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小4で性自認。初めてのパートナーはフランス人【後編】

小4で性自認。初めてのパートナーはフランス人【前編】はこちら

2021/01/21/Thu
Photo : Tomoki Suzuki Text : Shintaro Makino
長谷川 拓也 / Takuya Hasegawa

1989年、福島県生まれ。英語の通訳を志して高校は国際学科、さらに外国語専門学校、アメリカの短大へと進学する。帰国後、一流ホテルなどでキャリアを積み、3カ国語を修得。男性が好きだということは、小学4年生から21歳のカミングアウトまで自分の胸に隠し通した。7年前にフランス人パートナーと知り合い、現在も交際中。

USERS LOVED LOVE IT! 40
INDEX
01 甘えん坊のおばあちゃん子
02 小学校4年生の性自認
03 陸上の素質が花開く
04 海外での活躍に意欲を燃やす
05 いざ、アメリカへ! でも、大問題発生!
==================(後編)========================
06 伊東ビーチで、ゲイであることを告白
07 難航するパートナー探し
08 ついに出会った恋人はフランス人
09 バラ色の日々
10 モントリオールへ、メルボルンへ

06伊東ビーチで、ゲイであることを告白

新しい扉は開かず

高校生でスマートフォンを持つようになり、自分のセクシュアリティが「ホモ」でも「オカマ」でもなく、「ゲイ」であることを知った。

「高校の同級生にも恋をしましたけど、やっぱり何もいえませんでした」

日本では秘めるしかない。海外での生活にかける期待は大きかった。

「きっと、アメリカに行けば同じセクシュアリティの仲間はいるだろうし、うまくいけば彼氏が見つかるかもしれない、と思ってました」

ところが、シアトルの学校は完全なる日本人社会。カミングアウトすら、ままならなかった。

「お酒が飲めるのが21歳からだったので、そういう場所にも出入りできませんでした」

結局、新しい世界を垣間見ることもなく、郡山に戻る。

リゾートバイトで伊東へ

帰国後、郡山で就職活動を行ったが、思うような職は見つからなかった。

「そのときに見つけたのがリゾートバイトでした」

リゾートバイトとは、観光地のホテルに住み込みで働く仕事のことだ。

「静岡県伊東市の温泉旅館で半年間、働くことになりました」

そこで知り合ったのが、3歳年上の男性だった。

「仕事も一緒だし、寮住まいだから、24時間一緒なんですよね」

初めは「いい人だな」と思う程度だったが、どんどん好きになっていった。

「その人も二卵性双生児だったんです。なんだか、運命のようなものを感じました」

ふざけて、お姉言葉を使うことも気になった。

「もしかすると、同じセクシュアリティじゃないか、と想像力を働かせました。恋って怖いですね(笑)」

21歳。初めてのカミングアウト

半年の契約が満了する2週間ほど前、彼を外に誘い出した。

「ご飯でも食べよう、と誘って、その後、伊東のビーチを散歩しました」

そして、「自分は男の人が好きなんだ」と、初めてカミングアウトをした。面と向かっての告白は、それが最初で最後だった。

「半分くらいは可能性があるんじゃないかと、内心、期待してました」

しかし、残念ながら、答えはノーだった。

「結果は断られたんですけど、でも、その言い方がとても素敵だったんです」

「今、ぼくにはやりたいことがたくさんある。たとえ、スーパーモデルに告白されたとしても、つき合うことはないだろう」

それが彼の言葉だった。

「この人に告白してよかった、と思いました」

07難航するパートナー探し

熱海から新宿二丁目に通う

伊東の旅館との契約が終わり、郡山に帰ろうとしているときに東日本大震災に遭遇した。

「川崎の親戚のところにしばらく厄介になって、次の仕事を探しました」

ネットで就職活動を行い、同じリゾートバイトの仕事を見つけた。

