INTERVIEW
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今が、同性愛者であることを、周りに打ち明けるタイミングだった。【前編】

取材は4月上旬。取材場所の横浜は20℃を超える日も出てくる時期だったが、この日の北海道の最高気温は5℃。生まれも育ちも北海道の笹原一也さんは、「半袖でもいける陽気ですね」と、顔をほころばせた。50歳を目前に、同性愛者であることをカミングアウトした笹原さんは、本当に愛せる人を探し、迷い続けた過去があった。本当の自分をさらけ出せなかったからこそ、伝えられることがある。

2018/07/24/Tue
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
笹原 一也 / Kazuya Sasahara

1969年、北海道生まれ。小学校低学年から中学年にかけて、親の離婚と再婚を経験。15歳の時、男性同性愛者向け成人雑誌を偶然見たことがきっかけで、同性が気になり始める。調理師免許の取れる高校に進み、18歳で就職とともに札幌に移住。30代で統合失調症を発症し、10年以上に及ぶ闘病生活を送る。現在は就労継続支援の事業所に勤めている。

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INDEX
01 外で遊ぶことが好きな普通の男の子
02 それぞれの形で愛してくれた3人の親
03 淡い思いを抱いた青春時代
04 同性にドキッとする感情と罪悪感名
05 女性との交際と遂げられない最後
==================(後編)========================
06 同性愛者としての人生の始まり
07 思いがけない病気との戦いと現在
08 今だからできたカミングアウト
09 当事者だから伝えられること
10 掲げた夢は “豊かに生きていくこと”

