02 台湾から日本へ
03 幼い頃からの違和感
04 吹奏楽のおもしろさ
05 走り続けた3年間
==================(後編)========================
06 いつか音楽で身を立てたい
07 音楽での成功が先
08 レズビアンではなくFTM
09 自分を取り戻すステップ
10 扉をフルオープンに
01運命のトロンボーン
音楽との出会い
一番古い記憶は、2歳のときに住んでいた京都の家で、両親と歌を歌っているシーン。
父も母も音楽好きで、色々な歌を教えてくれた。
「両親とも、音楽大学に行きたいと思っていたほどの音楽好き。でも、家族の許しを得られなくて、音楽の方面には進めなかったそうです」
5歳からピアノとバイオリンを習い始める。
「その頃は台湾に住んでいて、ヤマハ音楽教室の台北支店に通ってました」
「スポーツチームにも入っていて、将来はスポーツ選手になることを夢見てましたね」
「音楽家になろうとは、みじんも考えなかったです」
知らなかった話
小5のときに帰国。静岡市で暮らし始める。
「中1の担任の先生が、たまたま吹奏楽部の顧問でした。『君、ピアノを弾けるんだね』って言われて、部活見学に誘われたんです」
「女子にしては背が高かったし、体格がしっかりしていたので、『金管楽器とかやったらいいんじゃない?』って」
「女子バスケットボール部に入るつもりでしたが、吹奏楽部を見学に行ってみたら、なんだか惹かれてしまったんです」
家に帰り、両親に「吹奏楽に興味が湧いてきた」と話した。担任の先生の勧めもあり、トロンボーンを志望するつもりでいた。
「トロンボーンをやってみようと思う、って両親に話したら、『うちにあるよ』って言われたんです」
「父が中高で吹奏楽部に所属して、トロンボーンを吹いていたって、そのとき初めて知りました」
「運命かもしれないな、って思いましたね」
02台湾から日本へ
スポーツチームでの経験
父の仕事の関係で、3歳から10歳まで台湾で暮らす。
「日本人学校に通ってました」
「学校での会話は全て日本語。週に1回だけ中国語の授業がありましたね」
「日本人学校の向かいは、アメリカンスクールでした」
アメリカンスクールにはスポーツチームがあり、日本人も希望すれば入部できた。
「サッカーやソフトボール、バスケットボールなど、色々なスポーツをしました。人種も性別もまぜこぜで、チームを組んで競うのは、いい経験だったなと思います」
「言葉が通じなくても、『ヘーイ!』って言うだけでボールが回ってきましたね(笑)」
5つの習い事
台湾では、スポーツの他にも、ピアノ、バイオリン、そろばん、体操を習っていた。
「『もうやだ、辞めたい』って言ったものが消えていって、帰国まで残ったのがピアノとスポーツでした(笑)」
慣れない土地でレッスン先を探し、送り迎えもしてくれていた母は、さぞかし苦労したと思う。
「母は非常にさっぱりした性格です」
「『自分で決めなさい』が口ぐせで、ピアノを辞めたいって言うと、『あなたがいいなら辞めれば?』って返される」
「そう言われると、やっぱり辞めたくないかもしれない・・・・・・って思うんですよね(笑)」
父は、物静かで寛大な人。
「妻と子のやりとりを、黙って見守ってる感じです」
転校生
小5の春に帰国。
「日本の学校でまず思ったのは、男は男、女は女、ってきっぱり分かれるんだな、ということです」
「小学校高学年で、思春期に差しかかる年齢だったせいもあるかもしれません」
外国から転校して来た子ということで、最初は珍しがられ、他のクラスからもたくさんの子が覗きに来た。
「ちょうど日本でお米が穫れなくて、タイ米を輸入していた時期でした」
「小学生って地理がわからないから、台湾とタイが一緒になっちゃうんですよ 。しばらく、『タイ米』って呼ばれてました(笑)」
静岡で通っていた小学校は1学年2クラス。
人数が少なかったこともあり、既にできあがった人間関係の中に入るのは大変だった。
「小6のとき、児童会役員に立候補して、そのあたりから大分馴染めるようになりましたね」
03幼い頃からの違和感
なんで自分は女なの?
