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「心のストッパー」を外せば、誰もがもっと生きやすい社会になる。【後編】

「心のストッパー」を外せば、誰もがもっと生きやすい社会になる。【前編】はこちら

2018/09/24/Mon
Photo : Tomoki Suzuki Text : Shinichi Hoshino
山田 祐希 / Yuki Yamada

1986年、神奈川県生まれ。両親、姉、兄と二人の姪っ子、5匹の猫と暮らす。18歳のときに男性の先輩を好きになったことで、自身がゲイであることを自認。大学卒業後は、機械系の商社で営業職として働いた後、マレーシアの航空会社を経て、現在は中南米の航空会社にて通訳の仕事に携わっている。同時に、「自分らしく生きること」を提言するため、メンズコスメブランドを立ち上げ、化粧品開発もおこなっている。

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INDEX
01 家族へのカミングアウトを前にして
02 女の子とチューしたいとは思わなかった
03 セクシュアリティに関するモヤモヤ
04 もしかしたらゲイかもしれない
05 ゲイになる恐怖、ゲイとして生きる不安
==================(後編)========================
06 ストレートに戻りたい
07 ゲイの世界に触れて
08 悩みは自分の恐怖心でしかない
09 家族には、ありのままの自分でいたいから
10 あの頃の自分に恥ずかしくない自分でありたい