01外で遊ぶことが好きな普通の男の子

雪深い故郷

生まれも育ちも、北海道滝川市。

「札幌まで、高速バスで1時間ちょっとで行ける距離です」

「雪が2階くらいまで積もるので、冬は毎日雪かきしています」

「この冬は観測史上最大の積雪で、屋根まで積もってしまうこともありましたね(苦笑)」

4月に入ると、雪もほとんど降らなくなるが、裏道には3mほど積もった雪が残っている。

「春が待ち遠しいですね」

18歳で札幌に引っ越したことがあるが、20代半ばで実家に戻ってからは、地元を離れていない。

リーダー気質のガキ大将

両親と自分の3人家族だった。

「実際は弟がいたんですけど、自分が1歳か2歳の頃に亡くなったらしいです」

「全然記憶にないから、実質ひとりっ子として育ちました」

とにかく外で遊ぶことは好きで、近所の男の子たちのリーダー的存在だった。

「ガキ大将的な立ち位置でしたね」

「ジャイアンみたいな感じではなくて、みんなを引っ張っていく感じだったかな」

「男同士でワイワイするのが好きで、取っ組み合いのケンカもしていました」

夏は近所の公園で鬼ごっこに興じ、冬は雪合戦やかまくら作りに熱中した。

「望んでいたわけではないけど、目立ってしまうところはあったかもしれないですね」

小学2年まではリーダーシップを発揮していたが、3年で変化が訪れる。

変化に追いつけない自分

小学3年に上がる時、親の離婚がきっかけで転校することになった。

「転校して、自分が環境の変化に弱いことを知りました」

「学校もクラスメートも変わって、急に何もできなくなったんです」

前の小学校は、幼稚園からほとんどメンバーが変わらず、全員が幼なじみだった。

生まれて初めて周囲の状況が一変したことに、追いつけなかった。

「思っていることを表に出さないような、内向的な性格になっていったかな」

「自分から輪に入っていけなかったです」

しかし、友だちができなかったわけではない。

時間はかかったが、徐々にクラスメートと打ち解け、持ち前のわんぱくっぷりが顔を出すようになっていった。

「仲が良かった友だちと3人で、先生から『3バカ兄弟』って呼ばれていました(笑)」

「友だちができると元気さを取り戻して、みんなでワイワイすることも増えましたね」

02それぞれの形で愛してくれた3人の親

生んでくれた厳しい母

小学2年の時、両親が離婚した。

「自分を生んでくれた母は厳しい人で、怒られたことしか覚えていません」

食事の作法や靴の揃え方、基本的なマナーを教え込まれた。

「怒られるのが嫌で、吹雪いているのに家を出て、母の熱が冷めるのを待ったこともありました(苦笑)」

離婚した後は、父親に引き取られた。

「母は、子どもを育てていくことが難しい経済状況だったみたいです」

「別れてから、母に会うことはなかったんですけど、一度だけ近所のスーパーで見かけたんです」

パート中の母親が、レジに立っていた。

キャラメルをつかみ取り、母親のいるレジに向かった。

「母は自分を見ると、“休憩中” の札を立てて、その場から立ち去ってしまいました」

「父との間で、『一也に会わない』って約束をしていたんだと思います」

中学2年の時、母親がこの世を去った。

「葬儀には行きましたけど、不思議な感じでしたね」

「その時には既に新しい母がいたし、スーパーで顔を見て以来だったので、悲しいって気持ちは出てこなかったんです」

愛情深かった2人目の母

離婚からあまり時間が経たないうちに、父親は再婚した。

「新しい母は、自分に対してとても良くしてくれましたね」

「きっと自分の見えないところで、すごく努力していたんだと思います」

「幼かったせいもあるでしょうけど、あまり違和感がなくて、すんなり受け入れられました」

2人目の母親からは、ずっと「一也君」と呼ばれていた。

中学生の頃、母親が親戚の子どもに「なんで “君づけ” するの?」と聞かれていた。

「それから『一也』って呼ばれるようになったんです」

「母的には遠慮というか、踏み込めない部分があったのかな、って思いましたね」

いつしか母親のことが、実の父親よりも大切に感じていた。

「母が父に文句を言われているところを見るのが、すごく嫌だったんですよね」

「そんなにワガママを言わないでほしいな、って思っていました」

子煩悩で傍若無人な父

父親は、思い通りに行かないと納得しない人だった。

「正直、父のことはあまり好きじゃなかったです」

「父は自分のことを溺愛してくれていたんですけど、それがうっとうしいっていうか(苦笑)」

「ワガママだったし、自分の思い込みを人にぶつけてきたりするんですよね」

父親の飲み友だちが旅行に行くという話を聞くと、夜中でも叩き起こされ、「一緒に行くぞ」と連れていかれた。

子煩悩だったため、良かれと思ってしてくれていたんだと思う。

「18歳で家を出る時、荷物の中にカセットテープが入っていたんです」

「再生したら、父の声で『これから大変だろうけど、頑張れ』みたいな内容が入っていました」

「今振り返ると感動的ですけど、当時は『なんだこれ・・・・・・』って感じでしたね(苦笑)」

就職先に「息子をよろしくお願いします」と電話をしてきたと、上司から聞いた。

「『朝は弱くて寝坊しがち』って、いらない情報まで伝えたみたいです(苦笑)」

傍若無人な父親に、振り回されてばかりだった。

しかし、実家を離れてからは、干渉してくることも少なくなった。

自分が20歳になった時、父親がこの世を去った。

「父はまだ41歳でしたね」

03淡い思いを抱いた青春時代

ガキ大将からの脱皮

中学に上がると、小学生の頃とは同級生の顔ぶれが大きく変わった。

「転校した時と同じように、入学当時は塞いでいましたね」

「自分から積極的に話しかけられなくて、誰かが話しかけてくれるのを待っている感じでした」

中学生になっても、大きな環境の変化には順応できなかった。

ある程度の時間が経つと、友だちも増えていった。

「ただ、小学生の時みたいなやんちゃはしなくなりました」

「外で遊ぶことも少なくなったし、性格が変わったと思います」

大人数で遊ぶより、数人の友だちと深くつき合っていくようになっていった。

部活に明け暮れた中学生活

小学生の間に入っていた鼓笛隊の先輩から、吹奏楽部に誘われた。

