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トランスジェンダーの自分と向き合い、27歳でスタートした第二の人生【前編】

20代後半までトランスジェンダーというセクシュアリティを知らず、「女性の体なのだから、女性として生きるべき」と感情を押し込めた。自分をずいぶん傷付けたと、古町奏さんは語る。石橋を叩きすぎる性格ゆえに、長いあいだ、自分の感覚を信じることができなかった。ヨガに出会い、トランスジェンダーのドラマに出会い、LGBT当事者と交流する中で、自身を信頼できるようになっていった古町さんの軌跡をたどる。

2020/03/11/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Sui Toya
古町 奏 / Sou Furumachi

1981年、東京都生まれ。子どもの頃から性別違和を感じていたが、27歳まで女性として生きるよう努めた。ドラマ『ラスト・フレンズ』を見て、トランスジェンダーという言葉を知る。その後、LGBT当事者と知り合う中で「第二のスタート」を切り、本来の性で生きようと決めた。企業勤めを経て、現在はヨガや筋力トレーニングのインストラクター/パーソナルトレーナーとして働いている。

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INDEX
01 家での立ち位置
02 活発な女の子
03 赤いシャツと青いシャツ
04 未来が見えない
05 エネルギー切れ
==================(後編)========================
06 封印
07 トランスジェンダーというセクシュアリティ
08 父のひと言
09 心と体はつながっている
10 シンプルに生きる

