02 初恋の相手はバレーボール部のキャプテン
03 思い詰めた告白への答えは、NO
04 最後の一線を超えられなかった女の子との交際
05 初めての夜。そして、ゲイの世界を知る
==================(後編)========================
06 交際の動機はセクシュアリティの確認
07 高知にゲイは少ない。パートナー探しは卒業後
08 煩わしいと思っていた故郷が大好きになった
09 母親へどう伝えるかが大きな課題
10 目の前に広がっていく いろいろな可能性
06交際の動機はセクシュアリティの確認
大学進学。高知での新生活が始まる
高校を卒業。大学進学を希望する。
大学卒業の資格を取ることで、給与面などで社会人としてのレベルを上げることができると考えた。
「沖縄から出て、ほかの県に行きたいという希望もありました。家計の関係で国公立なら、という条件で進学を許してもらいました」
高知県と沖縄県は風土が似ていて、歴史的にもつながりが深い。
「第一希望は国立高知大学にしました」
ところが、センター試験に失敗。
「次の候補を探していると、夜間の学部がある県立大学を見つけたんです」
高知県立大学文化学部文化学科を受験し、見事に合格。
高知での新生活が始まった。
アルバイト漬けの生活
大学では地域の町づくりなどを勉強している。
「でも、正直なところ、勉強は二の次です。アパート暮らしで、学費も自分で払う約束だったので、最初からバイト漬けの生活になりました」
昼間は料理の腕を生かしてカフェのキッチン。授業が終わってからは、深夜営業の居酒屋でホールを担当している。
「カラオケボックスで働いたこともあります。毎日、どこかでバイトをしている感じですね」
実は、一度決まっていた奨学金を父親が取り消してしまった、という経緯があった。
「兄が奨学金を返すのに苦労しているのを見ていたんです。卒業して、社会人をスタートするときにマイナス300万円がいいのか、ゼロがいいのか、と問い詰められて。それならと諦めました」
夜間のクラスなので、3割は年上の社会人。授業以外の時間を学生同士で共有する場もほとんどない。
「高知には仲のいい友だちはほとんどいないですね。月に一度、大阪や東京に遊びに行くのが、唯一の楽しみです」
恋愛ものからアニメまで映画を観ることが大好きだが、もっぱらひとりで行くことが多い。
女性とのつき合いに再チャレンジ
自由になる時間が少ない大学生活だが、一度、女性とつき合ったことがある。
「大学の1学年上の先輩でした」
つき合う動機は、自分のセクシュアルティの再確認だった。
高校のときの苦い経験から、自分は本当に女性とは性交渉を持てないのか、と悩んでいた。
「あのとき、たまたま出来なかっただけで、他の人ならその気になるかもしれないと・・・・・・」
「自分がゲイであることを否定したいわけではありませんでしたが、本当のところ、どうなんだろう、自分は・・・・・・という気持ちでした」
しかし、結果は同じ。
「先輩には申し訳なかったけど、無理でした。つき合い自体が、お互いにあまり楽しくなかったんだと思います」
別れるときは、「忙しくなった」とか、適当な理由をつけた。
つき合いは、わずか1カ月。
「相手も軽くサバサバした人で、『そうなんだ』とあっさり許してくれた。
07高知にゲイは少ない。パートナー探しは卒業後
遠距離は無理!
2度目の女性とのつき合いは、自分がゲイであることを再確認する結果になった。
「ゲイなんだな、僕は。と割り切ることができました」
しかし、高知に行ってから気になる人は現れない。
「高知はゲイが少ないんです。バイト先のお客さんで、あの人いいな、と思うことは、たまにありますけど(笑)」
「今、高知でパートナーを探すことは、もう諦めています」
好みは、年上のがっしりした体格の人。そして、頼りがいのある人。
大阪や新宿二丁目には、たまに遊びに行くが・・・・・・。
「僕の性格からして、遠距離はできないですね。つき合いを始めたら、どうしても一緒にいたくなりそうです」
「耐えられないですね、多分(笑)」
遊び以上の関係は、今は積極的に探していない。
「東京か大阪に就職する予定なので、それからですね」
沖縄の友だちに次々とカミングアウト
沖縄の友だちには、計6人にカミングアウトした。
一番印象的だった反応は、小学校から仲の良かった女の子だった。
「もっと早く言ってよ! ものすごく気になるんだけど。ねえ、実際、どんな感じなの?」
その子の反応を見て、「そんなもんなんだ」と、気が楽になった。
小学生の頃からBLの貸し借りをした間柄だったから確信はあったが、実際に受け入れてもらうと、やはりうれしかった。
「その人を信じてカミングアウトをすれば、相手も『信頼してもらった』という気持ちになることが分かりました」
彼女には、本当にいろいろなことを質問された。
「でも、やっぱり彼女には言ってよかった、と思いましたね」
カミングアウトした相手から変な目で見られたり、蔑視の言葉を投げられたことは今のところ一度もない。
「その意味では、ぼくは恵まれていましたね」
自分のことをもっと話したい
元カノは別れた後も同じクラス。卒業後もずっと連絡を取り合っていた。
「彼女には、ぼくが大学に行ってから、最後に伝えました」
「実は、男性の方が気になるんだよね。つき合っていたときも、同じくらい先輩が好きだったんだよね、と」
彼女の反応は、「言ってくれて、ありがとう」。
「彼女もBLや漫画を一緒に読んでいましたから、驚かなかったのかもしれません」
高知でカミングアウトした相手はひとりだけ。ある女性の先輩に、「この人なら大丈夫だろう」と思って伝えた。
「納得した、と言ってくれました。1カ月だけつき合った女性とうまくいかなかったことも、彼女は知っていました」
信頼できる相手を選んで伝えることは、自分の負担を減らすことでもある。
最近は、自分のことをもっと話したい、という気持ちも沸いてきている。
08煩わしいと思っていた故郷が大好きになった
将来の安定は必要ない?
