02 一人称が「僕」だった幼少期
03 周りに合わせる “明るく活発な子”
04 人知れずふくれ上がる恋心
05 恋愛対象は男性かもしれない
==================(後編)========================
06 2つの結婚生活と塞ぎ込む気持ち
07 私を救ってくれた人たちとの出会い
08 解放のキーワードは「FTX」
09 大切な人と生きていくための宣言
10 生きること以外、頑張らなくていい
06 2つの結婚生活と塞ぎ込む気持ち
強かった結婚願望
大学は、3年の終わりで退学してしまう。
「周りからは『3年間がもったいないよ』って言われたんですけど、私は残り1年在籍してる方が、時間がもったいない気がしたんです」
母は怒り狂っていたが、ここでも父が「あんたがそれでいいなら、いいんじゃない」と、後押ししてくれた。
大学をやめてからは、父の設計事務所で働く。
「大学に入ったくらいから、インターネットで知り合った人とのオフ会に参加してたんです」
「働き始めてからも、チャットやオフ会で知り合った人に、会いに行ったりしてました」
秋田の人が会いに来てくれたり、徳島や福岡の人に会いに行ったり、全国に出向いた。
その中で好きになった男性に告白すると、「次につき合う人とは結婚まで考えたいから、待ってほしい」と、言われる。
「この人とつき合ったら結婚できるんだ! って思ったんです」
ふと、小学生6年生の記憶がよみがえる。
鏡を見ながら髪を直していると、男の子から「お前みたいなブス、一生結婚できねぇよ」と、からかわれた。
「その言葉がずっと残っていたせいか、結婚願望がすごく強かったんです」
「だから、結婚って言葉を聞いた瞬間から、猛アピール(笑)」
出会ってから11カ月で結婚。
ただし、結婚生活は1年も続かなかった。
「誰に言われたわけでもないけど、夫を立てなきゃいけないって思い込みがあったんでしょうね」
「そうしなきゃいけない、って考えが自分自身を支配してて、頑張ったけどつらかったのかも」
やさしすぎるウソ
その後、出会った男性と恋に落ち、再び結婚。
男性の故郷・新潟での生活が始まる。
「環境の変化もあってか、その人とつき合う頃にはうつ病を発症していて、どんどん悪化しちゃったんです」
「新潟は、冬場になるとずっと雲がかかってるような状態で、お日様が見えないから、気持ちも落ちちゃって・・・・・・」
入退院を繰り返し、彼の実家で引きこもり状態になってしまう。
「最後の方は1階に降りることもできずに、お義母さんやお義父さんと顔を合わせられなくて」
義母の作ってくれたご飯を食べられず、お風呂も数日に1回しか入れない。
「彼はすごくやさしい人だったから、私がお義母さんたちに怒られないように、小さなウソをつくんですよね」
「『今、遊と帰ってて、もう家に着くよ』って連絡するけど、本当はまだまだ着かないとか」
「そのやさしさが申し訳なくて、『実家に帰ります』って、伝えました」
約3年の結婚生活に、終止符を打った。
07私を救ってくれた人たちとの出会い
うつ病を消してくれた人
自分の実家に戻り、新たに出会った医師が「薬をやめていきましょう」と、提案してくれる。
「薬を減らしていく方向にしたら、ラクになったんです」
「先生は、『実家にいるのがつらかったら入院しなさい』『親と離れてもいいんだよ』って、思いがけない言葉をかけてくれました」
助言を受け、実家を出て、マンスリーマンションで1人暮らしを始める。
「そのくらいの時期に、ごはんを食べに行った先で、妙に明るいおっさんと出会ったんですよ」
「『ガッハッハッ』って笑う人で、『お互いバツ2で、同じだね』って盛り上がったんです」
その男性は22歳上で、当時54歳。
お酒の勢いも手伝って仲良くなり、4日後には彼の家に転がり込んでいた。
「彼は『うつ病なんて信じない』ってタイプだったから、不用意に傷つけられるかな、って思ったんです」
「でも、私の話をすごく聞いてくれて、『俺が治してやる』って、受け止めてくれたんです」
仕事を1日で辞めてしまっても、「また見つければいいんじゃない?」と、言ってくれた。
「彼と出会って、うつ病がケロッと治っちゃったんですよね」
孤独から解放してくれた子
三度目の結婚のきっかけは、妊娠。
「子どもが欲しくて、彼に『子どものいない結婚はもうしたくないので、先に作りましょう』って、言ったんです」
「実際に妊娠した時は、彼に見捨てられるかもしれないと思ったけど、『そうか、わかった』って、結婚してくれました」
自宅で妊娠検査薬の結果を見た時、「1人じゃない!」と、叫んだ。
「自分からその言葉が出てきたことにびっくりしたけど、ずっと1人だ、って思ってたのかな」
「でも、産まれてきてくれるまでは、不安でたまらなかったです。いなくなっちゃうんじゃないかと思って」
無事に長男を出産。
