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ろうだからとか、ゲイだからとかいう固定概念にとらわれない。自分は自分、そうやって生きていく。【後編】

ろうだからとか、ゲイだからとかいう固定概念にとらわれない。自分は自分、そうやって生きていく。【前編】はこちら

2018/10/08/Mon
Photo : Tomoki Suzuki Text : Shinichi Hoshino
前田 健成  / Takenari Maeda

1986年、大阪府生まれ。先天性感音性難聴を持って生まれる。幼少期に東京に転居し、小学校から高校までは都立のろう学校に通う。亜細亜大学国際関係学部に在学中、ゲイであることを自認。現在は自らのセクシュアリティをオープンにしている。23歳のときにがんが発覚。3度の手術に1年間の闘病生活、リハビリ期間を経て寛解。現在はフリーランスとして私立のろう学校で非常勤講師を務めるほか、「Deaf Cloud」というメディアを立ち上げ、ろうや手話、LGBTQなどに関する幅広い活動をおこなっている。

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INDEX
01 「ろう」に生まれて
02 口話の猛特訓をする日々
03 ろう学校への転校
04 社会の期待に応えられない
05 「ゲイかもしれない」という相談はできなかった
==================(後編)========================
06 初恋、闘病、ゲイだと告白
07 家族へのカミングアウト
08 自分の居場所はどこにある?
09 自然な会話のなかでLGBTを伝えたい
10 すべての点は線になる

