02 区別をしたくない
03 男らしさに憧れて
04 身体の変化と反抗期
05 FTMって何?
==================(後編)========================
06 夢中になった恋愛
07 男性になりたい
08 初めて見た母の涙
09 東京へ
10 次世代に居場所を
06夢中になった恋愛
ニックネームは 『モリオ』
スポーツ推薦を狙っていた女子高は、惜しくも不合格。
共学校である農業高校へ進学することに決める。
農業高校は、男子が女子よりも多い学校だった。大工への夢を抱いていたので、造園コースで学ぶことに。
農業高校では実習服を着ることが多く、スカートを履く機会が減った。プールの授業はなく、ストレスを感じることもない。
そんな時、サッカークラブでの活躍を見込まれ、初心者だらけで男女混合のサッカー部のコーチを任されることになった。
幼少の頃から続けているサッカーは、自分に揺るぎない自信を与え力となっていった。
「相変わらず、周りのクラスメートたちからは女子として見られていなく、『モリオ』とか呼ばれてました(笑)』
「コーチを任されてからは、『あいつを怒らしちゃいかん」みたいな強い立場で、みんなに見られてましたね」
高校生活はとても楽しい。
大好きなサッカーも出来て、自分が自分でいられる環境もある。
しかし、楽しい毎日をいっそう楽しくさせる出来事がおこった。
恋をした。
それまでも付き合った女子はいたが、遠距離恋愛だったり付き合った期間が短かったりと、
割とあっさりとした仲だった。
「恋の相手は、相手は学校の後輩なんですけど、『好きです、好きです」って告白されて付き合いました』
「初めはなんとも思っていなかったんですけど、好きになっちゃいましたね(笑)」
「かっこいい、って言われるのが嬉しくって」
大好きだった彼女
彼女には、自分がトランスジェンダーであることは伝えていた。
「彼女は、『だから好きになったのかな・・・・・・」って、言ってました』
「面と向かって彼女に『かっこいい』と言われると、男として、彼氏として見てもらえているんだ、って思えてすごく嬉しかったです」
手をつないでデートしたいがために、遠出の計画もした。
知らない人ばかりの街なら、他人の目を気にしないで楽しむことができる。
「一緒に過ごすのが楽しくて楽しくて、もう、彼女のことを大好きになっちゃいました」
しかし、彼女との別れは唐突に訪れる。
高校の卒業が間近にせまった頃、彼女とのデートのために車が欲しいと考えるようになった。
自由登校を機に、バイトをして購入費用を稼ぐことを決意。
「バイトに精を出していたら忙しくて会えなくなっちゃって、彼女が他の人と付き合いだしたんです」
「僕が少し先を見過ぎちゃったんですよね。彼女と過ごす未来ばっかり考えてしまってて。彼女は、今その時のことを考えてた」
別れから一年の間、立ち直ることができなかった。
07男性になりたい
強い男性に憧れて
高校を卒業し、制服からやっと解放された。
「これからは好きな洋服が着れると思うと、ホッとしました」
進学はせず、憧れていた佐川急便のドライバーになった。
「高校の時に引っ越し屋のアルバイトをしていて、ゆくゆくは社員になれそうだったんですけど、そこにたまたま宅配便の人が仕事に来ていて、色々話を聞かせてもらったんです」
「その人に、『いつかトラックに乗れるよ』と言われて、興味が湧いて挑戦してみたくなりました。制服も恰好いいなあって」
ドライバーの仕事はとても楽しかった。
軽々と荷物を持つ、屈強な男性ドライバーたちを見ていると、あんな風になりたい、いや、絶対なってみせると意欲が湧いてくる。
楽しいことばかりではなかったが、仕事が大好きだった。
「体を動かすことで筋トレになるし、それでお金がもらえるなんて最高だって思って、楽しんでいました」
「もし、宝くじが6億円当たったとしても、ずっと仕事をしていきたいです(笑)」
前向きな姿勢が評価され、先輩から気に入られるようになった。
社員化への打診があったのがその頃だ。
しかし、新たな夢に挑戦したいと考え始めていた時期でもあった。
自分の性を理解してほしい
18歳を迎えた頃に、両親にカミングアウトをすることを決めた。
穏やかな父とは別に、厳しい母にどう思われるかが怖かった。
「当時、遠距離の彼女と付き合っていて、泊りで彼女と旅行中に、母にメールをしたんです」
「自分の性同一性障害のことと、今女性とお付き合いをしていて、その彼女と遊びに来ています、みたいな内容でした」
「分かってもらえなかったらそれでもいいって思ってました。すぐじゃなくても、いつかは分かってくれるだろうと」
今まで、女らしさを出すことはなかったが、男っぽさを出したこともなかった。
メールの内容にはかなり驚いたはずだ。
どんな返信が届くのかとても緊張した。
理解してくれるのか、それとも拒絶されるのか?
