02 父親のDVにおびえる
03 山奥の学校で厳しい寄宿生活
04 初恋の人は男役の先輩
05 キャンプで知りあった人とおつき合い
==================(後編)========================
06 東京に出て生活がガラリ一変
07 年下の彼と普通の結婚生活を考える
08 理想の人・レズビアンに出会い、一瞬で恋に落ちる
09 パートナーと別れて、タイへ
10 今度こそ逃げないで力強く生きる
06東京に出て生活がガラリ一変
父親の様子がおかしい
音大を目指して準備をしていたが、受験の前に指をケガ。目標を断念せざるをえなくなってしまった。
「そのころから、父の様子が本当におかしくなったんです。16歳の教え子と不倫をしていることがバレて、逆ギレして母に対する暴力もひどくなりました」
そればかりではない。
突然、高級外車を買ってきたり、馬主という人から「お宅のご主人が馬を買うといっていますが」と電話があったり、とにかく収拾がつかなくなる。
酔って校長先生の家に電話をかけて、くだくだ文句をいうこともあった。
「母と一緒に精神病院に相談に行ったんですが、本人が自分の意志で来ないと入院はできない、と断られてしまいました」
自分が東京で一人暮らしをすれば、母が逃げてくる場所ができるという考えもあり、推薦で入れる都内の大学に目標を改めた。
「指定校推薦は狭き門なんです。内申書をよくするために、今まで以上に品行方正にして、先輩たちからこれは試験に出るよ、とアドバイスされた科目を重点的に勉強しましたね」
その甲斐あって、見事、合格。晴れて上京することになる。
友だちができて「普通」に近づく
隔離された寄宿舎から東京に出ると、生活がガラリと一変した。
「まずは満員電車にびっくりしました。カルチャーショックでしたね。電車通学すらしたことがなかったんで、電車に乗り込むことが、私にとってはすごいミッションでした」
入学式のときに知り合った子たちと友だちになった。
「一緒にお昼をよく食べてたんで、食堂仲間と呼んでいました。そのなかのひとりが社交的な子で、自分の友だちを連れてくるんで、自然に友だちも増えていきました」
小学校から高校まで、ずっと「変な子」と思われてきたが、大学に入って少しは「普通」に近づくことができたと思う。
賄いつきのバイトも始め、そこでも仲間が広がっていった。
「神戸の彼とも2年生くらいまでつき合ってました。のぞみに乗って神戸に行ったり、彼が東京に来たこともあったんです」
それなりの男女交際には進展したが、きちんとつき合っている意識がないまま、関係は終了していった。
07年下の彼と普通の結婚生活を考える
一緒にいて面倒臭くない人
ブランド力のある学校に通う花の女子大生。当然、合コンの誘いはたくさんあった。
「何度か顔を出しているうちに、なんで私は男たちのつまらない話につき合っているんだろうって、馬鹿馬鹿しくなってきちゃいました」
意外にもつき合うことになったのは、年下のバイト仲間。ドラムを学ぶ専門学校生だった。
「私は年下には全然、興味がなかったんですよ。バイトの先輩に、『こいつをディズニーランドに連れていってやってくれよ』っていわれたのがきっかけでしたね」
ディズニーランドが好きだったので、案内することは得意だった。一度、仮想デートをしてみると、彼からのアプローチが積極的になった。
「それまで私は追いかける恋しかしたことがなかったんですけど、初めて追われる恋になりました」
結局、口説き落とされる形でつき合いがはじまり、毎晩どちらかのアパートに転がり込む半同棲状態になった。
「社会人になって2、3年したら、結婚をして子どもを生むのかなぁと漠然と考えていたんで、それなら、この人は都合がいいや、って思いました」
一緒にいても面倒臭くならない。結婚するなら、そんな人がいい、と安定した将来を思い描く。
「その人は私が唯一、結婚を考えた男性でしたね」
社会福祉施設が最初の職場
大学では小中高の教職資格を取得し、北海道の教員採用試験を受験した。
「採用試験は、どんな格好でもいいから25メートルを泳げなくちゃダメなんです。彼の実家がある長野で合宿をして、水泳を教えてもらいました」
しかし、採用試験は不合格。
「社会を何も知らないで先生になると偉そうになるんで、最初からほかの会社に勤めるつもりではいました」
留年した大学5年目から、社会福祉施設で働き始めた。
育児放棄や虐待で児童相談所に預けられた男の子たちが暮らす施設だった。
「3歳から14歳までの子どもたち12人が暮らしてました。ひとつの家で家庭的に養育することがコンセプトで、大学生なのに、もうお母ちゃんになった気分でした(笑)」
食事や洗濯はもちろん、子どもたちが学校から帰ってきたらお風呂にも入れなければいけない。交代で夜勤もある、労働条件の厳しい職場だった。
「男性上司のいうことが絶対、という男性性が強い職場環境も嫌で、大学卒業までに辞めてしまいました」
08理想の人・レズビアンに出会い、一瞬で恋に落ちる
大好きなディズニーの来園調査
大学を卒業して就職したのは、大好きなディズニーランドだった。
「来園調査という仕事でした。来園してきた人に『1分ほどお時間をいただけますか』と、入り口付近で声をかけて、いろいろなアンケートを取るんです」
「本当はジャングルクルーズの船長になりたかったんですけどね(笑)」
ゲートが開いて殺到してくるお客さんを呼び止めてアンケートを取るのは容易ではない。
「突き飛ばされたり、かなりひどい扱いを受けたこともあります」
しかし、数カ月、我慢をして勤めれば、行きたい部署に希望を出すことができる。しばらくは辛抱だ、と思っていた矢先、北海道から知らせが入った。
