02 「男の子時代」がない
03 どうしたって男の子にはなれない
04 私って何?という困惑の時期
05 初めての恋人と、手術への決意
==================(後編)========================
06 恋、破れて
07 両親の葛藤と、大きな支え
08 手術をして変わったこと
09 「ブラック優花」も含めて自分自身
10 自分の人生に関わってくれた人たちへの感謝
01家出少女
猥雑で混沌としたまちで得た「安心感」
横浜から京急でふた駅。
日ノ出町駅で待ち合わせた優花さんと、「懐かしい場所」という福富町まで歩く。
横浜でも有数の歓楽街として知られるこのエリアは、もともとあるスナックや風俗店の他、韓国料理店など外国人が経営する店がひしめき合うディープな町だ。
ふんわりと優しい雰囲気をまとう優花さんが、高校時代はこの町で夜を過ごしていたと聞いても、最初は「え?」という感じだった。
しかし、すいすいと町を歩く姿を見て、なるほど、ここの空気に溶けていくのが分かる。
「誰とも喋りたくない気分の時とか、ここを歩いてると安心するんですよね」
巡回する警察官から隠れるように路地を移動し、夜通し歩く。適当な公園を見つけてそこで始発を待つこともあった。しかも制服で。
まさに家出少女だ。
「歩いていると、何も考えなくて済むんです。部屋で静かにしたり寝っ転がってると、やっぱり自分の性別のことを考えてもやもやしてしまって。これからどうしよう、何がしたいのかなど、悶々と考えて、胸が苦しくなる。だから、ただひたすら、ひとりで歩いてました」
「男」という言葉に傷ついて
中学時代からロリータファッションに目覚め、メイクやファッションが好きだったため、服飾系の学科のある高校に進学する。
同級生はほとんどが女の子の中、自然と制服のスカートをはいていた。
担任の先生も同級生も認めてくれていたが、中には厳しい先生もいた。「男がスカートなんてはくんじゃない!」と怒鳴られる。「男」という言葉が、刃になって突き刺さった。
その先生がいるから学校には行きたくない。
でも親に心配はかけたくない。朝、家を出て、そのまま横浜や福富町をぶらぶらし、友だちから連絡があると学校に顔を出すという生活が続いた。
「ここって外国人が多いでしょう。彼らと話してると、私たちと全然違う常識とか生活があるんですよね。『この人たちはこうやって生きてるんだ~』って、もうびっくりですよ。自分の知らない世界や新しい知識を得るが好きなんですよね」
バイト仲間の中国人の家に遊びに行った時には、たくさんの中国人がルームシェアをし、狭い部屋で雑魚寝する様子も新鮮に思えた。
日本でのルールや常識に縛られない人々や、まち。男や女という性別でしか見られない先生に嫌気をさし、行き場をなくした優花さんを救ってくれたのもこの町だった。
02「男の子時代」がない
男の子として生きたことがない
「多くのMTFさんには、本当の自分を伝えることができずに、無理して男の子を演じていた時代もあると思うんですけど、私は子どもの頃からそれがなくて、物心ついた時から女の子として生きてきたんです」
子どもの頃の遊び相手はもちろん女の子で、男の子と遊んだ記憶はほとんどない。
夢は「お姫様や人魚姫」になること。
小学校では髪の毛を伸ばし、中学校でロリータファッションにはまり髪型はいわゆる「姫カット」にした。
高校は服飾の学校で、気がつけば男子としての生活をしたことが一度もなかった。
卒業してアパレルの会社に就職する時も、「社会的に戸籍は男だけど、男だという感覚がない。
だから男扱いされると、正直困る」という話をした上で採用され、女性スタッフとして店に立った。
泣いてやめた野球チーム
そうは言っても、スムーズに女の子としての道を歩んできたわけではない。
4人兄弟の末っ子で、子どもの頃は嫌々ながらに二人の兄と一緒に野球チームに入れられた。長かった髪の毛を切られ、合宿のお風呂も男の子から見られる恥ずかしさがあり苦痛だったが、親に言われてやるしかなかった。結局、泣いてやめたが、もともとの運動音痴に加え、さらにスポーツが嫌いになった。
「大人になってから親に『あなたの本当の姿を知っていたら野球もやらせなかったのに、ごめんね』と謝まられたけど、それはしょうがないと思ってる」
自分のつらさを分かってほしいという気持ちがなかったわけではない。ただ当時は、言ってもどうせ分かってもらえないという諦めがあった。
03どうしたって男の子にはなれない
地獄の中学時代
「身体のことって、子どもの頃はきちんと教育されないと分からないと思うんです。中学に入ると、途端にみんなが男と女で分けるようになるじゃないですか。それで、あれれ?? 私、こっち?? みたいな。自分としては変な感覚でした」
中学時代は男子からいじめの標的にされた。修学旅行は「地獄旅行」だった。
男子と同室にされ、服を脱がされそうになったり、お風呂も嫌で入らないと「汚い」と罵られた。
大嫌いな虫を机の中に入れられ、泣いて学校を飛び出したこともある。男女別になる体育の授業は出なかった。
中学の3年間で、感情をシャットダウンすることを覚えた。
「いじめられて、嫌なことをされて。でもあたしは、どうしたって男の子にはなれないから」
中学時代が一番つらい時期だったが、それでも、親に心配をかけまいと、いじめのことは言わず学校には通い続けた。
最近よく話をするようになった母が、トランスジェンダーの多くがいじめにあっていると知り「あなたもそうだったの?」と聞いてきた。
あの頃の両親の気持ちを考えたら涙が出てきてしまい、改まって話せない・・・・・・ 実は今もまだ正式にカミングアウトという形で家族に伝えてはいない。
でも、大好きな両親はすでに理解し、その上で温かく見守ってくれている。
友だちに救われて
幸い、中学時代も女の子の友だちは多かったので、一緒に体育の授業をサボって裏の山に野生のウサギを探しに行ったり、コンビニに行ったり、階段でお喋りしたりして過ごした。
お弁当は教室で食べず、帰り道で食べたが、その間ずっと、仲のいい友だちが話し相手をしてくれた。
進学した高校はファッションの学校で女子ばかり。
友だちには自分からセクシュアリティのことは話さなかったが、なんとなく感じ取ってくれて、みんなも普通に女の子として接してくれた。
着替えも同じ部屋でさせてもらえるし、修学旅行も女子部屋で、お風呂も個別に入らせてもらえた。スカートをはいて、髪を伸ばしてメイクもして。
高校生になり、ようやく安心して学生生活を楽しむことができるようになったのだ。
これまで、周囲から特に性別について質問されたことがほとんどないため、友人にもカミングアウトする必要性を感じずに過ごしてきた。
小学校一年生からの幼なじみの女の子で、つらい時にはバイクで駆けつけてくれる大切な友人とでさえ、「自然と、女の子として付き合ってくれていたので」と、自身のセクシュアリティについて話したことがない。
「すべては、自然の流れで今があるんだと思います」
04私って何?という困惑の時期
私を好きになってくれる人は誰?