01家での立ち位置

枠からはみださないように

27歳になるまで、周りと同じように生きなければと必死だった。

就職や恋愛、服装、髪型など、内面も外見も、“普通” に溶け込もうと努力してきた。

「何が好きとか、どうしたいとか、自分の主観は後回しでした」

「こうすべき、っていう社会の枠から、はみださないように生きていた感じですね」

正社員として働くべき。
体が女性なのだから、男性と恋愛すべき。
結婚して、子どもを生んで、親を安心させるべき。

「◯◯すべき」といった枠組みを優先し、自分の感情を封じ込めた。

口達者な姉

子どもの頃から、2歳上の姉に「あんた、面倒くさい」と言われていた。

「真面目で、几帳面で、完璧主義だったんです」

「いちいち考えすぎたり、ウジウジしたりするタイプで、姉とは真逆の性格でした」

姉は口が達者で、ケンカをすると言い負かされる。
話すのが下手な自分は、一方的に責められることが多かった。

「姉は、嫌なことを3秒で忘れる性格なんです」

「でも、こっちはずっとモヤモヤを引きずってて・・・・・・(笑)」

「旅行先で姉とケンカしたときは、ずっと不機嫌な顔をしていて『お前はまだぐじぐじ言っているのか』って、両親からも怒られました」

次第に、家族から孤立していると感じるようになる。

「当時は、気持ちを溜め込むことが多くて。だから、親も姉も、きっと接し方がむずかしかっただろうと思います」

両親との関係

小さい頃は、父とロボットコンテストを一緒に見たり、星や宇宙の話を聞くのが好きだった。

「父親は理系だったから、『宇宙のはしっこはどこか』とか、わくわくする話をたくさんしてくれました」

「でも、成長するにつれて、あまりしゃべらなくなっていって。怒られることも多かったし、距離を取っていたんです」

自分から見て母は気弱な性格で、体も弱いと感じていた。

「お母さん疲れちゃった」と言って、休んでいる姿をよく目にした。

「母親は自分が守ってあげなきゃいけない、っていう感覚が常にありました」

両親とも、ささいな変化に気づいてくれるタイプではなかった。

「その頃の自分は、口下手で自分の気持ちを話さないこともあったから、部屋にこもって泣いていても、親は『どうしたの?』って言いに来てくれなかったですね」

「それでも、愛情を持って育ててくれていることは理解していました」

「姉は自由な人で、親に心配かけることもあったんですよね。だから、その姿を見ていて、自分は優等生でいなければいけない、と思うようになったんです」

02活発な女の子

修業

小学校低学年のとき、髪を短く切りたいと言ったことがある。

しかし、母から「女の子なんだから、それはおかしいでしょ」と言われて却下された。

「女の子らしくしなさい、っていう圧をずっと感じていました」

「ボブヘアーとか、一定のところまでは許してもらえるけど、それを越えると・・・・・・(苦笑)」

服装に関しても、それは同じだった。
しかし、遊び方やおもちゃについては、制限された記憶がない。

「ディズニーランドに、カリブの海賊をテーマにしたお土産屋さんがあるんです」

「その店でおもちゃを買ってもらうのは、OKだったんですよ。剣や鉄砲を買ってもらうのが楽しみでした」

ドラゴンボールに影響されて、筋トレ用の重りを買ってもらったこともある。

「マンションの12階に住んでいたので、脚に重りをつけて、12階まで階段を上り下りしてたんです」

「強くなるために、修業してる感覚でしたね (笑)」

中学受験

小学生の頃、友だちから「活発」「ボーイッシュ」と言われていた。

運動は好きだったが、痩せていたため、体力はあまりなかった。

姉が中学受験を希望し「あなたも行きなさい」と、小4から学習塾に通わされるようになる。

母に言われるがまま、姉と同じ私立の女子校を目指すことになっていた。

「毎日ぼーっと生きていて、受験って聞いても、どこか他人事だったんです」

「小6になって、ようやく『あれ? 受験って今年じゃん』と気づきました(笑)」

焦ってスイッチを入れ、勉強を頑張った結果、姉と同じ私立の女子校に合格。

「いま振り返ると、中高一貫の女子校に進んだのは、正解だったんじゃないかな」

「細くてガリガリだったから、小学生の頃は、第二次性徴を感じることが全くありませんでした」

「そのまま女子校に入ったから、性差を目の当たりにする機会がなくて。体が一番変わる時期に、男子の成長を見ないで済んだのは、ラッキーでしたね」

小学生の頃は、姉からお下がりをもらっても、スカートは絶対に履かなかった。

しかし、中学に入ると、制服のスカートを履かなければならない。

「嫌だって言ったんですけど、どうしようもありませんでした」

03赤いシャツと青いシャツ

男性になる夢

中学校では、スラムダンクの影響で、バスケ部に入部。
かわいい子にモテたいと思い、ギターも始めた。

「中学生の頃は、自分はいつか男性になるんだろうな、って考えてました」

「あるとき病気にかかって、ハッと目覚めたら男性になってる夢を見たこともあります」

その一方、第二次性徴が遅かったこともあり、身体の変化はさほど気にならず、初潮がきたときも自然に受け入れた。

「姉もいたし、周りは女の子ばかりだし、『初潮はみんな来るもの』っていう感覚だったんです」

「女性であることを突きつけられたとか、そういう苦しさはなくて、その頃は『本当にきたぞ!』みたいな感じでしたね(笑)」

バスケが何より好きで、中高6年間、部活を続けるつもりでいた。

しかしあるとき、自宅で倒れてしまう。

「真面目で完璧主義な性格が災いしました」

「勉強と部活の両立にプレッシャーを感じて、過呼吸を起こしたんです」

父から「バスケ部を辞めたら?」と言われ、気力が萎えてしまった。