幼い頃からずっと、セクシュアリティに違和感があった。
「自分はなんで女なんだろう、おかしいな、って感じでした。小学生になってからも、女の子のほうが好きかもしれないって思うことがあって・・・・・・」
「それがなぜかっていうところまで、小学生は調べないじゃないですか」
「周りの子とは何か違うな、って思いながら過ごしてましたね」
小学生のうちは、男女にそれほど差がない。
男の子っぽい遊び方や服装をしていても、誰にも何も言われなかった。
「だから、それほど困ることもなく、楽しく過ごせたんです」
「中学生になったら男子のことを好きになるのかな、くらいに思ってました」
周りに合わせて自分を守る
中学生になると、人間関係が一気に面倒くさくなる。
あるとき、女の子から「誰が好きなの?」と聞かれた。
生徒会を一緒にやっていた仲間の名前をとりあえず挙げたところ、あっという間に広まった。
「名前を挙げた相手との仲が無駄にギクシャクしてしまって・・・・・・」
「いや、その噂は嘘だから! って思ってましたけど(苦笑)」
制服は嫌いだったが、周りから浮かないように、スカートを折って短くした。
「みんながやってるから、自分もやらないとマズいのかな、みたいな。空気を読んで、周りに合わせてました」
04吹奏楽のおもしろさ
吹奏楽部のチーム力
中学校では吹奏楽部に入部。
いままで触れたことのなかったトロンボーンを始める。
「とにかく、トロンボーンにハマりました」
「合奏も楽しかったけど、練習すればするほど上達したから、のめりこんでいったんです」
吹奏楽部の部員は3学年合わせて65人。全員、女子生徒だった。
「チューバとか、大きい楽器も女の子が吹いてました。男女差を感じなくて、かえって良かったですね」
文化部だが、スポーツのようにチーム力を求められるところも、自分の性に合っていた。
「吹奏楽って、教育的な要素がものすごく詰まっているんです」
「コンクールのときの楽器の搬入・搬出も、舞台のセッティングも、65人で協力して全部やらなきゃいけません」
「そういった点も含めて、部活が楽しかったですね」
進路選択
中3になり進路を決める頃には、いずれ音楽大学に行って演奏者になりたいと思うようになっていた。
「静岡県内で吹奏楽の全国大会に行けそうな高校を調べました」
「音楽大学の受験に強い高校と、吹奏楽部が強い高校を両方見学して、どちらに進むか悩みましたね」
最終的に選んだのは、吹奏楽部が強い高校。
普通科のほかに吹奏楽コースがあり、音大の進学も目指せる点が決め手になる。
「中学校の吹奏楽部は楽しかったけど、やる気のある子とそうでもない子が入り混じっていて、ムラがあるって感じたんですよ(苦笑)」
「全国大会に行くような強豪校には専門の指導者がいて、部員も100%やる気のある子ばかり」
「そういう環境で、音楽に打ち込んでみたかったんです」
05走り続けた3年間
あれほど寝なかった日々はない
吹奏楽の強豪校は、中学校の部活とは桁違いのレベルだった。
約100人の部員が在籍し、コンクールメンバーに選ばれるのはその半分以下。
「努力しなければ付いていけませんでした」
「中学生の頃に比べて、練習時間がものすごく増えましたね。平日は、毎日朝練と夜練。土日も朝9時から夕方6時半までずっと練習でした」
「寝る時間が全然なかったのに、よく保ったなと思います(笑)」
高校入学と同時に、音大の受験勉強もスタートした。
朝6時半に学校に到着し、朝練の前に1時間、自主練習をする。
放課後の部活が終わってからは、ソルフェージュ(音楽を理解し表現するための基礎訓練)の教室に通っていた。
「月に一度は、千葉の先生のところにも通ってました。練習不足だと、先生にすぐにバレるんですよ(笑)」
辞めたいと思うこともあったが、ここで踏ん張らなければ仲間に置いて行かれるという焦りのほうが大きかった。
「自分だけが頑張ってたわけじゃなく、周りも同じように努力する子ばかりだったんです」
「生活リズムが少しでも崩れたら、自分はダメになっちゃうって思ってましたね」
打ち明け話
高校時代の一番の目標は、全国大会に出場すること。
セクシュアリティへの違和感は、幼い頃から変わらずあったが、全国大会への野心のほうが大きく、悩むことはほとんどなかった。
「高校は吹奏楽コースに入ったので、クラス全員が吹奏楽部だったんです。3年間クラス替えもなかったし、家族みたいな関係でした」
そういった気安さも手伝って、友だちにも自然な流れで、自分の違和感を話すことができた。
「雑談しているときに、『女の子が好きっぽいんだよね。ごめん、突然変なこと言って・・・・・・』みたいな感じで話してみたんです」
友だちは、特に引くこともなく「そういう感じなのかなと思ってたよ」と言ってくれた。
「当時は私自身も、トランスジェンダーっていうセクシュアリティを知りませんでした」
「みんな、ゲイやレズビアンっていう言葉は知ってたから、そんな感じの子なんだと認識されていたと思います」
舞子じゃなくてマイケルじゃない?
高2のとき、後輩の女の子と親しくなる。
「携帯電話が普及し始めた頃で、メールをやりとりしているうちに、付き合うことになったんです」
部内恋愛は禁止。
異性恋愛を前提としたルールだったが、一応ルール違反にあたるため、こっそり付き合っていた。
「先生や部員の誰かに見つかって、反省会で謝ったりする学校もあるみたいなんですけど、うちはそこまで厳しくなくて」
「指揮者の先生に目をつけられる程度でしたね(笑)」
自分たちも一度、「お前たち、昨日◯◯駅にいたけど何してたの?」と、先生に探りを入れられたことがある。
「先生は音大出の方で、いまはもう70歳を超えていますが、その世代にしてはセクシュアリティの多様性に理解がある方でした」
「私のセクシュアリティも、先生はわかっていたと思います」
「もともと舞子っていう名前だったんですが、『舞子じゃなくて、本当はマイケルなんじゃないか?!』って、先生にずっといじられてましたから(笑)」
名前やセクシュアリティについて、関係の薄い人にからかわれたら、嫌な気持ちになったかもしれない。
しかし、その先生のことを信頼していたため、特に嫌悪感もなく半ば笑って聞き流せた。
<<<後編 2021/02/02/Tue>>>
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06 いつか音楽で身を立てたい
07 音楽での成功が先
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