「今度は、熱海の保養所でした」

伊東での失恋を通じて、はっきりと分かったことがあった。

「自分の恋愛対象の人がいるところに入っていかないと、つき合う相手は見つからないということです」

恋愛対象とは、もちろん男性・ゲイのことだ。

「普通の生活のなかで探しても、きっと無駄でしょう」

すでに22歳になっていたが、新宿二丁目、ゲイバー、アプリはすべて未体験だった。

「それで、熱海から二丁目に通い始めました」

小田急線を使っても、熱海から新宿まではかなりある。しかも、翌朝の仕事があるから帰ってこなければならない。

「恋人がほしい一心でした(苦笑)」

行けばそれなりに相手は見つかるが、その場限りの出会いばかりだった。

「バーで喋ったり、連絡先を交換したりはしましたけど・・・・・・。日帰りですからね。やっぱり、限界があります」

終電を逃して小田原駅で夜を明かしたこともあった。
しかし、求める出会いは訪れなかった。

東京での生活をスタート

熱海での仕事の契約が終わり、東京に拠点を移す決心をする。

「二丁目で会った人に教えてもらったアプリを使うようになりました」

しかし、アプリで調べても、熱海に該当者はいない。

「やはり東京に出るしかない、というのが結論でした」

都内での仕事を探し、ホテルオークラのカフェレストランに就職した。

「阿佐ヶ谷に住んで、今度こそ恋人を見つけるぞ! と意気込んだんですが・・・・・・」

いざ、仕事を始めてみると、思いのほか、忙しい仕事生活が待っていた。

「しかも、グランドハイアットのベルボーイの仕事とかけ持ちで働くようになったんです」

二丁目にもなかなか行けなくなってしまった。

新しいキャリアを求めて

一流ホテルでの勤務は、観光学を勉強した身にとっては理想的な職場だった。

「語学力も生かせましたし、ハリウッドスターにも何度も会うことができました」

「長時間の移動を終えて、ようやくホテルに着いたゲストに、その人の国の言葉で話しかけると喜んでもらえるんです」

やりがいを感じることができる仕事だったが、大きな問題があった。

「重い荷物を運んだり、炎天下に長時間立っていたり、ベルボーイって重労働なんですよ」

しかし、重労働に見合うインカムは得られない。

新たなキャリアを求めて新しい転職することにした。

「外国人のエクゼクティブばかりが住んでいる、高級マンションのフロント・コンシェルジュになりました」

初めての事務仕事に戸惑いもあったが、職場の居心地はとてもよかった。

「職場には、ゲイであることをカミングアウトすることもできました」

08ついに出会った恋人はフランス人

将来を見据えてパートナー探し

二丁目には行けないが、アプリのチェックは毎日、欠かさなかった。

「日本では結婚できないので、将来を考えて外国の方のパートナーを探してました」

外国人は好奇心が旺盛で、セクシュアリティに関してもオープンなイメージがあった。

「ぼくも性格がオープンなので、きっとそういう人が合う、と思ったんですよね」

ところが、外国人だけに、アプリに登録してくるのは、日本での滞在が短期間の人が多い。

「遊び相手を探している人ばかりなんですよ。ぼくは、できれば一緒に暮らせる恋人を探していました」

自分の条件に合う人は、滅多に現れないのが現実だった。

フランス語での初メッセージ

ところが、ある日、アプリを立ち上げると、見たことがない顔があった。

「ハンサムなフランス人で、突然、現れた感じでした」

おっ!? おおっ!?
心がブルッと、ときめいた。

「さっそく、フランス語でメッセージを送りました」

高校での留学生との交流、ベルボーイの経験から、英語の他にもフランス語など複数言語も話せるようになっていた。

「フランス語が話せるんですか」

相手からも驚き混じりの好意的な返信が届いた。

「すぐにデートの約束をしました!」

会ってみると、6歳年上で包容力がある人だった。

「うれしくて、ぼくばっかりベラベラと喋ってました(笑)」

