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「きっと、自分次第で変われる」。そうマイクの向こうに伝えたい【後編】

「きっと、自分次第で変われる」。そうマイクの向こうに伝えたい【前編】はこちら

2016/11/18/Fri
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Koji Okano
大方 なつみ / Natsumi Ohkata

1990年、東京都生まれ。「Shibuya Cross-FM」でオンエアされているLGBTをテーマにした番組「GLoBAL’T Rainbow サマリヤ L-Channel」でパーソナリティを務める。「インカレ広告研究会 」の協力のもと、2015年11月、早稲田祭で同性結婚式を挙げた。

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INDEX
01 おとなしい普通の女の子
02 お父さん、本当のことを教えて
03 海外留学が教えてくれた
04 社会の不寛容への憤り
05 ただ私のことを見て欲しかった
==================(後編)========================
06 やっと居場所が見つかった
07 性の気付きは意外な場所で
08 どういう意味の好き?
09 運命の人「妻」との出会い
10 マイクの向こうに伝えたい

06やっと居場所が見つかった

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先生の一言

母は当時、お客さんの家に出張する、訪問美容の仕事をしていた。

「リストカットの事実は隠しておきたかったけど、あまりにも傷が深かったので、母に電話することにしました。母はちょうど、私の幼馴染みのお母さんに美容サービスしているところでした」

娘からの急報を受けて、母親は動転したが、急いで帰ってきてくれた。応急処置を施してくれ、とりあえずは出血も収まった。

「学校の中で一番、私のことを心配してくれていたのが保健室の先生だったんです。平日の昼間、私が学校を無断欠席しているときの事件だったので、とりあえず傷口の状態をその先生に診てもらおう、という話になったんです」

一人で学校へ赴き、母は保健の先生へ電話をした。

保健の先生に娘の傷の状況を伝える母。娘の容体ばかり気にする母に、先生が言った。「娘さんの気持ちの方が大事なんじゃないですか?」と。

「傷のことも心配だけど、私がどんなことに悩んで手首を切ったか、そこを理解してあげてください、とも。パッと視界が明るくなった気がしました」

「先生が心配してくれているのは分かっていたけれど、ここまで私のことを理解してくれていたなんて。先生が味方してくれるのが嬉しかったし、理解してくれる大人がいたんだ、ということに感激しました」

