INTERVIEW
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投げ続け、投げ返す 自分と人をつなぐボール【前編】

ほっと心が和む、柔らかな笑顔。耳に心地よい、あたたかく穏やかな声。石坂わたるさんの印象は、とにかく優しくしなやか。しかし、インタビューを進めていくうちに、そのしなやかさは、強靭な精神力によるものなのだと感じた。目標に向かって、迷いなく、ひたすらに突き進む力は、どのように蓄えていったものなのだろうか。

2015/09/04/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
石坂 わたる / Wataru Ishizaka

1976年、東京都生まれ。2000年に成蹊大学経済学部を卒業したのち、千葉大学にて発達障害教育を学ぶ。卒業後、小学校の介助員や養護学校の教諭を経て、2007年に中野区議会議員選挙に立候補する。多くの支持を得たが一歩届かず、中野区や豊島区で障碍児の介助員や教育センターでの巡回指導員として勤めたのち、2011年より中野区議会議員となる。数少ないオープンリーゲイの公職者のひとり。

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INDEX
01 同性愛を “治す” 方法を探して
02 人生を決めた障碍者施設のボランティア
03 吹っ切れて、カミングアウトラッシュ
04 あなたを産まなければよかった
05 カミングアウトのリスク
==================(後編)========================
06 マイノリティが生きやすい社会を
07 性的マイノリティのメンタルヘルス
08 同性カップルで暮らす難しさ
09 あと10年で夫夫の銀婚式を
10 人が変われば、世間も変わるはず

01同性愛を“治す”方法を探して

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同性愛者の男性は、みんな女性の格好をする!?

「自分は同性愛者かもしれない」

石坂さんのなかで、自らと同性愛が結びついたのは10歳のときだった。女の子に興味がなく、男の子が気になってしまう自分の、この感情はいったい何なのか。男らしく、あるいは女らしく、という言葉に反感を覚えるのは何故なのか。そのとき、世の中のあらゆる事象が説明されていると思われた広辞苑に答えを求めたところ、同性愛とは“異常性欲のひとつ”とあったという。

「あの頃はインターネットがなかったので、広辞苑のほかにも百科事典で調べてみたりもしました。そこには、同性愛とトランスジェンダーを混同している記載もあったように思います。同性愛者の男性は自らの性的指向を自覚すると、徐々に女性っぽくなっていって、そのうち女性の格好をするようになると。さらには、同性愛者は恋愛をしても長続きがしないとも」

打ち砕かれた、未来の幸せな家族像

手近にあった本に書かれた説明から、同性愛は異常なことであり、病気なのだと受け取った少年の頃の石坂さんは、「死にたい気持ちになった」という。

「あぁ、自分は異常なんだ。今、自分は自分を男性だと自覚しているのに、いつかは自覚する性別が女性になるのかもしれないという不安と、誰かと恋愛関係を築けたとしても、末長く付合っていくことができないんだ、という絶望感に襲われました。なんとか、この状態から脱したいと、広辞苑のいう“同性愛者という異常な状態”を治す方法も探したんです。でも、病気のように治るとか治らないといったものではないということが次第に分かってきて、誰にも相談できない秘密を抱えて、ひとりで思い悩むようになりました」

ぼんやりと未来に思い描いていた、愛する人と幸せに暮らす家族像。自らのセクシュアリティを自覚すると同時に、そんなささやかな夢と希望が打ち砕かれたのだ。

その苦しみを背負ったまま、中学生となった石坂さん。ただでさえ、人と違うことがあると不安になってしまう年頃だ。ますます苦しみは膨れ上がったが、学校には救いもあった。部活動や生徒会の活動といった、打ち込むことのできる対象だ。

02人生を決めた障碍者施設のボランティア

考えられないように、とにかく何かをしたい!

