INTERVIEW
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どんなにつらいときも、必ず一人は理解してくれる人がいた。【前編】

長い黒髪、カラコン、ゴツめのシルバーアクセサリー。ヴィジュアル系のバンドマンといった第一印象に反して、大きな声、ハキハキとした口調でご自身のことを話してくれた唐仁原さん。セクシュアリティはFTM。学生時代の話しは、つらく悲しい記憶ばかりだという印象を受ける。しかし、「自分は恵まれていた」「あの頃があるから今がある」という。過去を美化する人は少なくないが、唐仁原さんは過去を “肯定” して、今をはつらつと生きていた。

2018/04/07/Sat
Photo : Taku Katayama Text : Shinichi Hoshino
唐仁原 漣 / Ren Tojimbara

1992年、東京都生まれ。幼少期から女の子が好きで、年を重ねるにつれセクシュアリティに違和感を覚えるように。高校3年のとき、新宿二丁目デビュー。様々な知識を得るなかで自分はFTMだと自覚し、20歳のときにGID診断を受ける。現在はバーに勤務しながら、芸能活動に取り組んでいる。

USERS LOVED LOVE IT! 34
INDEX
01 小学校の頃から好きなのは女の子
02 友だちとは違う家庭環境
03 中学受験といじめ
04 男の子を好きにならなきゃ
05 音楽とアニメが救いだった
==================(後編)========================
06 もう、死んでしまいたい
07 高3で出会った「新宿二丁目」
08 GID診断とホルモン注射
09 FTMらしさって何?
10 将来の夢

01小学校の頃から好きなのは女の子

初恋は小3のとき、6年生の女の子

名前は珍しく、「とうじんばら」と読む。

幼少期から背が高くて、女の子だけど女の子が好きだった。

「まわりからは、目をつけられやすい存在だったと思います」

普段は、できるだけ目立ちたくなかった。

一方で、発表会や運動会では注目されたかった。

「引っ込み思案なところと、目立ちたがり屋なところ、両方あったんですよね」

初恋は小学校3年生と、かなりのオマセさん。

相手は6年生の女の子だった。

「チューしたり、いろいろしました。相手は小6だったから性のことも知っていて、導かれるままにって感じでした(笑)」

戯れることは嫌でなく、罪悪感もなかった。

しかし、「内緒ね」と言われていたから、誰にも口外しなかった。

数え切れないほどの習いごと

「お絵描き教室に水泳、英会話、そろばん、ピアノ、茶道もやったし習字も、それから・・・・・・」

幼い頃から小学校の頃、自分でも思い出せないくらい多くの習いごとをしていた。

習いごとは、行くまでが嫌だった。

「友だちから『今日、遊ぼうよ』っていう誘いを断るのが嫌だったんです。だから、行くまでは駄々をこねたり、逃げようとしたり」

「でも、行ったら行ったで楽しかったんですよね」

もちろん、すべての習いごとが好きだったわけではない。

好きだったのは、お絵描き教室と茶道だった。

「茶道は完全にお菓子目当て。落ち着けるとか、お茶の心とか、そんなのは全然なくて、お菓子が食べたいっていう下心だけで行ってました(笑)」

お絵描き教室は、教室一面に画用紙が敷き詰めてあった。

「好きに表現してください」というスタイルの教室で、絵の具を使っても、色鉛筆を使っても、粘土を使ってもOK。

「何を、どこに、どう描いてもよかったから、自由で楽しかったですね」

今でも、「無心になりたいとき」は絵を描いている。

「部屋でお香を炊いて、ベッドで横になりながら、ボールペンやマジックだけでひたすら描きます」

模写ではないし、描きたいものをイメージしているわけでもない。

ノープランで描きはじめて、夢中で描いているうちに「何だかこれに似てきたから、こうしていこう」と、直感だけで描き進める。

最後に何が描きあがるのかは、自分にも分からない。

茶道やお絵描き教室と落ち着いて取り組む習いごと以外に、体を動かすことも好きで、木登りや虫取りなどで男の子と遊ぶことも多かった。 

02友だちとは違う家庭環境

母の教育方針がすべてだった

小学生の頃、家にいるときはだいたい2つ上のお兄ちゃんとテレビゲームをして遊ぶ。

習いごとをたくさんしていたから、放課後、学校の友だちと遊ぶ時間はほとんどなかった。

お母さんは韓国人。

多くの習いごとをしていたのは、教育熱心なお母さんの方針だった。

「母の考え方は昔の日本と同じで、『いい学校に行って、いい会社に入れば、将来いい生活ができる』『あなたは私が敷くレールの上を歩きなさい。そうすれば、安定した将来が待っているわ』っていう、学歴重視の古い考えでした」

お母さんは、ライバル意識も人一倍。

「友だちがプールに行きはじめたら、『あなたも行きなさい』と。そろばんを始めたら、『あなたもやりなさい』と。友だちはライバルで、何においてもライバルに勝たないと、将来、幸せにはなれないという考え方でした」

