02 共学だけど女子生徒しかいない
03 訪れた第一のモテキ
04 かけがえのない男性との出会い
05 大人になんかなりたくない
==================(後編)========================
06 学び舎を出て、新たな世界に
07 自分らしく、社会人としての第一歩
08 疑心暗鬼の日々のなかで
09 母へのカミングアウト
10 曖昧な自分も受け入れていこう
06学び舎を出て、新たな世界に
高校とは違う
美術大学の短期大学部へ進学を決めたのは、足し算と引き算を繰り返した結果だった。
「学校の成績は体育と美術以外、からきし駄目。小学校はサッカー、中学からはバスケに熱中。でも体育大学で競えるほど、秀でてはいない」
「地元に友達がいなくて、学校から帰ったら一人で身体を動かすか、自宅で工作するかだったので、ならば最終的に残った、美術系の道に進もうと思いました」
美大受験専門の予備校に通ったが、講師にデッサンをダメ出しされた。
デザインがやりたかったけど「ああ、自分には才能ないのか」と講師の言葉に従い、彫刻を選んだ。
自分は意外と人の意見に左右されながら生きていることを、こういう瞬間にも痛感する。
「進学で知っている人が全くいない環境に飛び込むのは初めてでした」
「キャンパスライフは、集団ではなく、個々人が自分の創作に打ち込んでいる感じだったので、高校までとはまるで違いましたね」
「けれど、みんな『いいものを造りたい』という共通の思いがあったので、制作は個々でも、仲はとても良かった」
「本当に楽しいキャンパスライフだったし、いろいろな話題や悩みを共有できたけど、自分が性同一性障害かもしれないということだけは、告白できなかったです」
引き続き、高校時代の彼氏と付き合っていた。
学校に来て、制作物の移動などを手伝ってくれることもあり、同級生の友人は「いい彼氏だよね」と褒め称えてくれた。
「かなりボーイッシュな格好で通学していました」
「美学だから、服装はみんなさまざまだったし、制作のとき動きやすいので、自分と同じようにボーイッシュな格好をしている人達もたくさんいたから、目立たなかったんです」
「それに彼氏もいたら『あの子GIDかも?』と、勘ぐられることはなかった」
「でも、そうやってカモフラージュしている自分は、嘘つきだとも感じていたんです。演じ続ければ続けるほど、罪悪感は増していきました」
「彼氏のことは本当に嫌いではなかったから、こんな嘘をついている自分といてくれてありがとうと思う反面、申し訳なさでいっぱいでした」
思いを止める
高校時代と違い、大学生活で女性と交際することはなかった。
「入学してからしばらくは、彼氏とは別に高校時代からの彼女と付き合っていました。でも両方と別れてから、在学中は常に片思いでした」
「ボーイッシュな格好の同級生に興味を持つことが多かったんですが、でも化粧はしている人も多かったから。自分とは違うセクシュアリティなのかな、と思い、告白しようとまでは思わなかったんです」
とはいえ、大学は楽しかった。
短期大学部だけにとどまらず、大学院にも2年通う。
「朝から晩まで、自分の好きなことに熱中できたのが良かったです。バスケ部も立ち上げたり、勉強以外も充実していましたし」
彼女はできなかったが、友達はたくさんできた。
楽しい4年間だった。
07自分らしく、社会人としての第一歩
照明の道へ
卒業後は、イベントや舞台の照明の仕事に携わった。
「実はドリフの『8時だよ、全員集合!』が大好きだったんで、テレビ番組や舞台の大道具の仕事をやってみたかったんです」
「美大での彫刻の経験も生きると思って。でも就職試験で落ちてしまったんです」
コンサート、テレビ番組、お芝居、そしてお葬式。照明が必要な現場なら、どこにでも赴く仕事だった。
「たとえばコンサートの場合、通常、スタッフで一番初めに動き出さないといけないのが、照明なんです。夜の公演なら朝6時くらいから始業です」
「照明を組んだあと、舞台芸術さんが入って、出演者が到着してリハーサルが始まります。そして夜の本公演。そのあとも舞台をバラすのが先で、照明の撤去は最後。気づいたら夜が明けていた、なんてことはザラでした」
「女はこんな仕事してないで、結婚してやめろ!」なんて言う先輩もいた。逆に、頑張っている自分に「お前が男だったらな〜」と声をかけてくる人も。
「高校生の頃は、GIDならトラック運転手か、オナベになるしかないと思っていた自分ですから。まさか照明技師になるとは、夢にも思いませんでした」
「あとどちらかというと男社会で、女性らしく振舞わなくてもいい職場なのも良かったです。ホテルの宴会の照明を担当するときも、パンツスーツで良かったですし」
拘束時間が長く、きつい仕事ではあったが、やりがいはあった。
同志とつるんでも
しかし、さすがに心身ともに疲れ果て、2年で退職する。
