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全て受け容れることで、僕は幸せを掴めた【後編】

全て受け容れることで、僕は幸せを掴めた【前編】はこちら

2016/02/22/Mon
Photo : Mayumi Suzuki Text : Koji Okano
岸田 拓也 / Takuya Kishida

1984年、神奈川県横浜市生まれ。高校・大学と音楽系の学校に進んだが、カフェやテーマパークでのアルバイト経験を通じて接客業に興味を持ち、卒業後は大手コーヒーチェーンに入社。独立後は自身でカフェを経営しながら、カラーセラピストの資格を習得、数秘術を学びセッション等も行なっている。

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INDEX
01 女子の輪に入れなかった中学時代
02 自分の中に垣間見える女子の側面
03 理由も分からず、戯れていた高校時代
04 家族のために自我を抑えた大学時代
05 人生を大きく変えるアプリとの出会い
==================(後編)========================
06 自分の偽りを暴いたターコイズブルー
07 最愛のパートナーを射止めた最終兵器
08 家族とパートナーの不思議な同棲生活
09 親子喧嘩の勢いでカミングアウト
10 家族に支えられて、これから描く夢

06自分の偽りを暴いたターコイズブルー

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カミングアウトの難しさ

ゲイアプリを通じて、ようやく自分以外のゲイの存在に気づき、同性との交際に踏み切ることもできた。

気持ちも安定して、仕事も楽しくなってきた20代半ば。

それでも自分が性的マイノリティであることだけは、周りの人に打ち明けることができなかった。

「パートナーができただけでなく、ゲイの友達も増えました。でも自分の本当の気持ちを語れるのは、同じ境遇にある人たちだけ。昔からの友達にも職場の人にも、もちろん家族にもカミングアウトなんてできなかった。好きな女の子はいないの?と聞かれれば、また適当に答えるし、親戚にいつ結婚するんだと問われれば、はぐらかす。そういう意味では、まだ自分の気持ちに素直になれていなかった」

自分が嘘付きだと気づいて

そんなとき、母が昔やっていたカラーセラピーに興味を持ち始めた。

きっかけは、母が持っていた14色の鮮やかなカラーボトルの煌めきに興味を覚えたから、かもしれない。

それでも学んでいくうちに、引き当てた色で自らの性格や今抱えている悩み、未来のことまでが予想できる、その面白さに心奪われてしまった。

「習った方法で友達にセッションしてあげると、みんな興味深そうに僕の話を聞いてくれるんです。出た回答に則ってアドバイスもしてあげると、なお喜んでくれる。それが嬉しかったし、やっぱり自分はこうやって人と話すのが好きなんだな、と思いました。カラーセラピーは最高のコミュニケーションツールです」

カラーセラピーはまた、自らの人生を受け容れるためのヒントも与えてくれた。

「初めてカラーセラピーの教室に行ったとき、実際にセッションを受けてみたんです。目の前の14本のボトルから好きな色を4本選んでと言われ、初めに引き当てたのがターコイズブルー。それは自分が偽っていることを示す色だったんです。自分の心の奥まで見透かされた気がして、恥ずかしい気持ちでいっぱいになって」

次の日、カラーセラピーを一緒に勉強していた男の子にたまらずカミングアウトした。

「なんかそうなんじゃないか、と思ってたよ」と友達の反応。この日を境に、少しずつ少しずつ、機を見ては友達や職場の同僚にカミングアウトをするようになった。

またひとつ自分を受け容れ、素直になれたのだ。

07最愛のパートナーを射止めた最終兵器

母との微妙な関係

しかし両親に、となると話は別だ。

家族にカミングアウトする勇気は未だなかった。昔から母とは仲がよく、なんでも相談する関係だった。

反面、父親は愛情を注いでくれていることは分かるが、自分の考えを強要してくるところがあり、好きになることができなかった。だからカミングアウトするなら、まずは母親からだった。

「仲はいいんですけど、母親とはしょっちゅう喧嘩してました。一番の相談相手だから、仕事の悩みも打ち明けるんだけど、なぜか喧嘩になる。ちょうど前の会社を辞めようと思っていたときかな、それを打ち明けたら、次の仕事はどうするのか、と怒鳴られて。ちょうどいいや、売り言葉に買い言葉でカミングアウトしちゃえ、と思ったけど、結局できませんでした。今思えば、母は僕の心の芯の部分が分からないから、いつも苛立っていたのかもしれません」

「こっちだって、悩んでることがいっぱいあるし、言いたいことだってあるんだからね」

そう母親に告げるだけが、その頃の精一杯だった。

全てを受け入れる勇気

そんな中、アプリを介して今のパートナーと出会った。

話は3年前にさかのぼり、相手は当時まだ大学2年生。自分より8歳年下だ。

「自分は年上の方が好きだったし、何より包容力があって、わがままを聞いてくれる人が良かった。直接会う前にTwitterでやりとりしていても、毒舌で小生意気で、全く自分の好みとは異なっていたんですけど」