息子が2歳になるまでは、自宅で一緒に過ごした。
生きていける居場所
第2子の出産前に、息子に手が回らなくなることを案じる。
「夫の両親は滋賀県だし、私の母は週3回透析をしてて頼れないから、保育園に預けられないかなって」
保育園を順番に当たっていると、「もう1人取ろうと思ってる」と、応じてくれた園があった。
「『ごたごた荘』っていう保育所で、変な大人ばっかりの場所でした(笑)」
「30年以上続けているベテラン保育士さんがいたり、ピンクの髪色の保育士さんがいたり。親たちも市民活動してる人がいれば、カフェを経営してる人もいるんです」
「保育士さんも親も子どももみんな、名前やニックネームで呼び合ってるんです」
「ここだったら生きていける気がする、って思って、園にハマっちゃいました」
最初は人見知りしていたが、運営委員などに立候補するようになり、保育者や親との話し合いの場に参加するようになる。
「息子と娘を通わせて6年経って、娘があと1年で卒園なんですけど、私が去りたくないんですよ」
「だから、保育士の資格も取ったんです。持っておけば、ここにいられるかな、と思って」
08解放のキーワードは「FTX」
“中性(FTX)” ってありじゃん
「ごたごた荘」で知り合った友だちに、ジェンダー研究をしている人がいる。
「この人ならわかってくれるだろう、と思って、『私、女性も好きなんだ』って、話したんです」
その返答は「ふーん、そうなんだ」。すぐに「それでさ」と、話題を変えられてしまう。
「そのリアクションは、嫌がって拒否したんじゃなくて、なんとも思ってない感じでした」
数日後、その友だちから「遊ちゃんに紹介したい人がいるんだ」と、声をかけられる。
「最初は、わざわざ知らない人と会うのは嫌だな、って思ったんです(苦笑)」
「でも、Facebookで相手の写真を見せてもらって、びっくりしました」
何日か前に、Facebookで見かけて、一目惚れした人だったのだ。
プロフィールを見ると、性別に「中性」と、書かれている。
「その時期、なんとなく中性ってありじゃないか、って思い始めてたんですよ」
それまでは「一応女性」「とりあえず女性」という言葉で、自分を表現していた。
「男性か女性しかないけど、男性って意識はないから、とりあえず女性と思って生きてました」
「でも、中性の方を紹介してもらって、中性もありじゃん、って強く思えたんです」
そのつながりで、東ちづるさんが主宰する「Get in touch」とも出会い、世界が広がっていく。
知らなかった “パンセクシュアル”
高校生の頃は、自分をレズビアンだと思っていた。
しかし、大学で男性に恋をし、バイセクシュアルなのかもしれないと感じる。
「ある時、LGBT用語集を見ていて、パンセクシュアルを知ったんです」
「でも、バイセクシュアルとパンセクシュアルの違いが、わからなかったんですよね」
LGBT関連のイベントに参加した時、そこの主宰者に2つの違いを聞いてみる。
「『パンセクシュアルは、男女関係なく好き。男性でも女性でもない人も好きになるよ』って、話をされたんです」
「私は、パンセクシュアルなのかも、って感じました」
それまでずっと、自分が何者なのかがわからなかった。
“中性(FTX)”“パンセクシュアル” という言葉を知り、解放された気がした。
「ずっと、女性らしくしなきゃ、女性ものの服を着なきゃ、って固定観念に縛られてたんです」
「今は、髪を短く切って、男性ものの服を着るようになりました」
「子どもの前では、自分を『ママ』って呼んでたけど、『私』に変えたんです」
娘を病院に連れていった時、検査技師に「お父さん」と、間違われたことがある。
「『お母さんでしたね、すみません』って謝られたけど、なんでかうれしかったんです」
「今も男性の意識はなくて、女性が2~3割、残りは女性でも男性でもないって感覚です。しっくり来てますね」
09大切な人と生きていくための宣言
変わらない家族への愛
2019年春、「OUT IN JAPAN」に参加。
「夫には、つき合ってた頃から、女性も好きになることは伝えていたんです」
「でも、『OUT IN JAPAN』の撮影に行くことを話したら、『LGBT限定って書いてあるよ』って、言うんですよ」
「『だから行くんだよ』って返したら、『あぁ』って、諦めたような感じでしたね」
そのタイミングで、FTXでありパンセクシュアルであることも伝えた。
「それから何カ月かして、お酒を飲みながら話している時に、『遊ちゃんはどうしたいの?』って、聞かれたんです」
彼が、「俺は遊ちゃんといて楽しかった・・・・・・」と、言葉を詰まらせる。
その表情を見て、彼は、私が彼から去っていくつもりなんじゃないかと、不安に思っているのだと気づく。
「FTX、パンセクシュアルであるっていう宣言が、『私は新しい恋をします』だと思ったみたいです」