「先輩に『体調不良だって言われても、休ませてやれない現場だからな』と言われていました。逆に、倒れたら休ませてやるよ、とも」
「さすがに長続きはしませんでした」
やめてから1年は何もしなかった。
長い夏休みだ、と自分に言い聞かせた。
ただ時間的な余裕ができたからか、セクシュアリティの可能性を探求し始める。
「社会人になる少し前くらいから、古本屋に行ってレズビアン雑誌を買い集めるようになりました」
「今みたいにインターネットがなかったから、GIDの溜まり場を容易に探すことなんてできない。ならばレズビアンの集まる場所に出かけてみようと思ったんです」
ある雑誌の特集にも目を爛々とさせた。
「男性週刊誌が、なぜかオナベの特集をしていて。かっこ良すぎて、悶絶しました」
「ああ自分も高校時代は、彼らのように輝いていたなぁ、なんて遠い目をしながら」
しかし実際にセクシュアルマイノリティの溜まり場に行って感じたのは、居心地の悪さだった。
「レズの人たちと話すと『お前は男だろ!』と避けられる。FTMとつるもうとすると『手術もしてないくせに、なんだよ!』と挑発される」
「コニュニティに出向いてみるのは、確かに同じ性指向の人を見つけるにはいいけど、世界が狭くて疲れました」
「性的少数派を理解してほしいと言いながら、相手のセクシュアリティばかり気にしているので」
高校生の頃は自分が女だからと、告白しても嫌われはしなかった。
「よっちゃんのことが好きだからいいよ」と言ってくれた。
「『男らしいよっちゃんが好き』って言ってくれる人と出会いたい、と思いました。セクシュアルマイノリティが集う場で、そういう人を見つけるのは難しい、とも感じたんです」
退職後もたまにレズビアンの集まる場所に顔を出したが、あまり成果はなかった。
08疑心暗鬼の日々のなかで
新たな出会い
1年間の休養の後、大学生のときのアルバイト先、実家近くのコンビニで再び働き始めた。
同時にミニバスケットのコーチにもなる。
「あとはジムで出会った人に誘われて、女子野球チームにも所属しました」
「何回か練習に参加するうちに、自分と同じ性指向の人もいることに気づきました。全国大会に参加するくらい強いチームだったのですが、そこでもセクシュアルマイノリティの人に出会うことが多かったですね」
自分を取り巻く恋愛環境が、高校時代のそれと徐々に似てきた。
そのことで自分がだんだんと自信を取り戻し始めたから、また女性とも付き合えるようになった。
告白されるときに言われる言葉も、「男らしいよっちゃんが好き」だ。
「やっぱり女の子が好きだから、また付き合えるようになって嬉しかったです」
「ただ高校生のときと違って、恋愛の幸せの中でも、深い不安を感じることがあったんですよね」
良佳と悪佳
「高校生のときの、学校という狭い世界での恋愛と違って、大人の恋愛は周囲に晒されます。もともと周りの目が気になる性分だから、どうしてもコソコソと付き合おうしてしまうんです」
「でも彼女の前では男らしくありたい」
「けれど、この恋を知られてはならないと思う、臆病者の自分がいることもまた事実。この相反する気持ちが同居するジレンマから、つい彼女に辛く当たってしまうことが増えたんです」
彼女の嫌がることをあえてすることで、相手の気持ちを確かめることが多くなった。
「彼女と2人でいるときに、何度もなんども『本当に俺のこと好きなのか?』と詰問しました」
「すごく底意地の悪い訊き方をしていたと思います。自分の父親みたいに手が出ることもあった」
「自分の中に『良佳』と『悪佳』がいるみたいでした」
付き合う女性はヘテロセクシュアルばかりだった。
「俺みたいに中途半端な女とコソコソ付き合うより、普通の男と日の当たるところで交際したいんじゃないの?」と詰問して、「そうじゃない!よっちゃんがいい」と言われないと、自分で自分を保てなかったのだ。
「彼女と旅行しても、ずっと帰った後のことを考えちゃう。彼女と付き合っていても、いつも終わりを考えるんです」
「強がっているけど、本当に臆病者なんです」
「あとは自分の優しさを否定したかった。少しでも彼女に優しくして、『よっちゃんは優しいね』って言われたら、それは『あなたはやっぱり女だから優しい』って言われている気がしました」
「『男は強いもの、女は優しいもの』って考えが、自分にはあったので、優しいとは絶対に言われたくなかった」
交際相手を責めてしまう傾向は、今もある。
何を得る、もしくは捨てることができれば、目の前の彼女を全力で愛せるのだろうか。
現在も模索し続けている。
09母へのカミングアウト
この人となら
諸刃の剣のような恋愛を繰り返すなかで、それでもこの人となら将来、結婚してもいいかもしれない。
そう思える人が現れた。27歳のときだ。
「まだ彼女が大学生だったので、今すぐとはいきませんでした。でも結婚をイメージできた、初めての女性でした」