返信が届いたのはその日の夜中だった。
「返信は『それは一時の感情で思い違いだと思うよ』って送られてきたんです」
「なんで分かってくれないんだ! って思いました。でも、よく考えてみたらそんなにすぐに理解できる問題ではないだろうし」
いつか理解してくれればいい。時間がかかったとしても。
息子として見てくれなくてもいい。
でも、自分がトランスジェンダーであるということは分かってほしい。
08初めて見た母の涙
心ない言葉
メールでのカミングアウトの後、母と二人で話をした。
「今も考えは変わらないの?」。諭すように母は言った。
「母は、以前友だちから『あなたの子どもが女の子と歩いていたわよ、気持ち悪いね』と言われてたらしいんです」
「泣きながら、『あんたのことは分かったけど、あんまり外に出歩かないで。周りの人に見られたらそんな風に言われてしまうから』と泣かれてしまいました」
普段涙を見せたことのない母が、目の前で号泣している。
自分が母を悲しませてしまったのだ。
「差別しないで誰とでも仲良くしろ」と教えてくれた母。
厳しくて怖かったけど、そんな真っすぐな母をずっと誇りに思ってきた。
なのに、矛盾していると思った。
「目に見える障害は差別しちゃいけないって言っていたのに、どうして自分のセクシュアリティのことは理解してくれないんだろうと」
「・・・・・・今まで教えられてきたことは何だったんだろうって」
母は、事実を受け入れたくなかったんだろう。
悲しみと怒りで胸が埋め尽くされる。
やり切れない気持ちだった。
けれど、彼女の辛さも理解できる。
受け入れたいけれど、周囲から発せられる心ない言葉。
「母も辛いんだな、って思うと何も言えなくなりました。」
「母には、僕の気持ちと周囲の意見のどちらを選べばいいのか、難しかったのかな・・・・・・」
何の言葉も絞り出せず、ただ母を見つめた。
東京へ行こう
「家族には話さないで」。そう母から懇願され、望む通りにしようと決めた。
母の涙を見た後、決心したことがある。
「福岡を出て、東京へ行こうって思いました。僕が福岡を離れたほうが、母が悲しむことも泣くこともないって」
「母が泣く姿を、もう見たくなかったんです」
父と姉は何も言わなかったが、自分と母の間で何かがあったことを、薄々勘づいていたようだった。
でも、何も聞かれなかった。
「父と姉は『あいつはFTMなんじゃないか?」って、母に話していたらしいんです。でも母は言葉を濁していたみたい』
「後から聞いた話なんですけど、僕にFTMの話を教えてくれた先輩と姉は親しかったそうなんです」
「だから早い段階で僕がFTMであることに気づいてたようでした」
宅配便の仕事は楽しかったが退職することに決める。
東京へ出て、新しく始めたい。
思い描いていた自分になる時が来た。
心はとても晴れやかだった。
09東京へ
修業のため酒屋でバイト
東京へ行ったら絶対にやりたいことがあった。
それはBARで働くこと。
将来は、福岡でBARを経営したいと考えていたからだ。
「福岡に居る頃からBARに興味があって、色々調べてたんです。だけど、面接に行っても全然受からなくて」
「面接で、『お酒の種類分かる?」と聞かれて、『分かりません』って正直に答えてしまっていました(笑)』
お酒が分からないのに、BARで働けるわけがない。
勉強のために酒屋で働くことにした。
場所は銀座。
「シャンパン1本持ってきて」と、緊急で配達を依頼されることも多くとても忙しかった。
「そこでは3年働きました。一通り勉強して自信がついたら、またトラックに乗りたい! って気持ちがわいてきちゃったんですよね」
「それで、中型免許を取得して酒屋を退職しました」
トラックの運転手の仕事は関東が主だったが、月に一、二回程大阪へ行くこともあった。
宅配便でバイトをしていた頃からの夢だった、トラックの運転が叶った。
「やりたかったことが出来て、すごい楽しかったですね。自分にとって何もかもがプラスに作用しているように感じてました」
一方、仕事は充実していたが、上京前から抱き続けていた『BARで働く夢』も捨てきれなかった。
そんな時出会ったのが、FTM BARの『2’ s CABIN』。
FTMだけではなく、どんなセクシュアリティの人も楽しめるBARだ。
