02 両親の離婚
03 つらかった小学生時代
04 二度といじめられたくない
05 「どうにでもなれ」
==================(後編)========================
06 閉ざされた世界
07 東京で訪れた転機
08 自分を成長させてくれた恋愛
09 プロジェクト始動!
10 「LGBTなんて普通」な社会に
01若き起業家
独力で会社を運営
「今は求人広告の会社で内勤営業をしながら、自分の会社を運営してます」
事業内容は、女性の体に合うメンズライクなスーツの開発・販売。プロジェクトはすでに進行中で、これから商品を販売する予定だ。
「女性の体に生まれても、メンズライクなスーツを着たいという人はたくさんいるはず。そんな人が気軽に手に取れるようなスーツを届けたいな、って考えてます」
弱冠25歳にして起業し、将来のビジョンを描いてビジネスを取りしきる。
だが、初めからこうだったわけではない。
現在の姿に至るまでには、さまざまな葛藤があった。
七五三で号泣した幼少期
2人姉妹の次女として、北九州市小倉に生まれる。父と母、2歳上の姉の4人家族。
父の仕事の都合で、幼少期は転勤ばかりだった。
幼少期について、親から聞かされたエピソードがある。
「七五三のときに女の子っぽい衣裳を着せられるじゃないですか、あれがめっちゃ嫌だったみたいで」
「着せたら固まっちゃって、写真を撮ろうとしたら大泣きしてたらしいです(笑)」
物心ついたときから、女の子っぽいものよりもかっこいいものを好む子どもだった。
幼稚園の年中のとき、北九州から横浜に引っ越した。
「年長から小学校まで、仲のよかった女の子のことを好きだったんです。当時はその感情がなんなのか、自分でもよくわかってなかったけど」
ドラゴン大好き!
小学生になっても、相変わらずボーイッシュな子どもだった。
「3、4年生くらいからドラゴンがめっちゃ好きになって。服もドラゴン、家庭科の裁縫箱とか学校で作るナップサックとかもいつもドラゴン、なんでもドラゴン」
周りの子はみんなお花やクローバーの絵柄を選んだが、自分は男の子っぽいものを好んで身に着けた。
「『いいじゃん』って言ってくれるオトンの影響もあったけど、あくまで自分の意志で決めてました」
ベイブレードも好きで、クリスマスプレゼントは必ずラジコン。
ただ、それは「男の子になりたい」という気持ちとは違っていた。
「純粋に、これがかっこいい! と思って選んでただけなんですよね」
家族や周りの人たちも、そんな自分をそのまま受け入れてくれた。
02両親の離婚
暴君だった父
両親は小学生のときに離婚。姉とともに父親に引き取られた。
「家族は仲がいいときもありました。みんなで旅行に行ったり、ディズニー行ったり。けど、オトンとオカンの間でいろいろあって」
父は頭に血がのぼりやすく、気にいらないことがあると母を言葉で責めた。
母は笑顔で「はいはい」と流すような人だったが、だんだんと精神的に追い詰められ、最終的にはパニックを起こして倒れるまでになる。
「子どもの目から見たら、オトンが嫌な奴でしたね。なんでこんなに優しいオカンをいじめるんだって」
小さい頃はそんな父が嫌いだったが、怖くて何も言えなかった。
あるとき、母が限界を迎えて実家のある福岡に逃げた。
「オトンが仕事に行ってる間に家出の準備してて、『私は出るけどあんたたちはどうする?』って聞かれたんです。姉ちゃんと一緒についていきました」
「そしたらオトンがかなりダメージ受けて。一人で福岡来て、みんなの前でオカンに謝って、オカンの親にも謝って」
「きつくあたってても、離婚したいわけではなかったみたいです」
だが、結局、日が経つと父は元通りになってしまう。
「ウチと姉ちゃんは完全にオカン側でした。でも、ダメージ受けて鬱みたいになってたオトンを見ちゃうと、どっちにつくとかも考えられなくなって」
子どもながらに強い葛藤があった。
母の不倫
その後も母は何度か家出をする。
実は、母には不倫相手がいた。
「車のダッシュボードに、不倫相手と撮った写真が入ってるのを見ちゃったんです。詰めが甘いですよね(笑)」
嫌悪感はなかった。むしろ、「オカンもオカンで人生楽しんでたんだ」と安心した。
