女性として長い間生きていると、どうしても聞かれるのが結婚について。他者に対して性的な欲求を抱かない、もしくは欲求が薄いアセクシュアルの私には、とても苦痛に感じる問いだった。最もきつかったのは、友人がバタバタ結婚し始めた20代半ばから30代半ばまで。自分自身が課した「マジョリティになるべき」という思いがあったから。
アセクシュアルを知らなかった結婚適齢期
20代も半ばを過ぎたころ、知人友人の間で怒涛の結婚ラッシュが巻き起こった。同級生、同僚、親戚。時は2000年代初め。日本が今よりも元気で、多様性に対してまだ蓋をされていたような時代だ。私も自分の違和を言葉にできないまま、ただ悶々と日々を生きていた。
「私も結婚しなければ」。アセクシュアルの焦り
どうしよう、全然焦る気になれない・・・・・・。
同級生からの結婚式の招待状は、これで何通目だろう。当日の予定を確認して「欠席」に丸をつける。仕事だ、仕事。この日は大阪出張だから、どのみち結婚式には出られない。
誰も聞いていない言い訳を頭の中で繰り返し、端的に「結婚おめでとう」と書いた招待状の返信をポストに投函した。
どうしようか。
このまま、ずっと独身でいるのもいいと思っているけれど。
それを当たり前だとも思っているけれど。
それはもしかしたら、私の中の歪みが起因した考えかもしれない。だとしたら、私は今のうちにそれを正さなきゃ。
当たり前から外れた自分。漠然とした焦燥感が拭えないまま、アラサーに突入した。
婚活サイトとアセクシュアル「これ、何か意味あるの?」
20代から30代になっても、私は自分が何者かをわかっていなかった。だってセクシュアルマイノリティなんて言葉もその分類も知らなかったし、アセクシュアルだのアロマンティックだの、当然聞いたこともない。
地元の自治体では、よくある婚活支援の取り組みがおこなわれていた。市報でそれを知った私は、正直「気が進まないけど」と思いながらもサイトにアクセスし、プロフィールや写真を登録した。
会員登録したら男性のプロフィールを閲覧し、お見合いを申し込めるシステムだ。同じ市に住む男性が、こんなにたくさんパートナーを探しているのかと思うと、何だか感慨深かったのを覚えている。
会員サイトが見られるのは、特定の場所でのみ。つまり、結婚相手を探すためにわざわざ出かけなければならない。心の底で「結婚しなければ」という思いに手を引かれてしぶしぶ通った。
こんなことをして、一体私の人生に何の意味があるんだろうか。
本当は、結婚なんてしたくないのに。
このときはまだ、自分がアセクシュアルだなんて知る由もなかった。
お見合いを申し込まれた日
お見合いの申し込みがあったのは、自治体の婚活支援サイトに登録して、そこそこの時間が経過したころだった。
同時に3人。いずれも同年代からやや年上の人だった。その中でも、一番優しそうな人にOKの返事を送った。こうしたやり取りは、必ず係員を通すことになっている。
本人と直接会うのは、お見合い当日だ。私は特に趣味でもないふわっとしたブラウスとスカートを身につけ、慣れないハイヒールを履いて指定された場所に向かった。市内にある、よく会社の新年会や壮行会がおこなわれるホテルのラウンジ。初めての体験に、まったく高揚しなかったと言えば嘘になる。
自治体の婚活支援員の女性と、私と、お相手の男性。
「女性よりも先に来ておくものです」とたしなめられていたが、私は誰との待ち合わせでも15分前には到着する女だ。それよりも早くだなんて酷じゃないか?
アセクシュアルが語った結婚観
初めてのお見合いは、簡素な部屋で、婚活サイトの係員立ち合いのもと静かにスタートした。結婚を前提にした話が進み、私は自分の口が息をするように嘘を吐いていると驚くことになる。
結婚したら「穏やかな家庭を築きたいです」