それでも会おうと思ったのは、たとえ小生意気で毒舌でも、その主張に一本通ったものを感じたからだ。彼は決して間違った、的の外れたことを言っていた訳ではなかったから。

「会ってみたら、意外とかわいい感じの風貌で、かなりギャップがありました。外見とは裏腹にリーダーシップを取ってくれるタイプで、デートでどこに行くか、何を食べるかも彼が決めてくれる。相変わらず毒舌だけど、でも言ってることは正しいし。そこまで好きで会った訳でもなかったのに、いつの間にか僕の方が彼に夢中になっていました」

数回のデートの後、告白。しかし彼の答えは「ノー」だった。

「当時、彼は付き合っては別れ、付き合っては別れ、でかなり恋愛で消耗していたようです。疑心暗鬼に陥っていた。加えて自分はまだ若く衝動が抑えられない部分もあるから、付き合っても浮気してしまうかもしれない。だから付き合えないのだと」

それでも諦めることはできなかった。

しばらくして行った鎌倉でのデートで、たまらず、こう切り出す。

「世の中は僕と君だけで成り立っているワケではない、浮気は仕方がないよ、って。だから僕じゃない人を好きになってしまったら、相談してくれたらいい。僕は今、目の前にいる人を大切にしたいんだ、と」

ようやく彼は頷いてくれた。彼の全てを受け入れようと思う自分がそこにいたのだ。

そんな気持ちになれたのも、一度交際を断られたとき、彼が自分の素直な気持ちを話してくれたからだ。

それからというもの、横浜の実家には帰らず、彼の千葉の下宿先に通う日々が増えた。

08家族とパートナーの不思議な同棲生活

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“通い夫” となった彼

付き合って2ヶ月くらいして、彼が急に実家に行ってみたい、と言い出した。

「昔から料理は好きだったので、彼の家では必ず僕がご飯を作っていたんです。でも一人暮らしのキッチンだから、できることに限界がある。あと窮屈そうに料理しているのが可哀想に見えたのか、僕の実家なら台所も広くて作業しやすいだろう、って言い出したんです」

実家は炭火焼の料理店だ。両親に加えて、祖母と弟も住んでいる。

「初めは1回遊びに来るだけだろうと思って、言われるがまま、実家に連れて行ったんです。あくまで普通の友達です、という体で。そうしたら1回では済まず、週に何回もやって来て泊まって行く。朝も何食わぬ顔で起きて来て、家族と一緒にご飯を食べ、大学に出かけて行く。彼にしたら1人暮らしの寂しさが紛れて良かったのかもしれないけど、僕は彼のことを両親、とくに母親になんて言えばいいか、そのことで頭がいっぱいでしたよ」

深まりつづける罪悪感

「もともと恋人同士なのに、親に『友達だよ』って言わきゃいけない苦しい気持ちがあった。彼が泊まりに来るたびに、その思いは大きくなっていくんです」

母親の方も、息子の “男友達” が頻繁に泊まりにくる状況に違和感を抱いていた。彼と一緒に平静を装って食卓を囲みはしていたが、言質の端々にちょっとした苛立ちを見せるようになってきた。

「『あなたの男友達、いつも泊まりに来ているけど、常識的に考えたらおかしいことじゃない』と僕には憤りをぶつけるようになってきたんです。でも僕は僕でカミングアウトしたいけど、どうしても言葉が出て来ない。あの頃は意思疎通がうまくいかなくて、些細なことでいつも母と喧嘩していたような気がします」

09親子喧嘩の勢いでカミングアウト

手紙に忍ばせた真意

そんなとき、またあの話題が持ち上がった。

勤めている会社を辞めようかという迷いは、この頃には確信に変わっていた。

不協和音のなか、その決意を母に告げる。しかし話し合いは平行線。

もっと人と密に関わる仕事をしたい、という漠然とした夢話では、母は自分の決断を理解してくれない。

息子の男友達への不信感も相まって、ますます母は心を閉ざし、口論も熱を帯びてくる。

「喧嘩の後は冷戦状態、お互いに家の中で会っても、ろくに口を聞かなくなっていました。で、もうなんか疲れちゃって、どうとでもなれ、なったらなったで全部受け容れるよ、という気分になったんです。手紙に『いつも泊まりに来ている彼は、僕の恋人なんだよ』と書いて、居間の机の上に置いてみました」

