02 「女の子が好き」を隠さない
03 定まらない性自認
04 箱(身体)が女という状態
05 親からの愛情が足りていなかった?
==================(後編)========================
06 どこか空虚感がある学生生活
07 人生に影響を与えてくれた彼女
08 揺らぐ自尊心
09 一つくらいは母親の誇りになりたい
10 素直に生きる
01 4歳で「僕、結婚しない」宣言
待望の女の子
兄2人の井上家に、待ちに待った女の子が誕生した。
「親戚の中でも女の子は僕だけ。髪の毛は長くして、可愛らしい洋服を着せられていました」
女の子が生まれたことを喜ぶ雰囲気の中で、実は女の子らしい格好をするのは嫌だった。
幼稚園は制服があり、女の子はスカートをはかないといけない。
「幼稚園に行く時は仕方がないと、どこかで割り切っていました」
「でも幼稚園を一歩出たら、はく必要はないじゃないですか。お迎えの時に着替えのズボンを持ってきてもらい、幼稚園の門を出たらそこで着替えていました(笑)」
それほどまでにスカートを嫌がる娘を、母親は少し変わった子だと思っていたようだ。
自分の性別を語る上で、忘れられないエピソードがある。
「4歳の頃、母に『僕、結婚しないからね』って言ったんです」
「キッチンの冷蔵庫の前で話しているシーンまで鮮明に記憶しているんですよね」
当時から女の子が好きだったので、女の子とは結婚できないと思っていたのかもしれない。
それを聞いた母親の返事は「そう。じゃあ自分で食べていける仕事につかないとね」だった。
「今思うと正しい答えですよね(笑)」
母親にしたら何もわからない4歳児が、ふざけ半分で言っただけと思ったのだろう。
ランドセルは紺色
遊び相手はいつも男の子。活発な女の子だった。
小学校入学時に、ランドセル問題が起きた。
「1番上の兄とは7歳はなれているので、僕が入学する時に兄は中学生。だから使わなくなった兄の黒のランドセルがいいと言ったんです」
母親は周りの女の子と同じように、赤のランドセルをすすめる。
そもそも、6年間使った兄のランドセルは、娘に与えるにはボロボロ過ぎた。
しかし赤色を買われるくらいなら、お下がりの黒がいいと言い張る娘に、母親が折れた。
「紺色のランドセルを買ってもらったんです。まだ黒か赤色しかない時代に、紺色は珍しいですよね」
「後々、なんで紺色にしてくれたのか母親に聞いたら『だって、あなた本当に頑固なんだもん』と言っていました(笑)」
通学帽や絵の具セットなど、男女で色や形が違う物があると、決まって男の子用を欲しがった。
「母親はいつも呆れながら、結局最後は僕が好きな方にしてくれたんです。女の子らしくさせたかったと思うんですけどね・・・・・・」
「母親も女らしい方ではないんですけど(笑)」
幼稚園の時に長かった髪の毛は、小学校低学年で肩くらいになり、高学年ではショートになった。
母親の要求を、少しずつはねのけた。
02「女の子が好き」を隠さない
男の子を好きになったことがない
幼稚園の時に好きな子が2人いた。どちらも可愛らしい女の子。
「一緒に遊ぶ仲良しの子とは違う、はっきり恋愛対象として好きでした」
好きになるのは必ず女の子。男の子を好きになったことは一度もない。
「小学校の卒業式の日、好きだった女の子に『いつか男の人を好きになる時がくるよ』って言われました」
「残念ながら、今のところその時は来ないですね(笑)」
一度好きになると、その子のことをずっと想い続ける。
小学校3年生で好きになった女の子は、卒業するまで好きだった。誕生日や血液型が同じで、自分と同じように左利き。
運命を感じてしまった。
その女の子を好きなことは、学年全員が知っていた。
「その子の話ばかりするし、追いかけ回すからわかりやすいんです(笑)」
今思うと、好きになった子に嫌われることばかりしていた。
昼休みになると、逃げる相手を追いかけ回し、持ち物を奪ったりもした。度が過ぎてその子を殴ってしまうこともあった。
「僕が好きだから、ちょっかいを出しているがわかっていたと思います。でも表現方法が病んでいる感じですよね(苦笑)」
ある日、その子のお父さんと一緒にサッカーをした時、お父さんから強烈なシュートを受けた。
「痛かったですね・・・・・・。まるで、娘が受けた嫌がらせに対する恨みという感じでした(汗)」
