INTERVIEW
等身大の「私」を、まだ出会っていない人たちへ届けませんか?
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自分を否定せずに受け入れて。そうすれば自分にも周囲にも笑顔が増える【前編】

「自分、鈴木福君に似てるって言われるんですよ」。撮影中にぽそっとつぶやいたそのひとことで、取材現場が一気に和んだ。優しい笑顔とゆったりとした口調。穏やかな雰囲気を醸し出す那知上さんだが、「辛すぎて、ところどころ記憶を抹消してしまった」ほど、自身のセクシュアリティに対して悩んだ過去があったという。そんな辛い過去をときにユーモアを交えながら語ってくれたその姿には、大きな壁を乗り越えた人が持つ強さが感じられた。

2018/04/17/Tue
Photo : Tomoki Suzuki Text : Shoko Minamoto
那知上 智 / Satoshi Nachigami

1984年、福島県生まれ。公務員の両親のもと、3人兄妹の末っ子として誕生。短大卒業後、写真の道に進み25歳で独立。現在はフォトグラファーとしての活動のほかに、ゲストハウスを営み主に海外からのゲストを迎え入れている。

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INDEX
01 好きを仕事に――その思いで選んだのはカメラマンという職業だった
02 末っ子として可愛がられた子ども時代
03 男子に敗北感を憶えた小学3年生の頃
04 憧れとはかけ離れていく自分の体
05 思いが溢れ出て、初めての告白を
==================(後編)========================
06 女子寮の大浴場で、体を見られることの耐えがたさ
07 レズビアンじゃない、性同一性障害なんだ
08 愛する人との出会い、交際、そして別れ
09 ようやく降りたGIDの診断
10 FTMとして、身近な人に積極的に情報発信したい