簡単な自己紹介を経て、ぎこちないお見合いが始まった。私と相手で会話するというよりは、係員の人がファシリテーターとなって進める感じ。
もちろん出てくるのは、結婚についてだ。
正直、相手の男性が何と答えたか記憶にない。ただ、まったく不快ではなかったことは覚えている。私は無難に「落ち着いた穏やかな家庭を築けるといいですよね」とうっすら微笑んでみせた。
家庭を築く?
私にそんなことができるのか?
そもそも、私は本当に家庭を持ちたいのか?
頭の中でぐるぐる回る問いに蓋をして “ふつうにならなくちゃ” と自分に言い聞かせた。
結婚したら「お互いの親とは適度な距離を保ちたい」
相手の男性は、自分とご両親が写った写真を見せてくれた。優しそうなご両親だったという印象が残っている。
結婚したら、この人たちが私の義両親になるのか。
そう想像しなければならない。だってこれは、私のお見合いなのだから。
結婚相手を探すために、今日こうして好きでもないファッションに身を包み、初対面の男性と理想の家庭像なんてものを語り合っているのだから。
「あまり距離が近いのも仲たがいの元ですし、結婚したら別居したいです」
結婚生活なんてまったく想像していないくせに、何かのドラマで聞いたようなセリフを吐いた。
すでにこのとき、私はなぜ結婚しようと考えたのかまったくわからなくなっていた。
アセクシュアルが口にした「そろそろ子どもを考えないといけない年齢ですね」
お見合いが後半戦に突入したとき、立ち合いの女性が妊娠や出産の話題を持ち出してきた。
言われればそうだ。私も30代に入ったばかり、相手の方もそうだ。出産から育児のことまで考えると、今のうちにあれこれ計画したほうがあとあと楽だろう。
このとき、少女時代から抱えていた「自分はほかの女性と違うかもしれない」という思いがぶわっとせり上がってきた。もちろん、アセクシュアルなんて言葉はまだ知らない。
子どもをもうけるとは、つまり、目の前の男性とセックスするということ。私にそれができるのだろうか。今日までただの一度も、誰かに性的欲求も恋愛感情も抱いたことのない私に。
そうしたことに触れる機会がなかったわけではない。けれど、どうしても乗り気になれなかった。大多数のマジョリティがときめくであろう場面でも「私には関係のないこと」とどこか別の世界線のように捉えていた。
そもそも私は、セックスなんてしたくなかったのだ。少なくとも、これまで関わった男性たちとは。そして、お見合いで会った男性とも。
私は「そうですね、子どもは早いほうがいいですよね」なんて、また思ってもいないことを言って、笑った。
その日のうちに、係員の女性から「先方がお付き合いを希望されています」と連絡があったが、すぐ断りの返信を送った。婚活支援サイトを退会したのは、その夜のことだ。
退会の理由を求められたが、入力画面には「忙しい」などと打ち込んだ気がする。
30代だったあのころ、自分がアセクシュアルだとわかっていたら、私は婚活支援サイトの会員になっていただろうか? お見合いをしただろうか?
言えない母へのカミングアウト「結婚しません、ごめん」
お見合いの件は、当時家族の誰にも話さなかった。50歳を前にした今、ようやく「実は昔、婚活してたんだよね」と母に軽く伝えたのだが、それも思い出話のひとつとしてだ。私のこれまでの言動から、母だけは私の特性に気づいていたかもしれない。いまだに私は、母にアセクシュアルだと伝えられないままだ。
恋愛も結婚したくない症候群

思った以上に婚活で疲労してしまい、ますます結婚に対しての抵抗感が強まった。もともと、幼少のころから結婚に対して良いイメージはなかった。人間関係の破綻を招くイメージとでも言おうか、何となく「自分は一人で生きるほうが幸せな気がする」なんて気がしていた。
私の結婚に対する冷めた考えは、両親や親戚の離婚が大きい。DVを目の当たりにした経験も尾を引いている。
もし私がごくありふれた家庭で育った女だったなら、もう少し違った感性を持っていたのかもしれない。そう考えると、私のアセクシュアルという性的指向やアロマンティックといった恋愛指向は後天的と言われても仕方ないだろう。
しかし、たとえ私が純粋培養で育ったとしても、やっぱり他者に性的欲求も恋愛感情ももつことはなかったと思う。どうあがいても、マジョリティにはなれない。本能がそう言うのだ。理屈じゃない。
血が叫ぶのだ。
「アセクシュアルです」と言えない娘
年齢を重ねて、結婚適齢期なんてものはとっくに過ぎた。時代は変わり、多様性への理解も進んでいる。もちろん障壁はまだ多いけれど。
今でこそセクシュアルマイノリティやその分類も多くの人が知るところとなっているが、それも一定の年齢以下での話だ。私の親世代には、理解が難しい人もいるだろう。当事者でもない限り。
LGBTQ+について、当たり前のように報道やSNSで語られるようになったけれど、それでも「病気じゃないか」「精神的なもので一時的にマイノリティだと思い込んでるんじゃないか」と言われたことは、ある。悲しいことに。
こうした経験があるから、私は母に対してアセクシュアルだとカミングアウトできずにいる。
何となくは気づいているのかもしれない。親しい友人や同僚を除いて、一度も男性の話題を出さなかったから。
幼いころの家庭環境が原因だろう、と、母は考えているのだと思う。少なからず自分にも原因があるから、娘に結婚急かすようなことはしないでおこう、と考えている気がする。
もはや「実はアセクシュアルなんだ」なんて、今さらカミングアウトする必要はないのかもしれない。私は人生の折り返しを迎えていて、恋愛も結婚も話題にすら上らないのだから。
結婚を考えられる人間だったら、なんてもう思わない

周りが結婚ラッシュに沸いた時代、私はとり残されるのが嫌で、ただ「普通の女性」の枠に入りたくて必死だったように思う。
女性として見られることに嫌悪感を抱いた時期もあったが、それを忘れるほどに「当たり前に恋をして男性と性的関係を結ぶ」女性であろうとしていた。
マジョリティとして生きることが、人生の幸福を保証すると信じていた。だって、曾祖母も祖母も、私の母も、多少失敗はしたかもしれないが、結婚して子どもを産み育て、立派な「大人」として生きている。
若い私には、そう見えた。だからきっと、私も同じように家庭を築けば、そのとき初めて大人になれる。そう信じていた。
しかし、その信念を上回るくらい、私はアセクシュアルでありアロマンティックだったのだ。
私がこの概念を知るのは、婚活に挫折してからずっとあとの話だ。それまでは苦しい時間を過ごすことになるのだが、この話はまたいずれ。