母親も、気持ちの変化があったようだった。

その後、事件を知って心配した幼馴染みのお母さんにも、同じことを言われて、諭されたそうだ。

保健の先生を訪れたその足で、病院にも向かった。もう少し傷が深かったら、命の危険もあったかもしれない、と医師に言われた。

「この事件以降、リストカットはしなくなりました。前と同じような悲しみを感じても、グッと我慢できるようになりました」

和解の兆し

リストカットにショックを受けた母親は、娘への不理解を泣いて謝った。

一応は和解という形にはなったが、自分の中ではうまく心が整理できないまま、何日かが過ぎる。

ある日、自分が20時を過ぎて出かけようとしたとき。いつもなら「こんな時間からどこに出歩くの!」と母から怒鳴られる場面だ。

「『気をつけてね、いってらっしゃい』と声をかけられたので、『えーっ!!』って仰天でした。そのまま出かけても、いつものようにしつこく携帯に電話してこないし」

「私のことを受け入れてくれたのかも、と思いました。私がなぜ夜に出歩くかを理解したから、一方的にガミガミ言うのを止めたんだろうな、と」

以降はむしろ、夜に仲間と遊ぶために出かけることが少なくなった。

「家にいることが嫌じゃなくなったんです。母が徐々に、私を受け入れようとしてくれていることがわかってきました」

母も父と別れてからの数年間は、試練の時だったのだろう。

地元の渋谷区で昔ながらの美容院を1人で切り盛りしていたが、原宿のカリスマ美容師ブームの煽りを受けたのだろうか、離婚の1年後に店を閉じていた。

たまに場所を借りて営業、また自転車での出張美容などで生計を立ててはいたが、いろいろと苦労もあったに違いない。

だからこそ娘を真正面から、受け入れられなかったのかもしれない。

試練を乗り越え、母と娘が新たな一歩を踏み出したのだ。

07性の気付きは意外な場所で

母を助けたい

迎えた中学校の卒業式。

事件のときお世話になった先生、他にも自分をずっと心配してくれていた何人かの先生達の顔を見て、大泣きした。

感謝の気持ちからだった。

「先生の気持ちが本当に嬉しかったからです。あまり学校には行けなかったけれど、最終的には全てがうまく回り始め、振り返ると、充実した中学生活でした」

問題になったのが、出席日数だ。不登校が多かったため、受験先が限られた。

「都立の定時制高校に進学することにしたんです。朝昼夜の三部制だったので、全日制の学生と同じように、朝から通学していました」

入学の1ヶ月後には、アルバイトを始めた。飲食店のホールだ。

学校が終わったらバイト先に直行し、22時まで働く。忙しい日々が続いた。

「だんだんとお金を稼ぐ楽しみを覚えてしまったんです(笑)。学業がおろそかになって。学生というよりフリーターに近い生活ぶりでした」

「結局、1年生を2回体験し、2年生にもなれたんですが、最終的には中退しました」

その代わり、バイト代の一部を家に入れていた。

父がいないから母も大変だろうと、少しでも力になりたかった。

運命的な出会い

17歳の時、他の飲食店でアルバイトを始めたが、ここで大きな出会いがあった。

「仕事自体も、とても楽しかったんです。今でも、美味しい香りが漂う厨房にいる夢を見ます。20kgの食材の袋を運ばねばならなくて、ハードな面もありました」

そして。職場に気になる人がいた。

年上の女の先輩で、綺麗な顔立ちをしていた。

「当時、私はビジュアル系バンドにはまっていたんですが、彼女もそうでした。髪は長いのですが、前髪は赤く染めて、耳の周りはさっぱりとカットする。服装も相まって、ああこういう綺麗な顔の人、ビジュアル系のバンドにいたら人気出るだろうな、とよく考えていました」

顔立ちが整っているので、男の子によくモテた。

しかし口癖は「私、かわいい女の子が好き」だった。

「でも、そういう人は結構いるんです。高校生くらいの時って、ヘテロセクシュアルの女子でも『かわいい子、大好き!』なんて言ってる子はたくさんいます。だから、その人たちと同じなのかなと最初は思っていました」

08どういう意味の好き?

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胸騒ぎの行方

しかし彼女を見て、特別な感情を抱いていたのも事実だった。

「綺麗な人だし、見ているだけでドキドキすることがありました。今まで体験したことのないトキメキでした」

バイト先の同僚と食事に行ったときのことだ。気になっている先輩と接していて、ある違和感があった。

「スキンシップが激しくて。『かわいい子、大好き!』って言っているヘテロの女の子とは、明らかに違う触り方なんです」

「これがいわゆるレズビアンなのかな?と思いました。戸惑ったことを覚えています」

迷いはあったが、しかし自分の中に特別な感情が芽生えつつあったのも、また事実。

彼女から「好きだよ」と言われると、自分からも反応を確かめながら「好きだよ」と返すこともあった。

「あるとき『なつみちゃん、好きだよ』と、じっと目を見つめて言われました。もともとトキメキを感じていたので、胸の高鳴りはすごかったです」

しかし自分が知らない世界への恐怖心が勝っていた。

本当の意味で恋が始まらないように、ギリギリのラインを探りつつ、日々、彼女の好意を受け止めた。

素直な気持ちで

『好き』という言葉の本当の意味を知りたいけど、知ってしまったらどうしよう。そんな迷いの中、彼女がうちに泊まりにくるという話になった。

「私から『うちに遊びに来る?』ってメールしたんですけど。結局、そのときは予定が合わなかったんですが、メールでやりとりしているうちに、『私、なつみのこと好きなんだよね』って、今度は文字にして言われたんです」