同性を好きになることを、友だちにからかわれた記憶はない。
周りで何を言われようと、隠す必要は感じていなかった。
好きな人に忘れられたくない
通っていた小学校の9割が同じ中学校に進学した。
自分が女の子を好きなことをみんな知っているので、好みの子を探してくれることもあった。
「女友だちに『絶対好みの子がいるからおいで!』と言われ、女子バレー部の練習を見に行ったんです」
「そうしたら本当に超好みで、一目惚れして即入部です(笑)」
しかし小学校と同じように、しつこくし過ぎて嫌われてしまう。
「変わらないですよね・・・・・・。嫌われることばかりしちゃうし、自分は女だし、僕には恋人ができることも、結婚することも一生ないと思っていたんです」
その頃、心に強く思っていたのは「好きになってもらえないなら、忘れられなくない!」だった。
「嫌なヤツと思われてもいいから、相手の記憶に残したかったんです。迷惑な話しですよね」
大人になってから、その子に実は好きだったと伝える機会があった。
すると「知っていたよ。あの頃は若かったし、嫌な思いをさせてごめんなさい」と謝られ、「それでもどこか憎めなかったよ」と言ってもらえた。
「その言葉を聞いて、やっぱり素敵な人だったな、好きになって良かったと思いました」
好きな子のタイプはずっと変わらない。
可愛くて、素朴。物静かだけど、頭が切れる子を好きになる。
そして、どこか男勝り。
「最近、自分の好みが母親に似たタイプと気づき、ちょっとショックなんです」
「マザコンではないはずなんですけどね(苦笑)」
03定まらない性自認
格好いい僕のヒーロー
2番目の兄の幼なじみが、近所に住んでいた。
「実はその人FTMだったんですが、格好良くて男として完成度が高いんです(笑)」
女の子をバイクの後ろに乗せ、家の横の坂道を上がっていく姿を見た時、あまりの格好良さに惚れ惚れした。
そのFTMのお兄さんは、中学校の制服(スカート)が嫌で、一人で北海道に引っ越してしまうような人だった。
「僕は地元を離れて、友だちと遊べなくなるのも嫌だし、そこまでの覚悟がないと思いました」
学校の制服ならスカートも割り切ってはけるし、その人と比べると自分はFTMの領域ではないと思った。
面食いな母親は身近にいたFTMのお兄さんのファンだった。
一方、自分がいくら男の子っぽくしても「あなたは違う」と、どこまでも女の子ということを強調した。
近所のお兄さんに憧れる反面、自分とはどこか違うと線引した。
女の子が好きな自分は、きっとFTMではなくレズビアンなんだろうと考えていた。
一人称「私」は断固拒否
男の子のような格好をしている娘に対し、母親は「女の子らしくしなさい」と言い続けた。
「一人称の問題って出てくるじゃないですか。幼稚園の時、本当は自分の事を『俺』って言っていたんです」
「でも、家で俺と言うと怒られるので、名前で呼んでいました」
幼稚園と家で呼び方を変えることで、自分の中で折り合いをつけることができた。
それは小学校でも続いた。
「中学になって、“ちょっと待て。自分は俺ってキャラじゃないじゃん! ” と思ったんです(笑)そこからずっと一人称は『僕』ですね」
その頃になると、母親はあきらめたのか、家でも僕と呼ぶことを怒らなくなった。
中学校の先生に呼び方を注意されても、僕という一人称を変えることはしなかった。
「一度、数学の教師とモメたことがあるんです。授業中に『私と言いなさい』と怒られたんですが、絶対に従いませんでした」
クラス全員を巻き込み、先生と言い争ううちに授業が終わった。
それ程「私」と言うことに抵抗があった。
そんな自分は、学年の中で自由なポジションを確立し「お前はお前。井上という生き物」と認識されるようになっていた。
04箱(身体)が女という状態
男に見られるのが嬉しい
小さい頃から、友だちの親には「男の子に産まれそこなったね」とか「おチンチンをお母さんのお腹においてきたんだね」と言われていた。
他の学年の子から「男女みたい」とからかわれたこともあった。
「そんな風に言われても、嫌というより男の子に見られるのが嬉しかったですね。相手が違和感を感じるようなものを出せているんだって!」
完全な男の子と言うより、男女どちらとも遊ぶ中性的な感じ。誰とでも交流し目立つ存在だった。
初対面の人と会う時は今でも、自分の性別がどう見られているのかを観察している。
男に見られると嬉しいし、女に見られるとそのレベルかと納得する。