中3でバスケを辞め、放課後の時間がぽっかり空いた。

「それまで、バスケの練習で忙しくて、自分のことを考える余裕がありませんでした」

「でも、バスケを辞めたことで、自分と向き合う時間ができてしまったんです」

「なんで自分は男性じゃないんだろう? って疑問が湧いてきました」

自分はおかしいかもしれない

当時のモヤモヤを、よくTシャツにたとえる。

女性が赤いTシャツ、男性が青いTシャツを着ていると仮定したとき、自分は赤いTシャツを着ている。

しかし、何かが違うと思って、Tシャツを脱ぐと、裏地が青だったことに気づくのだ。

「周りの女の子とあまりにも話が合わなくて、自分は変なんじゃないかと思ってました」

化粧やルーズソックス、短いスカートなど、おしゃれの話には興味を持てない。

好きな男性アイドルの話にもついていけない。

「話をむりやり合わせようとすると疲れました。でも、その理由がよくわからなかったんですよね」

当時はトランスジェンダーというセクシュアリティ名は知られておらず、『おなべ』や『ニューハーフ』という言葉には、ネガティブなイメージがあった。

「そういう性っていうより、おかしいっていうイメージが強くて・・・・・・」

「自分がそれだったらどうしよう、隠さなきゃいけないんじゃないか、って不安でした」

メンズ服で街を歩く

当時、親友のような関係の女の子がいた。

同じバスケ部のメンバーで、話や趣味が合った。一緒にギターの練習もした。

「その子がいたから、周りの女の子のペースに合わせなくてもいい、って思えてたんです」

「すごく信頼してたけど、その子にも、悩みは打ち明けられませんでした」

しかし、親友といると、女の子らしさという枠ではなく、自分らしく自然な自分でいられた。

中3のとき、お小遣いを貯めてメンズの服を買った。
休日に、その服を着て外出してみたことがある。

「メンズの服を着るとこれが自分だ、って嬉しくなりました」

「でも、その服を着て歩くと、人からジロジロ見られるんです」

「男になりたいっていうのは、やっぱりおかしいことなんだな、って思いました」

「いま思えば、サイズが合ってなかったから、ジロジロ見られてたのかもしれないですけどね」

04未来が見えない

女の子を好きになる

中高では、女の子と知り合う機会しかなかったため、好きになるのも女の子ばかりだった。

「中学生のとき、同級生の女の子と噂になったことがありました。校内でいちゃついてたからです(笑)」

周りの友だちから、「それはヤバいよ」と言われる。

同性同士の恋愛はいけないことだと、自分の恋愛感情を否定された気がした。

「将来のことを考えると、暗い気持ちになりました」

「自分が笑って生きている未来像が、全く描けなかったんです」

性別が気になり、就きたい職業や結婚について考えると、頭の中にもやがかかったようになる。

どうやって生きていけばいいかわからなかった。

変えられない事実

「一番つらい思いをしたのは、高校時代です」

体の変化が目に見えてわかるようになって、苦しくなっていく。

「自分が女性であることは、変えられない事実なんだ、ってようやく気づきました」

高校には頑張って通っていたが、高2になると、休む日も。

母からは「学校に行きなさいよ」としか言われない。

「親に『どうしたの?』って言ってほしかったですね」
「『なんで行かないの?』って、聞いてほしかった」

誰も自分をわかってくれないと思い、孤独感が増していった。

気持ちを整理するために、ひたすらノートに文字を書いた。

「いま自分に何が起きているか、解決策を見出そうと思ったんです。理屈で考えて、上手に整理できれば、混沌から抜け出せると思ったから」

しかし、いくら考え尽くしても、悩みの根源も解決策もつかめなかった。

05エネルギー切れ

楽に生きるには

高2の冬、考えることに疲れてしまい、もう限界だと思った。

「疲れてました。めっちゃ疲れてました・・・・・・。悩み疲れちゃって、エネルギー切れみたいな」

「生きている意味はもうないんじゃないか、って思ったんです」

死のう。

誰にも悩みを打ち明けないまま、死のう。
自殺の方法やいつ実行するかを、本気で考えた。

しかし、死ねなかった。

「自殺を思いとどまったのは、母の存在が大きかったですね」

「あの人に、一生癒えない傷を与えてしまうんだろうなと思って。それはさすがにできない、って踏みとどまったんですよ」

死ねないなら、生きていくしかない。

「自分の体に合わせれば、もっと楽に生きられるんじゃないかと思いました」

「自分の感情を押し殺して生きたほうがいい」

そう結論づけた。

先生に怒られる

・・・・・・疲れることは、全部やめよう。

少しでも楽に生きるために、勉強することをやめた。

「そうしたら、成績が一気に下がって、高3の春に塾の先生に怒られたんです。『お前はやればできるのに、何でやらないんだ』って」

嬉しかった。

「こんなふうに、自分に向き合ってくれる大人がいるんだな、って」

先生の言葉をきっかけに、もう一回頑張ってみようと思えた。

大学受験に向けて、スイッチを入れて動き始める。

「第一志望には落ちちゃったけど、滑り止めの大学に受かりました」

「母親に『受かったよ』って伝えたら、めちゃくちゃ喜んでたんですよ。その顔を見て、受験して良かったなと思いました」

 

<<<後編 2020/03/14/Sat>>>
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06 封印
07 トランスジェンダーというセクシュアリティ
08 父のひと言
09 心と体はつながっている
10 シンプルに生きる

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