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FTMとして生きる! 大切な人との出会いが、本当の自分を教えてくれた【前編】

いつも周囲の目が気になり、自分を主張することができなかった。彼女との同棲、ホルモン治療は、親に内緒で進めていた。ところが、ある日、妹に勘づかれ、すべてが両親にバレてしまう。分かってくれない親との確執。募るSRSへのおもい。困難を乗り越えて目的にたどり着いたとき、自信に満ち溢れた新しい自分に生まれ変わっていた。

2019/10/09/Wed
Photo : Rina Kawabata Text : Shintaro Makino
佐々木 千維 / Chiyuki Sasaki

1990年、岩手県生まれ。5人姉妹と末っ子の男の子の6人きょうだいで育った。中学、高校はソフトボールに打ち込み、高校は介護コースを選択。卒業後、千葉県の福祉病院に就職した。ボーイッシュな服装を好み、男子に興味を持てない自分に違和感を感じながらも、悩みはいつも押し隠した。転機は、ある女性との出会い。彼女に励まされ、SRS、戸籍変更、結婚と自分の道を切り拓いた。ファッションブランド『Colors Edge』代表。

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INDEX
01  5人姉妹の真ん中にボーイッシュな子が一人
02 喜びを教えてくれたソフトボールとの出会い
03 初めて気になった人は、部活の先輩
04 就職先は千葉県の福祉病院
05 次第に大きくなった性の違和感
==================(後編)========================
06 ついに出会った運命の人
07 ブログの2人に憧れて、FTMとして生きる!
08 同棲、ホルモン治療、FTM。すべてがバレた!
09 両親の反対を押し切って手術に踏み切る
10 入籍直前に両親と和解