周囲の目を気にするというより、周りが自分をどう見ているのか客観視している感じだ。
生理は健康の証
中学生になると身体が女の子らしく変化する。
いずれそうなるとはわかっていたし、違う展開になれば良いと淡い期待をしていたが、そうはならなかった。
「胸はもともと大してなかったので、1回もブラジャーを持ったことはなかったです。どこかでブラジャーをしたら負けという気持ちもありました」
バスケ部だったので、試合でユニフォームを着る時だけ、仕方なくスポーツブラをつけたが、普段は絶対にしなかった。
初潮をむかえた時は、しばらくの間母親に言えなかった。
しかし、葛藤はあるものの激しい嫌悪感を持つほどではなかった。
納得しているのかあきらめているのか、身体の変化に対しても上手に折り合いをつけることができた。
「僕自身は、セクシュアリティをあえて区分するとしたらFTMなんですけど、身体が女という状態なだけだと思っているんです」
箱(身体)と中身(心)が一致しておらず、女性という箱に入っているような感覚。
煩わしさは感じつつも納得できるのだ。
「自分の身体が女なのは理解しているので、毎月生理がきても、ああ健康なんだな!と(笑)」
婦人科に健診に行くことも、抵抗感はない。身体が女の僕という状態と、上手につき合うことができていた。
05親からの愛情が足りていなかった?
母親が憎い
中学生の頃、母親に対する不満がピークに達した。
どうしても女の子であることを求められ、自分が望むような接し方をしてくれない。
例えば男友だちと遊んでいても、その男の子とつき合っているのではないかと期待された。
母親との言い争いは、決まって同じような結末だ。
「母親にワーっと文句を言われたら、僕は何も言い返さず黙ってその場からいなくなるんです。何も解決しないんですけどね」
朝起きない、持ち物を片付けないなどのだらしない生活態度について、特に口うるさく叱られた。
兄は怒られないのに、どうしてか自分はうるさく言われる。
万引きがバレたときも、タバコがバレたときも、兄の時とは対応が違う。
不公平を感じた。
母親も頑なで、娘であることを崩すことだけは許してくれなかった。
「いくら男っぽくしていても、あなたは女の子なんだから」が口ぐせだった。
待ち望んで生まれた娘だから、母親の期待を裏切っていることは理解できる。
だからと言って、自分を押し殺すことはできない。
「当時の母親は激しかったですね。ボコボコに殴られて外に出されたり、階段から突き落とされましたから(笑)」
母親のおもいと衝突する毎日。
母親がいくら望んでも、自分を変えることはしなかった。
両親の離婚
父親は、子どもの成長に対して関心を示さなかった。
「父親は外に母以外の女性がいて二重生活をしていたので、あまり家に帰ってこなかったんです」
幼い頃から父親は浮気が絶えず、両親は顔を合わせればいつも、怒鳴り合いの喧嘩をしていた。
自分が20歳になって離婚をした。
「末っ子の僕が成人になるまで、離婚はしないという約束だったみたいです」
別居状態だったのに離婚をしなかったのは、3人の子どもを一人で育てる母親の意地であったのかもしれない。
離婚後、父親は若い女性と再婚をする。
「25歳はなれた弟と、30歳はなれた妹(異母兄弟)が、僕にはいるみたいです。60歳を過ぎてよく子どもをつくるよな、という感じです・・・・・・」
高校生の時に父親から「好きな人ができたからお母さんと離婚をしようと思うけど、お前はどうする?」と、日常会話をするように聞かれたことがある。
住む場所が変わるのも嫌だった。
当然、母親と生活していくことを選んだ。
「社会的な地位や学歴は高いかもしれないけど、父親みたいな大人にはなりたくないと思いました」
父親のお陰で生活に困ったことはないが、他の家と比べると両親からの愛情は薄かったと思った。
父親は親としての自覚が低いと思えたし、母親は愛情表現が苦手で厳しい人。
「両親からの愛情が足りていないからか、女の子に抱きついたり、スキンシップが過剰でした」
それは、仲が良い友だちというより、子どもが親に甘えている感じにも似ていた。
<<<後編 2017/08/26/Sat>>>
INDEX
06 どこか空虚感がある学生生活
07 人生に影響を与えてくれた彼女
08 揺らぐ自尊心
09 一つくらいは母親の誇りになりたい
10 素直に生きる