INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
サイト登場者(エルジービーター)募集

セクシュアリティと同じく、バリエーションのひとつとして人生を語りたい。【後編】

セクシュアリティと同じく、バリエーションのひとつとして人生を語りたい。【前編】はこちら

2019/06/22/Sat
Photo : Taku Katayama Text : Kei Yoshida
井餘田 みのり / Minori Iyota

1968年、兵庫県生まれ。幼い頃から「スカートをはきたい」と思う自分に気づきつつも、周りの男の子に順応するように生活する。大学時代には女性との恋愛も経験。就職後に結婚し、子ども2人に恵まれるが、夫婦関係がうまくいかず離婚。その後、ホルモン治療を本格的に進め、精巣摘出術を終え、2018年12月に改名。

USERS LOVED LOVE IT! 35
INDEX
01 女の子はズボンをはいてもいいのに
02 特別仲良しの女友だちがほしくて
03 自分にフタをし始めた男子高時代
04 「そういうもんなのかな」で結婚
05 ストレスが重なり、ビルの8階から
==================(後編)========================
06 閉じていたフタを少しずつ開いて
07 オフィシャルのカミングアウトは
08 埋没しようとしていたけれど
09 パンセクシュアルという概念
10 女性として生きて “地ならし” する

06閉じていたフタを少しずつ開いて

女性用の下着や脱毛器を

「本来の自分を出していこう」

子どもの成長を待ちながら、離婚までを過ごす1年半の間、家族には内緒で脱毛器を買って、その準備を進めていた。

自分を閉じ込めていたフタを少しずつ開いていったのだ。

「男子高の頃から、自分にフタをして、本来の自分を見ないようにしてたけど、ずっと自分が求めているものには気づいてたんです」

「妻に内緒で女性用の下着を買ってみたりとか、そんなささやかなことで満足してました」

「そんな自分を、妻に気づかれてもいいやって気持ちもありました」

「それで嫌になってくれたら、もうそれはそれでいいやって」

もしかしたら妻は気づいていたかもしれない。

「でも、なにも言われなかったですね」

「私に興味がなかっただけかもしれないですけど・・・・・・」

離婚が決まったと両親に報告したとき、父も母も自分を責めるようなことは言わなかった。

息子たちとの関係

両親は、家庭と仕事で自分が辛い想いをしていたことを知っていた。
飛び降りてしまうほど、つらかったのだと理解してくれていた。

だから、そのつらさの原因のひとつである家庭から解放されることを反対しなかったのだ。

「両親にも酷い想いをさせてしまって、申し訳なかったと思ってます」

2人の息子とは、離婚して別れて暮らすことになってからも会っている。

親子関係は良好だと言えるだろう。

「妻から私の悪口を吹き込まれていただろうけど、今も『お父さん』と慕ってくれています」

「子どもたちには、できるだけのことをしてあげたいですね」

息子たちは、自分の “本来の姿” についてなにも言わない。

「この前、下の子が大学に入学するから、パソコンを買ってあげたんですが、そのときにも言わなくて」

「きかれなければ、私からは、いろいろと説明しなくてもいいかなと思っています」

「私がそうだったように、親の気持ちは、大人になったら理解してくれるだろうし」

逆に、こういう気持ちで、こういう風に行動した結果、こういう姿になったと息子たちに説明したところで、彼らがなにか変わるものでもない。

自分が、彼らの “お父さん” であることも変わらない。

「そこは、息子たちの気づきに任せたいと思っています」

07オフィシャルのカミングアウトは

今年のコンサートには女性として

「母にも、ずっと長い間説明していなくて、オフィシャルに言ったのは2018年の元日でした」

所属しているオーケストラの、毎年恒例のコンサートに両親を誘う話の流れだった。

「また今年もあるから来てねって」

「でも、今度は女性として出るからって言ったんです」

すると母は言った。

「そうやんね、あんた小さいときからそういう感じやったもんね」と。

世の中に埋没して、気づかれないよう徐々に、ホルモン治療や手術を経て、“本来の自分” になろうと思っていた。

誰にも言わず、少しずつ変化していたはずだった。

しかし母は、その変化に気づいていただけでなく、幼い頃から “本来の自分” をちゃんと知っていてくれたのだ。

「実は、オフィシャルに言う前から、『あんた、この服着る?』ってレディースの服を持ってきてくれたりしてて・・・・・・」

「母は、本当にすごいです」

「でも私は、自分で抱え込んでしまっていて、長い間言えませんでした」

その後、父にも話した。

