02 夢は体操のオリンピック選手
03 運動では存在感バツグン
04 試合で会った女子選手に一目惚れ
05 好きになる相手は女子ばかり
==================(後編)========================
06 みんなに感動を与える徒手体操
07 親友とお姉ちゃんにカミングアウト
08 初めての恋人と出会って、レズビアンと確信
09 SNSのQ&Aで、LGBT当事者と公表
10 味方がいる、受け入れてくれる人がいる
06みんなに感動を与える徒手体操
統率された団体演技
大学は入学試験もなく、日本体育大学にエスカレーター式に進学した。
「最初はサッカーをやりたかったんですけど、お母さんにサークルじゃなくて、部活に入りなさいといわれて、最初は渋々、体操部に入りました」
ところが、そこで徒手体操(としゅたいそう)という日体大にしかない、ユニークな種目に出会う。団体で床体操をするようなイメージだ。
「先輩たちの試技を見て、感動しました。レベルは高いんですけど、8割が初心者なんでとても入りやすい部活でした」
多いときは120人が同時に演技をする。一糸乱れない、統率された団体演技が魅力だ。
「点数を競う競技ではないところにも惹かれました。体操は選抜された選手が主役ですけど、徒手体操は、みんなが主役なんです。演目も4年生が中心になって考えて、みんなで作っていきます」
部員全員が輝いて、見てくれる人たちに元気、勇気、パワーを与える。それが徒手体操の素晴らしさだ。
「海外遠征もあって、私はドイツに行きました。いろいろな国からチームが集まって、演技を披露します。そういう国際大会でも点数も順位もつけません」
週4日間の練習は充実していた。体操とは違った楽しさを、4年間、味わった。
多分、レスビアンだろうな
大学生になって、性的指向への違和感はさらにクリアになっていった。
「いろいろと調べるうちに、多分レズビアンだろうなって、自覚するようになりました」
しかし、まだ女性との恋愛を経験していない。その喜びを知らないうちは、はっきりと決められない。そんなモヤモヤとした中途半端な状態だった。
そんなタイミングでつき合いを始めたのは、意外にも男性だった。
「大学の頃はけっこうモテたんです(笑)。女性のほうがいいと思っていたから迷いもあったんですけど、もしかしたら、男性を好きになれるかもしれない、という希望も捨てていませんでした」
そのまま一般的な恋愛をして、幸せな家庭を持つ。それができれば苦労はない。
「でも、やっぱりダメでした。好きになれ切れなくて、お断りをしてしまいました」
07親友とお姉ちゃんにカミングアウト
友だちに嘘をつきたくない。まずは親友へカミングアウト
大学生のときも、好きな女性が現れた。
「入院したときに出会った看護師さんでした。色白のきれいな人でした」
しかし、自分の思いを伝えることは、やはりできなかった。
「ノンケに恋することが多くて、気持ちを伝えるところまでいけないんですよ。早く恋人が欲しい、いつになったらいい人が現れるんだろうって、ひとりで考えてました」
新宿二丁目に行けばなんとかなる、とも期待したが、徒手体操の練習があって自由に時間が使えなかった。
誰にもいえない苦しい日々が続く。
「友だちと話してると、なんで二菜には彼氏ができないんだろうね、っていう話題になるんですよ。だんだん友だちに嘘をついているのがつらくなってきて・・・・・・」
ついに、大学4年のとき、部活の親友にカミングアウトする決心をする。
「めちゃめちゃ緊張しました。どんなに仲のいい子でも、そんなことをいったら嫌われるんじゃないかっていう不安がありました」
なんとか自分の悩みを打ち明けると、親友は「分かった。問題ないよ」と、気持ちよく受け入れてくれた。
憧れの体操クラブに就職
お姉ちゃんにも大学生のうちにカムアウトすることができた。
「話をすると心を決めていたんですけど、なかなかいい出せなくて、もじもじして30分もかかってしまいました」
それなのにお姉ちゃんは、「別にいいんじゃない。でも、今だけかもよ」と、大したことじゃない、というふうに流した。
いつも「なんとかなる」という考え方をするお姉ちゃんらしい反応だった。
「お姉ちゃんにはトランスジェンダーの知り合いもいて、偏見はないとは思っていたんですけど。今も応援してくれています」
そして、大学卒業。志していた体操の先生の職を得ることができた。
「徳洲会体操クラブという憧れのクラブに就職できました。ずっと働きたいと思っていた職場で、夢が叶った感じでした」
お姉ちゃんが先に就職していたこともあり、面接だけで採用を決めてくれた。
「2、3歳の子どもからシニアまで、幅広い人たちが通ってきてました。仕事にプライドを持てたし、充実した社会人生活でしたね」
08初めての恋人と出会って、レズビアンと確信
私はレズビアンなんだ
就職して2年目、初めておつき合いできる相手と巡り合った。
「友人の紹介でした。とてもいい人で、素直にうれしかったですね。その人とつき合って、やっぱり私はレズビアンなんだ、と確信が持てました」
恋人ができたらお母さんにカミングアウトしようと、以前から心に決めていた。
「お母さんから、早く彼氏を作りなさいって、よくいわれていたんです。最初にLINEで、『恋人ができたんだ』って伝えました」
実は、お母さんに話すのは不安があった。
「基本的に昭和の考え方だし、厳しいところもあるんです。もしかしたら、修羅場になるんじゃないかって心配しました」
家に帰ってから、ふたりきりで向かい合ったが、なかなか切り出せない。
「実はワケありなんだ」というと、お母さんの反応は「不倫? 不倫なの??」と。そして、ようやく相手が女性であることを打ち明けた。
「なんで女の子が好きなの? っていうのが、お母さんの最初の反応でした。理由はないよ。ママは男の人を好きになるでしょ。私はそれが女なだけって答えました」