01 5人姉妹の真ん中にボーイッシュな子が一人

5人姉妹+弟の6人きょうだい

青森県との県境に近い岩手県九戸の出身。

年が近い5人姉妹の真ん中で育ったが、一番下の妹の6歳下に弟が生まれた。

子どもの頃、みんなでおそろいの服を着て年賀状の写真に収まった。

「クラスの同級生にも4人きょうだい、5人きょうだいはいましたね。そう珍しいわけではありませんでした」

お父さんが改造した二階の二部屋を、机をパーテーション代わりにして分け合った。

「すぐ下の妹は年子で誕生日も1日違い。バースデーケーキは、いつも一緒でした」

一番仲がよかったのは、すぐ上の姉。就職で千葉に出たときに面倒をみてくれたのも、2番目の姉だった。

「お父さんは自営で土木関係の仕事をしてました。昔の人で、いわゆる、頑固オヤジですね(笑)。でも、仕事する姿はカッコよくて、本当尊敬してます」

姉妹でケンカをすると、下が悪くても上が怒られた。しつけには厳しい人だった。

「お母さんは、・・・・・・天然です(笑)」

若い頃は准看護婦をしていたが、結婚後は子育てに追われる。

「小さいころは少し怖かったけど、やさしいお母さんでした」

ボーイッシュな服装に目覚める

「クラスでは、あまり目立たない、おとなしい子でしたね」

とはいうものの、保育園でサッカーが好きになり、男の子と一緒に走り回った。

「小学校では、サッカーのほかにドッジボールして遊んでいました」

小学校低学年を過ぎた頃から、きょうだいと遊ぶことはほとんどなかった。

「僕のほかの姉妹は、ガッツリ、女の子らしい感じでした(笑)」

姉ちゃんや妹たちとの違いがはっきりとしたのは、小学校5年生のときだった。

「ボーイッシュな服が好きになって、おそろいの服は拒否するようになりました」

自分が着たい服を探すと、男の子の服ばかり。

「髪はバッサリと短髪にしました」

そのころから「かわいい」といわれるより、「カッコいい」といわれたいと思うようになる。

「スポーツ少年団のバレーボール部に入ったのも、小学5年生でしたね。テレビで見てカッコいいと思って、空手も習い始めました」

男の子になりたいという気持ちはなかったが、自分の居心地のいいスタイルがはっきりとし始めた。

02喜びを教えてくれたソフトボールとの出会い

いじめからの脱出に成功

小学校は学年に1クラスだけ。
中学も1クラス。

つまり、9年間、クラスのメンバーはずっと一緒だった。

「小学校で始めたバレーボールの仲間が、そのまま中学の部活に入りました」

ところが、そのなかでいじめが発生。どういうわけか、標的にされてしまった。

「クラスでも、ずっと無視されてました」

体育の授業では、ペアを組んで体操をすることが多い。

相手をしてくれる子がいないので、一人ぼっちで体育館の隅に座っていることも多くなった。

そんなときに助けの手を差し伸べてくれたのが、体育の先生だった。

「これはマズイ、と思ったんでしょうね。おい、お前、どうした、と声をかけてくれました」

悩みを打ち明けると、「分かった。ソフトボール部に来い」と、誘ってくれた。

「うれしかったですね。親に相談して、その先生が顧問をしてるソフトボール部に移ることにしました」

ソフトボール部に入ってみると、思った以上に練習が楽しかった。
仲良くしてくれる先輩にも恵まれた。

「気持ちの切り替えができて、見返してやろうって気持ちも沸いてきました」

クラスの中では相変わらず居心地が悪かったが、自分が打ち込めるものは見つかった。

「先生に助けてもらいました。本当に感謝しています」

ソフトボールにハマった日々

ソフトボール部に移ったことを、ことの外、よろこんでくれた人がいた。

「父さんが野球好きだったんです。家に帰るとマンツーマンの特訓を受けるようになりました」

自ら草野球に参加していた父親は、熱心に娘の練習をみるようになった。

はじめはルールすら分からず、最初の練習試合では3塁に向かって走ってしまうほどだった。

「練習を一生懸命にするうちに、どんどん楽しくなっていきました」

父さんは欠かさずに試合の応援に来てくれた。

「試合に来てくれるのは、うれしかったですね」

試合で結果を出せば、それこそが二人で行った練習の成果だ。
父さんの目の前で見せることができれば、それ以上の恩返しはない。

ソフトボールには、2つの異なる魅力があると思う。

「守備はチームプレイで、打撃は個人プレイ。ソフトボールは、その両方を経験できる奥の深いスポーツなんです」

03初めて気になった人は、部活の先輩

高校でもソフトに打ち込む

通学に1時間かかる県立高校に入学した。電車は1時間に1本しかない。

「試合で知り合った、ほかの中学の先輩と一緒にソフトボールをしたくて、その高校を選びました」

中学ではレフト・キャッチャーだったポジションがセンターになり、ますます部活に打ち込む日々となった。

「夜7時に練習が終わったあとに自主練をして、8時の電車に飛び乗って帰っていました。それが終電だったんですよ(笑)」

休みの日には、父さんの特訓が待っていた。

「広い空き地に行って、ノックを受けました」

そんなソフトボール部に、一人、気になる先輩がいた。

「よく面倒をみてくれて、とても可愛がってもらいました」

その先輩は、なぜかよく保健体育の教科書を自分に借りにきた。
貸してあげると、授業のプリントに個人的なメッセージが書かれて返ってきた。

「たわいもない内容なんですけど、もらうとうれしかったですね」

初めて胸がときめいた。

考えてみると、それまで男女を問わず、人を好きになったこともなかった。

「小学校のときに、隣の席の男の子にバレンタインのチョコをずっとあげてたんですけど、それも周りがあげてるから、なんとなく真似していただけで・・・・・・(笑)」

もちろん、デートをするわけでもなかった。

「話すら、あんまりしなかったと思います」

いつかは異性を好きになる日が来る?

先輩との仲はまったく進展しなかった。

「ホームランを打ったら、彼氏になってね」などと、ジョークなのか、何なのか分からない言葉をもらって、ドキッとしたこともあった。

お互いに好意があったのかもしれない。

しかし、ダイレクトな言葉で表現することは、ついになかった。

「自分の気持ちを伝えて、それが受け入れてもらえなかったらどうしよう、って臆病になりました。それまでの関係が崩れてしまいそうで・・・・・・」

女の子を好きになってはいけない、という罪悪感のようなものもあった。

もちろん、先輩のことを友だちに打ち明けることもなかった。

「自分はただのボーイッシュな女の子で、そのうち普通に戻るんだろう、って思ってましたね。そんな人はたくさん、いるんだろうと」

いつか異性を好きなる。
そうじゃないとすると、いったい自分は何なんだ?

「無理矢理に、自分を納得させていた感じでしたね」

制服を着るのがイヤだった

制服も悩みのタネだった。

「中学のときは、制服を着るのは朝礼のときぐらいだったんです。そのほかはジャージで過ごしていました」

ところが、高校では通学も授業も制服を着なければいけなかった。

「ズボンも選べたんですけど、ズボンでも胸元にはリボンをつけないといけなかったんです」

「ズボンにリボンって、どうなのかなって・・・・・・(苦笑)」

しかも、高校では思い切り髪を短くして、坊主頭のようにしていた。

「ちっちゃな坊主の子がスカートの制服を着ているから、おかしいでしょ? クルマを運転している人に、車内から二度見されたこともありました」

トイレで、はっと振り返られることもあった。

家に帰るとすぐに制服を脱ぎ捨てて、ジャージを着ていることが多かった。

「そのころは、着るものに対する興味がなくって、何を着たらいいか分からなくなってましたね」

04就職先は千葉県の福祉病院

東京は怖いところ?

