INTERVIEW
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悩める若者に伝えたい。「手を差し伸べたい大人も、たくさんいるよ」【前編】

LGBTアクティビストとして、表に立つことが多い増原ひろこさん。芯の強さを感じさせるさっぱりとした言動が、多くの人を引きつけるのだろうと感じさせてくれた。そんな増原さんにも、自身のセクシュアリティを誰にも打ち明けられない時期があったという。今、笑ってカメラの前に立てているのは、「1人ひとりが大切にされる社会にしたい」という強い思いがあるから。

2020/02/19/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Ryosuke Aritake
増原 ひろこ / Hiroko Masuhara

1977年、神奈川県生まれ。小学生の頃から、同性に恋心を抱く自分に気づき、22歳の時にカミングアウト。大学院生時代に1年ほどパリに留学し、修了後はジュネーブ公館、会計事務所勤務などを経て、LGBTコンサルタントとして起業。プライベートでは、2015年に東小雪さんと渋谷区同性パートナーシップ証明書交付第1号となり、2017年にパートナーシップ解消。勝間和代さんとの交際、別れを経て、現在に至る。

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INDEX
01 親の期待に応えられない優等生
02 女の子に対する明確な好意と疑問
03 本音で話せない自分への罪悪感
04 パリで見つけた私の居場所
05 すれ違ってしまった母娘の気持ち
==================(後編)========================
06 ようやく動き始めた時間
07 本当にやりたいことを模索する日々
08 レズビアンとしての活動と私らしさ
09 同性パートナーとの出会いと別れ
10 救いたいのは、今苦しんでいる人

01親の期待に応えられない優等生

成績優秀な “いい子”