「とにかく考える時間をなくしたかったんです。考えてしまうと、出口のない悩みに陥ってしまうから。中学に入るとすぐに吹奏楽部に入って、ホルンの練習に打ち込んだり、生徒会に入って様々な活動に参加したりしました。でも、夏休みになると授業だけでなく部活動も生徒会活動も休みになってしまって、考える時間ができてしまったんです。そうなると、今の自分の状況、将来に対する悩みがワッと吹き出してきて、居ても立っても居られなくなってしまって……。そんなとき、知的障碍者施設のボランティア募集のチラシを発見したんです。もう、飛び込むような感じで、ひとりで参加しました」

考えちゃいけない、何かをしてなければ、そんな強迫観念に似た思いから参加したボランティア。そこにもまた、救いがあった。

「その頃の僕は、同性愛者である自分を悪い存在だと思い込んでいたんです。そんな自分でも、少しでも人の役に立ちたい、少しでも良いことをしたいという気持ちがあって。ボランティアでは、福祉作業所で知的障碍者と一緒に文房具の袋詰めなどをするんですが、やってみると思っていた以上に面白かったんです」

障碍児の教育を志すきっかけに

障碍があるかないかの境界線はあったのかもしれないが、大きな隔たりや戸惑いは一切感じることはなかった。障碍をもつ相手と接することは新鮮で、発見に満ちていたのだという。結局、中学校の3年間、夏休みは毎年ボランティアに参加した。

このボランティアの経験が、石坂さんが発達障碍児の教育と心理の専門家となるきっかけとなったのは明らかだろう。自分と向き合うことから逃げた結果、自分が将来志すべきものを発見したともいえるかもしれない。それは、同性愛者である自分を受け入れられずに思い悩んでも、決して腐ることなく、とにもかくにも行動を起こしたからこその結果なのだ。

03吹っ切れて、カミングアウトラッシュ

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初めての告白とカミングアウト

高校生になった石坂さんは、思うことを積極的に行動へ移す実行力を生かして、生徒会の会長となった。そして、そこで本気の恋を経験することになる。

「好きな人ができたんです。でも、彼はストレートだったので、同性愛者である僕に好かれたら迷惑だろうな、と思って、また深く悩みました。その頃は、電車で通学していたんですが、電車がホームに入ってくる瞬間に、スッと電車に吸い込まれるような感覚があったんです」

10歳のときに感じた「死にたい」という気持ち。その苦しみは誰にも伝えられず、解消されないまま、まだ心のなかで燻っていたのだ。しかし、石坂さんは決心をする。好きだという想いを、一か八か伝えてみようと。

実は、石坂さんの母方の家系は4人姉妹で後継がおらず、そこへ養子に入ってほしいという話があった。もちろん、養子に入るということは、女性と結婚して、子どもをつくって、未来へと血をつなぐことが大前提だ。その話と真っ向から直面したとき、いよいよ家族にもカムアウトしなければならないと覚悟はしている。じゃ、そのときが今に早まってもいいや、という気持ちもあったという。

「想いを伝えたら、僕に対して恋愛感情はもてないけど、『君がゲイであることはいいんじゃない?』と肯定的に言ってくれたんです。そしたら、なんだか吹っ切れて、信頼できる友だち数人に続けてカムアウトしました」

自分以外のLGBTとの接点

最初に好きな男性に、そして次に信頼できる友だちに。カムアウトしたあとには、明らかな気持ちの変化があった。線路に吸い込まれるような感覚がなくなったのだ。

抱えていた重荷を下ろし、身も心も幾分軽くなったら、周囲の情報も自然に目に入ってくるようになった。その頃は性的マイノリティに関する雑誌や書籍が数多く出版され始めた時期。石坂さんはゲイサークルの情報が載っている雑誌などのメディアを通じて、自分以外のLGBTとつながり始めた。しかし、情報を集めるため、つながりを広げるために購入して、部屋に置いておいたゲイ雑誌が、なんとお母さんに見つかってしまったのだ。

04あなたを産まなければよかった

母から返ってきた痛いボール

本気で好きになった男性に告白してから、お母さんにゲイ雑誌を突きつけられるまで約1ヶ月。しかし、その頃には、相談できる相手ともつながっていた。もしも、両親へのカミングアウトがうまくいかなくても、その人たちに相談できるから大丈夫、という気持ちが背中を押してくれた。

そして、両親に自分が同性愛者であることを告げた。

「勇気を振り絞ってカムアウトしたんですが、やはりすぐには受け入れてもらえず、『産まなければよかった』とさえ言われてしまいました。それでも僕は、理解してもらおうと、諦めずに同性愛についての話題を振り続けた。ボールをどんどん投げ続けたんです」

