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トランスジェンダーの看護師が目指す、複合マイノリティが生きやすい社会【後編】

トランスジェンダーの看護師が目指す、複合マイノリティが生きやすい社会【前編】はこちら

2018/05/13/Sun
Photo : Rina Kawabata Text : Sui Toya
浅沼 智也 / Tomoya Asanuma

1989年、岡山県生まれ。18歳まで総社市で過ごした後、関西の短大に進学。24歳のときに上京。歌舞伎町のショーパブ、その他の仕事を経験した現在は、都内で看護師として働く傍ら、ゆめのたね放送局ラジオ『虹色ジャ~ニ→』のパーソナリティや、ダブルマイノリティ、トリプルマイノリティである人々のサポートをする自助グループ「カラフル@はーと」を主催している。

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INDEX
01 自由気ままな幼少時代
02 理想の女の子像
03 自分は、女だったんだ
04 どこにでもいる女子高生を演じた
05 限界の訪れとトランスジェンダー
==================(後編)========================
06 母への手紙
07 自暴自棄と借金
08 アウティング、うつ病の発症
09 再び看護師の道へ
10 悩む人にどう接すればいい?

06母への手紙

手紙の返事はこなかった

奈良の女子短大に入ってすぐに、ジェンダークリニックを探した。

18歳で性同一性障害と診断を受けたあと、まずしたことは、母親に手紙を書くことだった。

「自分は昔から体に違和感があって、病院に行ったら性同一性障害だと言われた。そういう内容を綴りました」

「でも、2ヵ月ほど経っても返事はきませんでした」

手紙でカミングアウトしたのは、母親の反応が怖かったからだ。

それに、メールよりは手紙の方が、気持ちが伝わると思った。

「手紙を送ったあと、もう親とは疎遠になるなって、覚悟もありました」

今まで女の子として育ててきたのに、急に「男として生きていきます」と言っても、絶対に認めてくれないだろう。

自分の中でも、親に対する裏切り行為という罪悪感があった。

「それってあり得るんですか?」

手紙を送ってから2ヵ月後、勇気を出してメールを送った。

母親から返信がきたが、画面には「ごめん遅くなって」「気付いていました」という短い文章だけが表示されていた。

受け入れないとはっきり言われたわけではなかったが、実家に帰っても誰も性同一性障害の話題には触れず、ピリピリした空気が漂っていた。

「岡山大学病院にお母さんを連れて行って、説明してもらったこともありました。でも、全然受け入れができない状態でしたね」

「女の子に戻るのは難しいんですか?」「それってあり得るんですか?」と医師に質問を重ねる母親。

父親からも「今でも巻き戻せるから、早く女に戻りなさい」と言われた。

今すぐに理解を得るのは難しいと諦めた。

両親の理解を得られないまま、19歳でホルモン投与開始。

20歳のときには胸を切除した。

07自暴自棄と借金

別れのつらさから風俗へ

19歳当時、婚約しようと思っていた相手がいた。高1のときから3年間ずっと好きだった女の子。

高校卒業時に告白をしたところ、「男であろうか女であろうが、あなたが好きだからいい」と受け入れてくれた。

結局、遠距離恋愛になったことや、彼女の親に申し訳ないという気持ちがあり、20歳のときに別れを選ぶことになる。

しかし、別れの衝撃は思っていた以上に重かった。

次第に風俗にのめりこむようになっていった。

「風俗に行こうと思ったのは、もともと興味があったのと、自分を受け入れてくれる場所がほしかったからです」

「その頃は、男だから風俗に行くみたいな、プライドのようなものが自分の中にありました」

「大阪のミナミに通い詰めていたときに、オッパブで働いている子と出会いました。誰かに依存したい気持ちがあって、何百万というお金を奨学金からつぎこんでいました」

仕送りも全部、使いきってしまった。

借金を返すために、ミナミの有名な風俗店で風俗嬢として働き始める。

「すでに胸は切除していましたが、どんな子でもOKの店でした」

「タイプではない男性に触られるのが嫌で、毎日吐いていましたね。でも、お金のために働かなきゃいけないと思って、続けました」

お金をつぎ込んでいたおっパブ嬢とは、ある日急に連絡が途絶え、借金だけが残ってしまった。

自殺未遂

自分が何のために生きているかわからない。

子どももできないし、誰かを幸せにすることもできない。
お金をつぎ込んで底がつき、その先にはどん底しかない。

理解者を得られないつらさと、借金の苦しさに追いつめられ、20歳のときに自殺未遂。

実家に帰省していたときに、自分の部屋で手首を切って、血を流しながら意識を失った。

「でも、死に切れませんでした。もうろうとしたまま、どこかに突っ込んで死のうと思って。車を走らせていたら電話が鳴りました」