幼い頃の自分は、ひどく人見知りをする子だった。

「幼稚園の入園式の集合写真に泣き顔で写ってるくらい、人見知りしてたみたいです(笑)」

「親とか周りの人に聞いた話を総合すると、自信がない子だったって」

幼稚園児の頃、ただ1つだけ誇れたものは、足の速さ。

「『森のくまさん競争』ってイベントで足が速いことがわかって、自信がつきましたね」

「小学校に進んでからは、割と勉強ができる子で、優等生だったんですよ」

両親から、「勉強しなさい」といわれた記憶は、ほとんどない。
自ら積極的に、勉強に取り組んでいたのだ。

「勉強が得意だったし、成績がいいと面白くなって、もっとやっちゃうみたいな(笑)」

「兄が塾に向かう姿を見て、『私も行く!』って、通い始めました」

「聞き分けもいいタイプで、 “いい子” だったんだと思います」

女の子らしさとショートカット

3歳上の兄と2歳下の弟に挟まれた、真ん中っ子。

自分が産まれた時、母は娘の誕生を喜んだという。

「女の子らしくいてほしい、って思いはあったみたいです」

「でも私は、女の子らしさっていうものに、すごく抵抗した気がします」

高校に進学するタイミングで、髪をバッサリ切り、ショートヘアにした。

母から「モンチッチみたい。ママは長い方がいいと思うよ」と、言われる。

「高校でバスケ部に入った辺りから、中性的でありたい、って思いがありましたね」

決して、家族仲が悪かったわけではない。

むしろ、両親もきょうだいも好きで、仲がいい。

「だからこそ、家族に話せない思いを抱いていることが、すごく引っかかってました」

女の子が好き、という気持ちは、母にも打ち明けられなかった。

02女の子に対する明確な好意と疑問

秘密の「好きな子リスト」

女の子に対する恋愛感情に気づいたのは、小学5年生の頃。

当時、1人でこっそりと「好きな子リスト」を作っていた。

「そのリストは、男の子バージョンと女の子バージョンがあったんです」

「女の子のリストを書いてる時に、なんで私はこんなことしてるんだろう、って思いました」

女友だちのコイバナを聞く限り、好きな子=男の子。

女の子の名前を挙げる子は、1人もいなかった。

「その頃には、明確に恋愛対象として好きな女の子がいたけど、秘密にしましたね」

「周りの子は絶対女の子のリストは書かないはずだから、言ったら引かれるだろうなって」

それでも「好き」という思いがあふれ、告白まがいのことを言ってしまうこともある。

「だけど、怖いから、『いやいや、冗談』とか『友だちだよね』って言って、誤魔化しました(苦笑)」

男の子とのおつき合い

男の子バージョンのリストも書いていた理由は、今ではよく思い出せない。

「本当に好きだったのか、男の子を好きになるものだって信じ込んでいたのか、わからないです」

「ただ、中3くらいで、好きだと感じた男の子とつき合ったんですよ」

つき合うといっても、手をつなぎ、公園でデートするくらいの関係。
かわいらしい交際は、短い期間で終わった。

「高校生になってからも男の子とつき合ったんだけど、関係が進むようになって、なんか違うなって」

高校3年生で、男の子との初体験を迎えたが、ネガティブな感情しか湧かなかった。

「彼と会えなくて寂しい、とか、手をつなぎたい、とかは感じるんですよ」

「でも、キスやセックスをしても馴染まないというか、違う違う、って感じてしまって」

「こういうことは女の子としたいな、って思ったんです」

社会で許されないもの

どう考えても、女の子の方が好きなんじゃないか、と確信し始める。

「高校が女子校だったので、周りには女の子ばっかりいるし、好きになっちゃうんですよね」

「高校の3年間は、常に好きな女の子がいました(笑)」

自分の思いを自覚する一方で、認められないものだという意識もあった。

「レズビアンや同性愛という言葉は知っていたけど、社会の中で許されるものなのか、疑問しかなかったです」

「同性愛を描いた文学作品も、谷崎潤一郎の『卍』くらいしかイメージできなくて、誰にも打ち明けられなかったですね」

当時はインターネットも普及していなかったため、同性愛について調べることもできなかった。

03本音で話せない自分への罪悪感

きっと実らない恋

自分の将来は、何も見えなかった。

「男性と結婚して子どもを産む未来は、なんとなく違う気がしたんですよね」

「かといって、私を好きになってくれる女の子と生きていくとも思えないというか、自分の恋は実らないんだ、って暗い気持ちになってました」

「女子校だったけど、クラスに同じような子がいるとも思えなかったし・・・・・・」

「今、思い返してみると、トランスジェンダーっぽい子もいたんですよ。私と同じように、隠してた人もいたんじゃないかな」

「でも、当時は周りを見渡しても目に入らないから、いないと思っちゃってた」

なりたい職業も見つからないまま、漠然と大学に進学。

「大学でも体育会系の女子バスケ部に入って、週6日練習してました」

「打ち込むものを作って、恋愛や将来について、考えないようにしていた気がします」

重ねていく小さなウソ

どれだけバスケに打ち込んでも、部員にときめいてしまうことはある。
その感情を、思ったまま素直に話せないことが苦しい。

「仲のいい友だちにウソをつくことが、一番イヤでした」

「本当は好きな人がいるのに、その話ができなくて、口をつぐむたびに後ろめたさがあって」

「自分の中で、恋愛って結構大きなウェイトを占めるものだったから、小さなウソが苦しかったです」

思いを寄せる相手に告白するなんて、到底できることではない。

「いつか、私を好きになってくれる人がいたらいいな、ってほのかに思ってました」

「その反面、 “普通” に戻れるんじゃないか、って気持ちもあったんです」

「男の子を好きになれる可能性があるなら、他の人と同じような恋愛をしたらいいんじゃないか、って悪あがきをしましたね」

男の子から告白されて、つき合ってみるものの、やはり自分には馴染まない。

そんな日々の中で、1つの小説と出会う。

「松浦理英子さんの『ナチュラル・ウーマン』を読んで、これじゃないか! って思ったんです」

女性同士の恋愛が描かれた小説に、自然と自分自身を投影していた。

「自分のことが書いてある、って感じましたね」

親友へのカミングアウト

高校時代から仲のいい親友4人の中で、大学の卒業旅行の計画が持ち上がる。

「7年間、ウソをつき続けていることが重くて、苦しくなっちゃってたんです。親友なのに、素直に話せないことの罪悪感で、申し訳なくて・・・・・・」

「だから、卒業旅行で言っちゃおうかな、って思ったんですよね」

松浦理英子氏の小説に刺激を受け、親友には本当の自分を知ってほしい、とも感じた。

「みんなは就職、私は大学院って道が分かれるし、仮に友だちじゃなくなってもしょうがないか、って思う部分もあって」

