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「FTMでも楽しいこといっぱいあるよ」。言い訳していた自分に、憧れの人がくれた言葉【後編】

「FTMでも楽しいこといっぱいあるよ」。言い訳していた自分に、憧れの人がくれた言葉【前編】はこちら

2019/06/27/Thu
Photo : Taku Katayama Text : Sui Toya
古橋 唯 / Yui Furuhashi

1998年、大阪府生まれ。両親と2歳上の兄の4人家族。17歳のときに性同一性障害の診断を受けた。9歳から10年間習ったテニスが特技であり、高校卒業後は、テニススクールのスタッフ&コーチとして働き始める。しかし「コーチには不向き」と感じたことから、新たな夢を追って2019年1月に上京。初めての一人暮らしを楽しみつつ、次のステップを踏み出そうとしている。

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INDEX
01 二十歳の船出
02 思い出のラケット
03 学級崩壊
04 部活一色の3年間
05 寄り添ってくれた先生
==================(後編)========================
06 FTMを初めて知ったとき
07 偶然の出会い
08 夏服のズボン
09 まあ、しゃあない
10 誰かにとって価値のある人に

06 FTMを初めて知ったとき

トランスジェンダーを知る

小2のときに、タレントのはるな愛さんがブレークし、性同一性障害については知っていた。

しかし、テレビタレントの中に、女性から男性になった人はいなかった。

「はるな愛さんみたいな人もおるんや、と思ったけど、自分とは結びつかなかったんです」

「そういう人もおるんやな、くらいの感覚でしたね」

高2の終わり頃、SNSを見ていたときに、トランスジェンダーの人のアカウントを見つけた。

男性になるための治療法があるということを、そのとき初めて知った。

「男性として生きていく方法があるんだ、って新鮮な気持ちでした」

「自分はトランスジェンダーなのかなって、考え始めたんです」

それをきっかけに、色んなサイトで、性同一性障害について調べるようになった。

YouTubeに動画をアップしている、FTMのダンスチームについて知ったのも、その頃だった。

「動画を見たとき、マイノリティだけど、すごく楽しそうに生きてるな、って感じたんです」

「いつか当事者の方に会って、話をしたいなって思いました」

兄への恨み節

自分は性同一性障害かもしれない。

そう母に相談したかったが、その頃、母は兄のことで精一杯だった。

「兄は2歳上なんですが、中学の頃からあまり学校に行けなくなったんです」

「高校も2ヵ所通ったんですけど、結局中退してしまって・・・・・・」

「引きこもっているわけじゃないけど、働きに出るわけでもなくて。お母さんもお父さんも、兄のことをすごく気にかけてました」

兄が問題ばかり起こすから、自分は母に相談できない。

男として生きていきたいなんて話をしたら、母がさらに悩みを抱えてしまう。

「そう考えて、お母さんには、なかなか言えずにいました」

「兄があんなんやから・・・・・・って、すごく恨んでましたね」

07偶然の出会い

憧れていた人が目の前に

誰にも悩みを相談できずにいたとき、ある日、母とショッピングモールに出掛けた。

「新しくできた雑貨屋さんにフラッと入ったとき、ある店員さんに、目が釘付けになりました」

「僕がいつもYouTubeで見ていた、FTMのダンスチームの方だったんです」

「Seijiさんという方で、その前日も動画を見てました」

その場で話しかけると、母から「誰?」と聞かれる可能性がある。

一回店を出てから、「ちょっと、行きたい店があるんだ」と母に言い、別行動をすることになった。

「もう一回、その店まで戻って『すいません、Seijiさんですよね?』って聞いたんです」

「『そうやで。よくわかったね』って言われました」

「オープンしたてのお店で、忙しそうでしたが、『Twitterをフォローしてくれたらフォロー返すよ』って言ってくれて」

「それから、Seijiさんと連絡を取るようになったんです」

それから2ヵ月後、Seijiさんと一緒に食事に行くことになった。

「周りにカミングアウトしてるの?」と聞かれ、「いや、誰にも言ってないんです」と答える。

「兄に問題があって、なかなか親に言えないんですよね、って話をしました」

「そうしたら、Seijiさんに『いつまでも兄ちゃんが変わるのを待ってたらあかん』って言われました」

「その後、『FTMでも楽しいこと、いっぱいあるよ』って言われて」

「その言葉は、今でもずっと頭にありますね」

言ってくれてありがとう

Seijiさんの言葉に背中を押され、翌日、初めてカミングアウトをした。

高校で一番仲の良かった友だちだ。
「ちょっと話したいことがあるんやけど」って、夜中にLINEをした。

「思い切って、男性として生きていきたいことを打ち明けました」

「兄のことがあって、親にはまだ言われへんっていうことも」

その友だちは、「言ってくれてありがとう」と返してくれた。