しかし、認知症が進んでいる父が、どこまで理解してくれているかわからない。

「そんな父を、母は『私が介護する』って、ずっと言ってたんですが、先日、母を支えてくださっていた一番の仲良しの方が亡くなって」

「そこで、母ひとりで頑張っていたら、絶対しんどいからって、介護施設に入れることを勧めたんです」

すると奇跡的に、早々に父を受け入れてくれそうな介護施設が見つかった。

「それも母が自転車で通える範囲の施設で」

「でも、今まで、父の面倒をみることにパワーを使ってきた母だから、急にやることがなくなって大丈夫かなって心配ですけどね(笑)」

時間をかけて “種まき” を

そして、2018年12月に改名したタイミングで、会社にも届け出た。

「会社の総務部には、結婚に伴う “改姓” の書類はあっても、“改名”の書類はありませんでした」

「改姓の姓を消して名にして、提出しました(笑)」

会社側の反応は、それほど大きくはなかった。

改名する前にも、少しずつ姿を変えていき、スカートとパンツの中間の スカンツをはいたり、パンプスで通勤したりしていた。

「しばらく前から種まきしてたんです」

「職場の女性社員と飲みに行ったりして、じわじわと事情を話したりして。手術のことも、改名のことも、事前に話していました」

男性社員には、特に説明はしていない。

姿が変わっていく様子に「アレ?」と思う人もいただろうが、そこに触れる人は誰もいなかった。

「22歳で入社して、少しずつ変化して、50歳で改名」

「ってことは25年以上かけて、種をまいたってことですね(笑)」

08埋没して生きようとしていたけれど

相手からは触れてこない

家族のなかで弟だけには、自分の変化について、つい最近まで何も話していなかった。

「父の介護のことで、ラインのやりとりはしているんですけどね」

「いい人がいるみたいで、その人と暮らしているらしいけれど、結婚しているかどうかも知らないです(笑)」

「お互い、『自由にしたらええやん』って感じなので、深いことまでは、あんまりきかないんですよ」

そして、話したのは改名したタイミングだった。

「父の介護の関係で、母と弟と、一緒に食事をする機会があって」

「ちょうど改名した住民票を持っていたので、弟に『なあなあ、ホラ、名前変えてん』って、言って見せたんですよ」

「そしたら『ふーん、よかったやん』って。それだけ(笑)」

それまでに女性の格好で弟に会うこともあったが、なにも言われなかった。

こちらから話さなければ、相手からは触れてこない。

そういったケースが多かった。

「私、埋没できればいいって、ずっと思ってきたんです」

「誰にも話さずに、みんなが気づいたら女性として生活していたって感じにしたくて」

「変化していくにも、石橋を叩いて叩いて渡らないって感じで、少しずつ、でしたから」

LGBTQのコミュニティへ

自分の印象は、変化のグラデーションのなかで、出会ったタイミングによって違うことを知った。

「大学時代の友だちには、『私にとって、あなたは男性なんやけど』って言われました」

「変化したあとに出会った人は、当然このイメージしかないですよね」

「なんか、面白いなって(笑)」

そんな “埋没しよう” としていた自分が、LGBTERのインタビューを受けようと思った理由。

それは、LGBTQのコミュニティ「Tsunagary cafe(つながりカフェ)」がきっかけだった。

「そもそも、コミュニティに参加することも、自分としては予定になかったんです」

「でも、会社のメンタルチェックを受けたら、カウンセリングを勧められて・・・・・・」

その頃は、離婚に際して養育費の話などがまとまらず、それに加えて親会社に出向したことにより職場環境も変わり、ストレスが重なっていた。

「臨床心理士さんに、離婚のこと、仕事のこと、両親の介護やLGBTのこと、全部お話ししたんです」

「そしたら、せめてLGBTのことだけでも解決できるなら、コミュニティに参加してみたらって勧められたんです」

埋没するつもりだったのに、コミュニティに参加するのってどうよ?

そんな気持ちもあったが、せっかくアドバイスをもらったから、と重い腰を上げた。

09パンセクシュアルという概念

私だけがひとりで

最初に参加したのは、行政が運営しているLGBTの集まりだった。

しかし、その集まりで参加者のなかから積極的に話しかけてきた人物は、宗教の勧誘が目的だった。

「びっくりしましたね。でも、まぁ、どんな人が来るか、わからないし、仕方ないけど・・・・・・」

せっかく重い腰を上げたからには、たった1回の苦い経験で、コミュニティ参加を断念するわけにはいかなかった。

「今度は、ネットで慎重に検索して、どんなコミュニティなのか、精査に精査を重ねて、やっと見つけたのが、阪部すみとさんが代表を務める『Tsunagary Cafe』だったんです」