「あのときは、目がキラキラしていたよ」、と、後で彼からいわれるほどだった。

何はともあれ、意気投合。その日から念願のおつき合いが始まった。

職業は翻訳家

彼は、フランスの大学で日本語を専攻し、卒業後にフランス語教師として日本に移住した人物だった。

「大学生のときに日本に留学した経験がありました。日本の生活が肌に合ったんでしょうね」

日本人の礼儀正しさ、ていねいさをリスペクトしてくれていた。

「日本の自然も大好きだといっていました」

当時は、日本語の書類をフランス語に訳す、翻訳家として新しいキャリアを築き始めたところだった。

「これからも日本に住みたいから、パートナーを探していたと話していました」

きちんとつき合えるパートナー、という点で目的が合致したのだった。

「つき合ってしばらくして、彼のアパートでの同棲生活を始めました」

09バラ色の日々

なされるがまま

「24歳で出会った初めての恋人ですからね。うれしくてたまりませんでした」

ラ・ヴィ・アン・ローズ 。ついに訪れた、「バラ色の人生」だった。

「昔からの夢がかなった、というか、ゲイとして一人前になったという感じでしたね」

彼はフランスと日本で、3、4人との恋愛を経験していた。

「ぼくにしてみれば、初めてのパートナーで、しかも外国人ですから、分からないことばかりでした」

自然とリードをしてもらうことが多くなる。

「最初のうちは、なされるがまま、でしたね(笑)」

大晦日に突然、カミングアウト

恋人ができたら親にカミングアウトしようと、以前から心に決めていた。

「つき合っている人を紹介したい、といえば、きっと自然じゃないですか」

ところが、彼と出会う半年前に、ひょんなことからカミングアウトを済ませていた。

「ちょうど、大晦日の夜でした」

昼間、遊ぶだけのデートをして、一人でアパートに帰り、紅白歌合戦を観ているときだった。

「この年になっても大晦日を一緒に過ごす相手もいないのか、と思って、なんだか無性にむなしくなったんです」

「元旦から人生を変えたい、と思い立ちました」

福島の母親に電話をかけ、「前からいいたかったことがあるんだ」と、切り出した。

「何?」と聞く母親に、「自分は男性が好きなんだよね」と、自然な言葉が口を出た。

母親の答えは、「そうなの。拓也は草食系なのかと思っていた」だった。

恋愛に興味がない、「草食系男子」という言葉が流行っていた頃だ。

「カミングアウトをして家族の縁を切られた、という話も聞いていましたから、覚悟してたんですけどね」

母親は、意外にもあっさりと受け入れてくれた。

そして、「今までと、何も変わらないよ」とも、いってくれた。

「家族には、元旦の朝に、母親から伝えてもらうことになりました。それから帰省をしても、家族でセクシュアリティが話題になることはないですね」

すでに、みんな知っているはずだが、厳しいことをいう人はいなかった。

「妹だけは、『そうだったんだ。今、流行ってるじゃん』って、はしゃいでいましたけど。流行りとか、そういうことじゃないけどって思いましたけどね(笑)」

10モントリオールへ、メルボルンへ

お互いの両親を紹介

待望のパートナーをすぐにでも家族に紹介したい、という気持ちがあった。

「でも、妹から、家族の受け入れ準備ができていないから、と『待った』がかかったんです」

ゲイであることは知らされても、フランス人のボーイフレンドを連れてこられるのは、東京にさえ行ったことのない家族にとってハードルが高かった。

つき合って1年が経っても、状況は変わらない。そこで一計を案じることにした。

「帰省するとき、サプライズで彼を一緒に連れていったんです」

郡山駅に迎えにきた母は、努めて明るく、積極的に彼に話しかけてくれた。

父親も頑張って、「フランスといえばアラン・ドロンだよな』と、少ないフランスに関する知識を総動員して迎えてくれた。

「兄弟もみんな、彼を受け入れてくれました。本当に連れていってよかったです」

彼も素朴な歓迎が心地よかったのだろう。すでに4回も郡山を訪ねている。