01好きを仕事に――その思いで選んだのはカメラマンという職業だった

子どもの頃からの「好き」を仕事に

子どもの頃からカメラが好きだった。

幼い頃からよくカメラを持っていろんなものを撮影していた。

短大を出て就職を考える際に大事にしたのは「好きなことを仕事にしたい」という思い。

そこから「ずっと好きだった『写真を撮ること』を仕事にできたら・・・・・・」と、模索しはじめるように。

最初に就いた仕事は、観光写真の撮影をするカメラマン。

団体客が到着したら集合写真を撮影し、営業や事務もこなした。

「この仕事じゃ、特に腕はいらないな・・・・・・」

そう考え、もっと違うものを写したいと転職を決意する。

次の職場として選んだのは結婚式場だった。

ブライダルカメラマンとして独立。

25歳の時だった。

自分には学生時代からの男友だちがいない

フリーになって8年が経った。

最近は、広告や雑誌、ブライダルや七五三撮影の仕事を続けている。

ブライダルの仕事は楽しい。
人が幸せに輝く瞬間を写真に収めることはやりがいがあるからだ。

でも時折、ふっと頭の中をある思いがよぎってしまう。

「あぁ、自分も男友だちが欲しかったな・・・・・・」

結婚式という晴れやかな舞台で大勢の男友だちに囲まれる新郎。

学生時代の仲間なのだろうか。

そこには確固たる「青春を共に過ごした男同士の友情」みたいなものが感じられるのだ。

「彼らのはじけるような笑顔を見て思うんですよね、自分には学生時代を一緒に過ごした男友だちがいないって」

FTMであることをもっと早くカミングアウトして、SRSを受ければよかったなと後悔するのは、いつも決まってそんなときだ。

02末っ子として可愛がられた子ども時代

幼い頃からファッションにこだわりが

生まれは福島県喜多方市。そう、ラーメンで有名な街だ。

農業指導員の父と、保育士の母。
5歳上の姉と、3歳上の兄、そして自分。

末っ子として周囲からは可愛がられて育った。

小さい頃からファッションにはこだわりがあった。

「いまでも兄妹から笑われるエピソードがあるんですよね」

近所の誰かからもらったおさがりのあずき色のジャージ。
幼稚園の頃のお気に入りで、そればかりを好んで着た。

上着の襟はいったん立て、きっちりと折り返すのがルール。

「すっごくカッコよく思えたんですよね、子ども心にもジャージが(笑)」

「写真が残っているんです、幼稚園の芋ほり遠足の。それ見たら、もう笑っちゃいますよ」

「みんなはちゃんと制服着て写ってるのに、自分ひとりだけジャージで。あずき色のね」

「襟もバッチリ決めて、やけにカッコつけて写ってる(笑)」

好きなものしか着ない。

幼稚園の頃からそこは徹底していたらしい。

初めて塗られた口紅への嫌悪感

最初に服装で強烈な違和感を覚えたのは、七五三の晴れ着だった。

着物を着せられると泣き叫んで抵抗した。

「こんなの着たくない。いやだ!」

なんとかとりあえず着たものの、近所の親戚にお披露目をしに行く際にはまた尋常じゃないほどに泣き叫び、結局脱ぐことに。

「そのせいか、七五三の写真は一枚も残っていないんですよ(笑)」

そんなにも必死に抵抗した記憶は自分の中ではおぼろげだけど、ひとつだけはっきりと思い出せることがある。

初めて塗られた口紅の感触。

「ベタベタする感じと奇妙な味がすごく嫌だったし、気持ちが悪かったんです」

その感じは、いまも忘れられない。

03男子に敗北感を憶えた小学3年生の頃

近所のガキ大将と一緒に作った、橋の下の秘密基地

小学校低学年の頃は、近所の幼なじみといつも一緒に行動した。
気が強くていじめっ子の隣の家の男の子。

「ガキ大将と、その子分みたいな感じだったかもしれないです。いま思えば、ガキ大将のくせに子分は女の子って変な話ですよね」

「それでいいのかっていう(笑)」

夢中になったのは秘密基地作り。

学校の帰り、橋の下の空き地に基地を作った。いくつも、いくつも。

基地の中で、大人から見つからないようにじっと身を隠して過ごす。

いつもキャップを被り、スカートは履かずにズボン姿を貫いた。

「親は、この子はこういうカッコが好きなんだなって理解していたみたいです」

スカートを履きなさいと注意された記憶は一切ない。

一人称は「とも」

運動が大好きな、とても活発な子どもだったと思う。

女の子だった当時の名前は「智子」。

友だちは自分のことを「智ちゃん」と呼び、自分は自分を「とも」と呼んだ。

小学校はひとクラスしかなく、30人程度で6年間を過ごした。

低学年の頃は男の子とも女の子とも遊んだ。

「男子からサッカーに誘われることも多かったし、毎日一緒になって遊びまわっていました」

「だけど、3年生ぐらいからクラスの様子が変わり始めるんですよ」

それまでは男女の区別なく過ごしていたのに、ある日気づくとはっきりとグループ分けされていたのだ。

男子は男子。女子は女子。

じゃあ自分はどちらにいけばいいのか。

その頃の通信簿には先生からのこんな評価があった。

「那知上さんんは、男子と女子の橋渡し役となってくれています」と。

違う。ほんとうはそうじゃない。

「ただ単に、男子グループにも女子グループにも居場所を作れなかっただけだったんです」

どちらにも属せず、宙ぶらりんな感覚をそっと心の中で持て余していた。

男子の脚を見て覚えた衝撃

男子に対して、初めてモヤモヤとした気持ちを抱いたのもこの頃のこと。

ある日、男子の脚の形が変化していることに気がついてしまったのだ。

ついこの間までは男子も女子もみんな同じ、丸くぷにぷにと柔らかそうな脚だったはずなのに。

いつのまにか変わっている。

男子の脚は、スッと伸びて筋肉がつき始めていたのだ。

「FTMの場合、子どもの頃のエピソードとして下半身の話する人が多いじゃないですか。おちんちんがなぜはえてこないのか、って」

「自分はおちんちんがついてない違和感はまったくなかったです」

「ひょっとするとFTMのニューヒューマンかも(笑)」

「でもね、最近はパンツとか履いたときに、ふくらみがあるほうがやっぱカッコいいなって思うようになってきて」

「自分も欲しいなぁと、今頃になって思います」

小学校3年生。

目の前にある男子の脚が、とにかくカッコよく見えた。

生まれて初めて男子への敗北感に襲われた瞬間だった。

04憧れとはかけ離れていく自分の体

なんで男の子に産んでくれなかったの?

