02 学校とは、そういうもの
03 飼育員が難しいなら英語を
04 恋愛できるはずがない
05 コミュニケーションできるじゃん!
==================(後編)========================
06 キリスト教会という ”ふた”
07 どうせならオープンリーゲイに
08 それでも一人
09 デートしよう!!
10 個々のストーリーを広める大切さ
01周りと違う自分
気づきすぎるゆえのストレス
4人家族の長男として生まれる。
小さいころから周りの子と一緒に過ごすより、一人の世界を好む少年だった。
「友だちと一緒に外で遊ぶより、家に帰って一人で好きなことを楽しむほうに興味が向いてましたね」
他人の気持ちを察しすぎてしまうところが、理由の一つだったと考えている。
「今で言う、HSPだと思います。もちろん、当時はそんな言葉も知らなかったですけど。今でもなんですが、密接な人付き合いに疲れてしまうところがあって・・・・・・」
人とのコミュニケーションだけでなく、小中学校のような騒がしい場にいることもストレスとなった。
「たとえば、だれかが先生に怒られている。それを見て騒いでいる子がいる。そういう状況に真面目な人が苦しんでいる・・・・・・。そういうのをすべて感じ取ってしまって、気疲れしてた子ども時代でした」
人とのコミュニケーションに積極的になれない姿勢は、のちのちにも響くことになる。
マイケル・ジャクソンに夢中
幼いころから自分が周りと違うなと感じていた理由は、気質以外にもある。
4、5歳のときに、マイケル・ジャクソンにハマっていたのだ。
「いつも洋楽が流れているような家庭ではなかったんですけど、『スリラー』のミュージック・ビデオを父が持ってきてくれたのをきっかけに好きになりました」
『スリラー』のミュージック・ビデオは十数分にも及ぶホラー映画風で、ゾンビがたくさん登場してみんなで踊る。その姿を見て、子ども心にわくわくした。
「もっと小さいころは、周りの男の子と同じように、車や特撮も好きだったんですけどね」
マイケル・ジャクソンのファンになったことは、現在、英語教育に携わる仕事にもつながっている。
「母が、英語が得意なんです。僕が英語を好きになれるように、『洋画は字幕で観なさい』など、小さいころからそれとなく導いてました」
マイケル・ジャクソンから、ほかの洋楽や海外のエンタメに興味が広がったこともあり、母の “英語推し” も素直に受け止めた。
母親の言うことは正しい
父親は、仕事に真面目に打ち込む職人だ。
「感情をあまり表に出さないタイプですね。あれこれと言われた記憶もないです」
一方、英語や海外エンタメなども含め、母親から受けた影響は大きい。
「母が言うことは正しいと思ってました。反抗期もなかったです(笑)」
自分は母親の言うことに従うことに抵抗感を抱かなかったが、4歳下の弟は反発することもあった。
「弟は頑固なところがあって、やりたくないことはやりたくないって言ってました。弟は僕と違って外で友だちと遊ぶことも好きでしたし」
弟とは違うところは多いが、昔から兄弟の仲はいい。
02学校とは、そういうもの
劣等感を抱きながら
小学校に進学すると、ますます生きづらさを感じるようになる。
「早生まれなこともあって、運動や勉強が周りの子と比べてできないことが多くて・・・・・・」
「特に、小学校の体育の授業って、周りに見られるじゃないですか。それで、自分はできない子なんだって思い込んでました」
改めて振り返ると、学校生活は楽しいものではなかったと思う。
「協調性がないわけじゃないから、無理に周りに合わせようとしてました。でも、周りの子たちが普通にできることが、なんで僕はこんなにつらいんだろう? って思ってましたね」
「子どもながらに、みんなと一緒に同じことをするっていうのが腑に落ちなかったのかな」
でも、根っから真面目な性格だったため、学校に通うのをやめるという発想は出て来なかった。
「周りからの目を気にするタイプで『いい子ちゃん』に見られたかったってこともあって(笑)、『学校には通うものだ』と思い込んでたんです。行きたくないとか、つまらないとか、そんなことを考えもしませんでした」
当時、いじめられていたわけでも、学校に居場所がまったくないわけでもなかった。
でも、多くの人に囲まれて気疲れする学校には、今だったら絶対に行きたくないと思う。
生き物大好き
小学生になってから、マイケル・ジャクソンのほかに昆虫や動物にも興味を持ち始めた。
「”動くもの” なら、なんでも好きでした(笑)」
本当は家で動物を飼いたかったが、両親が好きではないため叶わなかった。
ただ、「毛のない生き物」をかごの中で飼うことなら、許可をもらうことができた。
「トカゲやザリガニ、昆虫を飼ってました。動物を飼えないので、フィギュアを集めたりもしてましたね」
父親が都内近郊の自然公園や山々に連れて行ってくれることもあった。
「休日は、僕の興味のあることに一緒に付き合ってくれました」
自分の興味関心のある分野への探求を周囲の大人にサポートしてもらいながら、素直に育っていく。
03飼育員が難しいなら英語を
祖父母の家という居場所
中学生に上がっても、興味のある分野に変わりはなかった。
「周りの男の子が好きなものよりは、やっぱり動物や海外のエンタメのほうが好きでしたね」
コミュニケーションやスポーツへの苦手意識も変わらなかったため、部活動に打ち込もうという考えも起きなかった。
「一応、ひっそりとした文化部に所属してはいましたけど、ほとんど部活動には参加せず、半帰宅部状態でした」
「学校で過ごすのは、授業の終わる午後3時半までで精一杯でしたね」
休日は、近所にあった祖父母の家で、テレビを観るなどして気ままに過ごすことが多かった。
「学校生活で疲れた心を癒す拠り所でした」
祖父と一緒に生き物観察に出かけることもしばしば。
「小学校高学年からは、実際に動物や昆虫を観察することが増えて、祖父と丹沢や奥多摩に足を運びました」
飼育員は難しくても、英語は得意!
