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FTMの自分を認めたら、世界をみる目が広がった【前編】

相手に緊張感を与えない人だ。真水のように、その場にすうっと染み込む。トランスジェンダーFTMの鎌田真紀さんと対面したとき、そんな印象を受けた。幸いにも、セクシュアリティに悩んだ経験はあまりない。それでも「23歳までは、周りの人を欺いているような気がしていた」という。覆いを外すきっかけをくれたある女性のこと、そこで得たひとつの気づき。一つひとつ、丁寧に話してくれた。

2019/02/19/Tue
Photo : Taku Katayama Text : Sui Toya
鎌田 真紀 / Maki Kamada

1992年、青森県生まれ。中学時代は吹奏楽、高校時代はサッカーにいそしみ、18歳で上京。現在は理学療法士として都内の病院に勤務している。サッカー歴は10年以上であり、都内の女子サッカークラブに所属していた。LGBTとそれ以外の人の交流の場をつくるため定期的にイベントを開催しているほか、YouTubeでボディワークの動画を配信するなど多様な活動に取り組んでいる。

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INDEX
01 自由で活発な末っ子
02 一人称を変えて
03 初めて女性を好きになった
04 サッカーと将来の夢
05 バレないように
==================(後編)========================
06 FTMの自分を隠すのはもうやめよう
07 彼女への誠意
08 両親へのカミングアウト
09 手術への考え方
10 LGBTだからって、狭い場所に縛られなくていい