男子の脚には筋肉がつき始めていくのに、自分の体は丸くどんどん肉付きがよくなっていく。

胸も少しずつ出てくる。

その柔らかさや曲線は、子どものものとはまた違った、まさに女の子のそれだった。

「憧れは男子みたいな体なのに、自分の身体はどんどんかけ離れていくし、とにかく人に体を見られるのが嫌で、いつのまにか猫背になって」

プールの時間にみんなと一緒に着替えをすることもできなくなった。

「全員が教室を出てから、急いで着替えてました」

スポーツではなにひとつ男子とひけをとらない。
新たに始めた剣道は男子を打ち負かすぐらいの強さだった。

好きな女の子もできた。

初恋だった。

でも体は男子と同じにはならない。

小学校の先生から「男の子っぽいから、ひょっとしてお母さんのお腹にちんちん忘れてきちゃったんじゃないの」と、言われたこともあった。

一目散に家に帰って母親に尋ねた。

「なんで男の子に産んでくれなかったの?」

母親は自分の問いに一生懸命答えてくれたような気がするけれど、その内容は記憶にない。

自分は男の子――空想の物語で遊ぶように

ちょうど同じ頃、自分のことを「とも」と呼んでいたのを聞いた近所のお姉さんが、「中学に入ったら『私』って言わないとだめなんだよ」と教えてくれた。

「『私って言わないといけないのか?!』と絶望感に襲われました。その頃は自分のことを男だとまだ思い込んでいたというか・・・・・・」

「男の子の設定で独り言を喋ってよく遊んでましたし。自分に男の名前をつけてね。たとえば『俺〇〇っていうんだ、ボクシングやってんだ』みたいな感じで」

オリジナルストーリーを作り、その物語の中に入り込んで遊ぶ。
物語の中ならどんな男の子にもなれる。

だが、学年が上がるにつれ、その認識も変わっていく。

「あれ?男だと思っていたけど、やっぱり違うんだと思うようになりました」

「体の変化に伴って自分を客観的に見られるようになってきたんですね。周りからも明らかに女の子扱いされるようになってきたし」

「もう、どう転んでも男子のグループには入れないことぐらいは、理解できるようになってました」

中学に入学、制服は着ずにジャージで登校

中学の制服は、小学校時代には一度も履いたことのないスカートだった。

「入学式とか卒業式とか、式典のときだけはしょうがないから制服を着ましたけど。あとはほぼジャージで通しました」

ちょっと不良っぽい生徒はみんな、ジャージで通学していた時代。

「自分、姉の影響で茶髪にしたりしていたので。だから、ファッションとしてジャージを着たいんだろうと思われていたのかもしれませんね」

「あと、中学が家から遠かったんです。自転車で30分。だから、制服のスカートじゃ自転車こぐのも大変だろう、って先生たちも黙認してくれてたのかも」

中学のときの関心事は服装と髪型、そしてダイエット。

「太っていたわけじゃないんですよ。でも男と比べて丸みを帯びている自分の体が嫌でしょうがなくって。痩せさえすればそこも解決するのかな、と」

「お母さんに、雑誌の広告に載ってるダイエットサプリを買ってくれとねだったりしていました」

部活はソフトボール部を選んだ。

キャッチャー、ショート、セカンド。どこでも守備につき、のちに部長になるほど熱心に打ち込んだ。

05思いが溢れ出て、初めての告白を

妬みたくない。だから存在を無視するしかなかった

中学に入学してすぐ、一人称は「とも」から「自分」「こっち」へと変化を遂げる。

どうしても「私」と言わなければいけないとき以外は、それで通した。

そして、小学校の頃はあんなに一緒になって遊んでいた男子とは、なるべく接さないように距離を取るようになる。

「男の子がどんどん男っぽくカッコよくなるのが羨ましくって」

「妬まないように、なるべく近寄らなかったんです。でも存在を無視するって、ある意味究極の妬みですよね(笑)」

優し気な顔つきのせいだろうか。男子からはよく話しかけられた。

「『那知上さ~ん』とか親し気に呼ばれると『なんだよ、おまえ。バカにしてんのか』って心の中で思ってました」

「それが顔に出ちゃわないように、とにかく徹底して避けてたなぁ」

好きな女の子に初めての告白を

小学校で同じクラスの女の子に初恋を経験した。

以来、好きになるのはずっと女の子。

「あの子も可愛い、この子も可愛いって。とにかく気が多かったんです。1年にひとりは好きになってたなぁ(笑)」

好きになった女の子には女友だちとして仲良くなり、なるべくそばにいるように。

初めての告白も中学の頃だった。

「思いが溢れちゃったんですよ」

「好きな女の子の前で、自然と『好きだ』って口から出ちゃって。相手は、当然それを真剣な告白だとは思ってなくって」

「『ありがとう~』みたいな反応でした」

「友だちとしての好きと受け止められたんですね。それに対して自分は『なんか違う、かわされた気がする』と腑に落ちずにモヤモヤしました」

この頃は、自分の中でいろんなことがまだはっきりとしていなかった時代。

そのため、さらりと告白を交わされたことに対してモヤモヤしながらも、それ以上追求することはできなかった。

高校に入ると、変わっていった。

もうそんな反応では満足できなくなるようになっていく。

 

<<<後編 2018/04/19/Thu>>>
INDEX

06 女子寮の大浴場で、体を見られることの耐えがたさ
07 レズビアンじゃない、性同一性障害なんだ
08 愛する人との出会い、交際、そして別れ
09 ようやく降りたGIDの診断
10 FTMとして、身近な人に積極的に情報発信したい

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