「オトンに家でバーッと言われて、そりゃ家出もするよって思ってたんで。別に好きな人がいても、それはそれでよかったんです」
「でも、オカンが出ていっちゃうのは嫌だった」
願いはかなわず、両親は離婚。きっかけは、母の不倫相手から父に「付き合っている」と電話があったことだった。
さらに、母は不倫相手と子どもをつくっていた。
「妊娠してたとき、オトンは自分の子だと思ってたみたいで。けど、ウチはその子が違う人の子だって知ってたんです。オカンに聞いてたんで」
子どもは流産してしまったが、母は新しいパートナーのもとへ行ってしまった。
家には自分と姉、父の3人が残された。
03つらかった小学生時代
3人での暮らし
母が出て行ったあとは、姉と分担して家事をこなした。
「寂しいとか悲しいとかオカンのところに行きたいとか、いろいろありました・・・・・・」
「ひとりっ子だったらきっと耐えられなかったけど、姉ちゃんと2人で気持ちを共有してきたから、なんとかやれてましたね」
姉妹を超越した絆が生まれた。
つらいことも笑いに変えることで乗り越えてきた。
「だんだん、大人たちの行動が面白く感じられるようになってきて」
「こんなすごいこと人に言わなくていいのかってすら思って、面白おかしく友だちに話したり(笑)」
ネタにすることで消化していた。
それでも耐えられないときは、母に電話をかける。
「オカンの不倫のことは、子どもからすればどうでもいい。オカンは単純に優しいし面白いし、好きでした」
家族であっても、父に対しては「怒らせないように」といつも気を遣っていた。
本音では、母と一緒に暮らしたかった。
「でも、オカンには『私も一緒に住みたいけど、現実的に考えてお金ないじゃん。オトンといた方が金銭的には幸せに暮らせるよ』って言われてて」
我慢するしかなかった。
転校先で遭ったいじめ
小学校5年生のとき、横浜の別の小学校へ転校。
いじめに遭う。
「クールぶった対応しちゃったんです(笑)」」
「当時は人と群れるのが好きじゃなくて、人見知りで。転校生だから最初はいろんな子が話しかけに来るんですけど、どうしていいのかわからなくて」
その態度が同級生たちの反感を買い、いじめの標的にされる。
近くの小学校にまで自分の名前が広まった。
「学校同士の合同イベントのときとか、近所の公園に遊びに行ったときとかも、知らない子に『あれが田中史緒里じゃない? うわー』って言われて」
みんなから至るところで悪口を言われる。精神的に追い詰められた。
「知らない人が自分のことを一方的に知ってる状況がしんどくて」
「だんだん被害妄想に陥って、されてないこともされたと思うようになりました」
そんな中、父の転勤で茨城に行くことになった。
「その小学校には7か月しかいなかったんですけど。転校することになったときは死ぬほど嬉しかったですね」
04 二度といじめられたくない
浅く広い人間関係
つらいいじめの経験を経て、人にどう思われるのかを過度に気にするようになった。
「茨城に引っ越すときは、とにかくもういじめられたくないって思いが強かったです。新しい出会いにかけてました」
「明るくしないといけないんだ」と思い、自分から積極的に話しかけにいくようになった。
「キャラ変ですね(笑)。根は変えられないんで、性格がすごく明るくなったってわけでもないんですけど」
そのまま茨城の中学校に進学。小さな村のような場所で、コミュニティは狭かった。
「中学校でも、絶対にいじめられないようにって。場の空気に合わせなきゃ、人とのつながりを壊さないようにしなきゃ、って必死でした」
中学校では、広く浅い人脈を築いていろんな人の秘密を握りまくる『情報通ポジション』。
「周りの子も『あいつに聞けばなんでも知ってるだろう』って思って、仲良くしてくれてたのかも(笑)。それでどうにかつながってたような」
できるだけいろんな人の情報を握っていたかった。
誰が何を思っているのか、どんな行動をしているのか把握できた方が安心だったのかもしれない。
周りに同調してやり過ごす日々
努力の甲斐もあり、中学校ではいじめられることはなかった。ただ、親友はできなかった。
