INTERVIEW
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人はときに誰かを傷つけるけど、癒すこともできるってことだから。【前編】

性自認はMTX、性的指向はパンセクシュアルがしっくりくるが、いまだにフワフワしていると笑う。「セクシュアリティなんて定める必要ない」というのが高橋さんの考えだ。やりたいことだけをしようと決めてから、素敵な友だちが増えて、今すごく幸せだと言う。家族とぶつかって感じたこと、死を突きつけられて気づいたことなど、一人で悩んだ半生を振り返る。

2019/10/30/Wed
Photo : Taku Katayama Text : Shinichi Hoshino
髙橋 真祈 / Masaki Takahashi

1995年、仙台市生まれ。両親はクリスチャン。5人兄弟の3番目で、高校卒業まで岩手県奥州市で過ごす。大学生のときに経験したうつ病は、人生のターニングポイントに。小さな頃から「周囲が望む自分」であるために仮面をつけてきたことに気づき、「自分が望む自分」になることを決める。うつ病や自殺未遂、誤診など、自らの経験を伝えながら「やさしい世界」をつくるのが夢。

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INDEX
01 兄弟は5人、両親はクリスチャン
02 恋も勉強も大人びていた
03 女の子になりたい!?
04 大学3年、突然、うつになる
05 仮面を外して「自分が望む自分」に
==================(後編)========================
06 女性とも男性とも初体験
07 LGBTの区別はいらない
08 「やさしい世界」をつくりたい
09 死生観が変わった「誤診事件」
10 いつかまた家族に戻れる日がくれば

