02 一人称を変えて
03 初めて女性を好きになった
04 サッカーと将来の夢
05 バレないように
==================(後編)========================
06 FTMの自分を隠すのはもうやめよう
07 彼女への誠意
08 両親へのカミングアウト
09 手術への考え方
10 LGBTだからって、狭い場所に縛られなくていい
01自由で活発な末っ子
自分を変えた出会い
23歳のとき、初めて彼女ができた。
相手はフィンランド人の女の子。
「女で生まれて良かったと思うことが、きっとあるだろう」と思いながら、彼女と付き合うまでは、自分の性に対して見て見ぬふりをしてきた。
「がんばって女になろう」と思い、彼氏をつくったこともあった。
そうやって「バレないように」と注意を払えば払うほど、周りの人を欺いているような、後ろめたい気持ちが増していった。
「それまでは、ほころびが出ないように、相手の顔色をうかがいながら接することが多かったんです」
「でも、彼女と付き合うようになって、『バレないように』と思うことがなくなりました」
「無意識のうちに張っていたフィルターを、彼女が外してくれたんです」
「あれこれ考えて人に接することがなくなったから、今はすごく楽ですね」
活発ないたずらっ子
生まれたのは、青森県青森市。
3人兄弟で、兄とは12歳、姉とは6歳離れている。
母は看護師をしていたため忙しく、保育園へは父が送り、兄が迎えに来てくれていた。
「末っ子で、小さいときから活発な子でした」
「家から保育園まで少し距離があったんですけど、休みの日は家から飛び出して保育園まで1人で行っちゃう」
黙ってじっとしていられない。
それは、保育園でも同じだった。
「3〜4歳のころ、保育園のお昼寝中に脱走して怒られたことを覚えています」
「園外に出ようとしたんだけど、その前に見つかって悔しかった(笑)」
男の子の友だちと一緒に、小さないたずらを繰り返してた。
野球クラブへ勝手に入会
両親が忙しく、兄や姉とも年が離れていたため、何でも自分で決めて行動するのが当たり前だった。
しかし、行動力がありすぎて、母を仰天させたこともある。
「小5のとき、地域の野球クラブに勝手に入会しちゃったんです」
「友だちに誘われて『やっていいの? じゃあ入る!』って(笑)」
「もともと学校の野球部に入っていて、道具はそろっていたから『すぐにできるじゃん』って考えたんですよね」
大人になってから「今日、野球クラブ入ったよ。でも無料って言ってたから大丈夫!」と言われて驚いたと、母に聞かされた。
いまは、両親だけが青森に住んでいる。
兄は千葉に、姉は名古屋にいて、家族が集合するのはお盆やお正月の時期だけ。
「家族仲は良くも悪くもないかな。いい意味で、お互いにあまり干渉しません」
「みんな何でも事後報告なんです。知らないあいだに姉の職業が変わっていたこともありましたね」
02一人称を変えて
生理の授業
小学校高学年まで、自分が女であるという意識がなかった。
友だちはほとんど男の子。女子と話すのは、なんだか照れくさかった。
小学生のときの一人称は「俺」。
周りから変だと言われたことはなく、両親からも指摘されることはなかった。
なんとなく「おかしいな」と思い始めたのは、小学校で生理の授業を受けたときのこと。
「その授業のあいだ、男子は体育館で運動をすることになっていたんです」
「普通に体育館に行こうと思っていたら、クラスの女子から『真紀はこっちだよ』って呼び止められて・・・・・・」
「『俺も聞かなきゃダメなの?』って言ったら、『当たり前じゃん』と返されました」
授業後、男子の友だちから「どんな話を聞いたの? 何で女子だけなの?」と問われた。
「女子からは『これ男子に言っちゃダメだよ!』って言われたんです」
「だから『言っちゃダメらしいんだよ』と答えました(笑)」
「そうしたら友だちの一人が『俺わかるよ。トイレの上のところにあるもん』って言ってきたんです」
「それを聞いて『すごいね、正解』なんて感心して」
まるで他人事だった。
自分は絶対にこれだ
小5の後半に生理がきた。ブラジャーも着け始める。
女の子たちの中でも、そういう話題が出始める時期だった。
「あるとき、クラスの女子から『真紀、どっちもクリアしてるの?』って聞かれたんです」
「早く経験したほうが大人みたいな、変な風潮があるじゃないですか」
女の子たちから「男子に言うぞー」とからかわれ、「絶対にやめてほしい」と懇願した。
本当は女だとバレてしまう、という焦りがあった。
同じ時期、テレビドラマの『3年B組金八先生』で初めて性同一性障害を知った。
「ドラマを見た瞬間に、自分は絶対にこれだ、と確信しました」
「学校生活は男子と同じように送っていたけど、やっぱり違和感を覚える部分もあって・・・・・・」
