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夢見るだけの女の子が 翼を手に入れるまで【後編】

夢見るだけの女の子が 翼を手に入れるまで【前編】はこちら

2016/02/17/Wed
Photo : Mayumi Suzuki Text : Momoko Yajima
本田 優花 / Yuka Honda

1990年、神奈川県生まれ。4人きょうだいの末っ子として生まれる。高校の服飾科を卒業後、アパレル会社に女性スタッフとして勤務。当時付き合っていた男性との結婚を考え、2014年7月にタイで性別適合手術を受ける。モデル、タレントとして事務所に所属していたが、現在はフリーとして、元おとこのこ応援バラエティ「プリティウーMEN」にレギュラー出演している。ブログ「ハニハニモハニ?」で性別適合手術のことや、女の子としての日常を綴る。

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INDEX
01 家出少女
02 「男の子時代」がない
03 どうしたって男の子にはなれない
04 私って何?という困惑の時期
05 初めての恋人と、手術への決意
==================(後編)========================
06 恋、破れて
07 両親の葛藤と、大きな支え
08 手術をして変わったこと
09 「ブラック優花」も含めて自分自身
10 自分の人生に関わってくれた人たちへの感謝

06恋、破れて

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彼の揺れ動く気持ち、そして別れ

術後の痛みは想像を超えるものだった。

作った膣部を保つためにダイレーターという器具を膣部に入れておかなければならないが、身体は治癒能力が働くのか、膣部を閉じようとダイレーターを押し出そうとしてくる。

その押し合い圧し合いの感覚が身体の中で戦い、もがき苦しんだ。

「普通の女の子はみんなしていないのに、なんで私だけがこんなつらい思いをしてるんだろう」

ホルモン治療の影響も相まって、苦しくて不安定になり、彼が仕事中でも構わず連絡をした。

「彼にメンヘラだと思われたんでしょうね。最後は『こわい』と言われました(笑)」

実は手術でタイに行っている間に、彼には他に気になる女性ができていた。

次第に連絡をしても避けられるようになり、きちんと話もしないままシャットアウトしようとする彼に、術後の身体に無理を押して会いに行った。

話し合いの末、「今までありがとうございました」という精いっぱいの言葉とともに、2年3ヶ月の恋が終わった。

やりたいことをやってみよう

もう、ベッドの上から動く気力も体力もなかった。

当時、姉と二人で暮らしていたが、食事ものどを通らず、体重は10キロ落ちた。もう、すべてがどうでもよかった。

「その時初めて、自分が生きてる意味って何だろうって考えた。そしたら、何にもなかったんですよ」

これからやりたいこともない、守りたいものもない、一緒にいたい人もいない。

そこでみんなはどういう人生を送っているのか知りたくなって、色んな人のブログを読むようになった。

自分と同じような性の悩みを持った女性が、メディアにも登場して有名になっていることも刺激となった。

「あたしは手術をして、ただふられて、ベッドにゴロゴロしている、悲劇のヒロイン気取りだわ」

そして、昔、自分がモデルをやりたかったこと、職場の女性から「無理でしょ、結局あいつ男じゃん」と陰口を叩かれて悔しい思いをしたことも思い出した。

「もともと、そんなに行動するタイプじゃなかったんですよ、私。でもなぜかあの時はすぐに事務所のオーディションに申し込んでしまって。どん底から、一個でもやりたいことをやってみようという変なパワーが一気に溢れてきたんでしょうね」

まだ術後の痛みがあったが、10センチのヒールを履いて外で歩く練習をした。オーディションには合格し、事務所に所属することになった。

いま、優花さんはMTFを応援するバラエティ番組にレギュラー出演している。ナチュラルに、女の子として社会で生きているトランスジェンダーの姿を伝えたいと思っている。

07両親の葛藤と、大きな支え

父との確執、母の気遣い

父は九州出身で、男は男、女は女という考え方の強い人。

子どもの頃は、兄が悪さをすると平手打ちがとんでくる、厳しく、近寄りがたい存在だった。当然、スカートをはいて出かけることは快く思われず、中学、高校の頃はよくケンカをした。

「私は、自分のやりたいことをやりたいの! もう放っておいて!」

「あの頃は誰の話も聞かず、自分の考えだけを信じて生きていたんですよね。色んなことが嫌で、やさぐれていて。思春期だったし、親の心配とかウザいし面倒くさいと思ってた」

