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“アセクシュアル” も恋をするって、知ってますか?【後編】

“アセクシュアル” も恋をするって、知ってますか?【前編】はこちら

2021/06/02/Wed
Photo : Rina Kawabata Text : Ryosuke Aritake
加藤 智 / Tomo Kato

1991年、愛媛県生まれ。自認しているセクシュアリティはポリロマンティックアセクシュアル。学生の頃、自分は冷めた性格なのだと思っていた。いじめや不登校を経験しながらも、懸命に生き、26歳で上京。女性との恋愛を通して、性行為に嫌悪感を抱くことに気づく。現在はYouTubeでの情報発信、アセクシュアル当事者のオフ会の開催などを行っている。

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INDEX
01 私は “アセクシュアル”
02 外遊びに熱中する活発な子ども時代
03 円満で幸せだったはずの家庭
04 抜け出せなかったいじめの連鎖
05 思い描いた理想、現実の自分
==================(後編)========================
06 大人になって知った “胸の痛み”
07 家族にカミングアウトする意味
08 自分にとっての楽しいこと
09 LGBT当事者をつなぐ輪
10 誰かの救いが “私の救い” になる

06大人になって知った “胸の痛み”

異性愛という刷り込み

話は、幼稚園児の頃にさかのぼる。

3月生まれの自分は、幼稚園のクラスの中では身長が低かった。

「私より背が低い子が2人だけいて、その2人がすごくかわいく感じたんです」

男の子のひろのりくんと、女の子のまこちゃん。

同じくらいの熱量で、2人に興味を抱き、毎日のように追いかけていた。

「母から『ひろのりくんにプレゼントあげなさい』って、言われたんです」

「まこちゃんも同じように好きだけど、ひろのりくんは特別なんだな、って感じましたね」

「この時期に、私は男の子を好きになるものだ、って刷り込まれたんだと思います」

「これが恋なんだ」

20歳で社会復帰してから、いくつものアルバイトを掛け持ちする。
21歳になった頃、職場で1人の女性と知り合い、仲良くなった。

「その人から『仕事を辞める』って言われた時、ものすごく悲しくて、大号泣してしまったんです」

「生まれて初めて胸の痛みを感じて、これが恋なんだ、って自覚しました」

友だちが失恋して泣いている姿を見て、泣くほどのことではない、と感じてきた。

ラブソングを聞いても、「胸が痛む」という表現を理解できなかった。

「友だちが流していた涙がガチだったことを知って、ちゃんと向き合わなかったことへの申し訳なさでいっぱいになりました」

職場を離れる女性のことを思うと寂しさがあふれ、食事ものどを通らなかった。

レズビアンの予兆

「それまで男性に対して、同じような感情を抱くことはなかったんです」

初めて恋愛感情を抱いた相手は女性。その事実は、あまり衝撃的ではなかった。

「緩く自認はしていたんです。好きな芸能人は女性ばかりだったし、女の子への関心も強かったから」

「それに、レズビアンだということよりも、好きな人の退職で胸が痛んだことの衝撃の方が本当に強かったんです(笑)」

「これだけ情熱的になれるなら、男性より女性を選んだ方がいいよな、って感覚でしたね」

その頃は、まだセクシュアリティに関する知識がなかったため、兄の暴力が影響したと考えていた。

「女性を恋愛的、性的に見てしまうのも男の子とばかり遊んできたせいで、男性ホルモンが多いんだろうな、って解釈してました(笑)」

「アセクシュアルであることは自認していなかったので、アセクシュアルとしての将来の生きづらさは、想像してなかったです」

07家族にカミングアウトする意味

必要だと思ったカミングアウト

恋愛感情に気づいてから、数人の女性に恋をした。

ある失恋がきっかけで、自傷行為に走るようになってしまう。

「セクシュアリティを隠していたフラストレーションもあって、このままだと自分を殺してしまう、って思ったんです」

「きちんと恋愛経験を積みたい、って気持ちもあって、26歳で上京を決意しました」

東京に行けば、レズビアンということを明かして、女性とつき合えると思った。

その前に、家族にはカミングアウトしておこう、という考えがよぎる。

「田舎者の思い込みで、東京ではいつどんな事件に巻き込まれても文句言えない、みたいに考えてたんです」

「もし新宿二丁目で殺されるようなことがあったら、家族が混乱するだろうから、と思ってカミングアウトしたんです(苦笑)」

きょうだいの和解

カミングアウトした相手は、兄。

その頃には落ち着きを取り戻していた兄とドライブに出かけ、車内で女性に失恋したことを話した。

「お兄ちゃんは私の話を親身に聞いて、恋愛のアドバイスもしてくれたんです」

「成熟した大人同士として話せて、久々にお兄ちゃんを尊敬できて、和解につながった瞬間でした」