来たるべきときに備え、アルバイト先のコンビニでも正社員になり、マネージャーに昇格した。
あとは両親に彼女を紹介すべきだとも考えた。
「まずは母にカミングアウトしようと思いました。あの怖い父には、まだ言えないとは思って」
大したことじゃない
カミングアウトに際し、まずは母親を家から連れ出そうと思った。
飲みに誘うことにした。
「改まって相談する雰囲気だったからか、何を勘違いしたのか母は、『よっちゃん、赤ちゃん、できちゃった?』って言い始めたんです」
「『もう年齢も年齢だから、大丈夫。いいのよ、わかった、わかったから』と話を進めてしまって」
「そこで初めて『そうはしてあげらないんだよ』って話しました」
それを聞いた母の反応は、冷静だった。
「『よっちゃん、そんなこと大したことじゃないわ』って、淡々と返ってきたんです。『なんとなく分かっていたけれど、怖くて言えなかった』とも。とくに高校生の時にすごく悩んでいたことも覚えていたようでした」
母親にとって、初潮の時の娘の行動も印象的だった。
「ちょうど白地に赤のストライプのパジャマを着ていたんですけど、付いた血を消したくて、なぜが白いクレヨンで赤い血を隠そうとしたんですよね」
「数日後、洗濯の時に母が気づいたらしく『初潮が来たって言ってもらえなくて、悲しかった』とも話していました」
こうして母娘は打ち解けることができた。
が、残念ながらその彼女とは、数ヶ月後に別れてしまった。
10曖昧な自分も受け入れていこう
己を見つめて
不惑を越えた今もなお、自己の模索は続いている。
男らしく強くありたい、でもなれない。
理想の自分に近づくために何が必要なのか、考え続ける日々だ。
「35歳のときから週1回の講座に2年通い、心理カウンセラーの資格を取りました。少しは客観的に自分のことを見つめられるようになりました」
そこで人の輪が広がったのも大きかった。
カウンセラーの友達のイベントに出て、Youtubeで自分の意見を表現する機会に出会うなど、発信者としての経験も積んだ。
また一人でセクシュアリティについて悩んでいたが、友達に相談できるようにもなった。
勤め先でも、上司にはカミングアウト済みだ。
この世を去られる前に言わないと、と理由は少し乱暴かもしれないが、父親にもカミングアウトできた。
「自分の40歳の誕生日に伝えました。父はオネエタレントを気持ち悪いって言うような偏見持ちなので心配だったけど、『何でもっと早く俺に言わなかったんだ』と真剣な表情でした」
「『おまえの人生はお前しか生きられない。だから、かっこ良く生きろよ。かっこ悪かったら、ただじゃおかないぞ!』とも言われました」
ある時、男性用のボクサーパンツを買ってきて、袋をサッと渡してくれた。
父親なりのエールだ。
それまでは父に対する話し方もよそよそしかったが、今ではごくフランクだ。
今の気持ちのままに
自らの悩みの根源が、本来の性を取り戻せていないことにあるとすれば、まずはGIDの診断を受け、ホルモン投与、SRSという道も開かれている。
治療を受けようかどうか、悩むことも。また社会的カミングアウトも、それほど広範囲にはしていない。
「治療のことは、やっぱり怖いんだと思います。母も『身体を変えるのは、ちょっとね。。。』と言い淀んだりするので」
「あと女の体をもって生まれてきて、男の心をもって育ったので、逆にこのまま男らしく、自分らしく生きることも可能なんじゃないか、とも思うんです」
「カミングアウトに関しては、やっぱり人の目が気になるから、全てをオープンに、とはできないでいます」
以前なら、立ち止まったりくよくよしている自分が許せなかった。
しかし、最近、心境の変化があった。
「男なら強くなきゃ、と思ってきたけど、自分の男性のサンプルって父だけなんです。父は頼り甲斐があって強い人だから、とにかく自分も強くなきゃって、自己暗示をかけていたんです」
「でも弱い代わりに、繊細な感性を持った男性もいます。男性像もいろいろってやっと気づけたんです。そうしたら弱い自分もしっかり受け入れていこうと思えた」
「だから、自らのセクシュアリティに戸惑い続けているのも、今の自分の姿。まずは、きちんと向き合うことから始めます」
悩むだけで答えのない日々は辛い。
しかし苦しみながらも歩む価値があるからこそ、人生ではないだろうか。
誰もがおもう通りの身体や性別を取り戻せれば良いが、カミングアウトできずにいる人、しないと決めている人、治療しない選択をしている人、踏み切れない人それぞれだ。
その理由が気持ちの場合もあれば、その他の事情を抱える場合だってある。それでもみんな、自分らしい毎日を生きている。
人間の生き方に中途半端も完成形もない。多様であっていい。白井さんが一生懸命に迷い生きる姿を見て、勇気を与えられる当事者も多いのではないだろうか。