01自由で活発な末っ子

自分を変えた出会い

23歳のとき、初めて彼女ができた。

相手はフィンランド人の女の子。

「女で生まれて良かったと思うことが、きっとあるだろう」と思いながら、彼女と付き合うまでは、自分の性に対して見て見ぬふりをしてきた。

「がんばって女になろう」と思い、彼氏をつくったこともあった。

そうやって「バレないように」と注意を払えば払うほど、周りの人を欺いているような、後ろめたい気持ちが増していった。

「それまでは、ほころびが出ないように、相手の顔色をうかがいながら接することが多かったんです」

「でも、彼女と付き合うようになって、『バレないように』と思うことがなくなりました」

「無意識のうちに張っていたフィルターを、彼女が外してくれたんです」

「あれこれ考えて人に接することがなくなったから、今はすごく楽ですね」

活発ないたずらっ子

生まれたのは、青森県青森市。

3人兄弟で、兄とは12歳、姉とは6歳離れている。

母は看護師をしていたため忙しく、保育園へは父が送り、兄が迎えに来てくれていた。

「末っ子で、小さいときから活発な子でした」

「家から保育園まで少し距離があったんですけど、休みの日は家から飛び出して保育園まで1人で行っちゃう」

黙ってじっとしていられない。

それは、保育園でも同じだった。

「3〜4歳のころ、保育園のお昼寝中に脱走して怒られたことを覚えています」

「園外に出ようとしたんだけど、その前に見つかって悔しかった(笑)」

男の子の友だちと一緒に、小さないたずらを繰り返してた。

野球クラブへ勝手に入会

両親が忙しく、兄や姉とも年が離れていたため、何でも自分で決めて行動するのが当たり前だった。

しかし、行動力がありすぎて、母を仰天させたこともある。

「小5のとき、地域の野球クラブに勝手に入会しちゃったんです」

「友だちに誘われて『やっていいの? じゃあ入る!』って(笑)」

「もともと学校の野球部に入っていて、道具はそろっていたから『すぐにできるじゃん』って考えたんですよね」

大人になってから「今日、野球クラブ入ったよ。でも無料って言ってたから大丈夫!」と言われて驚いたと、母に聞かされた。

いまは、両親だけが青森に住んでいる。

兄は千葉に、姉は名古屋にいて、家族が集合するのはお盆やお正月の時期だけ。

「家族仲は良くも悪くもないかな。いい意味で、お互いにあまり干渉しません」

「みんな何でも事後報告なんです。知らないあいだに姉の職業が変わっていたこともありましたね」

02一人称を変えて

生理の授業

小学校高学年まで、自分が女であるという意識がなかった。

友だちはほとんど男の子。女子と話すのは、なんだか照れくさかった。

小学生のときの一人称は「俺」。

周りから変だと言われたことはなく、両親からも指摘されることはなかった。

なんとなく「おかしいな」と思い始めたのは、小学校で生理の授業を受けたときのこと。

「その授業のあいだ、男子は体育館で運動をすることになっていたんです」

「普通に体育館に行こうと思っていたら、クラスの女子から『真紀はこっちだよ』って呼び止められて・・・・・・」

「『俺も聞かなきゃダメなの?』って言ったら、『当たり前じゃん』と返されました」

授業後、男子の友だちから「どんな話を聞いたの? 何で女子だけなの?」と問われた。

「女子からは『これ男子に言っちゃダメだよ!』って言われたんです」

「だから『言っちゃダメらしいんだよ』と答えました(笑)」

「そうしたら友だちの一人が『俺わかるよ。トイレの上のところにあるもん』って言ってきたんです」

「それを聞いて『すごいね、正解』なんて感心して」

まるで他人事だった。

自分は絶対にこれだ

小5の後半に生理がきた。ブラジャーも着け始める。

女の子たちの中でも、そういう話題が出始める時期だった。

「あるとき、クラスの女子から『真紀、どっちもクリアしてるの?』って聞かれたんです」

「早く経験したほうが大人みたいな、変な風潮があるじゃないですか」

女の子たちから「男子に言うぞー」とからかわれ、「絶対にやめてほしい」と懇願した。

本当は女だとバレてしまう、という焦りがあった。

同じ時期、テレビドラマの『3年B組金八先生』で初めて性同一性障害を知った。

「ドラマを見た瞬間に、自分は絶対にこれだ、と確信しました」

「学校生活は男子と同じように送っていたけど、やっぱり違和感を覚える部分もあって・・・・・・」

「女子トイレに入らなきゃいけないし、温泉に行くときも女湯に入らなきゃいけないですよね」

自分が普通じゃないと、周りにバレてはいけない。

そう思い、できるだけ女子に近づけるよう努力をし始めた。

「俺」から「うち」へ

まず変えようと思ったのは、一人称だ。

中学校に入学してから、一人称を、徐々に「俺」から「うち」に変えていった。

