02 自分の中に垣間見える女子の側面
03 理由も分からず、戯れていた高校時代
04 家族のために自我を抑えた大学時代
05 人生を大きく変えるアプリとの出会い
==================(後編)========================
06 自分の偽りを暴いたターコイズブルー
07 最愛のパートナーを射止めた最終兵器
08 家族とパートナーの不思議な同棲生活
09 親子喧嘩の勢いでカミングアウト
10 家族に支えられて、これから描く夢
01女子の輪に入れなかった中学時代
外で遊ぶことに興味がない
今思い返せば、小さな頃から女の子と一緒にいる方が気楽だった。
スポーツが嫌いで、屋外で男の子と遊ぶことも、あまりなかった。その代わりに、家の中で料理の本を読んだり、ディズニーのビデオ全集を夢中で観たり。そんな幼少時代だった。
「歌うことや音楽を聴くことが好きだったので、小学1年生からピアノを習い始めました。母にピアノのレッスンを受けたいと言ったら、『おもちゃのピアノで “キラキラ星” が弾けたら、習わせてあげるよ』と言われたことを、今でもよく覚えています。で、楽譜もよめなかったけど、なぜかすぐ弾けるようになって。ピアノ教室に通えることになったんです」
当時、ピアノを習っていたのは女子ばかり。
小学校で音楽の話で盛り上がれれば、ピアノ教室では女子の輪にも入れた。相変わらず外遊びには興味が無く、男友達はいなかったけれど、それでも気楽なこの環境が良かった。そしてこの楽しさは、中学に行っても続くと思っていた。
軽い冗談がいじめの原因に
「中学校に入学したら、同じクラスに志村さんっていう女の子がいて。で、その子のことを冗談で『(志村)ケン』って呼んでみたんです。そしたら途端にクラスの女子の態度が急変して。僕が横を通るだけで『キモい』という言葉が耳に入ってきたり、コソコソ声で『うざいね』と言われいるのが聞こえてきました」
なぜ嫌われ、いじめに合うことになったのか。
相手にとってみれば、親しみをもったからかいも、イジメと受け取ったのかもしれない。思春期に差し掛かり、男女ともお互いの性を嫌でも意識し始める年頃。急に距離を詰めようとした冗談が逆に反発を招いた、ということもあっただろう。
「思い返せば、当時から自分の中に女性っぽい部分があったのかも。だから臆せず、一気に仲良くなろうとし過ぎたのかもしれません。性急すぎた、というか。でも自分をいじめていた子たちも、きっと何かしらストレスがあって、それを僕にぶつけていたんじゃないかな、と今では思うんです」
いろいろ経験した現在だからこそ、彼女たちの気持ちが理解できるという。
02自分の中に垣間見える女子の側面
それでも諦めたくはない
しかし軽い冗談の代償はあまりに大きかった。
「中学時代は友達少なかったなぁ。いじめにあってから段々と内に籠るようになってしまい、自分の言いたいことも言えなくなってしまったんです。反論しないから、さらにいじめを呼び込むことになってしまって」
部活は吹奏楽部でホルンを担当していたが、そこでもいじめらた。
「事情を知らない上級生がいる間は、まだ良かった。けど中学2、3年生の頃は、クラスで受けていたよりも酷いイジメにあった。教室では半分が男子だけど、吹奏楽部は女子のほうが多いですから」
それでも退部しなかったのは、その頃はまだ気づいていなかった、自分の中に若干の女性っぽさがあったからだ。
「女子ってグループを作って、対立するじゃないですか。あれに似た感情があったのかな。『おまえらには絶対に負けない』みたいな気持ちで、必死に練習に通ってました」
同性との大きすぎる温度差
男友達もほとんどいなかった。
趣味や共通の話題がないからだ。できれば女友達の輪に入って世間話をしたり、「あれかわいい」「それかっこいい」なんて、はしゃいでいたかった。しかしその願いは、中学を通じて、どうしても叶わなかった。
「あと中学生男子が集えば、必ず恋愛やエロの話になるじゃないですか。そんなとき、どう答えていいか分からなかった。あの頃から、もう女子は恋愛の対象ではなかったのかもしれません」
だから、初恋の相手も男だった。