血だらけの部屋と包丁を見た母親からの電話だった。

「あなたの人生なんだから、あなたらしく生きたらいいんじゃない?」

母親からの言葉で、死ぬことを思い止まった。

2人目の恩師

看護師になって、ちゃんと胸を張って生きられる人生にしたい。

そんな思いが芽生えたのは、短大の先生との交流がきっかけだった。

「短大を辞めようと思っていたときに、ある先生から『あなたを絶対見捨てない』と言われたんです」

「借金を返そうとバイトに明け暮れていたときも『早く学校に来い』と電話をくれました」

なぜそんなに気にかけてくれたのか、今でも不思議だ。

「それまでロクに学校に行っていなかったので、国家試験にも受からないと思っていたんですよ」

「でも、先生がマンツーマンでついてくれたおかげで、合格することができました。その先生がいなかったらたぶん落ちていましたね」

トランスしていく3年間の間に、学校で親しく接してくれる友だちの顔ぶれは変わっていった。

入学時に仲が良かった友だちの中には、離れていく人もいれば変わらずそばにいてくれる人もいた。

頭では理解しているけど、接し方がわからなかったり、怖くなったりする人もいる。

それは仕方ないと思った。

08アウティング、うつ病の発症

看護師として働き始めたが・・・

国家試験に受かり、戸籍を変えないまま病院の面接を受けた。

しかし「前例がないため、みんなが混乱するから」という理由で落とされてしまった病院もあった。

やっと受かった病院で働き始めたが、そこでアウティングをされてしまう。

「男性のドクターから『下はどうなってるの?』とか『顔は女っぽいと思ってたけどそうだったんだ』とか言われ始めたんです」

「それが自分の中で耐えられなくなってきて、うつ病になっちゃったんですよ」

仕事に行けなくなり休職。

「仕事を続けるか辞めるか迫られた結果、僕はここでは働けないと思って、辞めることを選びました」

看護師になって2年半が経っていた。

婚約破棄、そして上京

当時、婚約を交わしていた女性がいた。

彼女と結婚する予定で、23歳のときに戸籍を変更。

しかし、うつ病になってしまったことや、彼女の両親に会ったときに子どもの話が出るなど、このまま結婚してもいいのだろうかと迷い始める。

「自分の親にも彼女を会わせたんですけど、別れなさいと言われました。向こうの親の気持ちや、将来のことを考えると、彼女の幸せを考えてあげるのが一番だからと言われて・・・・・・」

結婚は自分たちだけの問題ではない。

その重みに耐えかねて、24歳のときに婚約を破棄。

1人で上京することを決めた。

ショーダンサーになりたい!

上京しようと思ったのは、ショーダンサーに憧れていたからだ。

19歳のときに、大阪のミナミにあるショーパブでダンサーをしていたことがあった。

お客様から「男になりたいんだったら根性焼きくらい我慢しろ」と、度胸試しをされることもしょっちゅうだった。

「自分が理想とするショーパブで働きたいと思ったし、それ以外にもその頃東京のショーパブで働きたいと思った理由がありました」

「LGBTの人たちが、メディアなどでもっと前に出るべきだと思っていたんです」

「ちまちま講演をやるよりは、華やかな世界に行って取りあげられた方が、発信力を持てるんじゃないかと思いました」

しかし、憧れていたショーパブはわずか7カ月で退職した。
過酷な勤務に耐えられなかった。

「その後は、今勤めている病院の面接を受けて、看護師の仕事に就くことができたんです」

一度、アウティングに遭って挫折した看護師という道。

何を仕事にしようか考えたときに、やはり誰かの役に立ちたいという思いが大きかった。

09再び看護師の道へ

歌舞伎町にある個人医院

歌舞伎町にある病院では、土地柄、さまざまな患者さんと接する機会がある。

水商売やホームレスの人も多い。

「うちの病院ってちょっと変わっていて、2つだけ男女一緒の病室があるんですよ。そこに、MTFの方が入院されていたこともあります」

「その病室だったら、性別を気にする必要がないし、名札を出さなければわからない。そういう配慮をしている病院なんです」

「うちの病院だけでなく、LGBTという言葉が世間に知られてきたことによって、どんどん社会が変わってきていると感じています」

「2018年4月からは性同一性障害の治療が保険適用になることが決まりましたよね」

「まだ3つの病院でしか実施できないので、アプローチを進めていかなきゃなと思っています」

ダブルマイノリティ、トリプルマイノリティ

病院で看護師として勤めるかたわら、LGBTのメンタルヘルスサポートを行う自助グループの活動も行っている。

『カラフル@はーと』だ。

活動を始めたのは、自分がうつ病とずっと戦っていることが大きい。

「他の団体で出会ったゲイの人や、MTFのレズビアンの人と話していたときに、『ダブルマイノリティの人の居場所がない』という、見解で一致したんです。そこで、団体を立ち上げました」