そのカミングアウト以来、純粋にきょうだいとして愛することができ、もう恨みは抱いていない。

「上京する時も、やさしく『お前のしたいようにせい』って言葉をかけて、見送ってくれました」

母との長いやり取り

母へのカミングアウトは、上京してから。

ある日、母から「愛媛に帰ってきてほしい」といった内容の連絡がくる。

「その頃は仕事で毎日怒られて、イライラしていて、ついひどいメールを返してしまったんです」

「『私は女の子が好きで、出会いが欲しくて上京したし、将来の彼女を支えなきゃいけないから、働かないといけない。心を乱さないで』って」

母から、「わかった。ごめんね」という返事が届いた。

勢いでカミングアウトし、ひどい言葉で母を傷つけてしまったと感じた。

「1年後くらいに母が東京に来て、私が働く店に顔を出してくれたんです」

「その店のオーナーが『智ちゃん、全然彼氏ができないんですよ』って、何気なく言ったんですよね」

その話を聞いた母は、「娘が幸せになってくれればなんでもいいので、結婚も孫も期待していません」と答えた。

「母はすごく無理しているように見えて、まだ受け止めきれてないんだろうな、って思いました」

それからさらに時間を置き、改めて自分のセクシュアリティに関して手紙を書き、母に送る。

「13枚くらいの長い手紙に、『受け入れるのは苦しいかもしれない』『今すぐ受け入れてほしいとは思ってないよ』って、書きました」

その手紙を送ってからは、母に恋愛のことや現在の活動のことを話せるようになった。

「今はLINEで『最近フラれた』とか『今度オフ会やるんだ』とか、母に報告してます」

08自分にとっての楽しいこと

面白くない初体験

上京する直前、レズビアンのマッチングアプリで1人の女の子と出会う。

「東京に住んでる子で、『上京したら会おうね』って、約束しました」

「その頃、ナポリピッツァのお店で働いてたので、『愛媛で食べられないようなピザを食べたい』って、話したんです」

「そしたら、その子から『ホテルで食べよう』って、言われたんですよ」

「ホテルはお金がかかるよ」と代替案を考えるように促したが、その子は譲らない。

「『せっかくならかわいい部屋がいいよね』って話になって、向かったのはラブホテルでした」

「実は、この時点でも、私は誘われてることに気づいてなかったんです(苦笑)」

部屋に着くなり、その子はベッドに寝そべり、「寝ながら食べよう」と言う。

「私はテーブルで食べてたんですけど、その子がベッドから下りないから、根負けして、私もベッドに寝そべりました」

2人でテレビを見ていると、いつしか性行為へと発展していく。

「初めての体験で、その行為が正しいものだったかわかんないんですけど、面白くなかったんです」

「かつてネットで見かけた体験談では、至極の体験みたいに書かれてたけど、そんなことなかった・・・・・・」

強かったはずの性欲

学生時代、女の子たちは恋愛の話はしても、性行為の話はしていなかった。

「だから、女の子=性欲がない、って思ってたんです」

「私は興味があったから、自分だけ性欲強めなんだ、って感じてました」

同世代の男の子たちは、下ネタで盛り上がっていた。

男の子とばかり遊んできた自分は、男の子と同じ感覚で、性に積極的なのだと感じた。

「でも、たった1回の経験で、自分の中の性欲が消えちゃったんです」

「精液は絶対に口にするものじゃない、って思ってからは、キスもあんまり・・・・・・」

少しずつ性嫌悪の感情が芽生え、 “アセクシュアル” を自覚し始める。

ファッションという楽しみ

上京してから時間が経った頃、マッチングアプリで出会ったレズビアンの女性に恋をする。

「その女性から、『メンズの服の方が似合うよ』って、言われたんです」

それまでは女性ものの服を着ていたが、そのひと言で服装を変えてみよう、と思い立つ。

「毎日、仕事が終わって夜中の12時くらいに帰ってから、2時間くらいファッションの勉強をしました」

「メンズファッションの雑誌を読んだり、メンズのブランドを調べたり、1年間くらいずっと」

「その経験があって、ファッションが大好きになったんです」

その女性にはフラれてしまったが、久々に再会した時に「イメチェンして良かったね」と、言ってもらえた。

「その女性のおかげで、ファッションという楽しみが、私の人生に加わりました」

09 LGBT当事者をつなぐ輪

アセクシュアルの恋

ファッション脳が活性化した自分は、ファッション好きな人を求めた。

「LGBT当事者が集まるコミュニティアプリで知り合ったのが、Xジェンダーの子でした」

「メンズライクなファッションがすごくオシャレな子で、会うのがいつも楽しみだったんです」

ただ、その子は “アロマンティックアセクシュアル” 。他者に恋愛指向も性的指向も抱かない子だった。

「私はその子のことが恋愛として好きだったけど、恋した瞬間に失恋してるも同然なんですよね」

「1年半くらいは恋心を抱いてて、『友だちでいいから』って伝えて、一緒にいました」