小学校のクラスメイトは学区ごとに3つの中学に分かれ、特に親しかった友だちとは離れてしまった。

「たまに小学校時代の友だちに会うと『真紀が “ うち ” って言ってる』とびっくりされました」

「お前変わったな、みたいな」

一人称が変わるとともに、男友だちと関わる機会が少なくなっていった。

女の子の友だちが増えていき、「案外、女としても生きられるかもしれない」と思い始める。

「中学校のときって、女子がグループを作り始めるじゃないですか」

「私はそういう女子社会が理解できなくて」

「誰かがハブられたり、またグループに入ったりしているのを客観的に見ていたんです」

特定のグループに属することはなかったが、特に孤立することもなかった。

昼休みになるといろいろなクラスを渡り歩き、おしゃべりの相手を探した。

「グループからハブかれた子は、行き場がなくなっちゃうじゃないですか」

「今思うと、そうやってハブかれた子と、一緒に過ごすことが多かったかもしれませんね」

03初めて女性を好きになった

スパルタな部活動

中学校では、友だちに誘われて吹奏楽部に入った。

本当はサッカー部に入りたかったが、女子は入部を許してもらえなかった。

「入ってから知りましたが、その学校の吹奏楽部は、毎年全国大会を目指すような強い部だったんです」

「土日やお正月もほとんど休みがありませんでした」

「コンクールで金賞を獲ることを目指して、3年間、楽器の練習ばかりしていましたね」

パートは打楽器。テクニックのある同期がスネアドラムを担当し、力のある自分は大太鼓とシンバルを任された。

「強い部活だったので、曲ごとに試験を行い、コーチによって担当が振り分けられるんです」

「大太鼓やシンバルは、テクニックはそれほど必要ないけど、緊張が大きいんですよ」

「一拍間違えるとバレバレですからね(笑)」

いま振り返れば、厳しい部活に入ったことが、自分にとっては良かったのかもしれないと思う。

土日も部活、長い休みも毎日忙しく、体のことを悩む暇がなかったからだ。

「私が中学生のころは、ガラケーを1人1個持つかどうか、境目の時代でした」

「だから、ネットで調べることもできなかったんです」

「体への違和感はあって、いかに胸を小さく見せるか考えていましたね」

「ナベシャツなんて知らなかったので、少し小さめのスポブラを着けてました」

後輩への恋心

中学2年生のとき、部活の後輩のことを好きになった。

「おっとりした雰囲気の、かわいい女の子でした」

「『一緒に帰ろう』とか『ちょっと遊びに行こうよ』とか、声をかけまくってましたね」

「同じパートの同級生からは『ちょっかい出し過ぎじゃない?』って呆れられました(笑)」

「よく好意がバレなかったなって思います」

仲がいいからこそ、関係を壊したくなかった。
女が女を好きになるのは、普通のことじゃないと思っていた。

だから、告白するという選択肢も始めからなかった。

結局、思いを告げないまま、中学校の卒業式を迎えた。

04サッカーと将来の夢

念願のサッカー部

高校に入ってから、隣町の女子サッカークラブに入った。

練習場は、実家から車で1時間半ほどかかる場所にあったが、週1〜2回ほど通って練習していた。

「女子サッカーのコミュニティには、自分と似たボーイッシュな人がたくさんいました」

「『あのチームのあの子がかわいいよね』なんて話も、普通にできるのが嬉しかったですね」

女子サッカークラブに入っていることを、高校のサッカー部の顧問に話したところ、男子サッカー部に入部させてもらえることになった。

高校生になり、男子とは体格の差がかなりあった。

そのため、練習についていくのは大変だったが、ようやく好きなサッカーができる喜びのほうが勝った。

「同級生の中に、ちょっと太ったゴールキーパーの子がいたんです」

「柔道部のようながっちりした体つきで、あまり走るのが得意じゃないんですよ」

「皆で走るときは、その子といつもビリケツを競っていましたね(笑)」

唯一の女子プレーヤー

男子の中で練習することに、違和感はなかった。
同じ部活の仲間から特別視されることもなかった。

「性別は関係なく、サッカー初心者という感じの扱いでしたね」

「学年が上がって後輩ができても、後輩のほうが圧倒的に上手いんです」

「だから、2チームに分かれて試合をするときに、私がチームにいると『お前いるのか。絶対負けるじゃん』みたいなオーラを出されてました」

部活の仲間とは、どの部位を鍛えるかなど、筋トレの話をすることが多かった。

男子のような体になりたいと、嫉妬の気持ちを抱いたことはない。
サッカー部の先輩の体つきは、憧れそのものだった。

サッカー部の紅一点であり、女子生徒から「カッコいい」と言われることも時々あった。

「そう言われたときは、素直に嬉しかったですね」