卒業旅行中、4人で夕飯を食べている時に切り出した。

「あんまり覚えてないけど、『実は、あの女の先輩が好きなんだよね』って、伝えたんじゃないかな」

「『女の子が好きなんだ』ってことを伝えたら、泣けてきちゃったんです」

いままで抑え込んでいたものを吐き出すと同時に、感情もあふれ出す。

親友たちも泣きながら、「早く言ってくれれば良かったのに」「1人で抱え込んで辛かったね」と、言ってくれた。

「初めてのカミングアウトだったけど、親友がやさしくしてくれて、ホッとしましたね」

「友だちはいなくならないんだ、って思って、大学院ではちょこちょこ伝え始めました」

04パリで見つけた私の居場所

多国籍のLGBTサークル

大学院に進んだ年の夏、1年間の留学でパリに旅立つ。

「その頃には、自分のセクシュアリティを肯定できるようになってました」

「だからこそ、同じセクシュアリティの仲間に出会えなくて、孤独を感じてたんです」

パリに到着してから、現地の大学の授業が始まるまでの間、語学学校に通う。

校内の掲示板を見ていた時に、「ホモソルボンヌ」と書かれたチラシを発見。

「それが、大学内にあるLGBTサークルのチラシだったんです」

「パリに着いた最初の最初に見つけてしまって、ワクワクドキドキしましたね」

「ここには私の居場所があるかもしれない、って思いました」

その勢いのまま、すぐにサークルに参加。

週に一度、15人ほどのメンバーと集まり、みんなで映画を見たり、飲みに行ったり。

「いろんな国籍の人がいて、ほとんどがゲイやレズビアン、バイセクシュアルだったんじゃないかな」

セクシュアリティの解放

当時のフランスでは、異性カップルにも同性カップルにも、「PACS(民事連帯契約)」が認められていた。

「PACS」とは、婚姻よりも規則が緩く、同棲よりも法的権利を享受できる制度。

「留学は、語学や文学を学ぶことが目的だったので、同性婚に近い制度があるなんて知らなかったです」

「まさか、パリに行ってセクシュアリティが解放されるなんて、想像もしてませんでした」

日本でいう新宿二丁目のようなマレ地区に、サークルメンバーと頻繁に遊びに行った。

「日本で抑圧していた感情や衝動が、一気に解放されましたね」

「サークル内で、初めて彼女もできました。3カ月くらいの関係でしたけど(苦笑)」

自分を偽らずに過ごせる日々が、自分を大きく変えていく。

「自由」「平等」という意識

セクシュアリティ以外の部分においても、パリの街が与えてくれた影響は大きい。

「フランスだと、黙ってるやつは意見がない、って思われてしまうんですよ」

「日本って曖昧を良しとする文化があるし、私もそこまで主張するタイプじゃなかったから、最初は結構戸惑いました」

「意見を求められるし、そもそも言葉の壁もあるし、慣れるまでは大変だった記憶があります」

パリで1年間過ごしたことで、自分自身の意見を持ち、発信できるようになっていく。

そして、「自由、平等、友愛」というフランスが掲げる標語にも、感化される。

「フランスの街中には、『自由、平等、友愛』って書かれたモニュメントがあちこちに置かれていて、刷り込まれました」

「日本だと、『自由』『平等』ってワードが取り上げられることは、少ないじゃないですか」

「パリに行って、そのワードが入ってきて、人権を意識するようになったんですよね」

それまで恥じ、隠し、否定してきた自分のセクシュアリティを、一生引き受けていこう、と思えた。

自分の意見を持ち、主張することの大切さは、帰国してからも強く感じていく。

05すれ違ってしまった母娘の気持ち

「女の子が好きなんじゃない?」

パリ留学中、日本にいたはずの母が、滞在しているアパートを訪ねてきた。

そして、唐突に「女の子が好きなんじゃない? 気になって仕方ないから聞きに来た」と、訊ねられる。

「なんで気づいたかわからないけど、バレてましたね(笑)」

「多分、母は私が留学する前に聞きたかったけど、聞けなかったから、急に来たんじゃないかな」

友だちにはカミングアウトできても、親には話せない、と感じていた。

親に打ち明ける準備は、少しもできていない。

「でも、ここで言わなきゃいけない、と思ったし、母にももうウソをつきたくなくて」

母からの質問を肯定し、すべてを打ち明けた。

「そしたら、母がすごくショックを受けてしまって、号泣しちゃったんです」

「泣きながらひどいことを言われて、私も『なんで差別するの!』って強く言い返して、言い合いになっちゃって・・・・・・」

「きっと母は、娘が不幸になる、って思ったんでしょうね」

「母自身、結婚して家庭を持った経験が幸せだったから、一人娘にも同じようになってほしかったんだと思います」

本当は喜ばせたい人

当時、つき合っていた彼女を母に会わせたが、会話がほとんどない気まずい状態に。

「3人で日本料理屋でそばを食べたけど、シーンとしてました(苦笑)」

「母は1週間くらいいたけど、ずっと湿っぽかったです」

部屋で勉強していると、背中越しに編み物をしながらすすり泣く母の声が聞こえる時もあった。

関係を修復できないまま、母は日本に帰ってしまう。

「母にわかってもらえないことが寂しくて、引き裂かれるような思いでした」

「でも、それ以上に、母を悲しませちゃったことがショックで・・・・・・」

「母のことは好きだし、喜ばせたいのに、その期待に沿えないことが辛かったです」

ようやく自分を解放できたばかりだから、もう元には戻れない。

それでも、母のことを思うと、気持ちは沈む。

恋愛の話題はタブー

母の帰国後、日本にいる父から電話がかかってくる。

「父は、『お母さんに聞いたよ。ひろこが幸せになるなら、いいんじゃない』って、言ってくれたんです」

「すごく喜んでるわけではなくて、無理してる感じがあったけど」

父の言葉もあり、無理せず自分らしく歩んでいく方がいいんだ、と思い直す。

「ただ、帰国してから10年くらい、家族の前で恋愛に関する話をすることはタブーになっちゃいました」

父とも母とも話せたが、セクシュアリティに関しては、お互いに触れないようにしていた気がする。

「親を悲しませて何やってんだろう、って気持ちは、心のどこかにあったと思います」

 

<<<後編 2020/02/22/Sat>>>
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06 ようやく動き始めた時間
07 本当にやりたいことを模索する日々
08 レズビアンとしての活動と私らしさ
09 同性パートナーとの出会いと別れ
10 救いたいのは、今苦しんでいる人

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