「自分のセクシュアリティのことは話せても、その他のことが話せない人は多いんです」

「当事者の中にもホモフォビアというのは結構あって、FTMのゲイというだけでも『FTMって女が好きなんじゃないの?』と、違和感を口にする当事者も多いんですよ」

「さらに、精神障害や発達障害を持っていると、扱いにくいから怖いというので、コミュニティからは遠ざけられてしまうんです」

自分も昔、嫌な思いをした経験がある。

仲のいい友だちに「自分は男が好きなんだ」と打ち明けたが、「FTMは女が好きでしょ」「体を変えた意味あるの?」などと言われた。

誰もがマイノリティを抱えている

セクシュアルマイノリティの人たちは、概念にこだわりやすい印象がある。

たとえばFTMの人は、男らしさを求めてしまう場合が多い。

「男女ニ元論にこだわる人が多いんです。例えば、FTMだから筋肉を鍛えなきゃいけない、とか言う人が結構いるんですよね」

「世の中には色んな人がいるんだって、もっと柔軟に考えればいいのにと思います」

ダブルマイノリティやトリプルマイノリティを受け入れてくれる人が、もっと増えたらいい。

そのために、講演会で自分の経験や想いも発信しようとしている。

「学生時代にしんどかったことを講演で話すとき、最初のうちはつらくて泣いてしまっていました」

「でも、最近では自分の経験を自分の中で受け入れられるようになってきたんです」

講演をすることで誰かが喜んでくれたり、誰かにとっての「次」につながる。

それは、自分自身の自信にもなっている。

「僕が講演をすることによって、今まで見なかった方向に目を向ける人たちがいますよね」

悩んでいる人の中には、自己肯定感の低い方が多いなと感じる。

「僕自身も自己肯定感は低い。それでも、新しい方へ向こうとする人たちがいるからこそ、自分も頑張らなきゃと思います」

10悩む人にどう接すればいい?

講演を次のアクションへつなげたい

現在の課題は、講演から次のアクションにつなげることだ。

「講演をしても、僕の話を聞いて終わりになってしまう人が多いんですよ。講演に呼んでもらった時、主催者に『この話を聞いてどういった試みをしていくんですか?』と僕は聞くことがあるんですけど」

講演を聴いて、「そういう人もいるんだね」という感想を持ってもらうだけでは、アクションにつながりにくい。

「だから、もうちょっと皆に考えてほしい。だって、LGBTの当事者がいると知るだけなら、本を買えば済むことですから」

また、手に入る情報の偏りも気になっている。

最近、FTMの知人が亡くなった。ホルモンの打ちすぎで肝機能障害になり、妊娠出産も経験した挙げ句の自殺だった。

「これだけLGBTがメディアで取りあげられているのに、不可視化されている部分も多いんです」

カミングアウトには2つのパターンがある

「僕は、カミングアウトって2通りあると思っているんです。一つはありのままの自分を知ってほしいというパターン」

「もう一つは、何か困っているからカミングアウトせざるを得ないというパターン」

溢れる気持ちを伝えたときに、受け入れてくれるかどうかは重要だ。

そして、次に重要なのは、ありのままを受け入れて接してくれるかどうか。

「僕は、体の違和感について初めて打ち明けた養護教諭の先生を、今でも『恩師』と呼んでいます」

「話せる人が一人いるだけで、目の前の景色はずいぶん変わるんです」

10代の頃、毎日「死にたい」と思いながら、心の底では、自分を理解し支えてくれる大人の存在を切望していた。

「子ども同士なら『わからないね』で終わってしまうことも、大人が手を差し伸べてくれれば、解決につながることがあります」

「LGBTを “興味深い事象” と捉えるのではなく、当事者に寄り添って考えてくれる人が増えてほしい。そのためにも、僕は自助グループの主催や講演、ラジオを通して発信を続けていきます」

あとがき
予定した取材場所がなぜか休業。次のカフェ探しに嫌な顔ひとつ見せず、一緒に歩いてくれた智也さん。色々な予定外を受け入れてきた今までだと感じるインタビューだった■悩みのテーマで頻出する[自己肯定感]。小さな成功体験を重ねよう! でも、成功の文字を見ると腰がひける。成功は[うれしいこと]と緩めるか。「いつもより一本早い電車に乗れた」とか? まずは数。智也さんに習って「・・・何度も語るとホントになるんです」を体感してみたい。(編集部)

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