「女子トイレに入らなきゃいけないし、温泉に行くときも女湯に入らなきゃいけないですよね」
自分が普通じゃないと、周りにバレてはいけない。
そう思い、できるだけ女子に近づけるよう努力をし始めた。
「俺」から「うち」へ
まず変えようと思ったのは、一人称だ。
中学校に入学してから、一人称を、徐々に「俺」から「うち」に変えていった。
小学校のクラスメイトは学区ごとに3つの中学に分かれ、特に親しかった友だちとは離れてしまった。
「たまに小学校時代の友だちに会うと『真紀が “ うち ” って言ってる』とびっくりされました」
「お前変わったな、みたいな」
一人称が変わるとともに、男友だちと関わる機会が少なくなっていった。
女の子の友だちが増えていき、「案外、女としても生きられるかもしれない」と思い始める。
「中学校のときって、女子がグループを作り始めるじゃないですか」
「私はそういう女子社会が理解できなくて」
「誰かがハブられたり、またグループに入ったりしているのを客観的に見ていたんです」
特定のグループに属することはなかったが、特に孤立することもなかった。
昼休みになるといろいろなクラスを渡り歩き、おしゃべりの相手を探した。
「グループからハブかれた子は、行き場がなくなっちゃうじゃないですか」
「今思うと、そうやってハブかれた子と、一緒に過ごすことが多かったかもしれませんね」
03初めて女性を好きになった
スパルタな部活動
中学校では、友だちに誘われて吹奏楽部に入った。
本当はサッカー部に入りたかったが、女子は入部を許してもらえなかった。
「入ってから知りましたが、その学校の吹奏楽部は、毎年全国大会を目指すような強い部だったんです」
「土日やお正月もほとんど休みがありませんでした」
「コンクールで金賞を獲ることを目指して、3年間、楽器の練習ばかりしていましたね」
パートは打楽器。テクニックのある同期がスネアドラムを担当し、力のある自分は大太鼓とシンバルを任された。
「強い部活だったので、曲ごとに試験を行い、コーチによって担当が振り分けられるんです」
「大太鼓やシンバルは、テクニックはそれほど必要ないけど、緊張が大きいんですよ」
「一拍間違えるとバレバレですからね(笑)」
いま振り返れば、厳しい部活に入ったことが、自分にとっては良かったのかもしれないと思う。
土日も部活、長い休みも毎日忙しく、体のことを悩む暇がなかったからだ。
「私が中学生のころは、ガラケーを1人1個持つかどうか、境目の時代でした」
「だから、ネットで調べることもできなかったんです」
「体への違和感はあって、いかに胸を小さく見せるか考えていましたね」
「ナベシャツなんて知らなかったので、少し小さめのスポブラを着けてました」
後輩への恋心
中学2年生のとき、部活の後輩のことを好きになった。
「おっとりした雰囲気の、かわいい女の子でした」
「『一緒に帰ろう』とか『ちょっと遊びに行こうよ』とか、声をかけまくってましたね」
「同じパートの同級生からは『ちょっかい出し過ぎじゃない?』って呆れられました(笑)」
「よく好意がバレなかったなって思います」
仲がいいからこそ、関係を壊したくなかった。
女が女を好きになるのは、普通のことじゃないと思っていた。
だから、告白するという選択肢も始めからなかった。
結局、思いを告げないまま、中学校の卒業式を迎えた。
04サッカーと将来の夢
念願のサッカー部
高校に入ってから、隣町の女子サッカークラブに入った。
練習場は、実家から車で1時間半ほどかかる場所にあったが、週1〜2回ほど通って練習していた。
「女子サッカーのコミュニティには、自分と似たボーイッシュな人がたくさんいました」
「『あのチームのあの子がかわいいよね』なんて話も、普通にできるのが嬉しかったですね」
女子サッカークラブに入っていることを、高校のサッカー部の顧問に話したところ、男子サッカー部に入部させてもらえることになった。
高校生になり、男子とは体格の差がかなりあった。
そのため、練習についていくのは大変だったが、ようやく好きなサッカーができる喜びのほうが勝った。
「同級生の中に、ちょっと太ったゴールキーパーの子がいたんです」
「柔道部のようながっちりした体つきで、あまり走るのが得意じゃないんですよ」
「皆で走るときは、その子といつもビリケツを競っていましたね(笑)」
唯一の女子プレーヤー
男子の中で練習することに、違和感はなかった。
同じ部活の仲間から特別視されることもなかった。
「性別は関係なく、サッカー初心者という感じの扱いでしたね」
「学年が上がって後輩ができても、後輩のほうが圧倒的に上手いんです」
「だから、2チームに分かれて試合をするときに、私がチームにいると『お前いるのか。絶対負けるじゃん』みたいなオーラを出されてました」
部活の仲間とは、どの部位を鍛えるかなど、筋トレの話をすることが多かった。