近づけば逃げてしまうし、こうすればいいという取扱説明書がある訳ではない。兄とも姉とも違う、親にとっても初めてのパターン。

母からは後に、「あなたを、どうしてあげたらいいのか分からなかった」と言われた。

母は、早い時期から気づいてくれていた。

きっかけはテレビドラマ『3年B組金八先生』で上戸彩さんが性同一性障害の生徒を演じたこと。

中学生の頃には女性もののパジャマやユニセックスではける下着を買ってくるようになった。

ハイヒールのプレゼント

高校を卒業してアパレルで女性スタッフとして勤めることが決まった時、父からハイヒールをプレゼントされた。

スカートをはくことを嫌がっていた父が、女性ものの靴を買ってくれたのだ。

「私が絶対履かないような黒いギラギラのラメが入った、しかも大きなLLサイズで(笑)でも、やっと認めてくれたんだなって、すごく嬉しかった」

ようやく父と和解できた気がした瞬間だった。

以来、両親とはとても仲がいい。

夜道が危ないと送り迎えをしてくれたり、スカート丈が短すぎると心配されたり、父からも女の子として扱われている。
付き合っていた人と別れてベッドから動けなかった時も、毎日両親が車で食事を運んできてくれた。

自分が親から大切にされていたことが、いまなら分かる。

普段は母から、わがままで一番手がかかると言われ口喧嘩もしょっちゅうだが、明るくて接しやすいそんな母が大好きだ。

「うちの親、愛が重いんですよ」と笑うが、両親の愛があったからこそ、自分も周りの人を大事にしたいと思えるのだと思っている。

08手術をして変わったこと

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絶対に人に言えなかった

トランスジェンダーであることを公表したのは、一年ほど前からだ。

テレビ番組に出るようになり、働いているアパレルショップでも、お客さんに「優花さんですよね? テレビいつも見てます」と声をかけられた。これはもう、実生活でも隠せない、後戻りできないんと思った。

「そうです~」、「全然、女の子にしか見えないですよね~」そんなやり取りにも明るく対応できるようになった。

手術をする前の自分は、内気で、そんなに社交的な方ではなかったと思う。自分が男だと認めたくないから、身体の話は親友ともしない。

「ついてる」ということが屈辱的で、それを言葉にすることも、ましてや公表することなど絶対に嫌だった。

手術した今だから、笑って言える。実は、元はそういう身体だったんだよと。

ありのままの今の自分を見てほしい

手術したことで、気持ちはとても軽くなった。

術後のケアは大変だけれど、生きていくのは楽になったと感じている。

周りからはよく、公表するのは勇気がいるよねと言われるけれど、今はもう、勇気とかそんな話ではなく、むしろトランスジェンダーということも、自分はこんな人間だということも、もっと色んな人に知ってもらいたい気持ちが強くなった。

人との出会いも格段に増えた。

表舞台に立つのも楽しい。だからもっと磨きをかけて、可愛くなりたい。

恋人にふられ、廃人のようにベッドに横たわり、もう死んだっていいやと思っていた自分はここにはいない。

底辺まで落ちてしまえば、あとは底を蹴り上げて浮上するのみだ。

「今は逆に、彼にありがとうって思いますよね。手術をする決心をくれたのだから」

09「ブラック優花」も含めて自分自身

理想の女の子像

優花さんの中には「女の子のフォーマット」がある。

子どもの頃も今も、夢は「お姫様」だ。好き好きと言われて、ちやほやされたい。

ソファで寝ていたらベッドまで運んでほしい。わがままを聞いてもらえるような女の子。

そんな理想の女の子を演じていたいのだけれど、同時に自分の中にはとても冷めた人間がいることも知っている。

実は、男女の性的な話は得意ではない。

異性を性の対象として見るその目や声を「人間くさくて苦手」と思ってしまう。自分はどんなに泣いてもあがいても子どもは産めない。でも周りの女の子は、女性としての人生を満喫している。それに対して複雑な思いを抱き、冷ややかな目線を投げかけてしまうこともある。