「ぼくも彼の家族に紹介してもらいました」

最初は、3年前、彼の両親が日本を訪れたとき。

「2年前には、彼と一緒にパリの実家を訪ねました」

お父さんもお母さんも、陽気でやさしい人だ。

「彼は大学生のときにカミングアウトして、家族はそれを受け入れています。フランスでは当たり前のことです」

お互いの両親を紹介できたことはプライドだ。

「日本のゲイ・カップルでは、本当に珍しいと思います」

フランス語の語学留学

彼の両親に会ったのは素晴らしい体験だが、苦い思い出もあった。

「パリに行ったときに、ファミリーパーティーを開いてくれたんですが、その頃はフランス語ができなくて孤立してしまったんです」

フランス人はあまり英語が得意でないという事情もあった。

「これからも彼や彼の家族とつき合っていくなら、フランス語は必須と強く認識しました」

次に両親と会うときは、フランス語で会話をしたい。

「その動機から、カナダ・モントリオールに3カ月間の語学留学をしました」

モントリオールにいる彼の親友が、現地でのアテンドを引き受けてくれた。

「留学によって、フランスは中級程度、話せるようになりました。大成功でしたね」

さらに、30歳を迎えるにあたり、ワーキングホリデーでメルボルンに行くことにした。

「ワーキングホリデーは30歳までという年齢制限があるんです」

実は、つき合い始めたときに申請していたワーキングホリデーに、彼からストップがかかったという経緯があった。

「遠距離は寂しいからダメ、といわれたんです。でも、これがラストチャンスだから、行かせて、と頼み込みました」

後悔したくない気持ちが通じて、彼からのオッケーを取りつけた。

「メリボルンに6カ月間、滞在しました。仕事をかけ持ちで働いて、貯金もできました」

メルボルンにも彼の友だちがいる。

「モントリオールにもメルボルンにも、彼は来てくれました」

YouTubeでの配信も始めた

海外での経験を積んで、セクシュアリティに関する日本とのギャップを実感する。

モントリオールの学校の先生が、ランチに手作りのサンドイッチを持ってきていた。

「自分で作ったの? と聞くと、ボーイフレンドが作ってくれたって、さらっというんですよ」

予想はしていたが、ここまでナチュラルなのか、と衝撃を受けた。

彼とのつき合いも7年目を迎えた。将来の展望も必要になる。

「フランスでは同性婚が認められているんですけど、彼の日本に住み続けたいという希望を尊重するつもりです」
楽しかったモントリオールに戻るため、カナダでのワーキングビザを取得した。

「今度は1年間、滞在する予定です」

コロナの影響で閉鎖されているカナダ入国が解禁になれば、すぐにでも飛ぶつもりだ。

「彼と出会って、満足のいく暮らしが実現できました。これからも、もっと視野を広げていきたいと思っています」

自分も海外生活を経験するまでは結婚を望んでいたが、でも今はそれほどには固執していない。

「八王子市長にパートナーシップ制を導入してほしいと、長文の手紙を書きました」

ていねいな返事をもらったが、まだ動き出す気配はない。

「最近、YouTubeでの配信を始めました」

ゲイとして生まれて、一般の人とは、ひと味違う人生を歩んできた。

「生きた証を残したいですし、昔の僕のように、少しでも悩んでいる人の励みになれば本当にうれしいんです!」

あとがき
「思っていることはすべて吐き出せたと思っています。とても楽しかった」。取材直後に届いた、拓也さんからのお礼のメッセージ。大家族の愛情を受けて過ごした時間が、拓也さんの土台なのだと感じるエピソードが続いた■大変だった経験を押し込めているとは感じない。でも、熱海から新宿二丁目に通った日々も、アプリでの恋人探しも、仕事のキャリアも・・・拓也さんの話はワクワクで満たされている。何ごとも楽しめる。それは楽しむ才能だ。(編集部)

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