「クラスの中では目立つグループにいたけど、その中でも特定の子と仲がいいってことはなかったですね」
「周りに合わせて集団シカトに加担したりもしてたから、あんまり信用はされてなくて(苦笑)。『敵に回すのは怖いから友だちでいよう』って感じだったのかな」
当時は、自分がLGBTだ、Xジェンダーだというはっきりとした自覚はなかった。
「中学校でも相変わらず男っぽいキャラでした。制服のスカートが嫌でわざと制服を汚して、ジャージで過ごしたりして」
「実は、中学時代にも女の子が気になることはありました」
「でも、そんなの周りに受け入れられるはずがないから、恋愛感情の好きとは違うって、自分に言い聞かせてて。特に行動には移さなかったですね」
とにかく周囲から浮かないこと、いじめられないことが第一だった。
05「どうにでもなれ」
中3で迎えた反抗期
そつなくみんなとうまくやって、嫌われず居場所をつくることが最優先だった中学時代。
3年生になり、同級生の中でそれなりのポジションを築いて「もう大丈夫だ」と思えるようになってからは、荒れに荒れる。
「どうにでもなれって思って、好き放題やってました」
「家ではオトンに怒られたくなくて気を遣ってたから、そのストレスもあったのかも」
遅刻して授業の途中で教室に入ったり、急に抜け出したり。
親に知られるのは嫌だったが、先生や警察など、その他の大人に怒られても気に留めなかった。
「エネルギーだけはあり余ってて、大人うっせーなって感じで反抗してました」
「私は何も考えずに自由に生きてます、っていうのがかっこいいと思ってて(笑)。やれるギリギリのところまでやったろ、って」
2年生までは人並みにしていた勉強も、3年生になってからは放棄した。
「当時は『どうにでもなれ』がマックスになってたんで、テストも名前書いて終わり。受験なんてどうでもよかった」
父も通信制高校を卒業していたため、高校進学に関してうるさく言われることはなかった。
「けど、暇だったんで一応高校は行こうかなって。勉強しなくても入れるところなら入ってやらなくはない、みたいな」
中学卒業後は、定時制高校に進学。
「将来のことは何も考えてなかったですね。考えたくもなくて、なんとかなるだろって思ってました」
家で溜まったストレスをぶちまけるように荒れる日々。
好き放題に振る舞う楽しさはあったが、何もかもがどうでもよく、明るい未来を想像することはできなかった。
感情にかぶせた「蓋」
高校では、初めてトランスジェンダーの人に出会う。
カミングアウトはしていなかったが、その女性は自分のことを「俺」と言っていた。
「田舎の小さな村なんで、一人称が『俺』なだけで『あいつって変だよね』って言われてました」
「その様子を見てなおさら、やっぱりそういうことはだめなんだなと思いましたね」
女の子が気になったり、ボーイッシュだったり。自分のセクシュアリティについて思うところはあった。
でも、変わり者扱いされている友人を見ると、怖くて認めることはできなかった。
「女の子が気になってたときも、『好きなのか? いや好きじゃないぞ!』みたいに自分の中で無理やり処理してました」
「周りと違うとは思いたくなくて、何も受け入れてなかったんです」
「同性が好きなんて感情を持っちゃいけないと信じてたし、自分は普通なんだって、思い込みたかった」
そんなとき、中学時代の友人から冗談半分に「うちの高校で見た目が田中っぽいやつがいるんだけど、女の子が好きなんだって。田中もそうじゃないよね?」と聞かれる。
とっさに「違うよ」と答えた。
「『そうなの?』って聞き方だったら違う答えを返したかもしれないけど、『そうじゃないよね?』って言われたんです」
「だから『あ、言ったらダメなんだな。もしそうだったらまずいんだな』と察しました」
「やっぱり『普通に女の子で、男の人と付き合う』っていう理想像以外は認められないんだな、言えないんだ、言っちゃいけないんだなって」
自分の中に芽生えていた感情に、そっと蓋をした。
<<<後編 2020/02/29/Sat>>>
INDEX
06 閉ざされた世界
07 東京で訪れた転機
08 自分を成長させてくれた恋愛
09 プロジェクト始動!
10 「LGBTなんて普通」な社会に