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心の壁をやぶり、ありのままの自分で生きていく【前編】

ファッションにも興味があると言う話しもうなずける、スタイリッシュな持木ひろさん。25歳でカミングアウトするまで、本来の自分を出せぬまま過ごした日々。自分に厳しく、周囲に合わせることができてしまった故の辛さ、そして心を解放することで見えてきた理想の社会を落ち着いた語り口で話してくれた。クールビューティでありながら、子どものような好奇心で社会を変えようと動き回る持木さんの魅力にせまる。

2017/03/16/Thu
Photo : Mayumi Suzuki Text : Junko Kobayashi
持木 ひろ /  Hiro Mochiki

1984年、群馬県生まれ。国際医療福祉大学卒業後、理学療法士として医療・介護業界に10年以上携わる。現在は、医療・福祉・介護分野を中心に、すべての人が「自分らしく生きる」社会を創るための活動している。開業資金の獲得や経営を支援するために、タックスプランナーの資格も取得している。

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INDEX
01 人と話すのは苦手、外遊び大好き
02 持木家の子育て方針
03 みんなと同じことがしたい
04 サッカーが自分を開放してくれる
05 女子力が高かった高校時代
==================(後編)========================
06 自分は何者? 男女どちらが好き?
07 家族からの自立と性自認
08 25歳でカミングアウト
09 壁をつくっていたのは自分  
10 「わくわくどきどき」を大切に

01人と話すのは苦手、外遊び大好き

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程良い距離感

群馬県前橋市で教員をする両親と、弟2人祖母5人の家族で育つ。

「父親は美術の教員で、母親は養護教員。父親は変わり者で頑固なんです(笑)」

両親が共働きだったため、0歳から保育園に通っていた。
弟は4歳下と6歳下。

両親が仕事をしていたので、保育園には朝早くから夜遅くまでいた。

「仕事を終えた両親が帰宅するのは、夜の7時ころ。小学校5年生ごろまではおばあちゃんが同居してましたが入院などもあったので、小学校低学年の頃は友達の家に一緒に帰り、友達の家に両親が迎えにきたこともありました」

そんな中で共働きの両親にかわり、弟たちの面倒をみていたかというとそうでもない。

「兄弟と年齢が少し離れているためか、小さいころあまり一緒に遊んだり世話をした記憶が無いんです。8歳の時に、下の弟が可愛いと思った記憶はありますが(笑)」

2人の弟にお姉さん的なことをした思い出はあまりない。

自分が小学校の時は、弟はまだ保育園。

「特に下の弟とはあまり話やケンカをした記憶はないですね。決して、弟達と仲が悪いわけではないです。今でもそうですが、それぞれ程良い距離をとって深入りしない関係なんです」

共働きの両親は、家族一緒の時間をとても大切にしてくれた。例えば、食事はなるべく家族で一緒に食べる。食事の時はテレビは消す。年に1〜2回は、長期旅行に行くなど。

現在、上の弟は結婚して群馬に、下の弟は東京に住む。たまに会う程度だが、ほど程よい距離感が保てている。

外遊びで自分を開放

保育園に通っている時に、顔を縫う程の怪我をしたことは覚えている。

「忘れもしない、3月3日のひな祭りです。自分の椅子を運ばなくてはいけず、2階から1階に下ろす時に階段から落ち顎を切ってしまったんです」

「顔の怪我は他にもあって、保育園で親が迎えにくるのを待っている間に高いところに登り、落ちてしまい額を切ったんです。痛かったのを覚えていますよ」

顔に怪我をするくらい活発だったのかと言えば、そうではなかった。

チャレンジ精神はあったが、実は引っ込み思案でおとなしい女の子だった。

「誕生日が3月なので、同じクラスでも4月や5月生まれの子たちとは成長が違うんです。当時は身体も小さかったし家でテレビをあまり見なかったので、話題にも付いていけず、何を話して良いかわからなかったです」

「話している内容を知らないことを気づかれたくなくて、何となく周りに合わせ、みんなの後をついていく感じでしたね」

そんなおとなしい自分が、自分らしく活発になれるのは外で遊ぶ時だった。

「自然が好きでした。空が好きで木に登ったり、秘密基地を作ったり、川に飛び込んだり。自然の物を使って何かを創ることも好きでした。週末には、バンガローで泊まって遊ぶ会にも入っていました」

自然の中で遊ぶ時は、人と何を話すかなど考えずに楽しめる。

外遊びは、心身を開放してくれる瞬間だった。

02持木家の子育て方針

持木家のルール

感性を磨くことや、子どもがやりたいことはやらせてくれた両親だが、そこは教員という子育てのプロ。

持木家流の決まりごとがあった。

「全部は覚えていないですが、小学校に入るまで勝手に冷蔵庫を開けてはいけないとか、コーヒーは中学になるまで飲んではだめとか、独特のルールがありました」

冷蔵庫には、たいてい子どもが口にしない方が良い物が入っている。コーヒーを禁止したのも、含まれるカフェインが子どもの成長に与える影響を心配してのことだろう。

「ただ、ルールがあれば子供は破りますよね(笑)」

「親がお風呂に入っている間に、こっそり冷蔵庫を開けて入っているものを食べていました。なんとなく悪いことをしているという感覚はありましたよ」

「その他にも、バイト禁止、携帯禁止、制服のスカートの長さ、ルーズソックスなどは散々言われました。ただ基本的には子供に選択の自由を与えてくれたと思います」

半分男の子?