ずっと男の子という感覚を持たずに生きてきたが、それでも、とても混乱した時期がある。
「私みたいな子って、なんて言うんだろうって。性同一性障害だけど、まだ手術もしていない。普通の男の人は絶対私を好きになってくれないと思って、じゃあ私の部類ってゲイなのかな? この身体を愛する人はきっとゲイの方なんだろうって、迷ったんですよ」
心は完全に女の子のまま生きてきたのに、身体との不一致が、恋愛から遠ざけていた。
その迷いの中、一度だけバイセクシャルの男性と関係を持ったが、精神的にも肉体的にも苦痛しかなく、はっきりと悟った。
「あ、これは違う。私、ゲイじゃなかった」
嫌だった。もうこの身体を誰にも見せたくないと思った。
クラブでの猛烈アタック
悩み疲れて家には帰らずクラブでの夜遊びにはまり、連日朝帰り。男性から関係を迫られることも多々あったが、うまく拒否して乗り切っていた。
ある日、ひとりの男性から一目惚れされ、交際を申し込まれた。
クラブで出会う男性はみんな同じ、と感じていたため、「またか・・・・・・」と思いながら連絡先を交換した。
彼の猛アタックをずっと断りながらも、仕事場まで迎えに来てくれたり、痴漢にあうと駅まで来てくれたり、終電を逃して泊めてもらっても手を出してこなかったりと、これまで出会った男性とは違うと感じるようになった。
彼のことをいつの間にか好きになっている自分がいた。
21歳で、初めての恋人ができた。
05初めての恋人と、手術への決意
彼へのカミングアウト
優しくて自分を愛してくれる彼。やがて優花さんは結婚を意識するようになる。
「この人といればきっと幸せになれる」
だが、ずっと一緒にいたいと思えば思うほど、彼に本当のことを言わなければという思いも強くなった。
一年以上、身体を見せることも触ることも拒み続けてきた。「彼も不審に思ってたんじゃないかな。なんでそこまで拒むんだろうって」
今思えば彼が、言いやすい空気を自然と作ってくれていたように感じる。
カミングアウトの瞬間はふいに訪れた。
「実はさぁ、できない理由はね・・・・・・」明るく言ったつもりだが、次第に涙になり、重い空気が二人を包む。別れも、気持ち悪がられることも覚悟した。
しかし「それでもいい」彼はそう言って受け入れてくれた。
性別適合手術を決意
カミングアウトから一年ほど経ち、浮気もせず一途に自分を愛してくれる彼の気持ちに応えたいと思った。
戸籍を変えて、彼と結婚したい。何よりも、女性の身体で彼に愛されたい。
優花さんが望んだのは、普通のカップルのように結ばれることだった。
21歳の時にカウンセリングを受診して以来、メンタルクリニックへの通院を経て、ホルモン治療は22歳で開始していた。
「両親には、カウンセリングもホルモン治療も、これまで自分で決めて報告してきたので、手術も病院を決めて、ここに行ってくる、という感じで伝えたのですが、やっぱり手術は事前に話し合いになりました」
その頃はもう、身体が男であることの苦しさが募っていた。母とふたりで話している時、ふいに苦しさが口をついて出た。
「お母さん、なんかわかんないけど、つらい」
身近で苦悩を見ていた母は理解をしてくれたのだろう。
ずっと「本当に最後、手術までやりたいのか、よく考えなさい」と言っていた母が、「いずれ手術をするなら若いうちの方がいいのだろう、行っておいで。お母さんからもお父さんに話しておく」と、父との仲介役を果たしてくれた。
手術が決まってから、母は泣いていた。空港へ見送る時も、みんなで泣いた。
2014年の七夕の日、ついにタイに渡った。性別適合手術を受けるためだ。
手術は無事に成功し、ようやく心と身体の性が一致した。手術後は病院のベッドに寝たきりだったが、家族や彼との再会を待ちわびながら痛みと苦しみに耐えた。
しかし、帰国した優花さんを待っていたのは、心変わりした彼との別れという結末だった。
後編INDEX
06 恋、破れて
07 両親の葛藤と、大きな支え
08 手術をして変わったこと
09 「ブラック優花」も含めて自分自身
10 自分の人生に関わってくれた人たちへの感謝