「みんな僕を避けるのに、ひとり話しかけてくれる男の子がいたんです。格好良くて背も高く、バレー部でも飛び切り目立つ子だった。何より優しくて、声をかけてくれるたびに嬉しくて仕方がなかった。こんないじめられている自分にも、興味を示してくれるんだって。当時は単なる友情だと思っていたけれど、あのときめきは初恋だったのかもしれません」
03理由も分からず、戯れていた高校時代
自分と感性が似た男友達
忍ぶ3年間、暗黒の中学時代を経て、東京都内にある音楽系の高校へ進学。そこには今まで生きてきた15年間では出会ったことのない、別世界が待ち受けていた。
「1学年に2クラスしかない学校だったんですが、同級生はほとんど女子ばかり。学年で男子生徒は10人だけ。しかも音楽を志しているからか、皆どちらかというと繊細な心の持ち主で、物腰の柔らかな人ばかり。一緒にいて楽だし、話も合うし。男友達もいいもんだな、と初めて思いました」
環境が全く変化したことで、過去のいじめが持ち越されることもない。
同級生の女子とも、何のはばかりも無く、めいっぱい仲良くなることができる。けれど中学の経験から、女子とは適切な距離をもって接することが大切だと感じた。
「いじめられた過去があったからこそ、どうしたら女子の輪に溶け込めるか、考えて接するようになりました。そうしたら同級生の女子と、自然体で大好きなディズニーの話で盛り上がったり、世間話をしている自分がいて。男女の垣根なく友達と戯れることができた、最高の高校3年間でした」
友情と愛情の狭間で
では恋愛観にも変化が訪れたのだろうか。
「昔から女子に対してときめくことがなかったから、自分は女性に対して理想が高いのか、と思っていたんです」
それは高校に入っても変わらなかった。女子は話していて楽しい、というかラクな存在に過ぎなかった。
「1年生のときに、気になる男の子がいたんです。同じクラスではなかったので、あまり時間を共有できないけれど、会えないからこそ、その子のことを余計に考えてしまう。ようやく3年生のときに同じクラスになれて、距離が縮まって。話すたびに、それはドキドキしました。映画とかご飯とか、一緒に遊びに行くのがすごく楽しくて、ワクワクの連続で。でも初めは、なぜこれほど彼のことが気になるか分からなくて、ただ友達としての ”好き” なんだろうな、とも思っていました」
それが恋心かもしれない、と考え始めたのは、他者の存在が気になりだしてからだ。
「彼が自分以外の男友達と遊びに行っているのを知ると、激しい嫉妬心にかられるようになったんです。どうして僕も誘ってくれないんだろうって」
いつしか彼のことで頭がいっぱいの自分に気がついたという。
「できれば毎日、電話やメールもしたい。そのうちに、手をつないだりキスをしたい、と思うようにまでなって。でも中学のイジメの影響なのかな、とにかく嫌われないようにしなきゃ、って気持ちが強くて。メールもたまにしか送らなかったし、結局、告白もしませんでした。このときは『自分ってそう(ゲイ)なんだ』と感じたけど、一過性のものだと思い込んでいた。これから色々な出会いがあって、女の人のことも好きになるんだろうなぁ、と漠然と考えていたんです」
自らの “気づき” を受け入れられなかったのは、ある同級生の存在も大きかった。
「今思えば、おそらく彼もゲイだったんでしょう。頻繁に『遊びに行こう』『2人で観覧車乗りにいこう』と凄い剣幕で誘われた。僕のことが好きだったんだと思います」
似た者同志だからこそ、反発しあうこともある。
「自分のことも認めたくなかったから、逆に『あの子、男好きなんじゃないの』って、同級生に話して、ふざけてからかったことがあるんです。その頃を思い出すと、すごく申し訳なく後悔しています。今みたいに、普通にゲイの人たちがメディアに出ていなかった時代だったので、自分の本心がバレて ”キモい” って言われたくなかったんでしょうね」
04家族のために自我を抑えた大学時代
人生観を変えたアルバイト
友情と恋慕の間で揺れる気持ちとは一旦、決別し、都内の音楽系の大学に入学。小さいころから鍛錬を積んだピアノを専攻することにした。
「他の学生に比べ、お遊び感覚で進学してしまったなぁ、と入学して気づきました。首都圏だけでなく、地方からやってきて真剣に訓練している学生も多かったから、とにかくレベルが高くて。ついて行くのが大変でした。だから卒業時は、”やっと卒業できた” と、ほっと胸を撫で下ろしました」