「『そういうことじゃないんだよ』って、ちゃんと話しました」
「娘が産まれた辺りから、夫に対する恋愛感情はなくなったけど(笑)、家族になってると思うんです」
「夫がどう思ってるかわからないけど、私はすごく信頼しているし、家族として愛してる」
「それが伝わってるといいんですけどね」
息子の言葉と娘のキス
子どもたちにも、「OUT IN JAPAN」に出る前に、セクシュアリティについて伝えた。
「私がみんなに打ち明けたら、君たちがいじめられたり、『お前のお母ちゃん男女』とか言われるかもしれないけど、いい?」
そう聞くと、息子は「僕は、そういうの大丈夫。私はワタシでしょ?」と、言ってくれた。
「私は、ドキュメンタリー映画『私はワタシ over the rainbow』にすごく影響を受けたんですね」
「子どもたちにも、いつも『私はワタシだし、あなたはアナタだよ』って、話してたんです」
「だから、息子からその言葉が出てきたことに感動して、涙が出てきちゃって」
その姿を見た娘が駆け寄ってきて、服の袖で涙を拭き、頬にキスをしてくれた。
「たまんないですよね。いい人たちに出会えたな、って本当にうれしかった」
撮影した後、やっぱり公開しない方がいいかな、という思いがよぎる。
「もし、私のカミングアウトのせいで、子どもたちがいじめにあった時に、私は何もしてやれないから」
「でも、変に隠してコソコソして陰口叩かれるより、胸張っていよう、って決意しました」
「『遊さんってああいう活動してるもんね』って、言われる状況まで持っていけば、大丈夫かなって」
苦しませたくない人
実家の家族には、直接は伝えていない。
「Facebookに『OUT IN JAPAN』の記事を載せたので、見てるとは思います。何も言ってこないけど」
「家族だけに打ち明けることもできたけど、秘密を託すようなことはしたくなかったんですよね」
「父や母、きょうだいを、苦しませてしまうと思ったから」
その意味もあって、秘密にすることをやめた。
「私が公的にカミングアウトしたことで、結局苦しませてしまっているかもしれないです」
「でも、もう大人同士だから、あとは家族のリアクションを待つしかないと思ってます」
「いつか、ちゃんと話ができればいいな」
10生きること以外、頑張らなくていい
四十にして惑わず
社会全体にカミングアウトしたことで、心持ちが軽くなってきている。
「周囲に変化はないです。離れていってる人はいるかもしれないけど、その人はその人でいい」
「全員に理解してもらおうとは思ってなくて、とりあえず知ってくれればいいんです」
これまでを振り返ると、自分は母親に対する承認欲求が、強かったのだと思う。
「お母さんに褒めてもらいたかったんですよね」
「Facebookの記事に母からの『いいね!』がつくと、すごくうれしかったんです」
「だけど、最近やっと、お母さんに『いいね!』をもらわなくてもいいや、って思えるようになりました」
「ずっと親の期待に応えたかったんだろうな、って感じますね」
「40歳のことを『不惑』っていうけど、本当に自分に関してブレなくなったというか、芯ができました」
うつ病を発症している時期、何度か死ぬことを考えた。
今は、生きていて良かった、と心から思う。
「つらい時期を乗り越えたから今があるし、全部つながってるんですよね」
ただ生きることの尊さ
「『死にたい』って、『もっとうまく生きたい』の最終形態だと思うんです」
「もしそう思ってる人がいたら、本当に死んでしまわないでほしい」
「死んだら何もかも終わりだから、ただ生きていてほしいな、って思います」
うまく生きられないことがつらいなら、何も頑張らなくていい。
ごはんを食べて、水を飲んで、トイレに行く。それだけでいい。
「みんな頑張りすぎてるから、心の中がぐっちゃぐちゃで、わけわかんなくなっちゃうんです」
「だから、生きること以外は、何もしなくていい。頑張らないでいいんです」
変人だらけの世界
LGBTはラベルであり、誰かが安心感を得るためのもの。
「自分のカテゴリーがどこにあるのか、知るためのもので、誰かが決めつけるものではないと思います」
LGBTに限らず、発達障害やうつ病などに関しても同じ。
「他人が干渉してくることって多いけど、周りがとやかく言うことじゃないでしょ」
「それぞれ違うことを認め合うことが、多様性の尊重。いいじゃん、他人なんだから、って思える方がラクです」
日本は、「右へならえ、前へならえ」の文化が根強いように感じる。
「違うものを認めない雰囲気が、生きづらさの正体だと思います」
「だから、違う意見を言ったら白い目でみられるんじゃないか、って思ってしまうんですよね」
「でも、違う意見がなかったら、おかしいんですよ」
「きっと、世界は変人だらけなんです。だって、自分と人が違うのは、当たり前なんだから」