02 180° 変化した母親の教育方針
03 FTMのパートナーとの普通すぎる出会い
04 選ぶ必要性を感じなかった二択
==================(後編)========================
05 相手を信頼したいから見せた本音
06 母親が5年後に出した答え
07 余裕のない自分とパートナーの変化
08 あらゆる可能性を見させてくれる人
05相手を信頼したいから見せた本音
寄り添うよりも奮い立たせること
彼女とつき合い始めて、最初に驚いたのは体のこと。
「当たり前なんだけど、彼女の体には女性器がついていたんですよね」
「最初は、同性同士の性行為に抵抗があったんですよ」
「でも、慣れていないだけかもしれない、と思って、打ち明けたりはしなかったです」
つき合い始めた頃は、本音を言えなかった。
「私が『かわいそうな子』って言われて育ったからか、無意識のうちに彼女のこともかわいそうだと思っちゃったんです」
「かわいそうだから何かしてあげないといけない、って気持ちがあったことは否定できないです」
「でも、本音を隠すような関係を続けていたら、私が病気になると思いました」
彼女は性同一性障害の悩みを抱え、当時は感情の浮き沈みも激しかった。
その波に合わせていたら、2人揃って塞ぎ込んでしまうと思った。
「それ以来、傷口には塩を塗ろうと決めました(笑)」
「彼女は外見は女性だけど、心は男性だから、落ち込んだ時にわざと『女々しい』って言って怒らせたり」
「私は結婚して、子どもを生みたいと思っていたから、『とっとと診断を受けて』とかも言っていましたね(苦笑)」
ケンカは急増していったが、互いの気持ちを理解し合えるようになった。
パートナーの母親とのケンカ
つき合い始めた頃、彼女の母親に紹介された。
当時、彼女は実家住まいで、両親と息子の4人で暮らしていた。
「彼女の息子を思ったお母さんから、『母親が家を空けるのは良くないから、あなたが家に来なさい』って言われたんです」
「自分の家に帰りたかったけど、お母さんの言う通りにした方がいいかなって」
交際は反対されなかったが、日常的に呼び出され、説教された。
「お母さんは、性同一性障害の子が性別を変えたら、職に就くのは無理だって考えていたんですよ」
「だから、『あなたは、娘の面倒を見る覚悟があるのよね』ってよく言われていました」
彼女の母親と2人きりの時に、「あなたが生活を背負った方がいい」と言われた。
「私としては、そういうつもりじゃないんだけど、って感じでしたね」
「お母さんからのストレスを受けるために、結婚したいわけでもないしなって」
最初は説教を黙って聞き入れていたが、我慢の限界を迎えた。
「いつだったか私がブチ切れて、反論するようになりましたね(笑)」
「実の親子でもなかなか言えないような暴言を、お母さんに言ったことがあります(苦笑)」
「結婚した今もお母さんとはよくケンカしますけど、変に気を使うよりいいかな、って思います」
06母親が5年後に出した答え
受け入れるタイミング
彼女との交際は続いていたが、自分の両親には反対されたままだった。
「気になってはいたんですけど、両親が認めてくれる日を待つしかないな、って思っていました」
「その状況が嫌になる日もあれば、楽観的に捉えられる日もあって、そこまで深刻に考えてはいなかったです」
「いずれ結婚することは決めていたから、叶わないはずがないとも思っていましたね」
母親に「女に告白された」と告げてから、5年が経とうとしていたある日。
「その年の大晦日は悩んでいる時期で、実は、心の中で『助けてください』って唱えたんです」
「翌日の1月1日に実家に帰ったら、いきなり母が『いい加減、結婚したら』って言ってきたんですよ」
突然受け入れられたことに、戸惑いを隠せなかった。
母親は「直美が決めたことだと思ったら、お母さん許せた」と言ってくれた。
「母は思ったらすぐ口に出すタイプなので、腑に落ちたタイミングだったんだと思います」
2つの感情の狭間
母は今でも「万々歳ではない」という。
それでも「直美が選んだ道だから」と、避けようのない事実として受け止めてくれているようだ。
「でも、母が言っていたんです。『親としては反対だったけど、彼女のことは人として好きだった』って」
初めて彼女と会わせた時、母親は「直美のどこが好きなの?」と聞いていた。
彼女は「目の奥がキレイなところ」と答えた。
「母は今の父を再婚相手に選んだ時、目の奥がキレイだな、って思って決めたらしいんです」
「『まったく同じことを言った彼女に魅かれた』って話していました」
「ただ、世間体を意識して、反対していたみたいです」
「私自身も、世間体というか、弟たちのことは気になっていました」
自分が好き勝手したせいで、弟たちの交際や結婚を阻んでしまうのではないか。
「でも、弟は2人とも『別にいいんじゃない』って認めてくれたし、私より先に結婚したんですよ」
「弟たちは、それぞれ自分の人生を歩んでいるんだってわかって、ホッとしましたね」
強制的な初対面
結婚を認めた母親は、突然父親を鳥取に連れてきて、彼女と引き合わせた。
「その時、父と彼女はほぼ初対面だったんですよ」