「父が倒れて介護が必要になったというんです。私が東京にいる間に父は仕事を辞めて、精神的にも落ちついていたところだったんですが」
しかも、母親の健康状態もすぐれない。ひとりで父の介護をしながら生活をするのは無理だった。
「ディズニーを辞めて北海道に帰ることにしました」
恋に落ちた相手はカッコいいレズビアン
札幌に部屋を借りて、母親とふたりで暮らすようになる。とりあえず、専門学校の事務の仕事に就いた。
「25歳のときに、初めて掲示板を使って『同性愛』と検索して、『トランス』という言葉を知りました」
「お店を経営している人と掲示版で知り合って、その人が『トランスを紹介してやる』というので行ってみたんです」
ところが、「そいつには元カノがたくさんいて、そのうち刺されるかもしれないからホレちゃダメだぞ」と、会う前に釘を刺された。
「とんでもないヤツで、みんなひどい目にあってるって何度もいうんですよ」
警戒はしていたが、その人が現れると、一発で恋に落ちてしまう。
「カーキ色のジャケットに革パンツ姿でした。とってもキレそうな雰囲気で、めちゃくちゃカッコよかったんです」
「こっちに向かって歩いてくるときに、もう好きになってました」
中1以来、久しぶりに感じたドキドキ。
「俺、トランスじゃねーし」が口癖のレズビアンだった。
「世界中を敵に回しているような顔で、でも酔うと寂しそうに口説いてくるんです。この人に尽くしたいな、と思いました」
「今の彼女と別れてお前とつき合う」といわれ、部屋を借りることにした。
「母には友だちとルームシェアをする、と嘘をつきました」
09パートナーと別れて、タイへ
16年続いた関係を清算
パートナーには実家の借金があり、それを少しでも肩代わりしてあげたいと、トリプルワークをした時期もあった。
「一緒に住む費用も、私がいつも多く払ってました。金銭面以外にもお互いにいろいろと溜まっていたこともあって・・・・・・。別れるときは、スッパリきれいに別れましたね」
「絶対にやめろ」と忠告された相手だったが、ふたりの暮らしは16年も続いた。
「その間に母が亡くなりましたが、母は最後まで私と彼女の関係を許してくれませんでした」
30歳のときに入院した際、病院の看護師にアウティングされ、彼女との関係を母に知られてしまった。よくお見舞いに来ていた彼女を見ただけ、確信もなく勝手に。
「仕方なくカミングアウトしましたが、受け入れてはもらえませんでした。父には最後まで隠し通しましたけど」
彼女と別れるきっかけは、もうひとつあった。日本語の先生としてタイに行く話が持ち上がったのだ。
「その頃に勤めていた母校に、タイの学校との交換留学生制度があったんです。その件で一緒に仕事をしたタイ人の先生から、日本語の特設クラスを作るから手伝ってほしいと頼まれたんです」
「タイには一度引率で行って、印象もよかったので、ちょうど40歳になる年齢でしたけど、思い切って行くことにしました」
心労で体調を崩す
永住するつもりで行ったタイ。しかし、なかなか思い通りにはいかなかった。
タイに渡って3カ月が経ち、ようやく気候にも慣れてきたときに父親が亡くなってしまったのだ。
「お葬式や家のことなど、親戚には任せられませんから。ちょっとだけ帰らせて、と頼んで日本に戻りました」
日本にいたのは25日間。その間に電話やガス、電気の解約、住んでいた札幌のアパートの処分、そしてお葬式まで、すべてひとりで済ませた。
「タイに戻ったんですが、疲労と精神的なダメージで体調をすっかり崩してしまいました」
両親ともに他界した日本では、住所もなくなり、拠り所がなくなった喪失感もあった。
「結局、タイにいたのは6カ月くらいでした」
10今度こそ逃げないで力強く生きる
戻ってきて住んだのは岐阜
札幌には身寄りがなくなった。帰国後に目指した土地は岐阜。
「タイにいる間に、岐阜に住むFTMの人と掲示板で知り合ったんです。父の葬儀で日本に帰ったときに、弾丸で1日だけ岐阜に行って、彼に会ってました」
その人は年上で、地元の大学病院で看護師をしていた。ホルモン治療も手術もしていなかったが、見た目はすっかり男性だった。
「でも、女性名のまま生活していたので、身分証明書を出す場面では混乱もありました」
岐阜で、彼の母親との3人暮らしが始まる。
「彼の性格が、完全に昭和生まれの男なんですよ(苦笑)。座ったまま、『おい、お茶』という人で。どうやってつき合ったらいいか悩んで、最初の1カ月で10キロ痩せました」
かなり頑張ったつもりだが、まともな会話が成り立たない。このままずっとは暮らせないと見切りをつけた。
「1年8カ月、岐阜にいました。よくもったほうだと思います」
一番しっくりくるパートナーはFTM
「これまでシスジェンダーの男性との恋愛も経験しましたけど、一番しっくりくる相手はFTMだと思ってます」
「理想をいえば、全部取っていて戸籍も変えている人。体に性的なものが何もついていない人かな・・・・・・」
岐阜ではない、新しい地域を考えた。
さあ、どこに住もう? もう、しがらみは何もない。
「いろいろ考えて、去年宝塚に越しました。どこに住んでも暮らしていける自信があるので、どこでもよかったんですが」
今はフリーライターをしているが、これまでの経験を生かしてどんな仕事にもチャレンジするつもりでいる。
簿記や教職の資格も持っているし、派遣でもなんでもやらせてもらう気概もある。
LGBTERの取材に応募したのも、一種の覚悟の表れだ。
理想のパートナーを見つけ、移り住んだ土地で力強く生きる。それが、今の目標だ。
「今までの人生、逃げ回ってきたので、今度こそはこの土地から逃げない、という覚悟でいます。きちんと乗り越えるつもりです」