02 同性愛はいけないこと
03 インドアな趣味
04 優等生という仮面
05 茨城を出て、千葉の高校へ
==================(後編)========================
06 音大でのカルチャーショック
07 人生のターニングポイント
08 大人の一歩を踏み出す
09 恋愛で受けた傷をきっかけに
10 音楽とLGBT活動、二足のわらじで
01グランドピアノがある家庭
文化系の母と体育会系の父
「家では、常に音楽が鳴り響いていることが当たり前でした」
母は音大出身で、ピアノや合唱の講師をしていた。そんな家庭に生まれたから、
4歳の時に始めたピアノのレッスンも、ごくごく “当たり前” のことだと思っていた。
兄と弟、そして12歳離れた妹が1人という、4人兄弟。
「父は教師で、野球の顧問などもやっていたので、自分以外の男兄弟は、どちらかというとスポーツ系でした」
文化系の母と体育会系の父という、対照的な両親。
「今考えたら、自分は母からの影響が大きかったんだと思います。当たり前すぎて当時は気づいていなかったんですけど、グランドピアノが自宅にある家庭って、普通ではありえないですよね」
母からの影響が大きかった反面、教員をしていた父との思い出は、正直それほど多くない。
「父は、休みの日も野球部の顧問で部活をやっていたり、少年野球を教えていたりしたんです」
「だから、ある種のファザーコンプレックスを抱えていました。小さい頃は、お父さんに甘えたりすることができなかったんです」
さらに、小学校に入学する頃、父に悪性リンパ腫が見つかった。
「物心ついた頃には父が病気だとわかっていたので、子供ながらに、父は緩やかに死に向かっているんだな、となんとなく思っていました」
男の子への恋愛感情
生まれ育った茨城県の田舎では、クラシック音楽を嗜んでいるということ自体、かなりマイノリティなことだった。
「『男の子がピアノをやっている』というだけで、周囲からいじられることもありました。だから、小さい頃からずっと、居心地の悪さを感じていたんです」
そんな中、保育園に通っている頃から、男の子への興味も抱き始めていた。
「すごく恥ずかしいんですけど、年長さんの時に、隣に寝ていた男の子の身体を触ったりしていたんです(笑)。それが一番古い記憶ですね」
もちろん「同性愛」という言葉もまだ知らなかったけれど、幼ながらに強い性的衝動を感じたことは、今でもはっきりと覚えている。
「本当はやっちゃいけないという思いもどこかにあったので、まわりにはバレないようにしていました」
自宅では、アニメが好きでよく見ていた。しかしそこでも、登場キャラクターに対してドキドキしてしまうことが頻繁にあった。
「ドラゴンボールに出てくるキャラクターが、戦っていて服がはだけて、筋肉が見えた時に、すごく興奮していた覚えがあります(笑)」
「自分でも気持ち悪いなと思うんですけど、その記憶は鮮明に覚えてるんですよ」
02同性愛はいけないこと
女の子になりたい
「性的なことに対して、すごく早熟だったんです」
小学校低学年の頃には、「男の子とキスしたい」というような、具体的な欲求も芽生えるようになっていた。
「自分は普通と違うんじゃないか、変態なんじゃないかって思ってました」
さらに、今振り返ると、自分はトランスジェンダーだったのではないかと思う時期もあった。
「年の近い従姉妹のお姉ちゃんと遊ぶのがすごく楽しくて、リカちゃん人形で遊んだり、セーラームーンも好きでした」
当時は、単純に女の子遊びをしたいというよりも、「女の子として扱われたい」と感じていたように思う。
「朝、目が覚めたら、髪が伸びて女の子になってたらいいなと強く思ってた時期もあったんです」
だから、髪の毛を短くするのも嫌だった。美容院に行ったら勝手にスポーツ刈りにされてしまい、泣き出してしまったこともある。
「今となっては、髪もむしろ短くしていたいくらいなんですけど、その時は、男の子っぽい髪型や格好がすごく嫌だったんです」
「でも、そういう感情は徐々に消えていきました。なんとなく環境に適応していったような気もしています」
トランスジェンダーの場合、成長するにつれて性別違和が薄れていくということは、ほとんどないことだ。だから、幼い日の自分が本当にトランスジェンダーだったのかどうかは、よくわからない。
