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「FTMでも楽しいこといっぱいあるよ」。言い訳していた自分に、憧れの人がくれた言葉【前編】

高校3年生のときLGBTERに一度エントリーしてくれた古橋唯さん。当時はまだ10代。家族の同意を得るには時間を要する時期で、取材は叶わなかった。成人した今、上京を機に再び応募してくれた。人生のストーリーを聞くと、家族をはじめ、誠実な人たちに支えられてきたことがわかる。その縁は、古橋さん自身の誠実さが引き寄せたものだろう。20年の人生を振り返り、今後の人生に馳せるおもいを聞いた。

2019/06/25/Tue
Photo : Taku Katayama Text : Sui Toya
古橋 唯 / Yui Furuhashi

1998年、大阪府生まれ。両親と2歳上の兄の4人家族。17歳のときに性同一性障害の診断を受けた。9歳から10年間習ったテニスが特技であり、高校卒業後は、テニススクールのスタッフ&コーチとして働き始める。しかし「コーチには不向き」と感じたことから、新たな夢を追って2019年1月に上京。初めての一人暮らしを楽しみつつ、次のステップを踏み出そうとしている。

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INDEX
01 二十歳の船出
02 思い出のラケット
03 学級崩壊
04 部活一色の3年間
05 寄り添ってくれた先生
==================(後編)========================
06 FTMを初めて知ったとき
07 偶然の出会い
08 夏服のズボン
09 まあ、しゃあない
10 誰かにとって価値のある人に