実は、大学2年生のときに退学を考えた。
忙しいバイトと学校の両立に、疲れと行き詰まりを感じたからだ。
「大学に進学したのは、大学卒業の資格を取ることが目的でした。でも、自分は結婚して子どもを育てるわけでもないし、普通の家庭を持つつもりはない・・・・・・」
「それなら、将来の安定も大学卒業の資格も必要ないのではないか、と思い始めたんです」
そんな気持ちを抱いて就活する中で、賢者屋とジョブレインボーが共同で開催したワンデー・インターンシップに参加することになった。
「大学を辞めなくても、休学という手段もあると気づき、賢者屋で半年間、働いてみることにしました」
視野が広がった東京での生活
賢者屋は、とても居心地のいい職場だった。
「何よりも、人を外側で判断しないで、一人の人間として認めてくれたことがうれしかったですね」
「半年間、働くなかで、たくさんの大学生を見て、いろいろな働き方があることも知りました」
個性的な考え方を間近に見て、自分の視野が狭かったことを反省する機会にもなった。
「大学は、卒業の資格を取るだけのために行くところではない、と考え直しました」
LGBT当事者としてのインタビューを受けて、自分を表現することも経験した。
それ以外にも、思わぬ収穫があった。
半年間、東京で暮らすうちに、自分が故郷の沖縄を好きだ、ということに気がついたのだ。
「オレって、こんなに沖縄のことが好きだったんだ、と。自分でも驚きました」
沖縄は、あったかいのだ。
新しい夢も生まれた。
「いつか自分の民宿を沖縄で開きたいと思っています」
ゲストハウスでもカフェでもいい。ただし、それは社会勉強をして、資金を集めてからのことだ。
沖縄の魅力を今さらながら再認識
大学進学の際に県外に出たいと思ったのは、沖縄のコミュニティの狭さにへきえきしたからだった。
「知り合い同士が被っていますから、すぐにどこかから話が漏れるんですよ」
「あんなに狭いコミュニティじゃ生きていけない、って思っていましたね」
ところが、その反面、人の温かさがあることに気づいた。
「東京の人は周りの人のことを気にしないでしょ。サバサバしていて気楽なところもありますけど、場合によっては冷たい感じもしますよね」
その点、沖縄では人がいつも隣の人を気にしている。よくしてくれる人が多い。
「煩わしいと思っていたことが、すごく大切なことだったんだな、と見直しました(笑)」
風土も食べ物も自分に合う。ゆっくりと流れる時間も懐かしい。
「他の人から沖縄の良さを言われていましたけど、実際にそうだったんですね(笑)。ようやく実感しました」
大学2年までは、沖縄に戻りたくないと思っていたが、今はいつか戻ることが目標になった。
09母親へどう伝えるかが大きな課題
自然に終わった父親へのカミングアウト
もうひとつ変わったのが、自分のセクシュアリティをオープンにすることだった。
「たくさんの人と話して、自信を持って生きる姿勢を学びました」
ゲイでもレズビアンでも関係ない。人の内部にある本質を見ることが大切だ。
「顔バレしても、オープンにするほうがいいと思うようになりました」
自分の気持ちは割り切れたが、問題は親へどうカミングアウトするかだ。
「東京で受けたあるインタビューの記事がフェイスブックに載ったんです。父親がそれを見てしまったらしくて・・・・・・」
記事を読んだ父親が、姉に相談をしたために、そのことを知った。
実は、休学をして賢者屋で働くときに、姉にはカミングアウトしていた。
「ひとりで悩んでいるんじゃないかって、お父さん心配していたわよ。どうするの? と姉から電話がかかってきました」
告白するタイミングが来たと直感した。
そして、祖母の葬儀で帰郷した際、「記事を見てくれたんだって?」と、自分から父親に話を切り出した。
「『お前が中学のときに、そうではないかと、うすうす思っていた』と話してくれました。心配かけていたんだな、と頭が下がりました」
天国にいったおばあちゃんが取り持ってくれたように、父親へのカミングアウトは自然に終了した。
自分の子育てが悪かったと思われたくない
問題は、むしろ母親のほうだ。
「母親のほうが、頭が硬いんです(笑)」
父親も「お母さんにはどうする?」と心配してくれた。
「さり気なく言っておこうか、と聞いてくれたのですが、『いや、自分のタイミングで話すよ』と答えました」
LGBTERの記事が公開されたら、それを持って打ち明けようと思っている。