06初恋、闘病、ゲイだと告白

ゲイであることの証明

初恋の相手は、別の大学のろうの人だった。

「僕の大学にもよく遊びに来ていた人で、僕より背の低いスポーツマンでした」

「ユーモアがあって、いつもニコニコしているような人でしたね」

出会ってすぐに好きになった。

家に帰っても眠れないくらいドキドキした。
いつも頭のなかで、彼のことを考えていた。

「この初恋で、たぶん僕はゲイなんだって思いました」

だが、それでもまだ認められない自分がいた。

そこで、高校時代のトランスジェンダー FTMの先輩に相談することにした。

「僕ってゲイなんですかね? って聞いたら、『そうだよ』ってはっきり言われたんです(笑)」

「先輩のひと言で証明されたというか、初めて自分でもゲイだって認めることができました」

がんの診断とカミングアウト

ゲイだと自認してから、カミングアウトするまでの時間は短い。

きっかけは、がんだった。

「23歳のとき、がんが発覚したんです」

精巣に腫瘍が見つかり、肺や血液、リンパ節にも転移していた。

医師からは、早急に手術が必要であることを告げられた。

「がんの診断を受けて、もう明日、死ぬかもしれないんだなって」

「だったらもう、ゲイだって言っても問題ないだろうって思ったんです」

死ぬ前に悔いが残らないようにしたいと思い、初恋の彼に会って、手紙を渡した。

数日後、メールが届いた。

「『男が好きだからって、前田のことは嫌いにはならないよ』っていう内容でした」

恋は実らなかったが、ゲイであることは受け入れてもらえた。

がんに勝った下心

3度の手術に、1年間の闘病生活を経て、がんは寛解した。

医師からは、奇跡だと言われた。

「奇跡っていう言葉を聞いて、本当に死んでもおかしくなかったんだな、って思いました」

なぜ奇跡を起こせたのだろうかと、考えたことがある。

「いろんな理由がありますが、たぶん10%くらいの下心も、奇跡の理由かもしれません(笑)」

「僕はそのとき、彼氏ができたこともなくて、男性とのセックスの経験もありませんでした」

「人生のなかで、この2つだけはどうしても経験しておきたかったんです(笑)」

「だから、このまま死ぬわけにいかないって」

性欲は、結果的に “生欲“ につながり、がんに勝てたのかもしれないと思う。

念願の初体験は、がんが治ってリハビリ生活を終えた後。

「パートナーではなく、アプリで知り合った友だちでした」

「えっ、これなの? っていう感じでしたね」

「意外にあっけないというか、これで終わり? って(笑)」

「もちろん、相手の上手い下手とかもあると思いますけど(笑)」

「経験する前に、想像を膨らませすぎちゃったっていうのもあるかもしれませんね」

「長いこと妄想の世界に入り込んでいたから、期待値だけが高まっちゃったのかな(笑)」

07家族へのカミングアウト

ダスキン愛の輪基金の海外研修に応募

がんの闘病を終えた後、「ダスキン愛の輪基金」の取り組みを知る。

そして、「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」に応募した。

「簡単に言うと、自分が出した研修テーマが審査に通ると、好きな国に研修に行けるっていう事業です」

「これだ! って思って、“ろうLGBT” をテーマにして応募したら審査に通ったんです」

第34期研修派遣生に選ばれ、アメリカに行くことになった。

その後、すぐに気づくことになるが、ろうLGBTのテーマで研修派遣生に選ばれたことは、ダスキンのホームページに掲載される。

「当時は、一部の人にはゲイだって言ってましたが、そこまでオープンにはしてませんでした」

「だから、これでみんなにバレちゃうなって」

真っ先に思い浮かべたのは家族のことだ。

「僕がゲイだって知ったら、どう思うだろう・・・・・・」

家族がホームページを見てショックを受けないように、自分からカミングアウトすることに決めた。

はじめに、2番目の兄に手紙で打ち明けた。

「お兄ちゃんは、『何かできることはある?』ってメールをくれました」

「僕は、これから両親にも話すから、立ち会ってほしいってお願いしました」

その後、次兄に立ち会ってもらい、両親にカミングアウト。

長兄にも手紙を出して、家族全員へのカミングアウトを済ませた。

お母さんだけは泣いてなかった

両親へのカミングアウトは、縁を切られる覚悟をしていた。

「僕も泣いてたし、お兄ちゃんもお父さんも泣いてました」

「でも、お母さんは泣いてませんでした」

母は険しい表情で、「(筆談の)紙をよこしなさい!」と言った。

そして、まくし立てるように続けた。

「私の息子だから、あなたがゲイであることは受け入れる」

「だけど、赤の他人のゲイは受け入れられない」

「だから、あなたに彼氏ができても会いたくないし、ゲイの人を家に入れてはいけない」

カミングアウトの後、母はしばらく口をきいてくれなかった。

「しびれを切らして、何で話してくれないの? って母に聞いたんです」

「同じ家で暮らしてれば、最低限の連絡事項とかあるじゃないですか(笑)」

母から「・・・・・・社会はこういう反応なのよ」と言われた。

「昔からずっと、お母さんは社会の代わりなんです」

母は社会の気持ちを映してくれる人。

母の厳しさは社会の厳しさだと、あらためて知らされた。

お母さんもマイノリティ

「30年前、ろうの子が生まれたわけで、お母さんもマイノリティなんですよね」

「そのせいで、社会的にいろんな圧迫を受けてきたんだと思います」

「僕は、ろうだけじゃなくて、がんにもなったし、ゲイでもある」

「いわば、3つのマイノリティですよね」

「お母さんには大変な苦労をかけたと思っています」

とにかく厳しく、頑固な母。

「昔はずいぶんケンカもしたけど、僕にとってはずっと自慢の母です」

08自分の居場所はどこにある?

