INTERVIEW
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ゲイを隠しながら舞台に立った日々。いまは、シャンソンで愛を届けたい【前編】

母親のセレクトで赤やフリフリの服を着せられた少年時代。「オカマっぽい」と笑われたこともあったが、さして気にすることなく過ごしてきた。高校時代の一人暮らしで伝言ダイヤルを知り、禁断と思っていた世界との接触が始まる。ミュージカルの舞台に立ちながら、二度の恋愛と失恋を経験。シャンソンのメロディに乗せて、今日も愛のうたを歌う。

2019/11/13/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Shintaro Makino
範朗 /  Norio

1975年、茨城県生まれ。水戸市の老舗割烹旅館の長男として生まれる。旅館の婆やや、お手伝いさんなど大人の女性に囲まれて育つ。アイドルになりたい、という夢は叶わなかったが、中学生で観た演劇に目標を定め直す。ミュージカル俳優を経て、シャンソン歌手に転身。女性用のドレスをまとい、独自のスタイルで歌い続けている。

USERS LOVED LOVE IT! 16
INDEX
01 老舗割烹旅館の御曹司
02 なんてったって、アイドル!
03 演劇との出会いが転機となる
04 ミュージカル俳優を目指した高校時代
05 伝言ダイヤルで新しい世界を知る
==================(後編)========================
06 新宿二丁目デビュー、即、初めての夜
07 ゲイカップルの幸せと破局を体験
08 シャンソン歌手として再びデビュー
09 母へのカミングアウトは以心伝心
10 みんなに届け、「愛の権利」

01老舗割烹旅館の御曹司

女性に囲まれて育った

茨城県水戸市の繁華街、大工町に建つ老舗割烹旅館。その長男として生まれた。

「当時はものすごく景気がよくて、政治家や有力者が利用してくれて芸妓さんも頻繁に出入りしていました」

もとは母方の実家。

水戸の本店は叔父である弟に任せ、母は大洗の旅館を女将として切り盛りしていた。さらに母の姉は東京で別の店を経営していた。

「住まいは本店の敷地にありましたけど、両親は大洗に通っていました。だから、親はいつもいない状況でした」

それでも寂しさを感じたことはなかった。

「婆やとか、お手伝いさんという女性たちが常に周りにいて、私と妹の面倒をみてくれたんですよ」

「一緒に食事をしたり、話し相手になってくれたり。お風呂も一緒に入りましたよ」

将来は旅館を継ぐはずの御曹司だ。みんな、大切に扱ってくれた。

ときには芸妓さんたちと遊ぶこともあった。

「今思えば、幼い頃はずっと女性に囲まれて育ったんですよね」

「その頃は私もかわいかったんで(笑)、みんな優しくしてくれました。楽しく過ごした思い出しかありません」

いろいろな大人と過ごす幼少時。普通の家庭とは違う育ち方をした。

「お手伝いさんの一人が作ってくれたコロッケが大好きで。その人が手取り足取り教えてくれたレシピを覚えていて、今でもときどき作るんですよ」

母が選ぶ服はフリフリ

「母親は曲がったことが嫌いな、まっすぐな性格の人でした」

しつけにも厳しかった。

「言葉使いや、人との接し方など、よく叱られましたね。やはり商売人だからでしょうかね」

一緒に過ごす時間は少なかったが、常に深い愛情を注いでくれた。

母親なりの愛情の表現が洋服だった。

「昔の写真を見ると、赤い服をよく着ているんですよ。フリルがついたものもありました。よっぽどかわいがってくれたんでしょうね(笑)」

母親が選んだ服を嫌だと思ったこともなかった。

「こうなったのも、母のせいだと思ってますよ(笑)」

父は婿養子として家に入った人だった。父親と話す機会すらほとんどなかった。

「年に数回ですよ(笑)。婿養子だからでしょうかね、家族とは仲良くしない主義だったみたいで」

「私みたいに自由気ままに生きられるわけではありませんからね。彼なりに苦労したと思います」

02なんてったって、アイドル!