「成長過程でトランスジェンダーでなくなるというのはあり得ることなのか、誰かが調べて論文でも書いてくれたら面白いと思うんですけどね(笑)」
クリスチャンの母
母は、厳格な宗派のクリスチャンだった。
自分を含め、父や兄弟たちは無宗教だったものの、小さい頃は、母に連れられて集まりに参加したこともある。
そんな折に、その宗教の出版物を読んでいて、気になる記述を見つけた。
「その絵本の中に、『同性愛は禁止されていて、直さなくちゃいけないものだ』みたいなことが書かれていたんです」
自分は男の子が好きだけど、それは、お母さんが信じる神様には許されていないことなんだ・・・・・・。幼ながらに葛藤を感じ、引き裂かれるような気分になった。
「自分は神様から嫌われちゃうようなことをしているっていう、すごく背徳的な感覚が、長い間ありました」
また、父方の実家は仏教だったので、それが原因で母ともめることもあった。
「ただ、キリスト教を通して人生のヒントになるようなことは教えてもらえたから、大人になってからは、そういう教育を受けてよかったなと思えています」
大人になって、音楽の道を志すようになってからは、キリスト教や聖書の知識が糧となる場面も多かった。
「母の信仰が原因で苦しんでいた時期もあったけど、今となってはキリスト教にまつわる教育を受けさせてもらったことが音楽に昇華できているので、すごくありがたいなと納得しています」
03インドアな趣味
アニメ声優への憧れ
「もともと、声楽家になりたいと思っていたわけではないんですよ」
小学校6年生の時に卒業文集に書いた夢は、「声優になってラジオのパーソナリティーをしたい」だった。
「当時、『新世紀エヴァンゲリオン』のアニメをリアルタイムで見ていたんです。ストーリーが衝撃的だった以外にも、声優をやりながら歌手活動もしていた林原めぐみさんにとても憧れていました」
週末は、夜中まで起きていて、ずっとラジオを聞いていた。
「週末は父も兄弟も野球をするために外に出てしまうので、一人で留守番をしていることが多かったんです」
だから、あまり外では遊ぶタイプではなかった。男の子遊びはどうやってすればいいのか、よくわからなかった。
セーラームーンが好き
小学校では、いじめとまではいかなかったものの、男子から手荒なからかいを受けていた。
「多分、ナヨナヨしていたからですね。兄がスポーツタイプだったから、それと比べてからかわれることも多かったんだと思います」
教室でセーラームーンの絵を描いていて、同級生から「気持ち悪い」と言われたこともある。
「『男の子らしさ』とか『女の子らしさ』を引き合いに出して、自分の好きなことを否定されたので、それからは、やりたいことがやりにくくなってしまいましたね」
「今でもセーラームーンは大好きですけど(笑)、当時はまわりに引かれることが嫌だったので、おとなしくしていました」
そうしたストレスからか、爪を噛む癖があったり、無意識のうちに髪の毛を抜いてしまう抜毛症になったこともあった。
「小さい頃から鬱傾向があって、ちょっとしたことで傷ついて悩んじゃったりしていたんです」
「日常のストレスが、そういう部分に出ていたんだろうなと思います」
04優等生という仮面
居心地の悪い中学時代
「小学校もでしたが、中学校時代は特に、居心地の悪さがすごかったです」
地元・茨城の中学に進学したものの、そこでもやはり、男子が音楽をすることに対して、偏見の眼差しが向けられていたのだ。
「吹奏楽部に入ったんですけど、性別のことを含んだニュアンスで『どうして運動部じゃなくて吹奏楽なの?』と、言われることもありました」
さらに、恋愛でも苦しんだ。
「僕の好きな男の子が、女の子と付き合ったりするのが一番しんどかったです」
時には、自分が間に入って、男女の仲を取り持つようなこともあった。
「さすがに、好きな相手に告白はできませんでした。だからずっと片思いのままでした」
好みのタイプは、運動ができる男の子。
「でも、気は多かったんですよ(笑)。サッカー部の子とか、みんな素敵に見えちゃいました」
同性に対する好意を実際に言葉にしたことはないが、日頃の行動に滲み出ている部分もあったのではないかと思う。
