、なにか圧があったのかな。浪人して大学に入ったので、たぶん、学歴コンプレックスがあったんだと思います」
子どもの頃から、「ちゃんと勉強していい大学に行くんだよ」と言われてきた。
学校でまだ教わらないような、難しい文法や計算式の勉強もさせられた。
「用途がわからないまま、道具だけ渡されて、これを使えるようになれって言われている感じでした」
「目的もないのに、なんでこんな勉強をしなきゃいけないの? ってずっと思ってましたね(苦笑)」
似ている部分
母は、本心をはっきり口に出さない人。
「気に入らないことがあると、不機嫌そうな空気を出して、周りに察してもらおうとするんです」
「何か議論になっても、わかってるフリだけして、自分の価値観を絶対に曲げません」
「私にもそういうところがあって、母と同じようなことをしていると気づくたびに、苦い気持ちになりますね(苦笑)」
36年間接していても、母がどういう人間なのか、未だによくわからない。
好きなものや、何を大切にして生きてきたか、腹を割って話してくれたことがないからだ。
「あまりにも腹の内が見えないから、母を前にすると、顔色を窺うクセがついちゃってます」
03ひらがな二文字
いい作品にはなれない
父方の祖母は、とても厳しい人だった。
いい大学を出て、いい会社に入ることが正しいと信じて疑わない、昭和的な価値観の人。
「母の最重要課題は、私をより良い作品に仕上げることでした」
「勉強ができて快活な優等生に育てて、父方の祖母にはマルをもらいたかったんでしょうね。そういう道具としてしか、私のことを見てなかったんだと思います」
学校でいい成績を取っても、「もっと上を目指しなさい」と言われるばかり。
何をしても評価されず、大人になるまでこれが続くのかと思うと、うんざりした。
好きな漫画やゲーム、音楽のことを話しても、母が「いいね」と同意してくれたことは一度もない。
女の子の名前
その一方で、1歳違いの妹と母は、好みの俳優やミュージシャンを共有して、楽しそうに語り合っていた。
「母は、彫りの深い外国人男性が好きなんです(笑)」
「(元サッカー選手の)デビッド・ベッカムが活躍していたとき、2人ですごく盛り上がってました」
「妹がうらやましかったですね」
29歳のとき、名前を「ゆお」に変更。
「従兄弟も含めて、私たち孫の名前は、父方のおじいちゃんがつけてくれたんです」
「女の子の名前はひらがな2文字って決まっていて、『ゆ』が使われている子が多い。妹もそうです」
改名したときは、好きな響きの名前を選んだと思っていた。
「もしかしたら、親からプレッシャーを受けない、妹のような女の子になりたいと、ずっと願っていたのかもしれません」
04初めて「いいね」と言ってもらえた
変わったやつ
4歳のとき、神奈川県座間市に引っ越した。小4までそこで暮らすことになる。
「その頃が、人生で一番しんどい時期でした」
「家に安らげる場所がなかったし、学校でもいじめられていたんです」
いま振り返ると、ちょっと変わった子どもだったと思う。
同級生と遊ぶのはつまらないと感じ、休み時間は一人遊びばかりしていた。
周りとコミュニケーションを取らなかったせいで「変なやつ」扱いされ、仲間はずれにされたり、嫌がらせをされたりもした。
「今もそうだと思うんですけど、学校では、明るくてスポーツの得意な人がカースト上位だったんです」
「私はぜんそく持ちだったし、体が弱くて。しょっちゅう熱を出して、体育を休むこともありました」
「だから、勉強でマウントを取ってやろうと思ったんですけど・・・・・・」
「でも、勉強ができたって、誰も注目してくれないし、褒めてくれないんですよ」
車椅子の男の子
小5の春に、再び引っ越し。
転校先のクラスで、たまたま隣の席になったのが、車椅子に乗った男の子だった。
「その子とすごく仲良くなって、小4までの日々が嘘みたいに、学校に行くのが楽しくなったんです」
「脚が動かないというハンディがあるのに、ポジティブな性格で、陰を感じさせない子でした」
お互いにゲームや漫画が好きで、話が合った。
放課後は公園に遊びに行ったり、家でゲームをしたりして、ほぼ毎日一緒に遊んだ。
「自分が好きなものを、初めて『いいね』って言ってくれたのが、彼だったんですよね」
「たぶん、彼がいなかったら、今こんなふうに生きてないと思います」
05男性の体に抗う
女の子に間違われる
セクシュアリティに初めて違和感を覚えたのは、9歳のとき。
まだ、転校前の学校に通っていた頃だった。
「知り合ったばかりの上級生と一緒に、放課後、学校で遊んでいたんです」
「そのとき、女の子に間違われたんですよ」
上級生の一人から「女の子だと思った」と言われた。
そう言われて嫌な気はしなかった。むしろ、うれしいと感じたことが、印象に残っている。
同じ頃、学校で「性同一性障害」という言葉を初めて聞く。
「どういう経緯か覚えていませんが、授業中、先生が性同一性障害について話し始めたんです」
「そういうことがあり得るんだ! って驚いたし、なんだか明るい気持ちになりました」
居場所があるから大丈夫
中学生になると、車椅子の子以外にも、趣味の話を共有できる友だちが増えた。
髪を伸ばしたり、爪を伸ばしたりしていたため、「仕草が女っぽい」「気持ち悪い」と言われることもあったが、あまり気にしなかった。
「私を必要としてくれる友だちがいて、居場所があったから、全員に気に入られなくても平気だったんです」
「『お前、女みたいだな』って揶揄されたときは、『だろ?』って返してました(笑)」
「爪を伸ばす」という抵抗
高校は、推薦を受けて、私立の共学校に進学。
滑り出しは順調だったが、高1の冬休み明けに問題を起こし、そこから不登校になる。
「冬休みが始まる前から爪を伸ばしていたんですが、それを体育の先生に注意されたんです」
「冬休み明けの登校日、そのことを覚えていた同級生にからかわれて、思わず相手を攻撃しちゃったんですよ」
「爪でバリッと引っ掻いたんです」
その瞬間、緩まないように張ってきた何かがプツンと切れた。
今まで頑張ってきたことが全て無駄に思えて、体から力が抜けていく。
「爪を伸ばしたのは、女性性を主張できる記号が欲しかったからです」
「男子用の制服も嫌だったし、短い髪も嫌だったし、とにかく男性でいたくないという気持ちが増していましたから」
校則が厳しく、頭髪チェックがあったため、髪を伸ばすことはできない。
誰にも気づかれないように、爪を伸ばすことで、男性である自分に抗っていた。
「声変わりが遅かったので、中学生の頃は、合唱祭でソプラノパートを歌っていました」
「いつまでも高い声が出せるように、必死で練習してたんです。そのうちに、声変わりが急に始まり、ぐっと低い声になってしまって・・・・・・」
「男性としての記号が増えていくことに、もう耐え切れませんでした」
<<<後編 2020/08/20/Thu>>>
INDEX
06 心機一転
07 MTFとは言えない?
08 変化する体
09 どのセクシュアリティで働くか
10 境目をゆらゆら漂う