食べろ、食べろで、いつの間にか百貫デブ

水戸市内の公立小学校に通った。

「クラスの中でも、ちょっと変わった子でしたね。その頃から『オカマっぽい』なんてからかわれました」

「でも、なぜそう言われるのかも分からなかったので、まったく気にしませんでした。能天気な子だったんですよ」

小学校低学年のころは、体が弱く病気がちだった。体は食から、というので、食事の量が俄然、多くなった。

「何でも食べろ、食べろ、というわけです。その結果、百貫デブになっちゃいました(笑)」

好きだったのは、もっぱら女子アイドルだ。

「堀ちえみちゃんとか、キョンキョンが全盛期でしたね」

華やかなステージに憧れ、スターの真似をしているうちに、本気でアイドルを目指すようになる。

「勉強もスポーツもたいしてできなかったから、大人の前で歌って褒められるのがうれしかったんでしょうね」

当時はホリプロスカウトキャラバンなど、アイドルへの登竜門が数多くあった。

「自分で書類を書いて申し込むんですけど、すべて書類審査で落とされました(笑)。太っていましたし」

書類に貼ったのは、妹に撮ってもらった超素人写真だ。

「それでなくても、田舎の百貫デブですからね。絶対にダメですよ。痩せていてかわいくないとダメだというのは、後から気がつきました」

3、4年にわたったアイドルへの挑戦は、あえなく失敗に終わった。

いじめに遭い、登校拒否に

中学に入っても肥満は解消しなかった。

「痩せたいという気持ちはあったんですけどね、どうしたら痩せられるのか、分からなかったんです」

誰も痩せ方を教えてくれなかった。

「そのうちに、いじめられるようになってしまった」

汚い言葉を浴びせられ、登校拒否に。

「行ってきまーす、といって家を出るんですけど、学校には行きたくないんです」

「声色を使って、『風邪をひいたので、休ませます』なんて、母親のフリをして電話をかけたりしました」

しかし、そんな小細工は、すぐにバレてしまう。

「両親が学校に呼び出されて、いじめに遭っていることも知らされました」

すると、なんと両親がいじめていた子の家に一軒一軒、乗り込んでいった。

「クラスの半分以上の家ですよ。私はやめてほしかったんですけど・・・・・・」

ところが、怒鳴り込み作戦が功をそうしたのか、翌日からピタリといじめがなくなった。

「そのときに、母が『人は人。範朗は範朗だから』と、言ってくれたんです。その言葉で、気持ちがすっと楽になりました」

中学生活は一転、楽しくなっていく。

03演劇との出会いが転機となる

アラジンと魔法のランプ

中学には憧れの先輩がいた。

「その先輩と一緒にいたくて、バスケット部に入りました」

ところが、激しく動き回るスポーツは大の苦手だ。

「すぐに諦めて、次は誘われるまま相撲部に入りました(笑)」

ところが、格闘技は向いていないことが判明。これも長続きしなかった。

「そして、いじめに遭ったのもその頃で・・・・・・。何か、自分にできることはないのか、悩んでしまいました」

そんなときに転機が訪れる。

「中学2年のときに、学校に劇団が来たんです」

出し物は「アラジンと魔法のランプ」。ぬいぐるみミュージカルだった。

「これは面白い。自分でもやってみたい、と思って演劇部に入りました」

卒業公演で夕鶴を演じる

顧問は、女性の国語の先生だった。

「とても熱心な先生でした。その先生の指導がよかったんでしょうね。すっかり演劇が好きになりました」

新しい世界に足を踏み入れ、すべてが新鮮で刺激的に感じられた。

そして、中学3年の卒業公演では、体育館のステージで木下順二の名作「夕鶴」を仲間とともに演じた。

「拍手を受けて、ひとつのことを達成する喜びを知りました」

「とても生き生きとしていたよ、と先生にも褒めてもらいました」

思えば、周囲から褒められたのは初めてのことだった。
今まで、何をやっても中途半端でコンプレックスを感じてきた。

「自分にもできることがあるんだと思うと、とても開放された気持ちになりました」

将来、向かっていく目標が見えた心境だった。

プロレスごっこで男子と絡む

小学校の頃から女の子とは仲良くしてきたが、好きになる子はいなかった。

憧れるアイドルはいても、彼女たちの水着写真には、なぜか興味が沸かなかった。

「むしろ、男子アイドルの水着のほうが気になったりして・・・・・・(笑)」

級友たちが喜んでいるエッチな話題も、聞いているだけで、「ふーん」とやり過ごす。

「それでも、自分のことをヘンだ、とか、おかしいとは思わなかったですね」

そして、クラスで一番仲のいい男友だちとプロレスごっこをしていたときのこと・・・・・・。

「なぜか分からないけど、失禁をしてしまったんですよ」

男と絡み合うことで、無意識のうちに体が反応したのだろうか?