一方で、そんな自分にも、涙もろく、感情的になる「人間くさい」一面もある。

これまで、いつも誰かしら支えてくれる人がいた。

みんなから少しずつもらったものがあるからこそ、裏切られても傷つけられても、どこかで人を信じたい、好きになりたいという思いがある。

世間を冷めた目で見つめる自分と、嬉しいことや悲しいことで心を震わせる自分。

その両面を感じながら、優花さんは次なる夢や目標に向かって進もうとしている。

MTFも、普通の女の子

自分自身が生きるうえで、まだまだMTFは社会的に受け入れられにくい空気があるように感じている。

「骨格や見た目に違和感があり、周囲の人からは『あれ?』と思われてしまったり、『気持ち悪い』とか『あれって男?』とか、心ない一言に傷つくことも多い。今もつらい思いをしている人がまだたくさんいると思うんです。でも、私はMTFも普通の女の子、ひとりの人間だということを発信したい」

おかまキャラやオネエキャラではない、等身大の女性としてのMTFトランスジェンダーをもっと多くの人に知ってほしい。

そんな願いを持っている。

「韓国での活躍」という海外の表舞台を夢に、現在もフリーで活動しているところだ。

恋愛の方はどうなの?と聞くと、「今はなんか、恋したくないんですよね」という答えが返ってきた。

「今はやりたいことがあるから、そっちの方が大事」

手術後、失恋で落ち込んでいる時に友人から贈られた韓国語の曲の意味を調べるうちに興味を持った韓国語を、独学で勉強し始め1年。まだ納得できるレベルではないが、簡単な会話や読み書きは可能だ。

「新しいことを学ぶのが好き」という優花さんらしく、転んでも、ただでは起きないたくましさたるや。

仕事での韓国出張をきっかけに、現地での友人も増え、どんどん人脈も広がっている。

韓国人の友人たちに本当の自分の話をすると、「手術お疲れさま。今までつらかった分、これからはきっと女の子として幸せになれる。君が幸せになれるように僕も応援するよ」と、大事な女友だちとして、レディファーストで優しく扱ってくれる。

「夢は、お姫様ですからね!」と冗談めかして笑う優花さんは、バイタリティと自信に溢れ、まぶしいほど。

10自分の人生に関わってくれた人たちへの感謝

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周囲の人たちへのありがとうの気持ち

今では両親は優花さんの一番のファンだ。番組も欠かさず見ているし、DVDに焼いて親戚に送ったりもしているらしい。

「録画した番組を朝から見てるんですよ(笑)もう嫌ですよ~」と苦笑いしながら、ここまで見守ってきてくれた両親に感謝をしている。

そして、両親だけではなく、「何となく伝わっている」ということできちんと自分のセクシュアリティについて語ってこなかった周囲の大切な人たちが、実はそっと寄り添い、自分の居場所を作っていてくれたことにも気づいている。

今、改めて、この場を借りて、自分の言葉で感謝を伝えたい。

今まで私に関わってくださった沢山の愛する皆様へ

生まれて物心がついた時から私の心は女の子で、
体と心の違和感にたくさんたくさん、苦しみ悩んだ時期がありました。

私自身でも訳が分からないくらい胸が苦しくなって、
何度か挫折しそうになったこともありました。

でも周りの多くの方たちに支えてもらって、今もこれまでも、
頑張ってこられました。

私が生きていくうえで、皆様の存在が本当に宝物で、
一生大事にしていきたいと思っています。

まだまだ未熟な本田優花ですが、これからも応援してくださると嬉しいです。
この場を借りてお礼を言わせていただきます。

本当にありがとうございます。

そして、

今までたくさん守ってくれたお父さん、
私を生んでくれて、温かく見守ってくれたお母さん。

私との接し方はきっと難しくて、たくさん悩ませちゃったし、
苦しめてしまったかもしれない。

手術の時も、たくさん心配かけたりしたよね。
でも、頑張ろうと想えたのは、日本でまたみんなの笑顔が見たかったから。

私はお父さんお母さんの子どもで、本当によかったよ。
生まれ変わっても私は、お父さんとお母さんの子どもに生まれたい。

たくさん守ってくれて、愛してくれて本当にありがとうございます。

そしてこれからもよろしくお願いいたします。

優 花

あとがき
昼間は色のない川の流れる街がロケ地だった。「中高生のとき、自分のことだけを信じて生きていた」川面に投げた視線の先に見えたのは、あの頃の優花さんだったのか?今は、国境も越えて心を通わる楽しみを語る■人は理解できないことを拒みがちだ。優花さんの言葉「見える存在になること」…… まずは[知る]ことから始まる。快諾してくれた今回のインタビューもまた、多くの人が[在ることを知る]大事な一歩になる。(編集部)

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