高校2年生から介護コースを専攻する。

「実は介護に興味があったわけではないんです。介護コースには数学がなかったので。理由はそれだけです(笑)。数学が苦手だったんです」

卒業後、特にやりたいことはなかったが、美容師は気になっていた。

「美容師なら男女の差も少ないし、自分の好きな髪型や格好で仕事ができそうじゃないですか」

しかし、専門学校に通わなければいけない。ひとつ上の姉も美容師を志したが、親に反対されて断念した経緯を知っていた。

「きょうだいが多いから、やっぱり許してもらえないかな、と。それで、学校から紹介された長期療養型の病院に就職することにしました」

就職先は千葉県だった。

両親は地元にいてほしそうだったが・・・・・・。

「美容師を断念した姉が東京に出てたんです。寮もあったし、それならいいか、ということになりました」

両親は、友だちの家に遊びに行くだけでも、連絡先を書いておけ、というほどの心配性。

姉が東京にいたことが、大きかった。

「実際に、姉がいろいろと面倒をみてくれました」

しかし、自分自身が東京に出たかったか、というとそうでもなかった。

「盛岡や仙台にもあまり行ったことがなくて・・・・・・。東京は怖いところ、ってイメージがありました」

初めての一人暮らしは、意外と順調

実家からは鍋やフライパンのほか、カーテンまで送られてきた。

「ずっと実家で育った娘だから、心配だったんでしょうね(笑)」

女子寮といっても、民間の賃貸物件を借り上げたもので、実質、アパートでの一人暮らしだった。

不安を抱えての一人暮らしだったが、始めてみると思いの外、順調だった。

「実家にいるときは、母親の手伝いをしていたんです。特に料理はよく手伝いました」

一緒に台所に立ちながら、お母さんに学校であったことや友だちの話をするのが日課だった。

「その経験が生きましたね。意外とできるな、って手ごたえを感じました」

ただ、複雑な電車の乗り換えだけは苦手だった。

「面倒なので、上京して1年くらいは部屋でじっとしていました(笑)」

そのうち、姉から呼び出されて出かけるようになると、世界が広がり始める。

「自分で働いたお金で好きな服を買えるのが嬉しかったですね」

05次第に大きくなった性の違和感

同僚への淡い想い

病院での仕事も順調だった。

「難をいえば、制服ですね。男性用と女性用は、色は同じなんですけど、ウエストがタイトで、ズボンは裾が開いている、女性らしい形なんです」

でも、それは我慢できる範囲の問題だった。多少の違和感は感じつつも、職場に不満はなかった。

19歳のとき、好きな人ができた。

「好きな人といっても、なんとなく、いいなぁと思う感じで、声をかけることもありませんでした」
部署は一緒だったが、近づくきっかけがなかなかなかった。

「それが、たまたま妹が同じ部署の人と知り合いだったので、何人かで一緒に食事をしたことがあったんです」

すぐ下の妹が高校卒業後、同じ病院で働き始めていたのだ。

「妹には、その人への想いを話しましたが、驚いた様子もなかったですね。うすうす、僕の悩みを感づいていたのかもしれません」

相手からは思わせぶりなことをいわれたこともあったが、ふたりの関係が進展することはなかった。

どうしたらいいんだろう?

好きな人への想いが抑えきれなくなっていった。
女性であることがイヤでたまらない思いも徐々に出てくる。

「でも、だんだん、どうしたらいいんだろう? って気持ちだけが大きくなっていきましたね」

共感したのは、テレビドラマ「金八先生」だった。上戸彩が演じる、トランスジェンダーのキャラクターを自分自身に投影した。

「あれが自分なのかな、と」

いろいろと調べる手段はあったが、いくら調べたところで、どう受け止めたらいいのか分からなかった。

「このままだと、誰かを好きになっても、ずっと気持ちを伝えられないんじゃないか、と悩み始めましたね」

 

<<<後編 2019/10/12/Sat>>>
INDEX

06 ついに出会った運命の人
07 ブログの2人に憧れて、FTMとして生きる!
08 同棲、ホルモン治療、FTM。すべてがバレた!
09 両親の反対を押し切って手術に踏み切る
10 入籍直前に両親と和解

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