今思えば、あの頃は窮屈だったかもしれない。

「でも、当時は親が言うことがすべてでした」

裕福だったけど、だんだん家が嫌いになった

裕福な家庭で育った。

「母は子どもに『いいものを食べさせたい』『いいものを着させたい』という考えでした」

「だから、小学校を卒業するまで一人で買い物に行くのは難しかったけど、母に言えば何でも買ってもらえました」

両親は共働きだったので、お手伝いさんが親代わり。

「ずっと可愛がってくれました。『あれが食べたい、これが食べたい』って言えば、何でも作ってくれましたね」

「両親共働きでも、寂しいなって思ったことはなかったです。家に帰れば兄がいて、おばちゃん(お手伝いさん)もいて、駄々をこねたらおばちゃんも泊まってくれました」

「でも、寂しくはなかったけど、家が好きだったかと言われれば、そうじゃなかったですね」

厳しく管理されていたがゆえに、知らないことも多かった。

「当時、マンガって言ったら、ジャンプみたいな週刊誌しか知りませんでした。コミック(単行本)の存在を知ったのは中学に入ってからだったかな」

「友だちは当たり前に知ってることでも、僕が知らなかったことは多かったと思います」

授業が終わって学校を出ると、校門でお手伝いさんが待っていた。

塾のカバンを持っていて、「さあ、塾に行きましょう」と。

逃げ出す方法などなく、友だちともそこでバイバイ。

「まわりの子はやりたいことをして遊んでるのに、僕は習いごとや塾があって、遊んじゃいけないんだなって」

「それが嫌で、だんだん家が嫌いになっていきました」

03中学受験といじめ

スクール水着への抵抗

幼い頃から女の子が好き。

男の子をカッコいいと思ったことはなく、ずっと女の子をかわいいと思っていた。

「ほとんどの女の子と話が合わなかったけど、同じクラスにいたボーイッシュな中国人の子とは仲が良く、女の子のことを『○○ちゃんって、かわいいよね』って恋バナができました」