「だから、髪の毛を短くしたり、ワックスをつけたり・・・・・・」

「カッコいいと言われるように、密かに努力してました(笑)」

将来の道

高校時代は、ずっと体育の先生になりたいと思っていた。

ところが、両親に相談したところ「狭き門だからやめておきなさい」と止められた。

「父親の職場に、体育の先生の免許を持っている人がいたんです」

「田舎なので、上の世代が辞めなければ採用枠が空きませんよね」

「体育の免許を持っていながら、事務をやっている人なんてゴロゴロいるよって言われました」

母親からは「あんたは体を動かすの好きだから、リハビリを学んだらどう?」と勧められた。

そう言われ、中学生のときに、職場体験で作業療法を見学しに行ったことを思い出す。

「おじいちゃんやおばあちゃんと、運動をするのもいいかもしれない」

「そう思い、理学療法士について調べ始めたんです」

理学療法士に興味が湧いたのは、実はもう一つ理由がある。

「とにかくサッカーに夢中だったので、早く青森を出て強いチームに入りたいと思っていました」

「でも、強いチームに入るほどの実力がないのもわかっていたんです」

「理学療法士なら、トレーナーとプレーヤーを兼任できるから、優位に立てるんじゃないかと考えたんですよね」

「理学療法士を目指すことを決めた背景には、そんな勘違いがあったんです(笑)」

05バレないように

上京の目的

高3のとき、誰にも告げずに新幹線に乗った。行き先は埼玉県。

「ちふれASエルフェン埼玉」という、なでしこリーグに所属しているチームのセレクションを受けるためだった。

「セレクションを受ける前、親には『埼玉のチームに入るから、学校も埼玉にする』と言っていました」

「理学療法士の資格は青森でも取れるので、わざわざ遠くに行く必要はないと言われましたね」

「でも、どうしても強いサッカーチームに入るという希望を捨てられなかったんです」

セレクションの結果は不合格だったが、コーチからは「青森から一人で出てきてすごいね」と行動力を褒められた。

それから「都リーグなら、社会人やママさんたちが所属しているチームがたくさんあるよ」と教えてもらった。

「青森に帰ってから、学校のパソコンルームで都リーグを調べました」

「たまたま入れるチームが見つかって、いまもそのチームに所属しています」

高3の11月には、埼玉県にある専門学校の合格通知を受け取った。

前途洋々。

新しい生活に胸が高鳴った。

早く女にならなきゃいけない

18歳の春に上京。学校の寮で暮らし始めた。

やっとネットが自由に使えるようになり、性同一性障害や、性別適合手術について詳しく調べてみた。

「当時は、身長がコンプレックスでした」

「もし男の外見になれても、小さい男にしかなれない・・・・・・。そういうことを、いろいろ考えてましたね」

女で生まれて良かったと思うことが、この先あるかもしれない。
自分は、女としての楽しさを、まだ感じられていないだけかもしれない。

そう思い込もうとした。

「専門学校には、私以外にもボーイッシュな子が2人いました」

「絶対に自分と同じだと思い、仲良くなったんですけど、2人ともノンケだったんですよ(笑)」

その2人とは、いまでも仲がいい。

しかし当時は、自分のセクシュアリティの悩みをなかなか打ち明けられなかった。

「親を心配させないよう、早く女にならなきゃいけないと感じていました」

「それで、20歳のときに彼氏をつくったんです」

性指向の自覚

初めての恋人は、同じ専門学校の同級生だった。

「私に対して好意があるらしいというのを、友だち伝いに聞いたんです」

「チャンスかもしれないと思い、自分から告白しました」

人としてはとても好きだった。

しかし、恋人関係になると、途端に違和感を覚えた。

「ハグやキスなどをしても『女の子としたいのに』って思ってしまったんです」

「本当は触れたくないのに、気を遣って相手をしているようで、申し訳なさを感じました」

しばらく我慢していたが、最終的に「やっぱり友だちに戻ろう」と言って別れた。

専門学校を卒業し、理学療法士として病院に就職。

職場でも友人関係でも、本当の自分がバレないように、いつも気を遣ってきた。

性指向のようなことを聞かれれば「男」と答えた。

そんなふうに頑なに守ってきた自分がほどけたのは、23歳のときだった。


<<<後編 2019/02/21/Thu>>>
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06 FTMの自分を隠すのはもうやめよう
07 彼女への誠意
08 両親へのカミングアウト
09 手術への考え方
10 LGBTだからって、狭い場所に縛られなくていい

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