父親の教育方針もあり「女の子だから、○○だから」で何かを押し付けられた記憶はない。

やりたいといったことは、やらせてくれた。

スカートをはかない園だったので、その頃の服装はズボンだった。

「記憶があるころには既にズボン生活でしたし、ヒラヒラな服やピンクは嫌がっていたと思います]

「七五三の着物もすご~く嫌だったのを覚えています。一度は着ましたけどね(笑)」

「誕生日にはミニ四駆やサッカーボードゲーム、人生ゲーム、ラジコンなど比較的ワンパク系を買ってもらってました」

弟へのおさがりもスムーズ。趣味の点では半分男の子だった。

03みんなと同じことがしたい

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目立つのがいや

周囲に溶け込もうと懸命になっていた小学校時代、こんなことを覚えている。

「終業式の日は持ち物が少ないのでいつものランドセルではなく、ナップサックで通学できました。前日の夜、明日はナップサックで良いかとても不安になるんです」

「友達はランドセルで自分だけナップサックで登校してしまい、みんなから笑われたらどうしようって」

「そんな夢をみるくらい心配だったんですよね」

自分が周りからどう見られているのか、絶えず気になっていたエピソードはまだある。

「下校時に雨が降り出したので、学校に置いてある傘をかりて帰宅した。翌朝、その傘を返さなくてはいけないので、持って行くじゃないですか。晴れていて誰も傘を持っていないのに、自分だけ傘を持っている」

「黄色の傘で、明らかに学校の置き傘とわかるので、変に思われることはないのに、なぜか周りの目が気になって仕方なかったですね」

人と違う行動をしたことで笑われたり、いじめられた記憶はない。

ただ、目立ってしまうことを避けたいという思いがあり、なるべく溶け込もうとしていた。

「どうしてか、小学校1年生の時に、録音された自分の声を聞いてから、声も好きじゃないんです。そのせいか、声を出すのも嫌というか、とにかく人から認識されるのが好きじゃないんです」