刺激になったBARの仕事
2’ s CABINでの仕事は、月1、2回ぐらいから始まった。
お手伝いのような形だったが、自分にとって大きな刺激となる。
「トラックの仕事は楽しくて、まだまだやりたかったんですけど、本格的にBARをやりたい夢が大きくなっていきました」
「30歳になった時のことをじっくり考えてみたんです」
「このままトラック運転手を続けるのか、30歳の時にお店を出しているのか。実行に移すなら、早いほうがいいって結論が出ました」
たとえ失敗しても、やり直せば良い。
そう考え、トラックの運転手の仕事を退職した。
BARに興味を持ち始めたきっかけは、宅配便で仕事をしていた頃だ。
お客さまと話が弾んでも、次の届け先に急がなければならない。
話を途中で終わらせ、最後まで聞いてあげることが出来ないのが残念だった。
「ゆっくり話が聞ける場所で、色んな話を聞いてあげたいって考えるようになりました。テレビドラマでバーテンダーを見ていたので、カッコいい! って思いましたし、お酒も好きですしね(笑)」
2’ s CABIN のまさきさんとは、たくさん話を重ねた。
まさきの目指す将来像と自分の想い描く未来が合致し、本格的にBARで働かせてもらうことになる。
「今までは自分の考えが『これだ! と思ったらこれ』みたいな所があったんですけど、人には色んな考え方があるし、うまく取り入れれば物事が円滑に進むな、とか思うようになりました」
「色んなひとと話していると、自分自身の変化に気づきます」
10次世代に居場所を
話は全部聞きたい
最近、BARで自分の経験談を話す機会が多い。
あまり話すことが得意ではないので、せめて聞き上手になりたい。
自分を必要としてくれる人がいる限り、話は全て聞きたい。
そう思っている。
「自分自身が悩んでいるときに、身近に2’s CABINみたいなBARがあれば、もうちょっといろんな情報が得られたのに、と考えることがありました」
「今はインターネット社会ですけど、本当の情報かどうかは分からないじゃないですか。実際に会って話すのは、本当に力になるんです」
お客さまにとって、この場所が心のほどける場所になると嬉しい。
接客で気を付けていることは、相手の目を見ること。
照れくさい時もあるけれど、目と目が合うと心もつながる気がするのだ。
「人との話を大事にすること。大事に受け止めて聞くということを大切にして接客をしていますね」
「話を割り込んで取るようなことは、絶対にしないと決めています」
この場所を、自分よりも若い世代にも残していきたい。
そう考えるようになった。
これからの課題は、聞くだけではなく自分の意見も伝えていくこと。
「僕は、自分の意見を口にするのが弱いんです」
「頭の回転がうまくいかないときは良いことが言えなくて、あ、もう言わないでおこ、」って思ってしまいます」
姉がつないだ家族の絆
東京で充実した毎日を過ごしてきたが、福岡の家族のことを考えると複雑な気持ちになることもあった。
そんな時、姉から突然のメールが届く。
なんと、2週間後に出産を控えているらしい。
「あんたの話は聞いてるよ。今まで辛かっただろうけど、自分の決めた道なら自分で生きなさい。ただし色んなことに責任をもって、人に迷惑をかけないように生きていきなさい」
姉は、「子どもの顔を見にきてよ。帰って来にくいだろうけど帰ってきなよ」と言ってくれた。
疎遠になりかけていた実家との縁を、姉が再びつなげてくれたのだ。
「姉にメールをもらって、実家を出てから初めて家に泊まりました。それまでは実家に帰ることがあっても居づらくて、ホテルに泊まってたんです」
実家とのわだかまりが解消された今、夢は新たな形になって進化していく。
「福岡でFTM BARを開きたいって考えてます。自分の友人の子どもたち世代が悩んだ時に、力になれるような場所を作りたい」
「僕は場当たり的なところがあるので、今後も行きあたりばったりになるかもしれないですけどね」
昔からずっと変わらない目標は、「人のいいところを見つけられる人間になる」ということ。
今もこれからも、やりたいことがたくさんある。
そのためには努力を惜しまない。
全力を尽くし、楽しみながら頑張っていきたいと思う。
夢は、これからも尽きない。