「ありがとう、って言われるとは思っていませんでした」

「その言葉はやっぱり大きかったです」

「カミングアウトしても、友だち関係は変わらないんだって、ホッとしましたね」

唯ちゃんの味方やからね

その2ヵ月後、母と買いものに行く機会があった。

休憩しようということになり、2人でベンチに座っていたとき、ふと「今なら言えるかもしれない」と思った。

「このあいだ、友だちと食事に行くって言ったけど、実は女性から男性になった人に会ってたんだ」

「自分も同じで、これから治療をしていきたいと思ってる」

周りに誰もいなかったせいもあり、半泣きになりながら、そう打ち明けた。

母は、特に驚く様子はなかった。

「治療はやめておいたほうがいいんじゃない?」

そう言われたが、否定的な意味ではなく、体を心配してのことだった。

母は根掘り葉掘り聞かずに、「何があっても唯ちゃんの味方やからね」と言ってくれた。

「兄がいるから、いつまで経っても自分は前に進めない、って思ってました」

「でも、踏み出せない理由を兄のせいにしてたんでしょうね」

「母にカミングアウトしたことで、僕は僕の人生を貫けばいいと思えるようになったんです」

08夏服のズボン

卒業までの2週間

カミングアウトをしたのは、高校で仲良くしていた友だち数人と母、そして幼なじみだけ。

しかし、卒業式が近づくにつれて、後悔のないように高校生活を終えたいと思い始める。

「最後は、ズボンを履いて登校したいって思ったんです。このままスカートで卒業式に出るのは、嫌やなって」

「クラスで何か言われても、別にいいか、って吹っ切れました」

男子は、冬用と夏用のズボンを2本持っていた。

高1のとき同じクラスだった男友だちに、ズボンを履きたい理由を話すと、夏用のズボンを貸してくれた。

「初めてズボンで登校した日は、嬉しかったし、すごくドキドキしました」

「仲の良かった先生が、毎朝校門に立ってたんですけど、僕の姿を見て、『おっ』みたいな顔をしたんです」

「本当は、先生にはカミングアウトせずに卒業しようと思ってたんですけど・・・・・・」

「3年間いつも寄り添ってくれた先生には、誠実でありたいって思ったんですよね」

先生へのカミングアウト

卒業式2週間前は、高校最後のテスト期間だった。

1日目の朝、「テストが終わったら、言いたいことがあんねんけど」と先生にいい、放課後に時間をもらう約束をした。

「テストが終わった後、誰もいない教室で先生とストーブを囲んで、話をしたんです」

「自分は性同一性障害で、今後治療をしていきたいと思ってる、って」

「そのために、カウンセリングに通い始めたって、涙をぐっとこらえながら話したんですよね」

先生からは「俺も確信はなかったけど、感じるものはあったよ」と言われた。

「何が嫌やったとか、どういうときにつらかったとか、俺は1から10まで知りたい」

「言わずに卒業せんでよかったわ。ありがとうやな」

その言葉を聞いて、つかえていたものが、一気に溶けるような思いがした。

これで後悔なく高校生活を終えられると思った。

「先生とは、今も交流があります」

「卒業してから、食事にも1回行かせてもらいました」

「僕が『こんな男になりたいな』と憧れたのは、その先生が初めてです」

「先生に出会えただけでも、あの高校に行って良かったなと思います」

09まあ、しゃあない

診断と同意書

カウンセリングを受け始めたのは、高3のとき。

専門の先生に診てもらえる病院が家の近くにあり、自分で予約を取った。

「貯めていたお年玉を切り崩して、月に2回ほどカウンセリングに通うようになりました」

「色んな検査をして、性同一性障害の診断が出たんですよね」

カウンセリングに通い始めたことを母に言うと、「一度だけ先生の話を聞きたい」と言ってくれた。

高校卒業後に、母と一緒に病院へ行き、治療の副作用などを詳しく聞いた。

「未成年だったので、この先ホルモン治療を進めるには、両親の同意が必要と言われました」

「お父さんに言ってないんやったら、自分で言わないとダメよ、って病院の先生に言われたんです」

治療を受けないという選択肢は、自分の中にはなかった。

「お母さんは、お父さんに言わずに秘密にしてくれていました」

「同意書がきっかけで、父に言うことを決めたんです」

長い沈黙

父にカミングアウトしたのは、同意書をもらって帰ってきた2〜3日後。

両親と3人で、リビングでテレビを観ていたときに、「今から言うから」と母にアイコンタクトをした。

「言いたいことがあんねんけど・・・・・・」

そう切り出したものの、言葉が続かず、沈黙が長く続いた。

体は震え、目には涙がたまっている。

「お父さんとは、仲が良かったんです。だから、声を荒げて怒られることはないだろうと思ってました」

でも、治療はダメと言われるかもしれない。

「どんな反応をされるか予想すると、なかなか言い出せませんでした」

黙っている自分を見て、父が「どうしたん? 仕事辞めたん?」と声をかけてくれた。

重たい空気が破れた。

「この先、男として生きていきたいと思う」
「職場のテニススクールでも、男性として働かせてもらってる」
「今後は治療もしていきたいって考えてる」
「治療には、両親の同意が必要だから、同意書にサインをしてほしい」