「それで、実際に行ってみたら、みなさんすごく優しくしてくださって」

「私としては、前回のことがあるから『絶対だまされへんぞ!』って構えて行ったんですけどね(笑)」

毎回20人ほどで集まって、テーマに合わせて、お互いが考えを話し合う。

「それまでは、当事者に会いたかったけれど、勇気がなかった」

「LGBTは左利きの人と同じくらいの割合いるんだって聞いても、私の周りにはいなかったので、ピンとこなくて」

「私だけが、ここでひとりで悩んでいるみたい・・・・・・て、思ってました」

ずっと、他の当事者の話を聞いてみたかった。

バイセクシュアルというよりパンセクシュアル

「自分の気持ちを話して、周りの人の考えを聞いて、それまで知らなかったことも知ることができました」

「一番よかったのが、セクシュアリティを表す言葉を知れたことです」

大学生のときに女性と付き合ったけれど、どうしても上手くいかなかった。

男性として女性を好きになろうとしているのか、女性として女性が好きなのか。

・・・・・・自分はなんなんだろうか。

自分を表す言葉がない。

「そしたら、『Tsunagary Cafe』で、パンセクシュアルって言葉を知ったんです」

「そこで、あぁ、そうか、自分は相手の性別や外見に関わらず、中身が好きだと思える人を好きなんだ、ってわかったんです」

「男性でも女性でも、というよりも、むしろ私と同じトランスジェンダーのMTFやFTMの方のほうが共感できて、好きだなって感じます」

いろんな人に会って、いろんな考えを聞き、言葉を知ることの大切さを強く感じた。

「自分を表現するツールとして言葉を知ることで、自分が解き放たれるんだなって思いました」

「言葉を知らないからこそ、自分がなんなのかわからないという人って、たくさんいると思う」

「そういう人こそ、コミュニティに参加してほしい」

「人それぞれに、考え方や気持ちの表現方法があるってことを知ってほしいですね」

言葉を知るということは、概念を知ることにつながる。

コミュニティに参加したことで、パンセクシュアルという概念を知った。

そして、ようやく自分を理解することができたのだ。

「ほんと、臨床心理士さんに背中を押してもらえてよかったです(笑)」

「そのおかげでコミュニティに参加しようと行動できたから」

10女性として生きて “地ならし” する

ほかのトランスジェンダーのために

世の中に “埋没しよう” としていたけれど、LGBTのコミュニティに参加したことで自分を理解し、LGBTERのインタビューを受けようと思った。

「いろんなバリエーションがあるのって、いいなあって思ったんです」

「セクシュアリティのバリエーションはもちろん、ここに至るまでの人生のバリエーションも、いろいろあると思う」

「私も、そのバリエーションのひとつとして自分の話ができたらいいなって思って、インタビューに応募したんです」

今後は、性別適合手術を完了させ、戸籍変更もしたいと考えている。

「でも、まだ息子たちが成人していないし、あまり積極的には動いていません」

「知り合いのMTFさんから銭湯で女風呂に入った話を聞くと、現時点ではまだ銭湯や温泉に行けない私は、いいなぁ、いつかは自分も、とは思いますけどね」

女性として働き、生活することも当たり前になってきた。

しかし、会社は戸籍上の性別、つまり男性として、自分を扱うことしかできない。

「トイレは、男女共用トイレを使ってますが、更衣室は、まだ男性用を使ってます」

「私の着替えなんて見せたら、周りにも迷惑やし、誰もいない隅っこでコソコソと着替えています(笑)」

会社は、トランスジェンダーの社員がいることを想定していなかった。

まだまだ不自由な部分も多い。

「でも、私が改名届けを出したことで、ほかにいるかもしれないトランスジェンダーの方が自分に自信がもてるようになるかも」

「私が、こんな格好で社内をウロウロすることで、ほかの人も、本来の自分に合った格好がしやすくなるかもしれないって思うんです」

「あとは、たまに自転車置き場で課長と会うので、しっかりこの姿を見せて、こういう社員もいるってことを知らせています」

「そうすることで、他の人のための “地ならし” になればと」

新しく事業を始める準備

そんな風に、誰かの未来のために動きつつも、自分の新たな未来についても動き始めている。

「背中を押してくれたのは、あの臨床心理士さんです」

「仕事の悩みを話していたら、『井餘田さん、経験も知識もあるんやから、起業したら?』って言われて」

以前、スマートフォンのアプリをつくって収入を得た経験があるので、それを事業として発展させようと考えたのだ。

「どんなアプリにするかはもう決まっていて、仕組みも考えてあって、必要なものは揃えました」

「実は、3日前に試作回路が完成したところなんです」

起業に向けての準備は着々と進んでいる。

それもこれも、“本来の自分” として生きることができたから。

「自分を閉じ込めていたフタを開けたら、すっかり解放されました(笑)」

「もう隠すものはないし、どうなったとしても、自分がやったことだし、自分でなんとかできる」

「それに、なにかあったらさまざまなコミュニティのメンバーがフォローしてくれる・・・・・」

「人生、楽しいです」

あとがき
表情もコトバも弾ませながら、待ち合わせ場所に現れたみのりさん。楽しい取材になると予感させてくれた。いたずらっ子かと思わせるほど、天真爛漫なポージングが続く。「・・・制限されるものがなくなった」というが、それが理由かな? ■石橋を叩いて渡ってきたが、あらたに[思い立ったが吉日]を手に入れたから強い。助けてくれる仲間、今在るみのりさん自身・・・どれも生きていてこそ。出会えて良かったとかみしめた。(編集部)

関連記事

array(2) { [0]=> int(32) [1]=> int(28) }