01 二十歳の船出

2つの理由

今年1月に上京し、一人暮らしを始めた。
上京を決めた理由は2つある。

1つは、18歳から続けているホルモン治療のおかげで、見た目が大分男性らしくなってきたこと。

「地元にいると、だいたい皆、遊びに行く先が決まっているんです」

「そうすると、同級生とか、以前の僕を知っている人に会う確率が高いんですよね」

「知り合い全員にカミングアウトしてるわけじゃないから、『あれ?』と思われるのはストレスだなって」

「男性の姿で、自分らしく生活したいというのが、上京した理由の1つです」

2つ目の理由は、新しい夢ができたこと。

小3の頃からテニススクールに通い始め、高校卒業後は、そのスクールでスタッフ兼コーチとして働き始めた。

テニスのコーチになることは、学生時代からの夢。

しかし、いざ人に教えてみると、自分には向いていないかもしれないと感じるようになった。

「人に教えるのと、自分でプレーするのとでは、勝手が違います」

「教えることは楽しかったし、やり甲斐もあったんですけど・・・・・・」

「コーチをしている自分に、どうもしっくりこなかったんですよね」

新しい夢へ向かって

社会人として働き始めて、ちょうど1年経った頃、この先もコーチを続けるか悩み始めた。

気晴らしにと、東京に遊びに来たことが転機になる。

「仲のいい幼なじみがいて、彼女も高校を出てすぐに働き始めました」

「社会人として1年間がんばったご褒美として、大型テーマパークへ一緒に遊びに行こうという話になったんですよね」

「そのときに、キャストさんが楽しそうに接客をしているのを見て、すごく魅力を感じて・・・・・・」

「こんなに楽しそうに働いている大人は、見たことがないと思ったんです」

自分もこんなふうに、笑顔で働きたい。

新しい夢に向かう気持ちと、地元を出たいという願望が、背中をぐいぐい押した。

「上京するための資金を作ろうと、まずはホテルの清掃業のアルバイトを始めました」

「8ヵ月ほど、テニススクールと清掃業の仕事を掛け持ちして、70万ほど資金を貯めたんです」

母が貯めてくれていた小さい頃のお年玉も資金に加え、1月に上京。

夢への第一歩を踏み出した。

02思い出のラケット

おじいちゃんの記憶

小さい頃から、おじいちゃんっ子だった。

父方の祖父母の家が実家の近くにあり、遊びに行くと、祖父がいつも嬉しそうに出迎えてくれた。

子どもも孫も、男ばかりだったおじいちゃんにとって、自分は唯一の女の子。

だから、余計にかわいがってもらえたのかもしれない。

「おじいちゃんは、楽しいことが大好きでした」

「泊まりに行った日の早朝、僕の足の裏に油性ペンで『唯』って名前を書いてから、仕事に出掛けて行ったこともあります」

「ある日、ハンバーガーの写真がたくさん載っている本を買ってきたことも」

「スーパーに買い出しに行って、その本を見ながら、2人でハンバーガーを作りましたね」

祖父母が住むマンションの目の前には、テニススクールがあった。

祖父がそのスクールに通っており、自分も小3からテニスを習い始めた。

「最初はテニスをしたいというよりも、あのコートの中に入ってみたいという好奇心が大きかったです」

最期の日々

小学校に上がった頃から、糖尿の治療などで、祖父は入退院を繰り返すようになった。

あるとき、入院している祖父から、「好きなラケットとウェアを買いなさい」と、お金をもらったことがある。

「選んだラケットは、白とオレンジの最新モデル」

「新しいラケットとウェアが嬉しくて、すぐに、おじいちゃんの病室まで見せに行きました」

「そのラケットは、今でも実家に保管してあります」

小5のとき、祖父が亡くなった。癌だった。

当時は何の病気か知らなかったが、母と一緒に、何度も祖父母の家を訪れたことを覚えている。

「最近知った話ですが、おじいちゃんはその頃、抗がん剤治療を受けていたそうです」

「緩和ケアのような形で、最後は家で過ごしていました」

「母は介護のために、おじいちゃんの家で寝泊まりしてましたね」

二段ベッドの上で

そんな事情は知らず、「僕も泊まりたい」と言って、よく駄々をこねた。

祖父母のマンションは狭く、寝る場所はない。
そう説得され、しょげて帰る姿を見て、祖父が二段ベッドを買ってくれた。

残り少ない日々を、孫と一緒に過ごしたかったのかもしれない。

二段ベッドを買ってもらった後、祖父は熱を出し、再び入院することになった。

「僕はそのとき、『また入院するんや』というくらいの感覚でした」

「でも結局、おじいちゃんは、そのまま亡くなってしまいました」

翌朝、母がマンションまで迎えに来た。

「おじいちゃんが亡くなったよ」

買ってもらった二段ベッドの上でそう聞いた。

頭で考える前に、涙がこぼれてきた。

03学級崩壊

スカートは履きたくない

祖父が亡くなった当時、学校生活はあまり楽しくなかった。
なぜなら、クラスが学級崩壊状態だったからだ。

「最初の担任は、年配の女性の先生でした」

「ヒステリックに怒ることが多かったせいで、生徒から嫌われたんです」

「それから担任の先生が何回も変わって、最終的に教頭先生が担任になりました」

皆がイライラする気持ちも、理解できないわけではない。

先生への嫌がらせには加担しなかったが、ただ黙って成り行きを見ていた。

「通っていた小学校は公立でしたが、制服がありました」

「運動が好きだったし、なんとなくジャマだなと思いながらも、小4までは制服のスカートを履いてたんです」

「でも小5以降は、学級崩壊の混乱に乗じて、スカートを履かなくなりました(笑)」

穏やかな1年間

小5から小6に進級するときに、クラス替えがあった。

混沌としていた前年とは打って変わって、小6のクラスは楽しかった。

「担任の先生が、若くてイケイケの先生だったんです」

「子どもたちと距離が近かったんですよね。授業を放り出して『ケイドロをやろうぜ』と、提案してくれることもありました」

小6のときは、幼なじみも同じクラスだった。

お笑いが好きな、サバサバした性格の女の子。

「幼なじみのその子と出会ったのは、小1のときです」

「家が近かったし、毎日一緒にいました」