母からのメッセージ

しかしそんな “冷戦状態” の最中でも、彼はお構いなしに泊まりにくる。

今の自分の状況、母との喧嘩、手紙でのカミングアウトの話を彼にしても、気まずさを感じるどころか、また次の日も家にいる。

そんななか、居間で彼と犬と3人で戯れていたら、母がやって来て、こう言った。

「あんたの人生だからね。私は誰にも言わないけれど、自分の人生をちゃんと考えなさい」。そして彼には「拓也のこと、よろしくね」。深い笑みを湛える母の姿が、そこにあった。

「今の彼と付き合い出した頃、それをコソコソ隠したくないと思った。それまでは、家族には言わず一生、墓場まで持っていこうと思っていたけど、特別な人に出会ったと感じたから、本当は母にも話したくて仕方がなかったんです。そしてまた彼は僕のことを思って、親子喧嘩の最中もずっと、そばに居てくれたんだと思います。僕の見立ては間違っていなかった。彼は本当に僕にとって特別な存在だったんです」

そして母は、その “男友達” の特別さにとっくに気づいていたようだ。

「母とふたりになったとき、やっぱり、って言われたんです。『あの子はきっと、拓也の彼なんだと思っていたよ』って。僕がゲイであることは、もうとっくに気づいていたみたいです。だからこそ本心を言わない息子に腹を立てて、しょっちゅう喧嘩していたのかな。こんなことなら、もっと早くカミングアウトしておけばよかったと思いました」

10家族に支えられて、これから描く夢

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彼の存在の大きさ

母親へのカミングアウトの後は、3人でご飯を食べに行ったり、電車に乗って出掛けたり、ドライブに行ったり。とにかく幸せな毎日だった。

母親にしたら、息子のパートナーである彼も、今や自分の子供のような、かけがえのない存在になっているのかもしれない。

「前の会社を辞めて、1年半前からカフェを始めたんです。両親が営む炭火焼き鳥屋は夜のみの営業なので、昼間だけ場所を借りて。その立ち上げを彼も手伝ってくれた。ウェイターとしても働いてくれたんです。この頃にはもう、ほぼ実家で同棲生活を送ってたんで、まるで住み込みの従業員みたいでしたね(笑)母からは『ちゃんと就職できるように、みてあげななさい』と言われ、うちで就活もしていましたよ」

そんな彼も昨年3月に大学を卒業し、今は研修中。関西で働いている。

「彼が我が家から巣立つときは、大変でした。母と祖母が大泣きしちゃって。祖母にはカミングアウトしてませんが、もうその頃には彼が自分の孫のように映っていたようで、『次はいつ帰ってくるの、いつ帰ってくるの』と何回も聞き、お餞別を渡していました。彼と本当の家族になれたようで、嬉しかったです」

彼がなぜ、そこまで実家に泊まり続けていたのか。

その理由は未だにはっきり分からないけれど、まぁいいか、と自分も開き直って受け容れて来た。

この同棲生活があったからこそ、離れ離れになった今も、寂しくはない。

「父にも弟にも、まだ直接カミングアウトしていないんです。ただ母曰く『多分、もう知ってるんじゃないの』と。まぁ実家であれだけ一緒にいるところを見られてる訳ですから。伝わっているのなら、もう言葉にはせず、この状況も受け容れて一緒に暮らしていこうと思っています」

受け容れることの大切さ

もっと深く、人と関わるような仕事がしたい。

それがカフェなのか、カラーセラピストなのか、はたまた別の仕事なのか。
現状に満足せず、今、自らの人生を模索しているが、大切にしたい、人に伝えたいことはひとつ、自分を受け容れることの大切さだ。

「僕もセッションを経て、本心を認めることで、より幸せになれました。仕事を通じて、できるだけ多くの人が自分らしく生きれる、お手伝いがしたいんです」

カミングアウトできたことも、改めて良かったと痛感している。

「できればした方が、その人らしく生きられると感じています。でも無理にするものでもないとも思うんです。今の彼はカミングアウトしていないけれど、自分がそう思うなら、それでいいんじゃないかと」

いじめられた過去を振り返ることすら大変な勇気だったろう。そこを乗り越え、今は自分のセクシュアリティを認め、最愛の彼の決断ひとつひとつを受け容れている。岸田さんが天職を探し求める旅はまだまだ続く。その終点にはきっと、多くの人の悩みを受け止め、その人の人生に光を当てる姿がある。

あとがき
質問のひとつひとつに丁寧に答える様子から、人の気持ちを大切に感じ、受け止めてくれる人だと思った。笑顔になったり考え込んだり、表情の多彩さも、優しさと繊細さの表れだと感じ取れる■イジメなどで深く沈み、悩んだ時期もあったそうだ。そこを忍ぶことで、”どうにかなるさ” という度胸が育まれたのではないか■「つき抜けた!」と雲が晴れたように感じたお母さんへのカミングアウトを経て、今、岸田さんは「繊細な楽天家」になった。(編集部)

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