「『私も好きだよ』と、文字でなら素直に、本心を打ち明けることができたんです」

日を改めて、彼女が初めて家に泊まりに来ることになった。『私、なつみのこと好き』。再び、同じことを言われる。

「『どういう意味で好きなの?』って聞き返しました。彼女は『そのままの意味だよ』と答えました」

ずっと前から、普通の女友達に抱くものとは全然違う感情があった。それはもう、否定することのできない事実だった。

「だから『私も好きだよ』と素直に言いました」

そこから一晩で、一気に関係が深まった。

「初めて好きと言われる前から、もう本当は恋していたんです。でも告白されなければ、本心には気付けていなかったような気がします」

男の子に感じたことのない心のときめきだった。

また愛されてみて、女性と交際した方が、ずっと自分にはしっくりくると感じた。

デートの時は手をつないで歩いた。二人とも高校生くらいの歳だから、周りから怪しまれることはない。

ただ本当は、異性愛者のカップルのように、もっと指を絡めて歩きたかった。

けれどさすがに憚られて、それだけはできなかった。

09運命の人「妻」との出会い

身近な同志

「彼女からの告白を受け入れることができたのは、幼馴染みの女の子がバイセクシャルで女性と付き合っていた、という事実も大きいです。遠距離恋愛をしていたんです」

「その話を聞いた時は、そういうこともあるんだな、という程度の気持ちだったんですが、いざ自分が女性と付き合うことになったとき、自分だけじゃないんだと、ちょっとした心のよりどころになりました」

中退する前、高校時代に仲の良かった女友達にもカミングアウトした。

「『レズビアンでも、なつみはなつみ、何も変わらないじゃん。それになんとなく感じていたよ』という返答でした。『なつみは私の友達だよ、居てくれてありがとう』とまで言ってくれて」

「すごく嬉しかったです」

同じ職場での恋愛だったので、あまりに距離感が近すぎて、店長をはじめ何人かに交際を気づかれた。

それはそれでなんとなく嬉しくて、それからは普通に恋愛相談もしていた。結局、1年間、彼女との付き合いは続いた。

「交際が終わってからも、彼女と会う事は何度かありました。別れてしばらくしてから新宿2丁目に初めて行く時、さすがに1人では勇気がいるので、付いてきてもらったり。

彼女との出会いを通して、私の人生は、より自分らしく輝ける方へ向かったんです」

時間をかけて

今、「妻」と呼んでいる、9歳歳上のパートナーと同棲している。

出会いは派手なものではなかったが、交際するまでの道のりは意外と長かった。

「20歳の時に友達の紹介で出会いました。でも歳も離れてるし、ちょっと気後れして、うまく話せなかったんです」

「出会いの場は、ルームシェアしている友達のお家でした。遊びに行ったとき、ちょうど同居人の友達も来ていて、結構な人がいました。『一度に、こんな大量のレズビアンを見たことがない』と驚くくらいでした」

「その中に偶然『妻』がいました。その時は大勢の中のひとりくらいの認識しかなかったんですが、顔は好みだなと思いました(笑)」

半年後、ふたたび顔を合わせることになる。友達と一緒に食事に行ったときのことだ。

「そのときはうまく会話が噛み合って。お互い、惹かれ合っていくのが分かりました」

けれど当時は、二人とも付き合っているパートナーがいた。

「私のパートナーはまだ付き合って日が浅かったけれど、おそらくずっと一緒にいられる相手ではないな、と感じていました。けれど妻に対しては、一生を添い遂げられる相手なんじゃないか、という予感がありました」