06ストレートに戻りたい

自分がゲイだと認めたくなかった

ネット上などで、ゲイのコミュニティーがあるのは知っていた。

「でも、アクセスしようとは思いませんでした」

「アクセスしたら、自分がゲイだって認めちゃうような気がしてたんです」

「あの頃は、今ならまだ戻れるかもしれないと思ってましたし、本気で戻りたいと思ってました」

だから、”戻り方” を調べていたこともある。

「ネットで、”ストレートへの戻り方” みたいな検索をしてました」

高校3年で男性を好きになるまでは、誰とでも楽しく話ができた。

いつだって自分のやりたいことに真っ直ぐだった。

「何にも引け目を感じてない自分に戻りたかったんです」

海外で触れたピュアな心

第一志望ではなかったが、大学に合格した。

大学に入ったら海外に行ってみたいと思っていたので、国際協力のサークルに入った。

「当時は、何かに夢中になっていないと自分が壊れてしまいそうなくらい、精神的に追い込まれていました」

大学1年のとき、東南アジアの途上国へのボランティアに参加する。

行き先はカンボジア。

わずか2週間の滞在だったが、大きく心を動かされた。

高校3年のときから浪人時代と、ずっとふさぎ込んでいて笑顔でいることができなかった。

しかし、カンボジアで子どもたちの「本物の笑顔」に触れることができた。

「経済的には決して豊かじゃないのに、こんなに心から笑えるんだって」

「僕も、この子たちみたいなピュアな心でありたいと思いました」

浪人時代からしていたマスクは、大学に入っても外せなかったが、カンボジアではマスクを外しても平気だった。

「みんな心がきれいで、本当にありのまま生きているんです」

「そんな子どもたちを見ていたら、自分の悩みなんて小さいことなのかもしれないなって」

カンボジアでのボランティア経験がきっかけで、東南アジアにのめり込んでいく。

大学時代は、ラオスやネパール、タイなど様々な国に足を運んだ。

海外では、セクシュアリティの悩みを切り離せる時間を持てた。

しかし、日本にいるときは、どうしてもありのままではいられない。

また、不安に苛まれ、不安定な自分に戻ってしまう。

サークルの飲み会に誘われても、照明の明るい店には行けなかった。

「自分の表情が、周りの人に気づかれちゃうんじゃないかって、それが怖かったんです」

「だからいつも、どんな店なの? って確認してから参加を決めてました」

海外にいる時間は和らいだが、日本では必死にごまかしながらの大学生活だった。

07ゲイの世界に触れて

キャバクラ、おっパブの毎日にうんざり

新卒で入社した商社では、営業職として働いた。

「その会社も、ゲイであることは隠していないといけない環境でした」

社会人になっても、新たな試練が待っていた。

「仕事が終わったら毎日のように、上司や同僚とキャバクラ、おっパブでした」

「仕事は楽しかったし、いい先輩や同僚にも恵まれたんですが、でも、自分は毎日、何をやってるんだって・・・・・・」

好きじゃないことをやってる自分が嫌だった。

だが、ゲイであることがバレることのほうが怖かった。

「だから、好きでもないのに、みんなに合わせて楽しいフリをしてました」

「自分から、おっパブ行きましょうよ! って誘ったこともありましたよ」

何のために生きているのか分からなくなり、精神安定剤に頼る日々がはじまる。

ゲイのイメージが変わる

「その頃は、何とかして変わらなきゃって思ってました」

このままじゃだめだと思い、行動を起こす。

今まではあえて避けていた、ゲイのコミュニティにアクセスした。

「ミクシーでいろんな人と話すようになって、実際に会ったりもしました」

「新宿二丁目に行ったのもその頃です」

そんな経験を通して、今までの “ゲイ観” が変わっていった。

「意外と、自分と同じような感覚の人っているんだなって」

女装やオネエ言葉といったイメージは、必ずしも正しいものではなかった。

「ゲイの人たちと触れていたら、自分も、自分らしく楽しく生きていってもいいのかなって思えるようになったんです」

「完全に癒やされたわけじゃないけど、前みたいに ”戻りたい” とは、だんだん思わなくなりました」

はじめての男性との交際

22歳のとき、ミクシーの友だちの紹介がきっかけで、初めて男性と付き合った。

3歳年上の人だった。

「最初は、戸惑いが大きかったですね」

「外にいるときは、いかに恋人同士に見えないようにするかってことばかり考えてました」

「好きだったけど、あえて距離をとって歩いたり、あえて相手の目を見なかったり」

だが、二人きりでいるときは、ありのままの自分を出せた。

他愛もないことで、心が安らいだ。

「女性との交際では味わったことのない、リラックス状態でした」

ずっと苦しみもがいて生きてきたが、「今は自分を出していいんだ」と思ったとき少し楽になった。

当時、彼に聞いたことがある。

「ゲイであることに対して、どうしてそんなに前向きでいられるの?」

彼は、「空を見てみなよ」と言った。

「下から見ると曇ってるけど、飛行機に乗って雲の上から見たら太陽が出てるでしょ?」

「どんなことにも二面性があって、祐希がつらいって思ってることも、見方を変えればハッピーになるんだよ」

そのときはすぐに実践できなかったが、今でも心のなかにある言葉だ。

08悩みは自分の恐怖心でしかない

航空会社の教官にもらった言葉

新卒で入った商社を辞め、転職先には航空業界を選んだ。

「子どもの頃から空が好きだったし、海外に対する憧れもありました」

「でもいちばんは、“自分らしくいられる環境” かどうかということでしたね」

航空業界には多様性を受け入れる風土があり、ゲイの人が多く活躍しているのも知っていた。

マレーシアの航空会社に転職が決まり、現地でのトレーニングに参加していたときのことだ。

思い切って、女性の教官に悩みを打ち明けた。

「僕はゲイであることに後ろめたい気持ちがあり、ありのままで生きていく自信がありません」

教官は泣きながら言ってくれた。

「あなたは、あなたのままでいいのよ」

「あなたがあなたらしく笑顔でいることは、それだけで周りをハッピーにするのよ」

「それがいちばん大事なことだから、忘れないでね」

高校時代の恩師に続いて、また ”先生” に救われた。

もう、精神安定剤はいらない

教官からもらった言葉は大きな力になり、そこから徐々に変わっていけた。

自分自身を受け入れられるようになった。

カミングアウトも怖くなくなり、同期や先輩にも少しずつ打ち明けていった。

「みんな、『そんなん、どうだっていいじゃん』『言ってくれてありがとう』っていう感じで受け入れてくれました」

「自分のままでいいんだなって思えて、すごくありがたかったですね」

