02 父親のDVにおびえる
03 山奥の学校で厳しい寄宿生活
04 初恋の人は男役の先輩
05 キャンプで知りあった人とおつき合い
==================(後編)========================
06 東京に出て生活がガラリ一変
07 年下の彼と普通の結婚生活を考える
08 理想の人・レズビアンに出会い、一瞬で恋に落ちる
09 パートナーと別れて、タイへ
10 今度こそ逃げないで力強く生きる
01期待に応えることを強いられて
大人の顔色をうかがう子
北海道江別市に生まれた一人っ子。
父親は私立高校の国語の教師、母は自宅で子どもたちに書道を教える先生だった。
「母は静岡県の出身です。ふたりは大学時代に知り合って結婚して、父の故郷の北海道で生活を始めたと聞いています」
江別は札幌から列車で30分ほどしか離れてないが、都会とは違って保守的な人が多いと感じていた。
「昔は大学を出ている女の人なんて、めったにいなかったみたいで、高学歴を自慢していると思われるのが嫌で、母はずっと控えめにしていましたね」
実際、父親の実家や親戚から虐められることも多かった。そんな母親の喜びは娘に大きな期待をかけることだった。
「愛情が深かったというか・・・・・・。私が優秀であることを親戚に誇示したかったんだと思います」
たとえば、小学校の徒競走で3位までに入ると色つきの札がもらえた。
「そうすると、母が『あなたはいつも色つきの札をもらってくるわね。お母さん、うれしいわ』っていうんです。それは、次も必ず色つきを取りなさい、というプレッシャーなんです」
通知表の成績に満足がいけば、「こんなによく出来たんですよ」と、父の実家の祖母に見せにいく。
娘が優秀であることが、母のアイデンティティの拠り所だった。
「一度、通知表に『プールで目が開けられない』って書かれたんですよ。そうしたら、すぐに水泳教室に通わされましたからね」
「期待に応えることがすべてなんだって、子どもながらだんだん理解していきました」
4歳からピアノを習い始めたが、先生の前でちょっとスカートをいじっただけで「行儀が悪い」と、帰り道にお説教された。
「ピアノがうまく弾けたかよりも、今日はいい子でいれたかどうかが気になってました。そうやって人の顔色をうかがう子になっていったんだと思います」
なんで私の言葉が分からない?
両親ともに教育に携わっていたこともあり、家には本がたくさんあった。
「子ども部屋も本だらけだったんですけど、大人向けの本も含めて、私はそれを全部読めたんです。8歳までは、本当に天才だったかもしれません(笑)」
いざ小学校に上がってみると、周りの子と明らかに違った。話が全然合わないのだ。
「みんなは、なんで私の言葉が分からないんだろうっていう、不思議な感じでしたね」
読書量が圧倒的に違うわけだから、使う語彙もセンスも違って当然だった。先生にしてみれば、「なんでこの子だけほかの子と違うんだろう。変な子ね」となる。
「その喋り方、何? 難しい言葉、使うねって感じでした。かわいくない子どもだったと思いますよ」
掃除の時間にもそれは表れた。
当番が5人いるのに、ほうきが3本しかない。あとの2人はその間に机を拭けばいいじゃない、と考える。
「でも、それはダメなんです。先生は5人が順番にほうきを使って、終わったら5人で机を拭く、という段取りを守らせたいんです。だから、私は嫌われちゃうんです」
なんとなく噛み合わないなかで、大人に甘える術は長けていった。
「典型的な放置子だったんだと思います。先生にとっては扱いにくい子だったでしょうね」
02父親のDVにおびえる
男の子と女の子の区別がつかない
小学校に上がる前は、男の子と女の子の区別があまりついていなかった。
「男の子ばかりのいとこたちが4人、毎日、学校が終わると家に遊びに来てたんです。夕ご飯も一緒に食べてました」
いとこたちの家は忙しい自営業なので、うちの母親が子どもの面倒を押しつけられる形になっていた。
「だから、遊びはいつもウルトラマンごっこやサッカーやミニ四駆でしたね。幼稚園バッグも青や紺で、飛行機の絵がついているのが好きでした。それがおかしいことだとは、思ったこともありませんでした」
好きなテレビ番組は「太陽にほえろ!」。殿下刑事が死んだときは号泣したと、後に聞かされた。
「まあ、いろいろな意味で、とにかく変な子でした(笑)」
男らしさ、女らしさに関する意識が希薄なのは、6年生くらいまで続いた。
ドリフは見たことがない