「母が『無理やり山を動かしてきたんだから、あとはどうぞ』って、強制的に挨拶する場を作ってくれて(笑)」
「母が強引すぎて、こっちがおろおろしました(笑)」
彼女から「あらためて、実家に行かせていただきます」と告げると、父親は「待ってる」と言葉少なに応えた。
「その日が9月で、11月に結婚の挨拶に行ったんです」
その出来事をきっかけに、父親の態度も軟化していった。
07余裕のない自分とパートナーの変化
経験してみたかった食の仕事
数年勤めた公民館を辞め、派遣社員としてガス会社で働いていた。
登録していた派遣会社がなくなることが決まった時、「食の仕事を始めるなら、今かもしれない」と思った。
「20歳の時、突然料理に目覚めたんですよ」
「パスタも茹でられなかったのに、目覚めた当日にラタトゥイユを作りました(笑)」
「その頃になんとなく、食の仕事に就いてみたいな、って思っていたんです」
半年前から食器を集め、業務用のガスオーブンを買っていたことも、その思いつきを後押しした。
すぐにガス会社を辞め、物件を探し、半年後にカフェをオープンした。
「父には猛反対されました」
「鳥取でカフェを開いたら、もう二度と岡山には帰ってこないと思ったみたいです」
「母が説得してくれて、結果的に認めてくれたんですけど、最初は頑なでしたね(苦笑)」
突きつけられた現実
32歳の時にカフェを始め、約5年間続けた。
「料理やお菓子作りが好きな人はカフェも好きで、接客もできると思っていたけど、私は接客が苦手だったんです」
「話すことは好きだけど、話しすぎちゃうからお客さんが帰らなくて、回転率が悪かったんですよね(苦笑)」
閉店時間が延びれば、必然的に帰宅も遅くなり、彼女との時間は減っていった。
お客様にはオーガニックの料理を出しながら、自分は限られた時間でカップ麺を食べていた。
「朝から晩まで働いて、自分が置き去りになっていることを感じて、危機感を持ちましたね」
同じ頃、彼女がホルモン治療を始め、女性から男性へと変化していった。
「注射を打ち始めた頃は、慣れるまで時間もかかるし、重いものも持っちゃダメなんですよね」
「彼女から彼になっていく過程で、『私の方を見てくれん』って落ち込んだり、文句を言ったりするから、そのケアもしないといけなかった・・・・・・」
「彼につき合うのも疲れたけど、助けたいけど助けられない自分も情けなかったです」
当時はかなり毒を吐いていたが、我慢していたら病気になっていたと思う。
辞めるという決断
2015年4月、彼の性別適合手術や戸籍変更が終わり、ようやく結婚することができた。
つき合い始めてから、9年ほどの月日が経っていた。
「カフェは、朝から晩まで働き詰めの状態で続けていました」
「完璧にこなせない自分はダメだ、って頑張り癖が出てしまったんです」
「でも、このままじゃいけないと思って、カフェを閉めることを決めました」
もともと、一生続けよう、と思っていたわけではなかった。
結婚して1年が経った頃、店を手放した。
08あらゆる可能性を見させてくれる人
男でも女でも変わらない関係
パートナーが女性から男性になっていく過程を、すべて見てきた。
しかし、互いの関係性や接し方は、出会った頃と何も変わっていない。
「彼が外見も言葉遣いも、ほとんど変わっていないからかもしれないです」
「ただ、治療を始める前、男であることにこだわっていた頃の方が女々しかったです(笑)」
女性性を排除しようとすることで、余計に意識していたのだと思う。
「そばかすがあると女性っぽいからって、隠すために高いファンデーションを買って、かえって女子力が上がったり(笑)」
「お尻を小さくしようと骨盤矯正の下着をはいて、スタイルが良くなったり(笑)」
男性として生活を始めた彼は、そこまで性別にこだわらなくなったように見える。
「今は『男でも女でもあるから』って言っていますね」
「母親になりたい」
「彼が女性だった時も、男性になった姿も見てきて、思ったことがあるんです」
私も母親になりたい。
母親として息子を育てる彼を見て、そう思った。
「2人の間には子どもができないから、今は精子提供者を探して、妊活しているんです」
親戚や知り合いに直談判して、何人かの男性に提供してもらえることになった。
人工授精がうまくいかず、落ち込むこともあったが、それは “いい子” でいなきゃいけないという意識が残っていたから。
「亡くなった父を演じてきた自分がまだ残っていて、親の期待に応えたかったんだと思います」
「でも、私自身で考えた時に、授かっても授からなくてもいいかな、って思ったんです」
諦めたわけではないが、子どもができなかったらダメ、というわけではない。
いずれ子どもが生まれたら、自分がしてきたことを再現してほしい。
「子どもに同じことをされた時、私はどう感じるのか、体験してみたいです」
「私は楽しいことも悲しいことも怖いことも、全部楽しみたいんですよね」
「全部経験してから、死にたいです」
パートナーは、その可能性を見させてくれる人。
彼と一緒にいるから、未来も明るい。
「FTMだから何かを諦めるのではなくて、むしろ可能性の方が大きいって感じるんです」
「私はラッキーだと思うんですよ」
「子育ての先輩が隣にいるから、子どもが生まれてもラクだなって(笑)」