中学生から本格的に始まった英語の勉強は、得意教科となる。
「海外のエンタメで見聞きした単語や表現が授業で出てきたりして、英語が好きになりました」
母親も、自分と同じように息子にも英語が得意になってほしいと願っていた。
「英語だけはテストで80点未満だったりすると、母から、何やってるの!? って怒られました(苦笑)」
一方、小さいころから生き物への関心が高かったため、将来は動物に携わる仕事に就きたいと考えていた。
「中学生になっても生き物への関心が途切れなかったのを見て、将来は生物系の学者の道に進むのかな? って周りは思ってたかも」
「中学で動物園の飼育員体験に参加して、飼育員になりたいって現実的に考えるようになりました」
ただ、高校生になったときに大きな壁にぶち当たる。
「飼育員って職業としては理系なんですけど、僕は理系科目が全然ダメで・・・・・・。数学、物理とか本当に苦手でした(苦笑)」
「趣味に関係するってこともあって、英語の勉強は苦じゃなかったですね。成績も高校に入ってから、さらに成績が伸びました」
飼育員の夢をあきらめ、理系科目を切り捨てるとともに、英語にフォーカスする。
04恋愛できるはずがない
多分、男の子が好きなんだろうな
恋愛、性的に興味があるのは男の子だと自覚し始めたのは、小学校卒業間近のころだった。
「なにかきっかけがあったわけじゃないんですけど、薄々感づいてました」
幸い、すでに性の多様性について知識があったので、自分が何者なのかとモヤモヤすることはなかった。
「洋画や海外ドラマやにはLGBTQのキャラクターが登場しますし、当時から洋楽のアーティストにはセクシュアリティをオープンにしてる人もいたので、自分もそうなのかなって」
とはいえ、不安がなかったわけではない。
「結婚適齢期になったらどうしようかな・・・・・・みたいな、漠然とした将来への不安はありました」
「親戚のおじさんにシングルの人がいたので、自分もそんなふうになるのかなって、思ってましたね」
自分に恋愛はできない
学生時代、男女ともに恋愛関係に発展したことはなかった。
「学生のときに所属してたグループは、スクールカースト下層の男友だちだったので、クラスの中心の人たちがわいわいやってる恋愛なんて、別世界の話でした」
ずっと男女共学の学校に通っていたため、女子の友人もいたが、付き合うという発想はなかった。
「女の子のほうが友だちは多かったし、バレンタインデーには義理チョコももらいましたけど、本当になにも起こりませんでした(苦笑)」
高校生のときには好きな男子もいたが、心のうちを胸に秘めるに留めた。
「スポーツ系だけど、物静かな落ち着いた雰囲気の子でした」
「『本当の想いを言えなくてつらい』っていう以前に、相手も自分も男なんだから、告白するなんて有り得なかったですね」
05コミュニケーションできるじゃん!
英語を話せるようになりたい
英語を学べる外国語大学に進学。
「将来の夢のためというより、とにかく英語をしゃべれるようになりたい! って一心で大学を選びました」
1年生は必須科目も多く、グループワークやディスカッションに慣れず苦労した。
でも、2年生になると自分の好きな授業を選べるようになり、楽しさを感じ始める。
それに、英語を話せるようになって分かったこともある。
「素の自分を出せるのは、日本語じゃなくて英語だなって思ってます。今も、友だちは日本人より外国人のほうが多いですね」
もし自分が英語に出会えていなかったら、果たして今頃どうなっていたのだろう。
少しずつ自信を持てるように
距離の近い人付き合いは相変わらず苦手だったため、サークルに所属することはなかった。
その分、空いた時間をアルバイトに充てることに。
「地元のドラッグストアに勤めてました」
「意外と接客もちゃんとできて、明るく振る舞えるじゃん! 僕もやればできるじゃん! って、自己肯定感が上がりました」
大学の授業やアルバイトで、コミュニケーションに対する不安は徐々に払拭できた。
<<<後編 2024/04/20/Sat>>>
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06 キリスト教会という ”ふた”
07 どうせならオープンリーゲイに
08 それでも一人
09 デートしよう!!
10 個々のストーリーを広める大切さ