お母さんは、「そうなの。二菜もいい大人だから、相手がきちんとした人ならいい」と理解してくれた。
「でも、ママは二菜に男の人と結婚してほしいって、最後にいわれました」
その後、お母さんとはこの件について話していない。
「お母さんも話して欲しいと思っているはずです。自分のなかでは、3カ月以上、続く人ができたら紹介したいと思っているんですけど、今のところ、なかなかそういう人に巡り合わないんです」
理想の恋人は、心からやさしい人
最初の恋人は素敵な人だったが、長続きしなかった。
「『好き』の熱量が違いましたね。私のほうがすごく好きで、相手はそれほどでもないっていう感じでした」
2人目の人とは、アプリで知り合った。
「その人はノンセクだったんです。最初から分かってはいたんですけど、つき合ってみると、やっぱり、むずかしいなって思って」
3人目もアプリで知り合った人だった。
「口が悪い人でした(笑)。友だちに自信を持って紹介できる人じゃなかったですね」
理想の恋人像は、ずばり「心からやさしい人」。
「私にだけじゃなくて、道端ですれ違っただけの人にもやさしくできる、そんな人がいいですね」
いつか、理想の人が現れることを信じて待つ日々だ。
09 SNSのQ&Aで、LGBT当事者と公表
飲食業界にチャレンジ
最初の職場、体操教室に5年間勤めたとき、転機が訪れた。
「私は趣味が映画鑑賞と料理なんです。家でも料理をするし、友だちに食事を作ってあげたりもします。好きな料理を仕事にできないかなって考えました」
体操の先生から、一転して飲食業界に飛び込んだ。
「最初に勤めたのはフードコートでした。本当はキッチンをやりたかったんですけど、接客を担当しました」
その後、タイ料理店、唐揚げ屋さんと勤め先を変えたが、もう一度、体操の先生に戻りたいという気持ちが湧いてきた。
「私、子どもと接しているのが本当に好きなんです。飲食をやってみて、それを実感しました」
結局、飲食に携わった期間は半年だけだった。
「これからも子どもと一緒の仕事をしていきたいですね。どんなに疲れていても、子どもたちの笑顔を見たら、癒されます。どんなに生意気でも許せちゃう。本当に天使みたいです(笑)」
子どもたちに体操を教える。それが天職だと感じている。
「二菜さんはLGBTに当てはまりますか?」
飲食を辞めて、次の職場を探しているとき、予期しない出来事が起こった。
「SNSでQ&Aが流行っていたんです。その日は、みんなからの質問に私がその場で答えるという形式でした」
誰からきたか分からない匿名の質問に、その場でホストが答えるもの。いろいろな質問に混じって、「二菜さんはLGBTQに当てはまりますか」という質問が寄せられた。
「急だったので、ちょっと戸惑いましたが、その質問に素直に答えることで、みんなに公表することができました」
仲のいい友だちには個別に話してはいたが、あくまでもプライベートな会話レベルだった。先生をしているときは、正直、保護者の目が気になっていた。
「多くの人が参加しているSNSで自分がLGBT当事者だと認めたのは、本当に大きなことでした。それに、その後の反応がすごかったんです。50件以上もメッセージが届いて。それが全部、温かい声ばかりでした」
「ようやくいえたんだね」
「すごいね」
「応援してるよ」
「よかったね」
たくさんのメッセージに囲まれて、自分は恵まれていると実感できた。
「それからは気持ちが楽になって、ストーリーズにLGBTの記事をあげたり、今までより気軽に自分のことを話せるようになりました」
10味方がいる、受け入れてくれる人がいる
バンバン話すつもり
今の職場はとてもオープンな雰囲気。職場全体に向けて公にしたわけではないが、聞かれれば、躊躇なく自分がレズビアンだと話している。
「SNSで公表してから迷いはなくなりましたね。これからも、話の流れでその話題になれば、バンバン話すつもりです(笑)」
自分のセクシュアリティを認め、さらに公表することは勇気のいることだった。そこに至るまでに何年もかかってしまった。
「カミングアウトできるまで、やっぱり周りの目はいつも気になってました。それに、公表してしまうと、男性と結婚するチャンスがなくなってしまうんじゃないか、というマイナス面も気になりました」
生活のことを考えると、男性と結婚するほうがいろいろな意味で安定するだろうと思う気持ちもある。
「今、一番考えているのは、好きなように後悔なく生きたいということです。レズビアンとはいってますけど、もし理解ある男性が現れたら、一緒に暮らすこともあるかもしれません」
先のことはわからない。
ときにボーイッシュな格好をして、男の子に見られることもある。
「それも自分自身だと思ってます。自分に対して、いつも素直にいたいですね」
もっと自由な恋愛がしたかった
子どもと接するのは大好きだが、自分で子どもを生みたいとは思っていない。
「母性本能とは違うんでしょうね。もし、パートナーが生んでくれるのであれば、一緒に育てたいとは思います」
振り返って、後悔があるとすれば、もっと早く自分を認めてカミングアウトしておけばよかったということ。
「そうれすれば、もっと自由に恋愛ができたんじゃないかって思います」
人によって環境も違うし、考え方も違う。周囲に偏見を持つ人がいるかもしれない。だから、一概に、早くカミングアウトしたほうがいい、というつもりはない。
「でもひとついえるのは、LGBTにも味方がいるよ、ということです。話を聞いてくれる人がいて、受け入れてくれる人が必ずいます。踏み込んじゃえば、楽しい世界、ワクワクする世界が待ってます(笑)」
思いきってカミングアウトした先には、前よりもずっと私らしいわたしがいた。
勇気を出して一歩進むことができれば、見える世界が変わるかもしれない。