「でも、私の『好き』があふれちゃってたんでしょうね。『会うの、やめよう』って言われちゃって」

「今はもう会ってないけど、その子のおかげでセクシュアルマイノリティの輪が広がったので、出会えたことに感謝してます」

LGBT当事者のオフ会

Xジェンダーの子から、「アセクシュアルの当事者に会ったことないんだよね」と、言われたことがある。

「その話を聞いて、私は反射的に『会う場所を作るから』って、言ってたんです」

「それまで、自分のセクシュアリティはアプリで出会った人にしか話してなかったけど、TwitterやYouTubeで一気にオープンにしました」

「オフ会を開くには、どんどん情報発信して、LGBT当事者と知り合わないといけないと思ったから」

初めて開催したアセクシュアルのオフ会には、30人も集まってくれた。

参加者の1人から「アセクシュアルにとっての二丁目を作ってくれて、ありがとう」と、感謝される。

「その言葉が、今でも私のやりがいにつながっているから、活動を続けてるんです」

Xジェンダーのあの子のおかげで、新たな一歩を踏み出すことができた。

変わるタイミング

「今も『当事者と会ったことがない』って言ってる人を見つけたら、場を提供するために動いてます」

Twitterのフォロワーが「会ってみたい」と呟いていたら、「オフ会しません?」と声をかける。

そして、当事者の知り合いを当たり、数人で会える場を設ける。

「活動を始めて気づいたんですけど、私って人がすごく好きなんです」

「人と話すと、みんな異なるライフヒストリーを持ってて、自認のきっかけも違うことがわかるんですよね」

「さまざまな体験や感性を聞くのって、すごく面白いなって」

「生きづらさを感じてきた人が、ちょっと変われるタイミングに立ち会えることも、やりがいになってます」

10誰かの救いが “私の救い” になる

「自分のため」

YouTubeでの情報発信やオフ会の開催は、自分自身を見つめ直すための手段かもしれない。

「多分、過去の辛かった経験を発信することで、発散してるんだと思います」

家庭のこと、友だちのこと、セクシュアリティのこと。さまざまな場面で、悔しさを飲み込んできた。

その経験から逃げずに、苦しみ抜いたことが、今のエネルギーになっている。

「苦しんだ経験があるから、人に対しても『ツラい気持ち、わかるよ』って、言えるんだと思います」

「苦しんできた人が、仲間を見つけていく姿を見ることが、私の救いにもなってるんです」

「オフ会やSNSでできたつながりが増えて、長く続いていくって、ステキじゃないですか」

きっかけは、誰かのため。しかし、巡り巡って自分に返ってきているように感じている。

「過去の自分は救えないから、代わりに救われた人を見て、自分を癒してるんでしょうね」

「この経験があって良かった、マイノリティで良かった、って思うために、私は活動してるんだと思います」

「自分のためにさせてもらってることだから、『人のため』なんて、口が裂けても言えないですね(笑)」

知識を増やしていく活動

当事者の輪を広げたことで、見えてきたものがある。

「YouTubeで中田敦彦さんが言っていた『差別は良心より知識』が、まさにその通りだなって」

「人のツラさを知らないと、人にやさしくなれないんですよね」

長く続けてきた飲食業を通して、感じることでもある。

「過去に働いていたお店に、男性のカップルが来たことがありました」

「その2人を見て、ほかの従業員が『ホモじゃね?』って、こそこそしゃべってたんです」

「いちサービスマンとして、もっと勉強しろよ、って思いましたね」

セクシュアリティに限らず、あらゆる部分で偏見は存在する。その大半は、知識不足が引き起こしているように感じる。

視覚障がい者の方が店を訪れた時、シェフは食材を細かく刻んで提供していた。

そして、「時計の数字の位置で、グラスやフォークの場所を知らせてあげるといいよ」と、教えてくれた。

「相手が生きやすい空間を提供するために必要なものって、知識じゃないですか」

「少しでも知識があれば、言葉遣いや対応に、変化が出てくると思うんです」

「ゲイやレズビアンの認知が広がってきたのは、当事者の方々が努力してきた結果ですよね」

「だから、アセクシュアルも続けるように、発信することは続けないといけないな、と思ってます」

いつか、「私はアセクシュアルで、女の子やXジェンダーが好きなんだ」と話した時、「へぇ、そうなんだ」と言ってもらえる世界になってほしい。

あとがき
取材後すぐに智さんからメールが届いた。「とっても楽しくて充実した一日でした」。はしゃいでしまった、とも添えられていた。智さんと交流した人なら、繊細さや思いやりの深さに気づくはず■きっと疲れてしまうことも、心が削れることもあるだろう。でも相手の感情や背景に、せいいっぱいおもいを寄せようとする■許すとか受け入れるじゃなくて、人がもつどうしようもない弱さ、のようなものにも想像力を及ばせてみたら、人との間のこと、なにが変わるだろう。(編集部)

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