すると、お母さんからも痛いボールが返ってきた。しかし、石坂さんは誠意をもって、すべての質問に答え続けた。お母さんが投げ返してきたボールを、投げ返し続けたのだ。

「同性愛者だと言われている歴史上の人物や世界的な有名人を教えたり、性的マイノリティについて肯定的に書かれている本を読んでもらったり、同性愛をテーマにしたドラマの話題をふってみたり。常に、情報をシェアしていました。母も努力してくれて、頭では理解してくれる段階までいったんですが、気持ちとしては受け入れられない……そんな状態が長く続きました」

健やかに育ってくれた息子を誇らしく思い、親は幸せを噛み締めるのだろう。親はまた、子の幸せを願う。自分が子を慈しむように、子が家庭をもち、親としての幸せを噛み締められたら……と。その、親としての願いと現実の狭間で揺れ動き、お母さんの心が石坂さんの告白を受け入れるためには、多くの時間が必要だった。

自分のなかにあった無意識の差別

それでも、石坂さんは親子で同性愛について話す機会をもち続けた。絶対に、うやむやにはしない。きっといつか、受け入れてくれるはずだと。

「ある日、母自身もひとりで抱えるのが辛くなって、友人に相談したらしいんです。すると、あなたが悲しんでいるのは、あなたのなかに差別意識があるからでしょ、と言われたんだそうです。母は、意識せずに同性愛者を差別していた自分に気づき、そこでストンと腑に落ちたんだと言っていました」

ゲイは気持ち悪いから嫌だ。では何故、気持ち悪いのか。みんなが気持ち悪いって言うから。そんな風に、知らずに刷り込まれていた差別意識に気づいたからこそ、お母さんは意識を改めて、また石坂さんと正面から向き合うことができたのかもしれない。

05カミングアウトのリスク

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同性愛者も結婚しなきゃだめ

「相手に言うだけ言ってスッキリするのではなく、相手が本当に受け入れてくれるまで、何度もボールを投げ続けることが大事なんです。親にカムアウトしたはいいけど、その後は何も触れなくて、何年か経ったあとに、親から『同性愛者であったとしても結婚しなきゃだめでしょ』と結婚話を持ちかけられたといったことも聞かれますし。そうならないためにも、根気よく話し合いを続けないといけないと思うんです」

多くの人が一番に自分を受け入れてほしいのが、きっと親だろう。しかし、親子の関係が崩れてしまうことを恐れて、あるいは親を傷つけたくなくて、カミングアウトを避ける人が多いのも事実。親に対して、LGBTである子どもは、どのように接すればよいのだろうか。

「カムアウトした場合もしない場合も、親は子どもの将来を気にして、常に見守っているものです。たとえ同性愛者であることを親に伝えず、結婚しないままでも、多くの友人がいて、生活基盤が安定していて、幸せに暮らしていることを見せて、安心させてあげることが大事なのではないでしょうか。結婚することだけが子どもの幸せではないんだよ、ということを体現するんです」

本当にカムアウトする必要があるのか?

そう、カミングアウトにはリスクもある。相手が親であれば、同性愛者である自分が親の負担になってしまうかもしれない、不安な気持ちを一緒に背負わせてしまうことになるかもしれない。友だちであれば関係を絶たれてしまうかもしれない、同僚であれば働きづらくなってしまうかもしれない。

「好きな相手に対しても、親友に対しても、カムアウトするときは、相手がジェンダーや社会の多様性について、どのような考えをもっているのかを、それとなく確認しつつ、慎重に伝えていきました。本当に伝える必要があるのかも熟考しました。これからも関係を深めていきたい相手であると自分が確かに思うのであれば、伝えようと」

そうして信頼できる相手に対して、少しずつカムアウトしていった石坂さん。今では、ゲイであることをオープンにして中野区議会議員を務めている。では、議員になろうと思ったきっかけはどんなことだったのだろうか。

後編INDEX
06 マイノリティが生きやすい社会を
07 性的マイノリティのメンタルヘルス
08 同性カップルで暮らす難しさ
09 あと10年で夫夫の銀婚式を
10 人が変われば、世間も変わるはず

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