01兄弟は5人、両親はクリスチャン

兄弟のなかでは「中間管理職」

男、女、男、女、男の5人兄弟の「ど真ん中」に生まれた。

このポジションは、性格に影響を与えたかもしれない。

兄や姉に何か言われたら、「上の言うことは聞きなさい」と叱られる。
妹や弟が何かしたら、「お兄ちゃんでしょ」と諭される。

「ずっと、中間管理職みたいなポジションでした(笑)」

「泣きつく場所がなかったから、忍耐力だけはついたかなと思います」

幼少期は、兄弟みんなでバラエティに富んだ遊びをした。

「外で走り回ったり、家の中でふとんを敷き詰めてマット運動みたいなことをしたり」

「スポーツもテレビゲームもしましたし、おままごとや着せかえ人形で遊んだりもしました」

男の子の遊びも女の子の遊びも、ひととおり経験した。

ただ、どちらかと言えば、女兄弟と過ごすことのほうが多かった。

「お姉ちゃんや妹といたほうが落ち着くというか、馴染んでいたような気がします」

他の家とは違ったルール

「母はとにかく明るく、よく笑う人。感情豊かで、子どもっぽい性格だと思います」

一方で、父は厳格で世間体を気にするタイプ。

「子どもの頃は、父は怖い存在でした」

そんな両親はクリスチャン。

小さい頃から、他の家とは少し違ったルールがあった。

朝は家族みんなでお祈りをして、夜は寝る前に聖典を読む。
家族全員で食卓を囲み、「いただきます」「ごちそうさま」をする。
日曜日は教会に行って賛美歌を歌う。

「お茶が飲めませんでしたし、コーラとかコーヒーもダメでしたね」

「友だちに『なんで?』って聞かれることはありましたよ。でも、『そういう家なんだ』って言えば、『へー、そうなんだ』って」

宗教上の決まりが、友人関係に影響するようなことはなかった。

0と0.1の違い

中学2年のとき、夏休み明けに不登校になった。

理由は、夏休みの宿題だった。

「宿題に意味を見いだせなかったんです」

「学校で授業を受けていれば大体の内容は頭に入って、いい成績が取れたんです。だから、宿題なんかしなくていいじゃん、って思ってました」

だが、学校では、夏休みの宿題を提出しない生徒は名前が張り出される。

「ちゃんと勉強してるのに、宿題を出さないだけで晒されるんです」

納得できなくて、学校に行くのが嫌になった。

「みんな同じ宿題じゃなくて、一人ひとりに合った指導があるんじゃないか、って考えるような子でした」

「今思えば、調子に乗っていたんですけどね(笑)」

1週間ほどで不登校をやめた。きっかけは、母に言われた「0と0.1の違い」だった。

「0で終わる1日はだめ。0.1でもいいから積みなさい」

「0はどれだけ積んでも0のままだけど、0.1は少しずつ積み上がっていくから」

母の言葉にハッとして、次の日からまた学校に行った。

「今でも、支えになっている言葉ですね」

02恋も勉強も大人びていた

「愛してる」の意味を知る

幼稚園の年長から高校卒業まで、岩手県奥州市で過ごす。

小学校5年のとき、同級生の女の子を好きになった。
幼稚園の先生に淡い恋心を抱いた経験を除けば、この子が初恋だった。

「お母さん的な包容力があって、学年に一人はいるような安定した人気のある子でした」

「バレンタインにはみんなにチョコを配るようなタイプです(笑)。一緒にいると落ち着くというか、癒やし系の空気を出す女の子でしたね」

その子とは同じ中学校に進む。

ある年のバレンタインデー、「実は一人だけ本命がいる」と話しているのを聞いた。

みんなと同じようにもらったチョコを開けると、「愛してる」と書いた手紙が入っていた。

だが、自分とその子の「愛してる」は、ニュアンスに隔たりがあった。

「家がキリスト教だったから、『愛してる』って通常モードで使う言葉だったんです」

「『愛してる』が日常的すぎて、本当に気づかなかったんです(笑)。みんなのチョコに同じ手紙入れてるんだろうな~、くらいにしか思わなくて」

そのことを友だちに話したら、「バカじゃねーの」と笑われた。

「そのとき、普通の人は『愛してる』ってそうそう簡単に使う言葉じゃないんだ、って知りました(苦笑)」

その子とは付き合うわけではなかったが、ナチュラルに仲の良い関係が続く。

「一緒にいたかったから、一緒に帰ったり、家まで送ったりしてましたね」

勉強が得意な大人びた子

小中学校時代、勉強は得意なほうだった。

「勉強を苦だと感じたことはありませんでしたね」

「小さい頃から教会で宗教的な勉強とかをしていたので、学ぶクセがついてたんだと思います」

学校の授業でも、他の生徒と違って積極的に質問をした。

「授業中だけで全部学びたかったんです」

授業態度も前向きで、成績も良い。

「だから、先生評は高い子だったと思います」

「小学校の頃の夢は政治家でした。小学生なりに、社会に辟易としてたんでしょうね(笑)」

「政治家はバカばっか。自分だったらもっとうまくやるのに、って思ってました(笑)」

卒業アルバムの「良いパパになりそうな人ランキング」では1位を獲得。

「あまりはしゃいだりしなかったし、落ち着いてる感じだったからだと思います」

中学時代は、学校の先生や近所のおじさんなど、大人と話すことのほうが多かった。

「同級生と話していても、正直つまんなかったですね」

昔から、「精神年齢、50歳くらいなんじゃないの?」と言われるくらい大人びていた。

「今も、23歳に見られることはないですね(苦笑)」

03女の子になりたい!?