商社で働いていた頃から飲んでいた安定剤は、マレーシアでの訓練にも持っていった。

迷惑をかける可能性があるから、あらかじめ同期にも服薬していることを話していた。

だが、マレーシアで薬を飲むことはなかった。

「教官からもらった言葉も大きかったですし、周りにいるゲイの人たちが生き生きしている姿を目の当たりにしてたのも大きかったと思います」

訓練が終わったとき、同期からもらった言葉も嬉しかった。

「安定剤を飲まなくて大丈夫になったんだから、祐希はすごく成長したんだよ」

「最初はどうなることかと思ったけど、頑張ったじゃん」

高校3年生以来、ずっと人との距離感を保って生きてきたが、マレーシアでは、久しぶりに正面を向いて話ができた。

久しぶりに信頼しあえる人間関係を実感できた。

「悩んでることって、ただの自分の恐怖心なんだなって」

「悩んでることはほとんど起きないっていう本もあるくらいだし(笑)」

悩みに対しての「怖さ」が、すっと薄らいでいくのを実感できた。

09家族には、ありのままの自分でいたいから

お姉ちゃんへのカミングアウト

マレーシアにいるとき、姉から電話がかかってきた。

「・・・・・・お姉ちゃん、離婚することになったんだ」

「ダメなお姉ちゃんでごめんね」

電話口で姉は泣いていた。

「お姉ちゃんは僕たち兄弟のいちばん上で、僕にとってはすごく強い存在でした」

「今まで、お姉ちゃんが泣く姿なんて見たことなかったんです」

姉の言葉に、涙があふれる。

「僕も泣きながら、お姉ちゃんはダメな人間なんかじゃないよって」

「僕にとってどんなお姉ちゃんでも、最高のお姉ちゃんだからねって言いました」

そのとき、何とかして姉を楽にさせてあげたいと思った。

自分がゲイだと打ち明けたら、姉はどう思うだろうか。

「弟も悩みながらも前向きに生きてるんだって、もしかしたらお姉ちゃんの心が安らぐかもしれないって思ったんです」

その流れで、ゲイであることをカミングアウトした。

「僕は結婚もしないから、お姉ちゃんの子どもも支えられるよ、っていうことも伝えました」

「離婚しても、僕がいるから大丈夫だって伝えたかったんです」

「5秒くらいの沈黙の後、『そうだったんだね』って受け入れてくれました」

不安はあるけど伝えたい

姉へのカミングアウトは、計画していたものではない。

「でも、家族に受け入れてもらったっていう喜びはすごく大きかったですね」

「あれ以来、お姉ちゃんとの距離がもっと近くなったなって思います」

家族に対しては、告げずに「墓場まで持っていく」と考えていた時期もあった。

だが、姉へのカミングアウトが、母や兄へのカミングアウトを考えるきっかけにもなった。

「正直、お母さんにカミングアウトして、どうなるか分かりません」

「お母さんは、僕の結婚を気にかけてくれてるみたいなんです」

「いい人いないのかね?とか、どんな人と結婚するのか楽しみだねとか、お姉ちゃんに話してるようで」

「だから、お母さんにカミングアウトする不安はすごくあります」

お母さんを泣かせたくない、悲しませたくないという思いは、昔から変わらない。

「でも、家族にはやっぱり素直であり続けたいなって」

兄は、受け入れてくれる気がしている。

「お兄ちゃんは、どんな僕でも大丈夫だって思ってくれてるかな(笑)」

一方で、父へのカミングアウトは急いでいない。

「ぶっちゃけ、お父さんはいつでもいいかなと(笑)」

「小さい頃から、何かあったらお母さんだったので、まずはお母さんですね」

10あの頃の自分に恥ずかしくない自分でありたい

心のストッパーを外してみる

今は、中南米の航空会社にて通訳の仕事をしている。

同時に、メンズのコスメブランドを立ち上げ、化粧品の開発も進めている。

「これからは、発信することを続けていきたいと思っています」

昔は、ゲイだから何もできないという諦めがあった。
ゲイだから生きる自信がなかった。

「でも今は、そういうのを突破して、自分らしさを表現していけたらなって思ってます」

「ゲイだからこその感性を反映した化粧品というか、今、僕がありのままの自分でいられることを、商品の背景として訴えていきたいですね」

「LGBTQに限ったことではなく、自分のなかにある ”心のストッパー” を外したときに、いかに生きやすくなるかってことを伝えられたらいいなって」

「何かしらの悩みのせいで、自分の心にストッパーをかけちゃってる人は多いと思うんです」

「心のストッパーを外して、自分を解き放ったときの心地よさを伝えていきたいですね」

「そのための手段が、今は化粧品ということです」

みんなが発信していけば社会は変わる

職業がら、外国人からよく日本人について疑問の声を聞く。

「日本人って、どうしていつも暗い顔してるの?」

「日本人って、どうしてみんな満員電車でイライラしてるの?」

「僕は日本人だから気付かなかったけど、海外の人からはそう見えてるようなんです」

その原因を、自分なりに考えてみた。

「みんな、何かしらの関係性のなかで、自分の存在を隠してるところがあるのかなって」

「人の目を気にしすぎたり、恥ずかしかったりして、ありのままでいられないことが一つの原因としてあるんだと思います」

「海外の人って、すごくあっけらかんとしてる人が多いじゃないですか」

「日本人にはないところですよね」

「そういう意味でも、やっぱり自分を発信していくことって大事なことだと思います」

「たとえば、自分が知らないことって、それだけで怖かったりしますよね」

「でも、分かったときに、価値観が180度変わることもあるんです」

「隠したままじゃ何も変わらないけど、みんなが発信することで、多様性が受け入れられる社会をつくるきっかけになるんじゃないですかね」

「もちろん、反発もあるでしょうし、受け入れられない怖さを感じる人もいると思います」

「でも、発信することで救われる人や喜んでくれる人は必ずいます」

「だから、そちら側の心にいつも目を向けていきたいなって思ってます」

つらくて苦しい7年間があったから、今がある。

必死でもがいて生きてきて、本当によかったと思える。

「だから、あのときの自分に恥ずかしくない生き方をしていきたいんです」

あとがき
気心がいい、とはこういう人なんだと思った。それが祐希さんの第一印象。弱くも強くもなく、どちらでもあることは、インタビューの終わりまで変わらなかった■祐希さんへ転機をもたらした人は、意外と近くに。先生、マレーシアでのインストラクター、そして家族・・・。心が向く先を一緒に見てくれる人だった■家族が話題になるたび、大きな瞳がにじむ。いつからか、[あなたであること以外、自分ができること]を探す祐希さんが歩き始めた。(編集部)

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