父は教師をしながら、童話作家として作品も残した人物だった。高校演劇にも関り、自らの作品を題材にした劇も創作した。
「姥捨山だとか、悲しい話が多かったみたいです。作品がドイツの展示会か何かに飾られたというので、家族でドイツ旅行をしたこともありました」
この父親がとにかく躾に厳しい人だった。
「よく驚かれるんですけど、ドリフの『8時だョ! 全員集合』は1回も観せてもらえませんでし、ドラマでラブシーンがあると、すぐにチャンネルを換えてました。それから、ファミコンも買ってもらえなかったですね」
小学校1年生のときにサマーキャンプに参加して、おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」を覚えて帰ってきたときは、ものすごい勢いで怒られた。
「外面はよくて周囲の人からは評判がいいんですけど、お酒を飲むと様子がガラッと変わるんです」
家族で外食をして嫌いなものを残したりすると、家に帰ってから説教が始まる。
「あの態度はなんだ! ってなるんです」
「申し訳ありませんでした。許してください」と、母親とふたりで土下座をして一晩中謝らされたこともある。
「『学費は誰が出しているんだ』って脅されて、すみません、学費を出してくださいって頼み続けました」
経済的、精神的なDVは、次第に常態化していった。
03山奥の学校で厳しい寄宿生活
母親の配慮で入学
中学は、中高一貫の女子校に入学。最寄り駅まで徒歩1時間、最寄りのコンビニまで30分という山奥の学校だった。
「街に行くことを『下山する』といってました(笑)。それくらい辺鄙なところでしたね」
しかも、寄宿生活。
「江別からも通える距離ですし、規則上は寮に入ることはできないんです」
その無理を通して、学校に頼み込んだのは母親だ。
「父親のDVがひどくなって、私を父から引き離すためだったんです」
娘の安全を願っての学校選びだったが、裏返しに心配な状況になった。
「母を父とふたりだけにするのが心配で、毎日、安否確認の意味で家に電話を入れて、週末には家に帰ってました」
寮生は遠方からの生徒が多いため、毎週、家に帰る者などいない。
「私が16歳になったくらいから肉体的なDVもひどくなって、母が目を腫らしていたり肋骨を折っていたり・・・・・・。家に帰ったとき、怖くてふたりでクルマの中で寝たこともあります」
特殊なエンジェル・チャイルド制度
寮生活も、また特殊な環境だった。
「各学年1クラスで、中1のときのクラスは30人でした。そのうち寄宿生7人だけで、残りは通学生でした」
病院のようにパーテーションで区切られた2人部屋。中1のときは高3の先輩と同部屋になるというルールがあった。
「エンジェル・チャイルド制度といって、高3のエンジェルさんが中1のチャイルドにいろいろなことを教える、という仕組みです」
「12歳の子どもが18歳の先輩と一緒なんですから、大変です」
朝起きたら、点呼、洗顔、お掃除、朝食、登校とルーティンが決まっている。カトリック系だからお祈りの時間もある。
お風呂の順番など決まりごとも多い。その特別な生活のリズムを教えてくれるのがエンジェルだ。
「2人部屋といっても、そこは寝るだけの部屋で、勉強をするスタディールームが別にありました。夜の7時半から9時までは黙学といって、誰とも話をしてはいけない自習の時間だったんです」
食事は6学年の生徒が1人ずつ集められ、学年違いの6人グループで取る。主に高3の年長者が話題を提供することが多かった。
「寄宿生は全部で80人いるのに、テレビは3台しかないんです。だいたい高3の先輩が好きなものを観てましたね」
当然のことだが上下関係は厳しい。先輩に命じられて立たされ、しょっちゅう叱られた。
「なんで立たされたか、分かるよね?」と問い詰められるが、分からないことが多い。
「『分かります』でも『分かりません』でも怒られるんです。いろいろと難癖をつけられて・・・・・・。厳しかったですね(笑)」
04初恋の人は男役の先輩
図書館とピアノの練習室が居場所
外界とのパイプは、自宅から通ってくる通学生が頼りだった。
「お菓子も漫画も、通学生に頼んで買ってきてもらうしかありませんでした」
年ごろの女子ばかりだから、こっそり持ち込まれるアイドル雑誌やファッション雑誌に夢中になる子たちもいた。
「本当はそういうグループに入らないと無視されるんで怖いんですけどね。どうしてもアイドルには興味が持てなくて」
「無視」が始まると、無視する側につく。そうしないと、自分が標的にされるからだ。そんな社会で、居心地のいい場所が学園内の図書館だった。