「とにかく、その体験は鮮明に覚えています」

相手は頭がよく、包容力のある魅力的な男の子だった。

「それからも、よく給食室の外の狭い一画で、その子とプロレスごっこをしましたね」

プロレスといっても、ただ絡んでいるだけ。

「何だか楽しくて、気持ちがよかったんです」

04ミュージカル俳優を目指した高校時代

親を説得して演劇科に進学

中学卒業が近づき、進路を決めなくてはいけない。

「もう普通の高校には行きたくなくなってました」

楽しさを知った演劇をやってみたい。両親にその気持ちをぶつけてみた。

「両親は反対でした。でも、なんとか頼みんで、渋々オッケーを取りつけました」

当時は、演劇科がある高校は少なかった。
探していると、知り合いから関東国際高校演劇科を紹介された。

「学校は、東京の初台にありました」

前年まで女子校だったが、その年から共学になるという幸運な巡り合わせ。

「クラスメイトは25人、そのうち男子は3人でした。イケメンとビジュアル系と肥満(私)だけ」

寮はなかったので、アパートでの一人暮らしが始まる。

それまでの大人数に囲まれる生活からの急変だ。

「でも、全然、寂しくなかったんです。一人でいることが好きなんだって、初めて気がつきました」

縄跳びダイエットで肥満解消

仕送りはたっぷりとあったので、お金は浪費した。

「一番は食べることですね。どんどん食べていました。必要ないのに、友だちの分も払ったりして(笑)」

しかし、授業が進むうちに痩せる必要性に迫られる。

「ダンスのレッスンで、白いタイツを履かなくてはいけないんですよ。それが、カッコ悪くて、こりゃダメだ、と(笑)」

「先生からも、本気で演劇をやるつもりなら痩せなきゃダメだ、とはっきりと宣告されました」

それから、先生の指導で縄跳びダイエットを開始した。

「3分跳んで1分休む、を繰り返すんです。きつかったけど、効きました。食事も、ある程度、我慢するようになりました」

こうして90キロあった体重を62キロまで落とすことに成功。同時に「百貫デブ」のコンプレックスも撥ね退けた。

これで演劇にも身が入る、と思った矢先、次なる障壁が立ちはだかる。

「茨城の訛りが直らなかったんです。みんなにクスクス笑われて、喋るのがイヤになってしまって・・・・・・」

それならダンスと歌で勝負できるミュージカルのほうが向いている、と気持ちを切り替えた。

「放課後にダンスのレッスンにも通うようなりました」

次第に目標が明確になった高校生活だった。

05伝言ダイヤルで新しい世界を知る

王子様のような存在

高校1年生のとき、別のクラスにとても気になる男子がいた。

「王子様みたいな存在に思えました。この人のことが好き、と初めて意識した人でした」

女の子にも人気があって、とてもモテる人物だった。

「でも、当時は純だったんでしょうね。好き過ぎて話しかけられないんですよ」

相手から声をかけられれば、会話はできるが、自分から話しかけることがどうしてもできなかった。

「挙句の果てには、わざと知らんぷりまでして。今じゃ、信じられませんね(笑)」

つき合いは、喫茶店に行くわけでもなく、せいぜい一緒に学校から帰る程度だった。

「卒業までに会話をしたのは、数える程度だったかもしれませんね」

卒業後の同級生の証言によると、「ノリは女の子に興味がないんだと思ってたよ」といわれる。

「周囲もうすうす、気がついてたんですね」

一度、女の子から告白されたことがあった。

「つき合ってみようかな、とも思ったんですが、100%大切にできないなら、やめたほうがいいと思い直しました」

「とことん、純だったんですねぇ(笑)。今じゃ、考えられません!」

伝言ダイヤルが未知の世界への入り口だった

徐々に自分のセクシュアリティに関する違和感を感じ始めたころ、好奇心を刺激するものに出会った。

「伝言ダイヤルです。知らない世界を覗いてみたいという気持ちを満足させてくれました」

知らない人と電話で会話する。

際どいセックスの話をする人もいれば、自分の職業や生き方をとうとうと語る人もいた。それが楽しくて、すっかりハマってしまった。

「無意識のうちに、自分がどう生きたらいいのか、探していたのかもしれませんね」

会おう、と誘われたこともあったが、怖くてそれはできなかった。

「高校生のときは、新宿二丁目にも行けませんでしたね」

そういう世界がある、ということを知るだけで十分に満足していた。

「当時、ゲイ雑誌に伝言ダイヤルの広告が載っていて、それを見て電話をかけていましたね」

課金サービスなので、電話代が膨大にかかる。

「電話代は親が払っていました。何度か、電話代が高いと怒られたことはありましたよ」

親も息子の一人暮らしが心配だったのだろう、必要なお金だといえば払ってくれた。

隠すことは、暗黙の認識

ゲイ社会の情報や知識が増えても、自分のセクシュアリティについて真剣に悩むことはなかった。

その背景には、「範朗は範朗」と言ってくれた母親の言葉があった。

「自分は自分なんだから仕方がない、と思えたんですね。本当に能天気でした」

もちろん、同級生にカミングアウトすることもなければ、伝言ダイヤルで遊んでいることも話さなかった。

「漠然と、そうなんじゃないかと思われている分にはいいんですけど、はっきりと言ってしまうと、クラスの雰囲気が悪くなるような気がして・・・・・・」

「高校では、女っぽいとすら言われたことがなかったですね。みんなが気を使っていたのかな」

今とは時代が違うから、「言ってはいけないこと」という暗黙の認識もあった。
それを都合よく利用していたのかもしれない。

演劇と新しく刺激的な世界を満喫した3年間だった。

 

<<<後編 2019/11/16/Sat>>>
INDEX

06 新宿二丁目デビュー、即、初めての夜
07 ゲイカップルの幸せと破局を体験
08 シャンソン歌手として再びデビュー
09 母へのカミングアウトは以心伝心
10 みんなに届け、「愛の権利」

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