「まわりには『河野ってホモなんじゃねえの?』って言われることもありました」
そうやってからかわれることはあったが、処世術には長けていた。
「中学の時は、勉強はできる方だったし、外面はよくしていたんです。比較的、リーダーシップも取るタイプだったので、大人しいというよりは、割と目立っていた方かもしれないです」
吹奏楽部には、自分を含めて男子は2人しかいなかったこともあって、女子たちとの仲も良い方だった。
「ただ、まんべんなくみんなと仲良くしてましたけど、とりわけ仲がいいような子はいなかったです」
大人への不信感
「中学生くらいの頃は、まわりの大人を全然信用していなかったんですよね」
成長していく過程で、母が信じている宗教には、一般社会ずれしているような面があると、薄々気付き始めていた。
「親戚が借金で倒産してしまったり、おじいちゃんが脳梗塞で倒れたり、いろいろなことが重なったんですよね」
家族や親戚を取り巻く環境には明らかに問題があって、誰かがなんとかしなければいけないような状況だった。
「それなのに、なんで周りの大人たちはそれを解決させることができないの? みんな馬鹿なの? って思ってました」
だけど、そんな不信感を、母や周囲の大人たちに伝えることはできなかった。
「自分の中で溜めこんで、鬱っぽくなっちゃったんです」
相談できる友達もいない。そんな時に救いとなったのは、意外にも漫画という存在だった。
「『彼氏彼女の事情』という漫画を読んだんです。優等生の仮面をかぶった女の子が主人公というお話で」
進学校の高校に通う男女が、恋愛を通して、自分の生きる術を見つけて成長していくというストーリー。
「その漫画を通じて、ある意味、将来のロールモデルを知ることができて、前向きになったんです。その頃は、漫画やアニメの登場人物に自分を重ねることで救われていましたね」
05茨城を出て、千葉の高校へ
優秀で多様な同級生
「小中校生の頃は、は色々としんどかったので、自分のことを知っている人が少ない、千葉の高校に進もうと思ったんです」
そうして、嫌な記憶の多い茨城から逃げるように、千葉の高校へ入学した。県内でも有数の進学校だった。
「高校はすごく楽しかったです。優秀な子が集まっていたから勉強は大変でしたけど、話していて面白い人ばかりでした」
「学校には、トランスジェンダーやバイセクシュアルの同級生もいたので、それで救われた部分もあります。ただ、ゲイの同級生はいなかったから、その部分で物足りなさは感じていましたけどね」
校内には、FTMらしき生徒や、女の子同士で付き合っていることが傍目に感じられるようなカップルもいた。
「周りも、それについてはとやかく言わず、見守っている感じでした」
「それもあって、仲が良かった一部の子には、『自分は男の子が好きかもしれない』ということは話していました」
高校に入学してからは、ネットでひたすら自分と同じような境遇の同性愛仲間を探す毎日。
掲示板などを通して人と会うこともあった。
「でも、僕はストレートの人を好きになることが多かったので、掲示板を通して会った人が恋愛対象になるようなことは、そんなにありませんでした」
藝大への憧れ
高校では、合唱部での部活動にのめり込んでいく。
「吹奏楽は、中学校までで終わりにするって決めてたんです。でも、なんとなく音大進学を意識していた部分もあったので、高校では合唱部に入りました」
そうはいっても、まだ音楽家としての道を本格的に目指そうというつもりではなかった。
「高校生の時には、父が晩年だったということもあったので、音楽の教員になって、安定した収入を得る道がいいのかな、と思ってたんです」
実は、以前から東京藝術大学への強い憧れを抱いていた。
「でも、自分なんかに行けるわけがないって思っていました」
当時ついていた歌の先生にも、「記念受験はしない方がいい」と言われ、藝大受験を断念する。
そうして、私立音大の音楽教育科に進学することとなった。
<<<後編 2017/03/22/Wed>>>
INDEX
06 音大でのカルチャーショック
07 人生のターニングポイント
08 大人の一歩を踏み出す
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10 音楽とLGBT活動、二足のわらじで