大所帯で、大会に向けて力を入れている部活だった。

「半ば無理やり入部させられて、最初はトランペットを吹いていたんです」

「自分は割と飽きやすい性格で、部活も辞めたくなってしまったんですよね」

顧問の教師に「退部したいんです」と申し出ると、「ダメだ」と受け入れられなかった。

「トランペットを吹く息が続かない」と、言い訳をしてみた。

すると「コントラバスが1台入るから、それをやれ」と、肺活量とは無縁の代替案を出されてしまった。

「そう言われてしまうと、何も言い返せなくて、結局3年間コントラバスを弾きました」

「でも、コントラバスはどんどん上達したし、楽しかったですね」

週末も夏休みも冬休みも、朝から夕方まで部活漬けの毎日だった。

「全道大会に出たこともあったし、市内では評価の高い吹奏楽部でした」

憧れにも近い淡い思い

14歳の時、初恋をした。

遠い親戚の、少し年上のお姉さん。

「その人のことが気になって、文通をしていたんです」

「すごく仲良くしてもらっていたんですけど、なんとなく淡い思いを抱いていました」

「ただ、思いを伝えるようなことはなかったですね」

当時は、同性が気になることはなかった。

小学生の頃には、女子から「つき合って」と告白されることもあった。

「小さかったから、おつき合いと言っても遊ぶ程度ですけど、一緒に帰ったりはしていましたね」

「中学くらいまで、興味の対象は異性でした」

ある一つの出来事をきっかけに、自分の中での “常識” が、常識ではなかったことを知る。

04同性にドキッとする感情と罪悪感

見てはいけないもの

15歳の時、近所の小さな書店で、1冊の雑誌『さぶ』と出会った。

「明らかに異質な1冊が、平積みになっていたんです」

「表紙には、角刈りの日本男児の絵が載っていました」

なんとなく目に留まり、思わず手に取ってしまった。

ページをめくると、裸体の男性のグラビアが掲載されていた。

「それを見た瞬間にドキッとして、同時に見てはいけないものを見てしまった気がしました」

「男性同性愛者向けの成人雑誌だったんですけど、当時は同性愛の存在もよく知りませんでした」

「だけど、気になったんですよね」

家に帰っても、その雑誌が忘れられず、1週間後、再び書店を訪れた。

「まだ中学生だったけど、店員のおばあちゃんは売ってくれました(笑)」

「部屋でこそこそ見ながら、いままでに抱いたことのない複雑な気持ちになりましたね」

ドキドキする一方で、いけないことをしているような罪悪感もあった。

何気ない父のひと言

再びゲイ雑誌を買うことはなかった。

その1冊を、机の奥に忍ばせた。

「その雑誌を読んで、初めて同性愛の世界があることを知りました」

「でも、それから、男性が気になるようになったわけではないんです」

「男性を見て、単純にかっこいいと思うことはあっても、恋愛感情には至らなかったですね」

「女性とつき合うことが普通で、そうじゃなきゃいけないと思っていたのかもしれないです」

「雑誌を見ている時の気持ちは何なんだろう・・・・・・って、思っていました」

ある日、机の奥に入れていた雑誌の位置が、少しズレていた。

「父か母のどちらかに見られたな、って思いましたね(笑)」

家族旅行に出かけた時、移動中の車内で結婚の話題が出た。

父親に「お前は結婚しないんだよな?」と言われた。

「それを聞いた時に、バレているかもしれないって思いました」

「ただ、そのひと言だけで、父に問いただされるようなことはなかったです」

好奇心による選択

男性のグラビアなどに、嫌悪感は抱かなかった。

それよりも好奇心が勝った。

「15歳でその雑誌に出会うまで、成人雑誌を見たことがなかったんです」

「その時に、ストレートの男性向けの成人雑誌を手に取っていたら違ったのかな、って思ったりします」

もし女性のグラビアを見ていても、同じようにドキッとしたかもしれない。

見てはいけないものを見た罪悪感を抱いたかもしれない。

「たまたま見た雑誌が、男性同性愛者向けだったんですよね」

それも、今の自分につながる分岐点の一つだ。

05女性との交際と遂げられない最後

自分のことは自分で

8歳、社会に出るタイミングで、実家を離れ、札幌で1人暮らしを始める。

「自由になった! って気持ちが一番大きかったですね」

「調理師をしていたので、ご飯を作ることも苦じゃなかったです」

3日かけてビーフシチューを仕込み、友だちを招いたこともあった。

「実家が小さな居酒屋をやっていたので、調理師の道は、幼い頃から自然と見据えていました」

両親は夜遅くまで働いていたため、自分が学校に向かう時間にはまだ寝ていた。

中学生になると、自分でお弁当をこしらえるようになった。

「自分のことは自分でするっていう感覚が、染みついていましたね」

できなかった性行為

社会に出てから、何度か女性と交際した。

「かわいい女性を見れば、素直にかわいいな、って思います」

「この人と一緒にいたいな、って思いを抱くこともありました」

女性から告白されたり、女友だちとつき合う流れになったり、スタートの形はさまざまだった。

「おつき合いが続いていけば、迎えるべきものってありますよね」

「自分は、そこまでできなかったんです」

女性との性行為ができなかった。

ED(勃起不全)なのではないかと、自分を疑った。

「15歳の時に見た雑誌のことも頭にあったので、男性の方がいいのかな、と思ったりもしました」

交際してきた女性たちは、離れていってしまった。

「相手にかわいそうな思いをさせるし、自分も辛いから、もうおつき合いはやめようって思いました」

「多分女性とはつき合えないんだ、って気づき始めていたかもしれないです」

「でも、女性とつき合うことが当たり前だ、って考えもありました」


<<<後編2018/07/26/Thu>>>
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06 同性愛者としての人生の始まり
07 思いがけない病気との戦いと現在
08 今だからできたカミングアウト
09 当事者だから伝えられること
10 掲げた夢は “豊かに生きていくこと”

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