秘密の共有会でカミングアウト

小さい頃から、女の子のことを「うらやましい」と思うことが多かった。

「女の子のほうが服がいっぱいあって、ずるいなーって思ってました。男の服ってつまんないなって、純粋な疑問はありましたね」

女の子といたほうが話が合ったし、しっくりきた。

「だから、自分はきっと “女脳” なんだろうなって思ってました」

姉の下着や洋服を勝手に着てみたことがある。

「自由に好きな服を着たい、好きなことをしたいっていう気持ちだったんだと思います」

「でも、男のままだとそれができない気がしていて・・・・・・。だから、自由になるには女になったほうがいいんじゃないか、って思ってました」

そんな気持ちを口にしたことがある。

中学3年のとき、放課後に女友だち2人と「秘密の共有会」をした。

「そのときに、『実は女の子になりたいんだ』ってカミングアウトしたんです」

ただ、「男の子が好きなの?」と言われたら、そういうわけではなかった。

「当時は、男子は女の子を好きになるもんだっていう固定概念がありました」

結婚して子どもを設けて家族を持つというのが、宗教の教えの柱だったから。

「小さい頃からそういう教えを受けていたので、女の子以外はあり得ないんだろうなって」

「高校に入ったら、いい人が現れたらいいなーくらいに考えてました」

重量挙げに青春を捧げる

高校は地元の進学校、水沢高校に進む。

「恋がしたいと思ってたので、共学の高校に行くことにしました」

高校では、重量挙げ部に入部。

何部に入ろうかと悩んでいたとき、重量挙げ部の3人組に声をかけられたのがきっかけだ。

「『重量挙げやらない?』って声をかけてくれた子のなかに、可愛い女の子がいたんです(笑)」

「で、重量挙げのシャフトを持ち上げてみたら頭の上まで上がって、『絶対やったほうがいいよ!』っておだてられて(笑)」

「あと、練習場の風景を見たときにデジャブがあったんですよね」

可愛い子に勧誘されて心が高ぶり、おだてられてその気になり、デジャブから不思議な縁を感じた。

すぐに入部することにした。

重量挙げ部には、のちに全国1位になる部員もいて、仲間たちと切磋琢磨する日々が続く。

「個人でも全国大会に行きましたし、団体としても好成績を出していました」

3年のときには、キャプテン兼部長を務めた。

「重量挙げは、練習したぶんだけ結果が出るのが楽しかったですね」

入部する動機の一つになった可愛い子と、恋仲に発展することはなかった。

「結局、その子と他の子の間を取り持つ役回りになりました(苦笑)。うらやましいなーって思ったけど、自分は部活一本でしたね」

「高校時代は、重量挙げに青春を捧げちゃった感じです(笑)」

04大学3年、突然、うつになる

親元を離れて新潟大学へ

高校卒業後は、親元を離れて新潟大学へ進学。

新潟大学を選んだのは、いくつか理由があった。

「一つは、岩手から出たかったから」

「もう一つは、それなりにレベルの高い大学に入りたかったから。あとは、災害救助とかに使えるロボットを作りたかった、っていうのもありました」

これらに当てはまったのが、新潟大学の工学部だった。大学でも運動がしたくて、ボート部への入部を決める。

高校3年間、重量挙げをやっていたこともあり、単純に体を動かしたかったのだ。

「運動しないとムズムズするけど、動いているとスッキリするんです」

初めてやったボートの練習は、重量挙げよりずっときつかった。

「この世のスポーツでいちばんきついんじゃないかってくらい、しんどかったですね(涙)」

練習はハードだったが、アットホームで家族的な部活だった。
寮生活をして、みんなで練習して、みんなでご飯を食べた。

充実した毎日を過ごしていたが、のちにボート部を去ることになる。

「20歳のとき、宣教師になるために伝道に出ようと思ったんです」

ボート部を辞めてからは、部活の友だちとも気まずくなった。

「辞めたのに仲良くするのはちょっとアレかなとか、勝手にいろいろ考えちゃったんですよね・・・・・・」

うつになり、実家に戻る

大学3年のはじめ、突然、うつになった。

大学の授業が難しくなり、バイトも忙しくなり、ボート部を辞めて親密な友人もいない時期だった。

「学費を稼ぐこととか、いろんな不安が重なって、どうしようどうしようって考えてたら、動けなくなっちゃったんです」

考えすぎてパンクした。
気持ちがふさぎ込んだ。

何をしても元気になれない。

当時、付き合っていた彼女からも別れを告げられる。

「私は力になれないからって、フラれちゃったんです」

うつの症状が回復する兆しはなく、大学を休学して岩手に戻った。

実家でしばらく、ゾンビのような生活を送ることに。

「1日中ベッドで寝ていて、トイレだけ行くみたいな生活でしたね」

家族は心配していたが、どうしていいのか分からない。

「家族もうつになった子どもの扱い方が分からないから、そっとしておいたんでしょうね」

実家に戻って数ヶ月が経った頃、少し話せるようになってきたので精神科を受診する。

発達障害という診断だった。

「発達障害の二次障害で、うつになったんだろうっていう話でした」

診断を聞いて、愕然とした。

「もうよく分かんなくなっちゃって、これからどうしようって・・・・・・」

休学していた大学は中退した。

05仮面を外して「自分が望む自分」に

うつになって気づいたこと

発達障害も、うつも、簡単には受け入れられない。

だから、自分なりに原因を考えた。

「思えば、昔から都合のいい顔を演じることができました。仮面をたくさん持ってるピエロみたいな」

周囲に求められているものが大体分かった。
求められている仮面をつけて演じてきた。

「別に、いい子ぶってたつもりはありません。でも、求められる存在になろうとするあまり、自分がなくなっちゃってたのかなって」

「だから、崩れちゃったのかなって・・・・・・」

それならもう、仮面なんて全部取っ払ってしまえばいい。

「人にとって都合のいい自分じゃなくて、自分にとって都合のいい自分になろうって思ったんです」

人が望む自分ではなく、自分が望む自分に。

そう決めた日から、見た目が変わり、それを見た家族の反応も変わった。

仮面を外した本当の自分

中3のとき、秘密の共有会で「女の子になりたい」と打ち明けたが、女装やメイクに興味があったわけではない。

ただ、「好きな服を着たい」「きれいな顔になりたい」という気持ちは昔から持っていた。

高校卒業後、OBとして重量挙げ部に顔を出していたとき、お気に入りの可愛い女の子がいた。

その子から、文化祭で「逆装カップル」で歩きましょうと誘われた。

「自分が女装をして、その子が男装をして、文化祭を歩きました」

「100均で買ったウィッグをつけたり、アイプチをしたり。初めての女装体験は、とっても楽しかったです」

仮面を外そうと決めたとき、「自分が望む自分ってどんなだろう?」と考えた。

その答えの一つが、女装であり、メイクだった。

「それからは、化粧品を買いあさって、本格的にメイクをするようになりました」

「ばっちりメイクをして可愛い服を来て、外出するようになったんです」

親との衝突

仮面を外して女装をするようになったら、親の対応はガラリと変わった。

「はじめて、本気で親とぶつかるようになりました」

顔を合わせるたびに、大げんかした。

「隠れてた部分を一気に解放しちゃったから、『誰だお前は?』みたいな状態ですよね」

「『昔の真祈に戻れ!』みたいなこともたくさん言われました。でも、芯の部分は昔から変わってないんです・・・・・・」

「もちろん、親も診断が出てショックだったと思います」

「けど、子どもだったら親に受け止めてもらいたいし、包み込んでもらいたいって思うじゃないですか」

だが、親の反応は違うものだった。

「他の兄弟と違って、なんでお前だけちゃんと育たなかったんだ!」
「どうしてお前はうちに生まれて来たんだ!」

ライフゼロの状態で、言葉のナイフを突き刺された。

自分の存在を否定され、涙が止まらなかった。

 

<<<後編 2019/11/02/Sat>>>
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06 女性とも男性とも初体験
07 LGBTの区別はいらない
08 「やさしい世界」をつくりたい
09 死生観が変わった「誤診事件」
10 いつかまた家族に戻れる日がくれば

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