同意書をバッと広げながら、そう一気に伝えた。

父の気持ち

涙をこぼす自分を見つめながら、父は「そうか・・・・・・。全然気づかんかった」と、ポツリと言った。

「病院も一人で探して偉かったなあ」

「お父さんは大したことできないけど、また何かあったら相談せえ」

そう言った後、父は「まあ、しゃあない」と静かにつぶやいた。

「その『しゃあない』のひと言に、父の想いがすべて詰まっているなと感じました」

「じゃあサインしよか、と言って、その場で両親がサインをしてくれたんです」

「その翌月から、ホルモン治療を始めました」

1月に上京する前、父と2人で食事に行く機会があった。

そのとき父から、「カミングアウトを受け入れられたのは、同じような悩みを持つ人に、仕事で接してきたから」と聞いた。

「父は、高校生の進路相談や、大学生の就活のアドバイスをする仕事をしているんです」

「仕事で知り合う生徒さんや、教師の中にも、セクシュアリティに悩んでいる人がいるそうです」

「この仕事をしてなかったら、理解できへんかったかも、って言ってましたね」

食事を終えた後、父は「後悔のないようにやればいいんじゃない」「生きやすいように生きたらいいやん」と言ってくれた。

「自分が男になることに対して、100%賛成かといったら、そうじゃないと思う」

「それでも両親は、何も言わずに見守ってくれてます」

「人生を楽しんでいるところを見せなきゃな、って思います」

10誰かにとって価値のある人に

「受け入れてもらえて当たり前」ではない

親に治療を反対されたとき、「なんでわかってくれないんだ」と言い合いになったという話を、同世代のFTMからよく聞く。

「でも、自分が親の立場だったら、わからなくて当然だと思うんです」

「LGBTという言葉は、ここ数年で広まってきているけど、まだまだ理解している人は少ない」

「『受け入れてもらえて当たり前やろ』っていうスタンスでいるから、何か言われたときにショックを受けちゃうと思うんですよ」

今の時代、当事者同士は、SNSやネットを通じて仲間を探すことができるようになった。

それは、自分たちにとってはありがたいことだ。

「その一方で、カミングアウトされた親は、その悩みを誰に相談すればいいか、困ってしまうと思うんです」

「孤独を感じているのは、僕らLGBT当事者よりも、親のほうなんじゃないかな」

「僕も、お母さんにカミングアウトしたとき、気持ちを聞くなど、もっと寄り添ってあげれば良かった」

「そのことは、少しだけ後悔しています」

今が一番、と言える人生を

今後、どれだけLGBTという言葉が広まっても、理解できない人は一定数いるだろう。

それは、その人の意見だから仕方ないと、自分は思う。

「皆に好かれたいとか、テレビやネットで有名になりたいとは思いません」

「その代わり、誰かにとって価値のある人間になれたらいい」

「自分にとっては、高校の先生とSeijiさんが、憧れの対象であり、目標です」

「大勢から求められるから価値があるんじゃない。誰かの人生に寄り添えたら、それだけで価値があると思うんです」

今後、ホルモン治療や性別適合手術を進めても、100%男性になれるかといえば、それは無理だろう。

それでも治療することを選んだのは、諦めも含んだ覚悟をしたからだ。

完全な男性にはなりきれないけれど、それでも男性として生きていくという覚悟。

「父に言われたとおり、『まあ、しゃあない』んですよ(笑)」

「小柄なことも、男性器がないことも、戸籍上はまだ女性であることも、全部仕方がない」

「パーフェクトではない自分を受け入れているから、こうやって笑えるんですよね」

色んなことに悩んだからこそ、自分のことを好きでいられる。

これから先、体が変化しても、自分に対する信頼は、もう揺らぐことはないだろう。

10年後や20年後、「いつが一番楽しかった?」と聞かれることがあるかもしれない。

そのときに、「今かな」とサラッと言える人生を、送っていきたいと思う。

あとがき
「お待ちしていましたよ!」。はにかみながら待ち合わせ場所に現れた唯さん。20歳になってやっと会えた。胸がいっぱいになる■高校最後の2週間だけはけたズボンのこと、勇気をくれた人のこと、先生のこと、家族のこと。取材合宿をしても時間が足りなかっただろう、たくさんのシーンを細やかに教えてくれた■真っ直ぐな瞳で語られるおもいは、はかなく透明で、熱っぽい。いつもまでも聴いていたくて、帰り際はいつまでも手を振った。応援したい人がまた増えた。(編集部)

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