02 いちばんの ”モテ期” に選んだ彼は、FTM
03 隠す必要をまったく感じない
04 LGBTでもいろいろ、FTMにもいろいろ
==================(後編)========================
05 世の中は、思っているより温かい
06 家族に支えられて
07 「周りが」ではなく「自分が」どう思うか
08 ”夫婦” となる日に向けて
05世の中は、思っているより温かい
好きにはなれない≠差別
彼との関係を、周りの人たちは応援してくれている。
「私があまりにもオープンにしすぎているから、誰も突っ込めないのかもしれませんね(笑)」
これまで、とくに不愉快な思いをしたことはない。
ある時、友だちからこんなことを言われた。
「私はFTMの人と、恋人としてはつきあえないと思う。でも、あなたのこともあなたの彼のことも大好きだから、二人の関係は応援するよ、って」
彼女の言葉を聞いて、差別的だとは感じなかった。
正直な気持ちを話してくれて、むしろありがたいと思った。
「友だちの彼氏に対して普通に『私のタイプじゃないけど』って言うこともありますよね? それと同じことのような気がするんです」
だから、落胆する理由がない。
「逆に、彼を奪われる心配が1つ減った、ラッキ〜! という感じです」
ひとりの人間として尊敬できる
彼と暮らしていて感じることがある。
「FTMの人って、こまやかな気遣いができて、ものすごくやさしいんです」
「自分中心ではなくて、相手をよろこばせよう、一緒に楽しく過ごそうとしてくれているのを、ひしひしと感じます」
彼の友人たちにしても、そうだ。
たとえば、家に遊びに来る時には必ず、何か手土産を持ってきてくれる。
「何がほしいわけではありませんが、『わあ、うれしい!』って思いますよね?」
彼らと接していると、「人として、よりよく生きたい」という思いが強いように感じる。
「語弊があるかもしれませんが、自分の障害を障害として受け入れた上で、それを克服するためにつねに向上心を持って生きているように感じるんです」
そんな彼のことを、そして彼の友人たちのことを心から尊敬している。
06家族に支えられて
母は一瞬、戸惑ったけれど
家族に対しても、彼とのことは最初から話していた。
「まだ友だちだった時代、彼が家に来たんです。その時、母に『彼、女の子なんだよ』と伝えたんです」
「母は『え?』って」
彼は男性の恰好をしているから、母親は女性だとは思わなかったようだ。
でも、その時にちょっと驚いただけ。
母親は彼を拒絶することもなく、ほかの友だちと同じように接してくれた。
「ただ、恋人としてつき合い始めた当初、母は少し戸惑っていました」
「私に面と向かっては言いませんでしたけど、母の様子を見ていると、心配しているんだろうなあ、と感じました」
それでも、私のフェイスブックの投稿で、毎日楽しそうにいきいきしている様子を見て安心したのか、今は自分たちふたりを応援してくれている。
「私が、家事を彼に任せっきりなのを知っているから『ホントに、彼に感謝しなさいよ!』と、いつも言われます(笑)」
7歳上の姉、5歳上の兄も、よき理解者だ。
「理解者というより、彼のことを普通に ”妹の彼氏” として見ていて、一緒に遊びに行ったりお酒を飲みに行ったり」
姉には、小学校6年生の娘がいる。
「最近は小学校でもLGBTについて学ぶ機会があるようで、姪っ子は『佑衣ちゃんの彼、Tなんだね』と理解しています」
「姪っ子にとっては、だからどうということでもなく、彼とただ楽しく一緒にふざけ合っていますよ」
こんなダメな嫁で、いいですか?
彼の母親もまた、私たちを温かく見守ってくれている。
「彼、高校時代にお母さんに勧められてカウンセリングに通っていたそうです」
「当時、お母さんは自分の娘がFTMだと認めたくなかったらしくて・・・・・・・」
「『FTMではない』ということを、証明するために病院に行かせたのかもしれません」
「お母さんはとても悩んで、『ちょっとうつっぽくなっていた』とも聞いています」
でも、わが娘が真剣に自分の性と向き合い、悩み、考える姿を見るうちに少しずつ気持ちが変わっていったのだろう。
今では、彼とお母さんとの関係は良好だ。
自分は彼と結婚し、「ふたりでずっと一緒に生きていくつもりです」と伝えると、お母さんはよろこんでくれた。
「お母さんには、すごくよくしてもらっています」
「彼にすっかりお世話になりっぱなしの、こんなダメダメな嫁なのに。ありがたいです」
07 「周りが」ではなく「自分が」どう思うか
LGBTを理解する素地はできつつある
LGBTという言葉、その存在は以前よりも世の中に知られるようになった。
とくに同世代は、LGBTと聞いても別に驚かない。
友だちの中にも、ごく自然にいる。
たとえば姪っ子のような、下の世代にはさらにLGBTを理解する素地があると感じる。
自分より上の世代にも、知識や理解がだいぶ広まっているのではと思う。
「でも、現実には周りの理解が得られずに苦しんでいる人たちが少なくないですよね」
「それを考えると、私たちはとても恵まれている、ありがたい、と思います」
当事者はもちろんその周囲の人、とくに家族が戸惑い、悩むのは当然かもしれない。