しかし妻はその時、パートナーと付き合って2年だった。優しくて真面目な人だから傷つけたくないと、これ以上、自分と仲が深まることを良しとしなかった。

「でも深いところで、気持ちはつながっていました。お互い、パートナーと納得して、きちんと別れることができるようになったら交際しようという、無言の了解がありました」

「正式に付き合って同棲を始められた頃には、出会ってから1年以上が経過していました」

そして今でも一緒にいる。

「一生を添い遂げられる相手」という自分の予感は、間違っていなかった。

10マイクの向こうに伝えたい

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世界は優しい

バイト時代から、この人ならと思える人にはカミングアウトしてきた。

「勤務していた会社の女性社長に、カミングアウトしたこともあります。大丈夫だろう、と告白してみました」

潔いくらい、自然に受け入れてもらえた。

それどころか同僚や取引先にまで、自分がセクシュアルマイノリティであることを、熱心に説明してくれた。

「だれ1人、嫌な顔をする人はいませんでした。人って暖かいな、と思いました」

今、自分がパーソナリティを務めているラジオ番組がきっかけで、昨年、早稲田大学の学園祭で結婚式を挙げた。

「大学のサークルから番組に『LGBT結婚式を挙げたい人を募集してほしい』という問い合わせが来たんですけど、開催日がギリギリで間に合わなくて。それなら私と妻で挙げちゃえ、って流れになったんです」

結婚式を挙げるにあたり、両親にカミングアウトすることにした。

「母は『何を今さら』と言っていました。実は最初の彼女と別れたあと『いつも泊まりに来ていた女友達、実は付き合っていたんだよ』って、カミングアウトしていたんです」

「『火遊びでしょ!』と否定口調で言われたんですけど、以降はもう、お互い怖くて、その話題は口にしていませんでした」

結婚式の報告をしたとき、父は病状が落ち着き、精神的も安定していた。

「私がカミングアウトしたことで、父は精神的に不安定な状態になりました。けれどその後、いろいろ調べてくれたようで、電話で『お前はLなのか?』と聞いてきたりしました。今は、病状も安定しています」

「私は気づいてるかな?と思っていましたが、父は気づいていませんでした。『二人が仲良くやっていれば、それでいい。でもお父さんは結婚式には行けないよ』というのが、父の出した結論でした」

それでも優しさは伝わってきた。

結婚式は華やかなセレモニーであるだけではなく、自分と両親を結ぶきっかけをくれた。

誰かのアライに

母は今では、誰よりも自分の生き方を理解してくれている。

ラジオパーソナリティの仕事も、縁が紡いでくれたものだ。LGBTの理解啓発につながることがしたいと思っていたら、偶然、勤めていた会社の社長がラジオ局の人を紹介してくれた。

「自分自身の体験を語ることで『自分次第で未来は変えられる』ということを伝えたいんです」

「そして何もそれはLGBT当事者だけに当てはまることではない。人は皆、悩みを持っています。セクシュアルマイノリティの問題は、その一部に過ぎないんです」

「例えば、私はレズビアンを愛しているわけではありません。妻という人間を愛しているんです。その人を愛するということでは、LGBTも異性愛者も同じです」

「そして誰もが恋や人生に悩みます。重要なのはそれを打ち明けられる場所があること、そして理解しようとする人間がいること、最終的には、自分がどう生きたいかではないでしょうか」

「案外、自分が思っているよりも世界は温かくて愛に溢れているんです。誰かが誰かのアライになっている。またカミングアウトは自分を解放する手段のひとつ。殻を破ることができるのはいつだって自分なんだよって、そのことの大切さを、私は伝えていきたいんです」

全ての人が自分を飾らず、ありのまま生きられる社会。そのためにはよき理解者、アライが必要だ。そんな社会が実現するまで、大方さんはマイクの前で話し続けることだろう。

あとがき
「多い」「少ない」の事実を比較すれば、この世は沢山の「マイノリティ」と「マジョリティ」に分類ができる。誰でもが持ち合わせているだろう「マイノリティ性」を考える中で、出会ったなつみさん◆なつみさんには、悲壮感がない。が、それには遠く、近くで理解を示してくれる「大人」の存在があった◆淋しく、つらい気持ちに気づいて、声をかけてくれる人。先生や両親だけ?気付けるはずの大人はもっと、きっといる。大人の役割は、そんなところにあるのかもしれない。(編集部)

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