「中3のときにいらっしゃった司書の先生がとてもいい方で、よく図書館に通って先生と本の話をしてました」
島田荘司の推理小説はじめ、先生に推薦してもらった本はすべて読んだ。子どもの頃からの読書好きが救いになった。
もうひとつの休まる場所が、ピアノセルと呼ばれる練習室だ。
「そのころ、音大の音楽教育科を目指していたんです。子どもと接する仕事に就きたくて、それなら音楽の先生がいいかな、と」
父親はじめ、小学校の先生たちにもいい印象は持っていなかった。それが文字どおり反面教師となって、教職を目指すようになる。
「ひとりで自由にピアノを練習してる時間が好きでしたね」
高3の先輩に胸がドキドキ
小学校のときから恋愛、男女関係には無縁だった。
「光GENJIの下敷きを見ながら、誰々が好き〜ってキャーキャー騒いでいる子たちの気持ちが、さっぱり分かりませんでした」
ところが、中1のとき、心を射抜く人が突然、現れる。
「高3の先輩でした。ふだんは髪を長くしているエキゾチックな方なんです。その先輩が寄宿祭で『アンネの日記』の男役を演じたんです。その姿がカッコよくて、初めて胸がドキドキしました」
すらっとした立ち姿にハスキーな声、すべてが好きになった。その日から毎日、その先輩のことが気になって仕方がなくなった。
「今日は◯◯を着ていらっしゃる、誰かと話していらっしゃるって、見かけるたびにドキドキして。私、ストーカーみたいでした(笑)」
廊下ですれ違うときは、胸が高まって顔を見られなかった。これは恋なんだろうか? 中1の娘心は悶え苦しんだ。
「先輩が卒業されるときに、『何か思い出のものをいただけませんか?』って頼んだら、一冊の本とそのときにしていたネックレスをいただいたんです」
忘れられない思い出だ。
05キャンプで知りあった人とおつき合い
男性とつき合わなくては
学園内には、つき合っているカップルが普通にいた。
「なかには、チューをしたり抱き合ったりしている子たちもいて、さすがに先生たちもそういうカップルには『はしたない!』って注意をしてましたね」
当時、女同士の交際はいけないことだと理解していた。先輩に抱いた恋心は、「憧れ」という言葉に変換して納得しようとした。
「中2のときに本好きのオタク仲間の子を好きになったんです。さっぱりしていて、話すことがカッコよかったんで」
しかし、ほかの子に「あの子のことが好きなんだ」と話したら、「気持ち悪い」と拒絶されてしまう。
「やっぱり、いつかは男の子に恋をしなくちゃいけないのか、と考えてました」
そんなとき、チャンスが訪れた。
「実は小学生のときから、毎年、夏休みにYMCAのキャンプに参加してたんです。そこで知り合った中3の男の子と文通を始めました」
週末には電話で話す習慣もできた。
「この人を好きにならなきゃいけない、という気持ちでした。でも、あの女の先輩に感じたドキドキ感はまったくなかったですね」
性教育も遅れていた時代。男女関係をどうしたらいいのかも分からなかった。
「どうしたら子どもができるかを知ったのも、だいぶ遅かったんですよ(苦笑)」
結局、手も繋がないままフェードアウトしてしまう。
ギターが弾ける異星人
高1のキャンプでも新しい出会いがあった。神戸から来ていた1学年上の男の子だ。
「関西弁を話して、金髪に髪を染めてタバコを吸ってたんです。すごく大人に見えて。なんでも知ってる異星人っていう感じでしたね(笑)」
しかも、ギターが弾けた。キャンプファイアーを囲むシーンで、ギターは得点が高い。
「私にないものを持っているなぁ、この人なら好きになれるんじゃないかなぁ、と」
1週間のキャンプ生活の間に、「これが男女恋愛か」と気持ちが盛り上がった。
「彼が神戸に帰る前日に、札幌を案内してほしいといわれて、大通り公園をふたりで歩きました」
「白のシャツに青と白のキュロット、彼がポニーテールが好きだというので、髪をポニーテールにして行きました」
男女が並んで歩いている。
私たちも並んで歩いている。
これってカップルなんだ、と手も繋いでないのに気持ちが高揚した。
「それから文通をして、電話でつき合おうと話し合いました」
その後、いったん関係は頓挫したものの、高3のときに復活。つき合い方も大人っぽくなっていった。
<<<後編 2021/07/24/Sat>>>
INDEX
06 東京に出て生活がガラリ一変
07 年下の彼と普通の結婚生活を考える
08 理想の人・レズビアンに出会い、一瞬で恋に落ちる
09 パートナーと別れて、タイへ
10 今度こそ逃げないで力強く生きる