「小学生のときの作文を見ると、幼なじみの名前がよく出てくるんですよね(笑)」

「2人とも同じような時期に上京して、今もよく遊んでます」

04部活一色の3年間

スパルタな吹奏楽部

中学校に進学するとき、「何か部活をやりなさい」と母に言われていた。

テニス部に入ろうと思っていたが、中学には、ソフトテニス部しかなかった。

最終的に、幼なじみに誘われて、吹奏楽部への入部を決める。

「体験入部のときに、やりたい楽器を第3希望まで書いたんです」

「でも、楽器の適正を、先輩たちや先生が判断するんですよね・・・・・・。全く希望してなかったホルンをやることになりました(笑)」

特に入りたいと思っていた部活ではなく、やりたい楽器も担当できない。
入部して早々に、やる気を失くす。

吹奏楽部には、もともと顧問の先生が2人いた。

コンクールを目指すような熱心な部ではなかったが、顧問の先生が1人辞めてから、方針がガラリと変わった。

「僕が入部した年から、突然コンクールを目指し始めたんです」

「ガチで練習するようになって、夏休みもほとんど毎日練習(苦笑)」

「テニススクールには週1〜2回通い続けていたし、部活が終わった後、塾にも行っていました」

「忙しいサラリーマンみたいに、家には寝に帰るだけ」

「3年生の11月まで、そんな生活が続きました」

部活やテニス、勉強に忙しく、自分に向き合う時間はなかった。

周りとの違いや、制服のスカートへの嫌悪感を覚える暇がないくらい、ハードな毎日。

そのおかげか、セクシュアリティのことで、深く悩むこともなかった。

副部長に選ばれる

「本当は、先輩が引退したタイミングで、部活を辞めようと考えてたんです」

「楽器の練習よりも、テニスのほうが好きやったし、試合にも出たいなって思ってました」

ところが、辞める決意を固めた矢先、吹奏楽部の副部長に任命されてしまう。

「先輩と先生が話し合って、部長・副部長を決めるんですけど、なぜか僕が選ばれてしまって、後に引けなくなっちゃったんですよね」

「結局、3年生の引退時期まで、部活を続けることになりました」

皆をまとめる立場として、意見をはっきり言い、必要な時には叱る。

副部長になって初めて、責任感を持って人と関わることを学んだ。

「なんで自分が選ばれたのかは、いまだに謎です(笑)」

「毎日、いつ辞めようと考えながらも、練習には本気で取り組んでました」

「その真剣さを認めてもらえたようで、嬉しかったですね」

女性としての将来の姿

クラスの友だちや、吹奏楽部の仲間と話しているとき、「唯は好きな人いないの?」とよく聞かれた。

好きな人はいなかったし、恋愛の何が楽しいのかよくわからない。

だから、いつも「恋愛は興味ないから」と答えていた。

「そういう話になると、将来のことを考えたりするじゃないですか」

「でも、自分が男性と結婚するとか、子どもを産んでいる姿が、想像できなかったんですよ」

「そのときから、自分は周りとはちょっと違うのかな、って思ってました」

幸いなことに、幼なじみも、恋愛の話にはあまり興味がないようだった。
2人でいるときは、好きなお笑い芸人の話や、テレビ番組の話ばかり。

そういう話で盛り上がれるのは、楽しかったし、気持ちが楽だった。

05寄り添ってくれた先生

ズボンとスカート

中学卒業後は、家の近くにあった高校に進学した。

「行きたい高校はありましたが、全然勉強をしていなくて、案の定、受験に落ちたんです」

「やけくそになって、『もうここでいい!』って受けたのが、家の近所の高校でした」

その高校では、ズボンかスカートか、制服を選択することができた。

入学説明会のときにそのことを知り、母に「ズボンを履いて行きたい」と相談する。

「反対はされなかったけど、『周りの女の子たちを見てからのほうがいいんじゃない?』って、お母さんに言われたんです」

「確かにそうだなと思って、入学してから様子を見てました」

「ズボンを履いてる女子は一人もいませんでしたね」

「自分だけズボンを履いて目立つのも嫌やし、仕方なくスカートを履き続けたんです」

学校に足が向かない

高校入学後、テニススクールには通い続けたが、部活には入らなかった。
中学3年間を吹奏楽部に費やし、やりきった感覚があったからだ。

「放課後や休みの日は、何もすることがなくて、自分と向き合う余裕ができたんですよね」

「やっぱり、周りの女の子とは違うなって、確信を持ち始めたんです」

仲のいい友だちはいたが、本心を打ち明けられずに、孤独を感じていた。

「あるとき、学校に行きたくないなって思い始めました」

「そこから1週間ほど、学校に行かなくなったんですよ」

モヤモヤの正体

何に悩んでいるのか、自分でもよくわからなかった。

そんなとき、話を聞いてくれたのが、担任の先生だった。

「高1のときの担任の先生は、当時24歳で、まだ新卒に近い年齢でした」

「初めて担任を持ったのが、僕らのクラスだったそうです」

「すごく包容力のある人で、黙って話を聞いて、寄り添ってくれたんですよね」

その先生のお蔭もあり、また少しずつ学校に行けるようになった。

モヤモヤしたときは、保健室に行ったり、授業を抜けて担任の先生に話を聞いてもらったりした。

「先生は、すごく気にかけてくれて、廊下ですれ違ったときは必ず声をかけてくれました」

「会議をサボってまで、僕の話を聞いてくれたこともあります」

先生から「何が嫌なん?」と聞かれても、「なんとなく・・・・・・」としか答えられない。

モヤモヤの正体は、まだ見えていなかった。

「いま考えると、女の子たちの話題についていけないことが、苦しかったんだと思います」

「高校になって、髪型に気をつかったり、化粧をしたりする女の子が増えたけど、自分はそんなことにまったく興味がなかった」

「周りと違うって感じたけど、その原因がわからなかったんですよね」

<<<後編 2019/06/27/Thu>>>
INDEX

06 FTMを初めて知ったとき
07 偶然の出会い
08 夏服のズボン
09 まあ、しゃあない
10 誰かにとって価値のある人に

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