どんなコミュニティにも入れない

ゲイだと自認してからも、社会に対して、どうやって自分を出していけばいいのか分からなかった。

恋愛経験もなく、彼氏の作り方も分からない。

「とにかくいろんな方法を試してみようと思って、調べまくりました」

出会い系サイトやアプリにも、決して少なくないお金を使った。

新宿二丁目にも足を運んだ。

でも、しっくりこなかった。

「なんで、わざわざ暗い飲み屋に集まって、本名を言わずにあだ名で呼び合うんだろうって」

ろうのLGBT団体があったので、そこにも行ってみたが、自分は違うと感じた。

ゲイのコミュニティにも合わないし、ろうのコミュニティも合わない。

「どこに行っても、自分の居場所はないんだって思ってました」

自分の居場所は心のなかに

しばらくは自分の居場所がないことに悩んでいたが、今はそういう悩みはない。

「多くの人は、何らかのコミュニティに属しているけど、別に所属しなきゃいけないわけじゃないだって」

「最終的に、自分の居場所は自分の心のなかにあるんだって気づいたとき、悩みは消えていきました」

ゲイの世界も、ろうの世界も、マイノリティだけで集まる風潮がある。

「たとえば、ゲイの友だちをつくりたいと思ったら、二丁目に行けばいいじゃんとか、アプリやってみればいいじゃん、っていう社会的な雰囲気がありますよね」

「でも、僕の理想はそうじゃないんです」

「LGBTもストレートも関係なくみんなが集まって、そこで生まれる自然な交流のなかで好きになったりすればいいのかなって」

理想の世界を、実際に体感したことがある。

「以前、サンフランシスコに行ったときは、そんな雰囲気がありました」

ゲイもストレートも関係なく、誰もが自然な状態でいるのを目の当たりにした。

「LGBTだなんてわざわざ言う必要もなく、自然に受け入れられているんです」

一方で、今の日本ですぐに同じ環境を求めるのは難しいと思っている。

「でも、逆に日本の現実を受け止めたことで、何かすっきりしましたよね」

「そもそも、マイノリティとマジョリティって、時と場所によって逆転したりするものです」

「聴こえる人がろうの世界に入っていけば、彼らがマイノリティになるわけで」

「日本人が一人で海外に行ったら、そこではマイノリティになるんです」

ろうとか、LGBTとか、そういう “区別” が必要なのは分かっている。

だが、マイノリティもマジョリティも気にすることなく、みんながつながるのが理想だ。

09自然な会話のなかでLGBTを伝えたい

フリーランスの講師という働き方

現在は、明晴学園という私立のろう学校で非常勤講師をしている。

明晴学園は、日本で唯一、日本語と日本手話のバイリンガル教育をしている学校だ。

「一般的なろう学校では、手話は補助的な手段でしかなく言語として扱っていません」

「日本語をしっかり覚えさせるという考え方で、口話教育をベースにしている学校が多いんです」

そんななか、明晴学園では口話教育はおこなっていない。

「私立なので、カリキュラムが自由だっていうのも大きいと思います」

当初は、正規の教員として働いていた。

2年間は担任を持っていたが、その間はとにかく忙しかった。

体調を崩したとき、適応障害という診断を受けたのがきっかけで、非常勤として働く決断をする。

「今年からは、フリーランスとして非常勤講師をしています」

「今は小学生に、日本手話を使って社会と算数を教えています」

「以前に比べると、自分らしく、とても気楽に教えられていると思いますよ(笑)」

LGBTのことを自然に伝えたい

生徒たちのために頑張らなきゃいけないという使命感はない。

ただ、ゲイの講師として伝えるべきことはあると思う。

積極的にLGBTの話をすることはない。
自分の体験を語るようなこともしたくない。

「でも、実際にLGBTが “いるんだよ” って言うことはあります」

「社会には、男女のカップルだけでなく、同性のカップルもいるんだよって」

あえて、ピンクの服を着て学校に行くこともある。

「『前田先生、ピンクっておかしいよ』っていう子もいるんです」

「僕は逆に、どうして? ピンクはだめかな? って問い返すんです」

「そう言うと、生徒たちはみんな不思議そうな顔をして、考えたりしてます」

社会の授業で、「トイレの男女のマークを別のマークに変えるとしたら?」というお題を出したこともある。

「トイレットペーパーの絵を書く子もいたりして、それ分かりやすいじゃん! って言ったりね」

「昨日は、ある生徒が突然、『先生ってゲイなんだよね?』って聞いてきました」

「インターネットで見たんだと思います」

「僕は、うん、そうだよって」

「ただそれだけの会話でした(笑)」

決めつけたり、思い込ませたりする教育はしたくない。

世の中には、いろんなセクシュアリティがあるということ。

そのどれもが、特別ではないということ。

「自然な流れのなかで、ちょっとしたきっかけを与えて、そんなことを考えてもらえたらなって思います」

10すべての点は線になる

固定概念を壊したい

世の中には、恋愛ひとつとっても、「こうするべき」「それはおかしい」「普通はそうしない」というような、固定概念がある。

ろう者の中でも同じだ。

「ある人は、ろう者なんだから手話を使うべきだって言ったり、筆談はダメだって言う人がいたり」

働き方についても同様。

「社会的にはいまだに、会社に勤めてフルタイムで働くべきだっていう雰囲気もありますよね」

多くの人が社会的な固定概念にとらわれ、「こうでなければいけない」と思い込んでいると感じる。

かつては、自分もそうだった。

「でも最近、それがすごく嫌だって思うんです」

セクシュアリティも、恋愛の仕方も、聴覚障がいの考え方も、働き方も、全部いろいろあっていい。

「ゲイの付き合い方はこうあるべきとか、そういうのはもう自由でいいと思うんです」

「前田ってちょっと変わってるよね」と言われることもある。

「でも、みんな違っていいじゃんって思うんです(笑)」

「社会にとらわれない生き方をしたいって、考えることが増えました」

今年になって、「Deaf Cloud」というメディアを立ち上げ、フリーランスでろうや手話、LGBTに関する活動を始めた。

Deaf Cloudでも、指針の一つとして固定概念を壊すということを掲げている。

今まで起きたすべてのことに意味があった

今まで、たくさんのゲイの人に会って、悩みを相談してきた。

アプリを通して会った人も多い。

「ゲイのアプリって、仕組み上、1回だけ会うっていう形で、友だちにはならない感じなんです」

「たった一度きりの出会いでも、どの人も親身になって話を聞いてくれました」

みんなが、いろんな意見をくれた。

今、それが積み重なって、ゲイとしての生き方をしっかり定めることができた。

間違いなく、自分の血肉になっている。

「だから、今まで会ったゲイの人たちにお礼が言いたいですね」

「人生って、いろんな点(ドット)がたくさんあると思います」

「どんなにくだらないことでも、一つひとつの出来事は全部点を作っていくんです」

そんな無数の点が今、線(ライン)になってきていると感じている。

「自分のなかですべての点が、結びついてきてるんです」

「クモの巣みたいに、一つひとつの点がつながっているイメージです」

今までに起きたすべてのことに意味があったんだと思う。

「だから、今の僕があるんです」

あとがき
誰かがつくった窮屈な世界に、健成さんは魅力を感じない。常識は、社会が自律的に機能するためのガイドライン。大切ではあるけど、でも、強制はされたくない。健成さんは、少しずつ自由になっていった■カミングアウトのあと「・・・社会はこういう反応なのよ」と、お母さんはしばらく口をきいてくれなかったという。小さな頃からずっと[社会の代わり]を体現し、ときには泣きながら教えてくれたお母さん。厳しさの根底にあったものは、揺るぎない愛情だ。(編集部)

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