とはいえ、小学校の頃は自分のセクシュアリティについて、深く考えることもなく過ごした。

ただ、嫌だったものは鮮明に覚えている。

水泳の授業で着る水着だ。

「男子と同じ水着を着たかったわけじゃないんです。ただ、スクール水着を着て女っぽいシルエットが出るのが嫌でしたね」

当時の一人称は「俺」。

「自分のことを男だと思って「俺」って言ってたんじゃなく、兄の影響が大きかったと思います」

「母からは、『女の子なんだから、私って言いなさい』『女の子らしくしなさい』って、よく言われてました」

中学受験の面接は、数分間のことだから意識して「私」を使った。

だが、気を張っていないときはうまくいかない。

「親戚に会うときも「私」って言わなきゃいけなかったけど、時間が長くなると、どこかでボロが出ちゃうんですよね(笑)」

小3ではじまったいじめ

小学校3年生から、中学受験の勉強をはじめた。

塾に通うようになってからは、つらいことも多くなった。

「塾で、兄が上位クラスにいて、僕は下位クラスでした。だから、塾の先生からも『お兄ちゃんは優秀なのに・・・・・・』って嫌味を言われて」

「あのときは、兄と比べられるのが苦痛でした」

家にはお手伝いさんがいて、習いごとはどの友だちよりも多かった。
中学受験で塾に通いはじめるのも早かった。
女の子なのに一人称は「俺」で、女の子が好きだった。

「『自分はまわりの子たちと違うんだ』って、思いはじめたのと同じ頃から、いじめられるようになりました」

いじめは、シカトだった。

一部の仲の良い子たちとは話すこともあったが、他の子たちからは無視され、小学校を卒業するまでいじめは続いた。

自分から家族に相談したのか、家族が察してくれたのかは覚えていない。

お父さんからは、「気にするな」と言われた。

お母さんからは、「嫉妬なんだから放っておきなさい。我慢して勉強して、いい大学に入って、いい会社に行けば将来、幸せになれるんだから」と言われた。

当時は、親の言うことを信じることしかできなかった。 

04男の子を好きにならなきゃ

中高一貫の女子校に進学

中学に入学する頃も、セクシュアリティに関する自覚はあいまいだったが、スカートは嫌いだった。

中高一貫の私立女子校に進学したのは、好きだった先輩と同じ学校に行きたかったから。

「そのときは、先輩と同じ学校に行くことがすべてだったから、制服のことは頭から抜け落ちていました」

「入学が決まって『制服買おう』ってなってはじめて、『あっ、しまった。スカートだった・・・・・・』って(笑)」

憧れの先輩は5つ上。中1のときの高3だから一緒に過ごせるのは1年だけ。

でも、その1年間、先輩とは何もないまま終わった。

「校内ですれ違うくらいで満足だったんです。好きで追いかけてきたはずだったけど、どうしていいのか分からないまま1年が過ぎ、恋仲に発展することはありませんでした」

セクシュアリティへの違和感

女性であることに違和感を覚えはじめたのは、体の変化と、まわりの友だちとの違いがきっかけだった。

体の変化とは、胸の膨らみ。

「胸が膨らんできたことが、たまらなく嫌でした」

まわりの友だちとの違いとは、話題に共感できないこと。

「当時はジャニーズが流行っていて、友だちの間ではKAT-TUNとかNEWS、TOKIOの話ばかり。でも僕は、まったく興味がなかったんで・・・・・・」

女の子の話題には共感できない。

でも、体は女になっていく。

そんな状況に立たされたとき、13歳の自分は「男の子を好きにならなきゃいけない」と思った。

だから、興味のないジャニーズを聴いたり、明星とかアイドル系の雑誌を読みはじめた。

スカートを短くしたり、かわいい下着を一緒に買いに行ったり、みんなと同じになるために努力もした。

でも、それはどこか現実味がなく、他人事のようだった。

「心のどこかで『なんでこんな下着を買ってるんだろう』『なんで女モノの服を着なきゃいけないんだろう』って思ってました」

まわりの友だちは上半身裸の山下くんを見て「きゃー!カッコいいーーー!」と騒ぐ。

「話を合わせて『うん、そうだねー』とか言いながら、内心では『自分もこういうふうになりたい!』って(笑)」

山下くんはカッコいいけど、“カッコいい“ の意味が180度違った。

男の子を好きになろうとしたけど、どう頑張ってもだめ。

だから、仲の良い友だちには「女の子が好きなんだ」とカミングアウトした。

最初は、「変わってるよねー」などと言われるくらいだったが、中2になってクラス替えをして状況は一変する。

「『あの子、ガチの同性愛らしいよ』『本気で女の子しか好きじゃないみたい』っていう話が広まったんです」

友だちからは距離を置かれるようになり、最終的にはクラス全体からハブられるようになった。

「あ、これで学校生活終わったな・・・・・・って」

05音楽とアニメが救いだった

いじめ、不登校、引きこもり

いじめに遭うようになってからは、不登校がちになった。

学校に行くのは週に2日くらいで、自分の部屋に引きこもることが多くなった。

「あのときは、誰とも関わりたくなかったし、外に出たくなかったし、精神的にまいってましたね」

昔から音楽が好きだったので、部屋にこもってMDプレーヤーでひたすら音楽を聴いたり、好きなアニメを観て過ごした。

「当時は、音楽とアニメが救いでした。親に『参考書を買う』って言ってお金をもらって、CDを買ったりアニメグッズやマンガを買ったりしていました」

中学入学後はお母さんとも距離ができて、昔みたいにあれこれ言われることは少なくなった。

先輩には性のことを公言できた

同級生にいじめられるようになってからは、上級生と遊ぶようになった。

「クラスではいじめられてたし、勉強は嫌いだったし、学校に行きたくなかったけど、唯一、上級生だけは仲良くしてくれたので」

マンガ同好会の先輩たちが優しくしてくれたから、学校に行ったときはマンガ同好会に入り浸っていた。

「その頃はアニメに出会い、アニメの面白さを知り、アニメにハマっていった時期でした。マンガ同好会はみんな同じ趣味があったから、話も盛り上がりましたよ」

マンガ同好会の先輩たちには、自分の性のことを明かせた。

「先輩たちは BLとか百合とかに免疫があったんだと思います。だから、『実際、そういう人もいるんだねー』って、自然に接してくれました」

高校は転校することを決意

中高一貫校だったが、そのままエスカレーターで同じ高校に行くのは嫌だった。

そうなると、別の高校に転校するか、高校に行かないか、選択肢は2つだった。

「自分のなかで、高校には行かなきゃダメだっていう考えがあったから、進学しないっていう選択はなしでした。そうなると選択肢は転校しかありませんでした」

担任に伝えて、高校を探すことになったのは中2の冬。

いくつかの学校をピックアップした。

「スカートが嫌だったから、本当はズボンがある学校が良かったんですけど、そこは遠かったんですよね。片道2時間半とか」

いじめの影響なのか、いつからか満員電車が苦手になっていた。

「満員電車に乗ると過呼吸になっちゃうんです」

「マスクをして音楽を聴いてないと、まともに乗っていられない状態で。だから、通学時間は1時間が限界かなと思って、結局、ズボンはあきらめて近い高校を選びました」

入学が決まった後、中3の終わりに入学予定の高校のバスケ部からスカウトされた。

「バスケ部の顧問から『ようこそ、バスケ部へ!』って言われて。まだ入学前ですよ(笑)」

「中3なのに高校生の試合に出たり、まだ入学してないのにバスケ部の合宿に行ったりして(笑)」

バスケ部に誘われ、先輩たちからも歓迎された。

少しフライング気味にはじまった高校生活は、楽しくなりそうな予感がしていた。


<<<後編 2018/04/10/Tue>>>
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06 もう、死んでしまいたい
07 高3で出会った「新宿二丁目」
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09 FTMらしさって何?
10 将来の夢

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