「ただ、もし『周りに変だと思われないか』と考えて、わが子や友だちがLGBTだということを認めたくないのだとしたら、それはちょっと違うような気がします」
わが子や友だちのことが大切なら、他人である ”周り” がどう思ってもいいのではないか。
「『周りの人に変だと思われるかも』というのは、たとえ心配していても、実は、『自分もあなたを変だとみなしている』ということのような気もするんですよね」
わが子や友だちと自分との関係において大切なのは、「周りが」ではなく「自分が」どう思うかではないだろうか。
「自分自身を見つめ、問い直してみて、それでもLGBTを受け入れられないというのなら、とても残念だけれど、仕方がない」
「だけど、そうでないなら、不安を抱えている本人の前でせめて自分だけは、そのままを受け入れてどっしりと構えていたいと、私は思うんです」
状況は少しずつ変わってきているから
LGBTに関することに限らず、何事においてもネガティブな言葉を投げつける人はいる。
不快だし、傷つきもするが、そういう人とはつき合わなければいい。
国として、LGBTに関する制度や考えがまだ整っていないために、あちこちで壁にぶつかるかもしれない。
「でも、これまで保険適用外だったSRSが、今年の4月から公的医療保険の対象になったりと、状況は少しずつ変わっていますよね」
まだまだ十分なものとは言えないけれど、それでも少しずつ前に進んでいる。
それも、先を行くトランスジェンダーの人たちが、過去のどこかで一歩を踏み出してくれたおかげだと思う。
「当事者もその周りの人も、一歩踏み出す、何かアクションを起こしてみるといいのかな」
最初はやはり、かなり勇気がいるかもしれない。
「でも私の彼も、まずは周りの人たちから、少しずつカミングアウトし始めたことで、状況が変わり始めました」
「彼が運に恵まれているだけなのかもしれないけれど、今のところ、話した人はみなさん、受け入れてくれているようです」
もし自分を取り巻く環境を変えたい、幸せになりたいと願うなら、やっぱり何かしらアクションを起こすことが大事なのかもしれない。
彼を見ていて思う。
08 ”夫婦” となる日に向けて
自分がしあわせを感じられる
今、ふたりでお金を貯めている。
結婚式の費用にあてるためだ。
「手術が終わったら、すぐに籍を入れるつもりです」
子どもを持つことについても、いろいろな方法がある。
その中で自分たちにいちばんしっくりくる方法を模索中だ。
「もしかすると私の中には、『彼と一緒にいる』という使命感があるのかもしれません」
世の中に、彼をひとりで放ってしまうのは危険ではないか、という不安がある。
「いくら世の中の状況が変わってきて、彼にも自信がついてきたとはいえ、彼が不快な思いをしたり傷ついたりしたら・・・・・・と、まだちょっと心配
「だから、私が一緒にいないと、って」
でも、彼がそう思わせてくれているのだ。
ありがたいと思っている。
「自分に役割を与えてもらっているような気がして」
だから本当は、「彼は私が一緒にいないと」ではなく、彼と一緒にいることで自分がしあわせを感じられる、ということなのかもしれない。
自分の力を誰かのために活かしていきたい
これから彼とともに生きていくためにも、しっかり仕事をしていきたい。
現在、仕事の大きな柱は2つ。
インナーチャイルドカードを通じて人の心を癒やし、問題解決に導くセラピスト(占い師)としての活動と、地域活性をはかる活動。
いろいろな仕事を経験したが、自分の力を誰かのために役立てるこの2つを、主な仕事としてやっていこうと考えている。
「占いに関しては、20歳くらいの頃に突然、自分にその力が備わっていることに気がついたんです」
「それを仕事としていいのか、しばらく悩んだけれど、困っている人のお役に立てるならと、占い師の看板を掲げることにしたんです」
地域活性化の活動としては、地元・美濃焼タイルを使ったアクセサリーの製作・販売を行っている。
「昔は、美濃焼タイルは家屋の中に多く使われていたのですが、住宅環境の変化などによって今、その需要がどんどん減っています」
たまたま友だちの縁で、美濃焼タイルの窯元からその話を聞いた。
「ならばアクセサリーをつくろう」と、仲間と3人でブランドを立ち上げた。
「最近、アクセサリーの製作と発送作業を障がいを持った方たちのグループにお願いできるようになりました」
「子どもの頃、『社長になる』が夢だったんです」
「離婚後、メーカーの営業ウーマンとしてバリバリ働いていた母を見ていて、働くってかっこいい、どうせなら社長がいいかなって、漠然と(笑)」
そう、そんな母親をしあわせにしたい、という気持ちも強い。
シングルマザーとして、ひとりで子育てをしてくれた。
営業の第一線として働くというのは、時間的にも体力的にもかなり大変だっただろうと思う。
子どもが3人もいれば、いくら働いても経済的になかなか余裕はできない。
「でも母は、私たち子どもには『大変だ』とは言わず、何でも好きなことをやらせてくれました」
「私が、分け隔てをせず誰とでも仲良くなれるのも、母の性格を受け継いでいるのだと思います」
母親に恩返しをすること、そして彼としあわせに生きていくこと。
そのために仕事を通じて誰かのお役に立つこと。
すべて、自分に与えられた使命だと考えている。