一方で大学生活で目覚めたのが、接客業の面白さ。大手コーヒーチェンやテーマパークのバイトを体験し、人と丁寧に向き合うことの気持ち良さを思い知った。
「いじめられた経験はあるけれど、自分は昔から、他人と関わることが大好きだったんだなぁ、と。よく考えたら、いじめのきっかけも同級生と仲良くなろうとしての過ち、でした。他人のことをもっと知りたいから心理学系の大学に進んでおけばよかったなぁ、と今は思っているんです」
接遇に厳しく、ホスピタリティーを大切にしている職場でそのまま働きたいと、大学卒業後も大手コーヒーチェーンへ就職した。
とにかく家族を安心させなきゃ
一方で、恋愛の方は足踏み状態だった。
「引き続き、自分は周りの男の子たちと違うのかもしれない、とは思っていました。でも家族のことを考えると、女子と無理やりでも付き合わなきゃ、と決めつけていたんです。女の子から告白されることもあったから、いつかは自分の理想の女性が現れて、なんとかなるんじゃないかって。結局、女の子に思いを告げられても『ごめんね』と謝るしかなかったんですけど」
とにかく生まれた時から同居している、最愛の家族に心配をかけたくなかった。
「昔から友達に『好きな女の子いないの?』って聞かれたら、すごい罪悪感を抱きながら、用意していた回答をしていたんです。高校生のときはクラスで一番可愛い子の名前を挙げたり、好きな芸能人を聞かれたら後藤真希って言ったり。でも、この頃はもう、その罪悪感もないくらいに、自分を押し殺す事に慣れてしまっていた。バイト先でいいなぁと思う男の子がいて、食事やドライブに行ったけど、そこから先に進む勇気はありませんでした」
05人生を大きく変えるアプリとの出会い
自分と同じ人たちの存在
高校時代より後退したかに見えた、本当の自分に気づくための道。
「大学時代、ネットで同じセクシュアリティの情報は得ていたけれど、顔が見えないから怖くて飛び込みきれなかった」。しかし、その方向を大きく変えたのが、i-phoneの存在だ。
「あれは就職して4年後、26歳のときかな。自分の気持ちに素直になれず、悶々としていたとき、たまたまアップルストアで『ゲイ』って検索してみたら、デザインがお洒落でかわいいアプリが見つかって、ダウンロードしてみたんです。GPS機能で、自分と同じようにアプリをダウンロードしているゲイの人が近くにいれば、それが画面に表示されるんです」
アプリに表示される点の数の多さに、一気に視界が開けた感じがした。
「自分と同じ境遇の人がこんなにたくさんいるのか、と衝撃を受けました。凄く嬉しかったんです。以来、どこかに出掛ける度にアプリを立ち上げ、『こんなに(ゲイの人が)いるんだ』と確認しては喜んでいました(笑)」
リアルに繋がることの喜び
やがて傍観することから、自らが行動するようになった。
まずアプリでメッセージを送り、気が合えばその後、Twitterで交流。お互いが会いたいと思えば、そのタイミングでリアルに現実の場で出会いを重ねていく。
「ゲイアプリ、と聞くと男女の出会い系サイトみたいに性交渉が前提、と思われがちだけど、ちょっと違うんです。僕の場合は2ヶ月くらいかけて、アプリとTwitterを介してお互いのことをよく理解しあってから、会いたいなと思えれば会う。まずは友達を作りたいなぁ、と思って会い始めるんです」
そういった丁寧なやり取りの末、初めてパートナーと付き合うこともできた。一気に自分のセクシュアリティの問題を受け入れられるようになった、という。
「体の関係だけを否定はしないけど、僕は気持ちでもちゃんと繋がりたい。いい加減に誠意なく付き合うのは、嫌なんです。そういう意味では遠回りでも、お互いの気持ちを自由に発言して、受け止めて、じっくり交流してから出会うことができるゲイアプリは、僕の恋愛観にぴったりでした」
後編INDEX
06 自分の偽りを暴いたターコイズブルー
07 最愛のパートナーを射止めた最終兵器
08 家族とパートナーの不思議な同棲生活
09 親子喧嘩の勢いでカミングアウト
10 家族に支えられて、これから描く夢