自分の声が嫌い、自分を見て欲しくないという感情は、大人になっても心の奥底で続いている。

「だいぶマシになりましたが、今もまだその傾向が残っているので厄介です(笑)」

実はセクシュアリティに関連する、人とは何かが違うという感覚。

そんな違和感を持つ自分を、無意識に否定するうちに、負い目のようなものを感じていた。

自分を変えたい

小学校時代は自分の性格を変えようとする。

「人前で話すことが苦手なのを克服するために、演劇部に入ったんです。それから学級委員になり、みんなの前でしゃべる機会を増やしたり」

自分には、人に対するブロックがあると感じている。

それが何か行動を起こす時の壁(メンタル・ブロック)になっていると思う。

小学校の頃から、自分が苦手な部分に向き合い、乗り越える努力をしてきた。

「今はやりたいことが沢山あって、facebookなどでも情報発信をしていますが、まだ人に何かを伝えるのは苦手です」

「アップする時は “えぃ” っという感じでボタンを押しているんですよね(笑)」

写真のアップは良いが、SNSでの動画配信は今でも抵抗がある。

そんな自身の状況を「リハビリ中」と表現する。

04サッカーが自分を開放してくれる

サッカーをやりたい

引っ込み思案の少女が、心からやりたいと思うものに出会う。

それがサッカー。

「当時、流行っていた漫画『キャプテン翼』の影響はかなりあると思います。4年生のときにどうしてもやりたいと思い、5年生から地域のサッカークラブに入りました」

まだ女子サッカーが人気になる前。女子がサッカーをできる場所も限られ、家から車で20分離れた場所に通った。

「週1回、日曜日の朝7時から9時という、同行する母親にとっては大変な時間ですね(笑)」

サッカーができるといっても男子がメインのチーム。女子は1年生から6年生まで、15人くらいが一括りされた。

「形だけの女子枠なので、そもそもサッカーを思いきりやりたい5年生の私には物足りないんです。はっきり言ってつまらなかったですね」

せっかく入ったサッカーチームは、途中から休みがちになり1年でやめた。

チームからは外れたが、サッカーをしたい気持ちは強くなり、校庭や家の周りで近所の男の子達とボールを蹴って遊んでいた。

中学生になった時、学校のサッカー部に女子の入部が認められるようになっていた。

「女子の先輩が入りたいということで、初めてサッカー部に女子が入れたんです。女子サッカー部というより、既存の男子サッカー部に女子が入れるという感じですけど」

先輩の代で7人、自分の代で3人、一つ下の代で2人、その後は入部者なし。

中学2年生の時には、県大会で優勝をした経験もあるが、現在、女子部はなくなり奇跡のような3年間だった。

放課後の練習は男子と一緒にすることができたが、中学生の女子大会は年一回しかなかった。

そこで地域のクラブチームにも入り、部活が終わった後、週3回は親に送迎をしてもらい練習に参加し、試合にも出られた。

なんで朝練に女子が来る?

小さい頃から外遊びが大好きで、体を動かすのは得意。

中学生男子と一緒のサッカー部でも問題なくついていけた。

「中学生にもなると、やはり男子の俊敏さやパワーにはかなわないんですが、技術面や練習は男子じレベルでしたよ」

同級生でサッカーに興味を持っていた女子を2人誘い、3人で入部した。

「その2人とはサッカーに対する思いが違ったんですよね。私のサッカー熱が強すぎて(笑)、1人でのめり込んでいる感じだったかな」

やりたかったサッカーを思いきりできる喜びから、朝練があると当然参加した。

「でも女子で朝練に参加する子は誰もいないんです。男子でも朝練に参加するのは、やる気のある子なので、技術はついていけてもスピードや体力で負けてしまうんです。悔しかったですね」

「なんとなく、私が参加すると他の男子がやりにくそうなんですよ。女子は来なくてもいいんじゃない、みたいなことを軽く言われたこともありました。それでだんだん行きにくくなったんです」

サッカーでは自由に動けるけど、男子に食ってかかることはなかった。

女子ということで、煙たがられるのも嫌だった。

悔しかった。

05自分は何者?男女どちらが好き?

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初恋は男子

「初恋は小学校の時、相手は男子です。もしかしたら、自分がその男子のようになりたいという憧れがあったのかもしれないですけど、、、」

「男子は、話していて楽しい人とか、自分がなりたい感じのかっこよい人が好きでした。女子は可愛い人が好きでしたね」

中学校になると、大人びた会話をしたり、ませた子の経験談を耳にするようになる。

「友だちの話しを聞いているうちに、私も男子と付き合いたいと思ったんです」

中学生になった頃から、気になる女の子も何人かいた。でもそのころは潜在的に思っているだけだったのかもしれない。

今にして思えば深く考えないようシャットアウトしていたのだとも思う。

友だちに対する好きという気持ちと、恋愛感情の違いが当時は区別できていなかった。

「中学校では、自分の気持ちに正直に、その時に惹かれる人や、一緒にいて楽しい人といました。女子って自分がいるグループを変えないじゃないですか」

「いろいろな人といると『そんなに友だちかえて大丈夫?』とか心配されました」

「当時は自身のセクシュアリティなんて考えもしなかったですが、女子に興味がある自分には、なんとなく気づきはじめていました」

「そもそも人との距離感や、一緒にいる人が男女どちらでもあった自分が良く分からず、『自分って変なのかな?何者なのだろう?』と、ただ一人で悶々と考えていたように思います」

「今でも女子トイレに入るのは違和感がないけど、女性というイメージに当てはめられるのは嫌なんです。スカートもはきます、友達の結婚式には女装感覚ですけど(笑)」

「恋愛対象は女性ですが、男性が全くダメというわけではないかな。可能性は限りなく少ないですが、、、」

そもそも男性女性という、きめられた枠で区別されたくない。

Xジェンダー寄りかもしれませんが、別にXと思っているわけでもない。

自分は自分。

性はなんでも良いかという感じだ。

共学に行かないとヤバイ

「高校を選ぶ時、レベルも高く、家から行きやすい女子校も考えました」

「でも女子校に入学したら、男子と付き合えないと思い共学を志望しました。それだけが理由ではないですが、結構そのことは大きかったと思います」

そして、近くの女子校ではなく少し離れた共学の高校へ入学する。

「男子と付き合うということを、ちゃんとしたかったんです。自分で思い込んで、そういう自分になろうとしてたんでしょうね」

「流行っていた厚底靴にミニスカートをはいて、2年生くらいまで女子力が高い自分にチャレンジしていました」

一方で、サッカーをしていて、ボーイッシュで爽やか。

女子からチョコレートをもらうこともあったが、はまらない方が良いと固く心にブレーキをかけていた。

 

<<<後編 2017/03/18/Sat>>>
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06 自分は何者? 男女どちらが好き?
07 家族からの自立と性自認
08 25歳でカミングアウト
09 壁をつくっていたのは自分
10 「わくわくどきどき」を大切に

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