「少なくとも、自分の子育てが悪かったとは思ってほしくないですね。母親のせいではありませんから」
実は、3人の姉と兄は誰も、結婚をしていない。
「ぼそっと、『早く孫の顔を見たい』と言われたことがあったんです。その一言が胸に刺さりました」
ゲイであることを告白すれば、また母親の希望を遠ざけることになる。
「姉たちはすぐに結婚する気がないみたいなので、ぼくには順当に結婚してほしいと、望んでいるんでしょうね」
母親を悲しませるようで気持ちが重い。
「残る望みは弟だけですね(苦笑)」
就活イベントを立ち上げたい
退学するか悩んでいた頃と比べると、今は大きく気持ちの持ち方が変わった。
「あの頃は、バイトも何も、すべてを辞めてしまいたいと、マイナス思考になっていました」
「半年間、東京で働いたことで自分のキャパシティが大きくなったと思います。社会に出たら、もっとしんどいでしょうからね」
賢者屋で教えてもらったことを生かして、就活をテーマに高知で活動を始めようとしている。
「高知は東京から一番遠い街といわれています。保守的で、待っているばかり。自分で情報を集めようという人が少ないんです」
「古い体質を打破することを提案したいですね」
地方の課題に対して、前向きに取り組みたいという意欲が出てきた。
もうひとり、東京で経験を積んだ仲間がいる。
「彼と一緒に就活イベントを立ち上げて、法人化できればいいな、と相談しています」
「将来的に沖縄でも同じことができればいいですね」
卒業は2021年。まだ、考える時間はある。
マーケティングやSNSの運営など、いろいろとやってみたいことも見えてきた。
「起業もそのオプションのひとつとして考えています」
10目の前に広がっていく いろいろな可能性
高知県はマイノリティ後進国
せっかく高知で活動を始めるなら、合わせてマイノリティ、ダイバシティに関するテーマも取り上げたい。
「高知にはLGBTのコミュニティがないんです。高知の当事者は辛い思いをしているはずです」
松山にはコミュニティがあるが、高知は完全な後進国だ。
「学生にも一定数のマイノリティはいるはずです。彼らのために何か行動ができればいいなあ、とも思っています」
「LGBTERに出ることで、自己ブランディングにも役に立つというか、箔がつくかもしれませんね(笑)」
身近にこういう人物がいる、と知れば、勇気が出る人もいるかもしれない。
「クローズドしている人に向かって、何かを発信できればいいと思います」
ほかのセクシュアリティと交流したい
高知の人は自分の環境で満足している人が多い感じる。
そんな古い体質の街で、風穴を開けたいと思う一方、大きな街に出たいという希望もある。
「情報が集まる街にいないと、自分の可能性が小さくなってしまいます」
「自分が新しいことを学ぶためには、大都市の環境が必要だなって」
マイノリティ、ダイバシティを助ける仕事をするためには、自分とは異なるセクシュアリティの人との交流も課題となる。
「ゲイの人たちは自分たちだけで集まる傾向があるとか。ぼくも賢者屋で話した人以外には、今のところほかのセクシュアルティの人とのつき合いはありません」
さらなる自己改革が必要だと実感している部分だ。
カメラを持つ楽しさを知る
ほかにも広がった世界がある。
「海外は怖いイメージがあって、ずっと行きたくないと思っていたんです」
ところが、賢者屋で働いているときに、社員旅行で香港に行くという話が出た。
「ただのインターンですから、社員旅行は関係ないと思っていたんです」
ところが、「何で行かないの?」と不思議な顔をされ、急きょ参加させてもらうことなった。
「行ってみてよかったですね。外に出て殻が割れた感じでした」
何事も、案ずるより産むが易し、だ。
一眼レフのカメラも購入。
いつも持ち歩いて、いろいろなシーンを写真に収めている。
「携帯を使って写真を撮るのは以前から好きだったんです。今後の仕事にも生かせるかな、と思いました」
いろいろな可能性があるのはカメラと考えて、思い切って投資をした。
「風景を撮るのが好きですね。料理や旅行の写真も撮っています」
「ミスコンに出ている子が知り合いにいて、『写真を撮って』というので、一日、カメラマンを引き受けました」
できた写真を渡すと、「ありがとう」と感謝をされた。
その笑顔がうれしかった。
人の笑顔、海外の風景、新しい職場。
これから、さまざまなシーンと出会う。
新しい出会い。
新しい経験。
新しい自分。
その度にきれいな写真を残すことができればいい。