男子のような体になりたいと、嫉妬の気持ちを抱いたことはない。
サッカー部の先輩の体つきは、憧れそのものだった。
サッカー部の紅一点であり、女子生徒から「カッコいい」と言われることも時々あった。
「そう言われたときは、素直に嬉しかったですね」
「だから、髪の毛を短くしたり、ワックスをつけたり・・・・・・」
「カッコいいと言われるように、密かに努力してました(笑)」
将来の道
高校時代は、ずっと体育の先生になりたいと思っていた。
ところが、両親に相談したところ「狭き門だからやめておきなさい」と止められた。
「父親の職場に、体育の先生の免許を持っている人がいたんです」
「田舎なので、上の世代が辞めなければ採用枠が空きませんよね」
「体育の免許を持っていながら、事務をやっている人なんてゴロゴロいるよって言われました」
母親からは「あんたは体を動かすの好きだから、リハビリを学んだらどう?」と勧められた。
そう言われ、中学生のときに、職場体験で作業療法を見学しに行ったことを思い出す。
「おじいちゃんやおばあちゃんと、運動をするのもいいかもしれない」
「そう思い、理学療法士について調べ始めたんです」
理学療法士に興味が湧いたのは、実はもう一つ理由がある。
「とにかくサッカーに夢中だったので、早く青森を出て強いチームに入りたいと思っていました」
「でも、強いチームに入るほどの実力がないのもわかっていたんです」
「理学療法士なら、トレーナーとプレーヤーを兼任できるから、優位に立てるんじゃないかと考えたんですよね」
「理学療法士を目指すことを決めた背景には、そんな勘違いがあったんです(笑)」
05バレないように
上京の目的
高3のとき、誰にも告げずに新幹線に乗った。行き先は埼玉県。
「ちふれASエルフェン埼玉」という、なでしこリーグに所属しているチームのセレクションを受けるためだった。
「セレクションを受ける前、親には『埼玉のチームに入るから、学校も埼玉にする』と言っていました」
「理学療法士の資格は青森でも取れるので、わざわざ遠くに行く必要はないと言われましたね」
「でも、どうしても強いサッカーチームに入るという希望を捨てられなかったんです」
セレクションの結果は不合格だったが、コーチからは「青森から一人で出てきてすごいね」と行動力を褒められた。
それから「都リーグなら、社会人やママさんたちが所属しているチームがたくさんあるよ」と教えてもらった。
「青森に帰ってから、学校のパソコンルームで都リーグを調べました」
「たまたま入れるチームが見つかって、いまもそのチームに所属しています」
高3の11月には、埼玉県にある専門学校の合格通知を受け取った。
前途洋々。
新しい生活に胸が高鳴った。
早く女にならなきゃいけない
18歳の春に上京。学校の寮で暮らし始めた。
やっとネットが自由に使えるようになり、性同一性障害や、性別適合手術について詳しく調べてみた。
「当時は、身長がコンプレックスでした」
「もし男の外見になれても、小さい男にしかなれない・・・・・・。そういうことを、いろいろ考えてましたね」
女で生まれて良かったと思うことが、この先あるかもしれない。
自分は、女としての楽しさを、まだ感じられていないだけかもしれない。
そう思い込もうとした。
「専門学校には、私以外にもボーイッシュな子が2人いました」
「絶対に自分と同じだと思い、仲良くなったんですけど、2人ともノンケだったんですよ(笑)」
その2人とは、いまでも仲がいい。
しかし当時は、自分のセクシュアリティの悩みをなかなか打ち明けられなかった。
「親を心配させないよう、早く女にならなきゃいけないと感じていました」
「それで、20歳のときに彼氏をつくったんです」
性指向の自覚
初めての恋人は、同じ専門学校の同級生だった。
「私に対して好意があるらしいというのを、友だち伝いに聞いたんです」
「チャンスかもしれないと思い、自分から告白しました」
人としてはとても好きだった。
しかし、恋人関係になると、途端に違和感を覚えた。
「ハグやキスなどをしても『女の子としたいのに』って思ってしまったんです」
「本当は触れたくないのに、気を遣って相手をしているようで、申し訳なさを感じました」
しばらく我慢していたが、最終的に「やっぱり友だちに戻ろう」と言って別れた。
専門学校を卒業し、理学療法士として病院に就職。
職場でも友人関係でも、本当の自分がバレないように、いつも気を遣ってきた。
性指向のようなことを聞かれれば「男」と答えた。
そんなふうに頑なに守ってきた自分がほどけたのは、23歳のときだった。
<<<後編 2019/02/21/Thu>>>
INDEX
06 FTMの自分を隠すのはもうやめよう
07 彼女への誠意
08 両親へのカミングアウト
09 手術への考え方
10 LGBTだからって、狭い場所に縛られなくていい