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「きっと、自分次第で変われる」。そうマイクの向こうに伝えたい【前編】

LGBTをテーマにしたラジオ番組のパーソナリティとして活躍する大方さんには、「悩むこと自体が問題ではなく、苦しみを打ち明けられる、理解してあげられる人の存在が大事」という思いがある。それはセクシュアルマイノリティに限らないとも。全ての人が、ありのまま生きられる社会。自身のレズビアンとしての体験を生かして、その実現のため、発信者になろうと思った彼女の人生を振り返ってみる。

2016/11/16/Wed
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Koji Okano
大方 なつみ / Natsumi Ohkata

1990年、東京都生まれ。「Shibuya Cross-FM」でオンエアされているLGBTをテーマにした番組「GLoBAL’T Rainbow サマリヤ L-Channel」でパーソナリティを務める。「インカレ広告研究会 」の協力のもと、2015年11月、早稲田祭で同性結婚式を挙げた。

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INDEX
01 おとなしい普通の女の子
02 お父さん、本当のことを教えて
03 海外留学が教えてくれた
04 社会の不寛容への憤り
05 ただ私のことを見て欲しかった
==================(後編)========================
06 やっと居場所が見つかった
07 性の気付きは意外な場所で
08 どういう意味の好き?
09 運命の人「妻」との出会い
10 マイクの向こうに伝えたい

01おとなしい普通の女の子

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内にこもる性格

今でこそ、ラジオを通して多くの人に話しかけている。

が、小さなころはどちらかといえば明るく社交的ではあるけれど、なかなか本音が言えないタイプだった。

「ひとりっ子だったので、遊び相手がいませんでした。だから家にいる間は、ずっとレンタルビデオを観ていました。兄弟のいる子が羨ましかったです」

「小学校高学年のころの趣味は筆箱集めで、毎月、買い替えていました。取り外しできるタイプとか、鏡が付いているものとか。おばあちゃんがくれるお小遣いで購入してました」

ひとり遊びに凝る一方、普段は学校帰りに男の子と公園での外遊びやゲーム、女の子となら家でままごとをして遊んだ。

外見的なことで言えば、極度の近視だったため、牛乳瓶の底と見紛うほどの分厚いレンズのメガネをかけ、学校に通っていた。

「そのメガネをかけて、髪を二つ結びにしている自分を鏡で見るたび、私って地味だなぁと思っていました。けっこうなコンプレックスでした」

たまたま習い事が同じだった同級生が、学年でも目立つタイプだった。

そのおかげで、学校ヒエラルキーでいうところの上位、リーダーグループの女子とつるむ事も多かった。

「髪を染めている子、あと小6くらいになると彼氏がいる子もいました。『ピチレモン』や『ニコラ』のような小・中学生向けのファッション誌を読んで、すでに自分磨きを始めている子もいたけど、私は区立の図書館で眺める程度。あまり関心がなかったです」

撮ったプリクラに落書きできるマシンがちょうど出てきた頃で、よく友達と撮影しに行った。

あとはデザインの可愛い「プロフィール帳」に好きな食べ物や好みの男性のタイプを書き込んで、同級生と交換したり。「マリオカート」にも夢中になった。

引っ込み思案でも、友達には恵まれた小学校生活だった。

私の好きなもの

小学校のとき、好きだった教科は国語と道徳だ。

「うちのクラスの道徳は、映画やドラマを観る授業が多くて。『天使にラブ・ソングを・・・』がすごく面白かったのは今でも覚えています」

国語が好きだったのも、物語をたどるのが楽しかったからだ。

「算数は本当に苦手で。教科書を開いた途端、寝ていた気がします(笑)」

夢はペットショップの店員だった。生まれた時から猫が大好きだったからだ。

「私の母親、美容師だったんです。自営業の場合、親が働いている姿を見て、同じ職業を志す人も多いですよね」

「小さな頃から一人で店を切り盛りする母を見ていたから、普通だったら美容師を目指すのかな、と今も思いますが、そうはならなかった。小さな頃の夢はペットショップの店員だったんですよね。猫が本当に好きだったから」

好き、といえば好きな男子もできた。

正確には告白対象の男子、というべきか。

「小6の頃、大人びた同級生が彼氏の話を楽しそうにしているのを聞くと、いいなぁと羨ましく思っていたんです。試しに告白してみようと、小学校の卒業式の日に実行してみました」

相手はいたって普通の男の子。学校帰りに、ときどき遊ぶ程度の子だった。

「彼にではなく、始めて告白することにドキドキ、胸が高鳴りました。結果はOKだったけど、春休みに何回か遊んだだけで、別々の中学校に入学してからは会えなくなってしまいました」

しばらくして男友達を介して、彼が「自然消滅かなぁ」と落ち込んでいると聞いた。

しかし以降も連絡を取り合わなかったため、初めての交際は終わった。

02お父さん、本当の気持ちを教えて

両親の離婚

実は小学校6年生のときに、家庭環境に大きな変化があった。

両親が離婚したのだ。

「大人になった今だから理解できるのですが、おそらく当時の父は統合失調症と躁鬱病を掛け合わせたような、そんな状態だったと思うんです」

「加えて母は、なんでもズバズバ言う人だったので。病気で仕事がうまく回らなくなったのを口うるさく言われ、耐えれなくなったのも理由だったのかもと考えています」

「おそらく」「思う」「考える」と、断定することができないのは、今でも父が離婚を切り出した理由を言わないからだ。

「『家族と一緒だとできないことがある。お母さんとなつみがいると、どうしてもできないんだ』。そう言って父は、母に別れを告げたんです」

「離婚が正式に決まったあと、母は私に『お父さんのことは許しなさい』と言いました。でも、12歳の私は、父の言葉の意味がわかりませんでした」

「なつみがいると、できないことがある」。父親から邪魔者扱いされたようで、心が痛かった。

「私は父が許せませんでした。母にも反発しました」

酒癖が悪く、時々、自分や母親に暴力を振るうこともあったため、父を嫌だなと思ったことがあった。

ただ離婚のそのときまで、心から嫌いになったことはなかった。

父の本心

離婚当時は父を憎んでいるつもりだった。

しかし、そうではない。父がいない環境を心底、憂いていたのだ。

愛情を注いで欲しかった。

だから両親が離婚したことを許せず、反発した。せめて父が自分と母を置いて行った理由が理解できたなら、あれほど愛を乞うことはなかったかもしれない。

父からいらない存在のように扱われ、母も自分の気持ちを理解してくれない。

ひとりで思いつめ考えるほど、自分の存在がわからなくなっていった。

「父は昔、自分の夢であったラーメン屋を開業しました。でもうまくいかずに閉店、多額の借金を背負ったそうです。おそらくそのことも、夫婦間の溝に繋がったのだと思います」

「その後、飲食店の店長や不動産の仕事もしていましたが、きっと真面目な性格で頑張りすぎたのだと思います、少しずつ少しずつ、心労が溜まっていったんだろうな、と。最終的には発作が起こると自分が誰か分からなくなるくらい錯乱していたのを、今でも覚えています」

理由を告げずに自分たちのもとを離れたのは、父なりの思いやりだったのかもしれない。

もうこれ以上、自分のことで迷惑をかけたくないという最後の親心だ。

いずれにしろ、当時の自分は大人の事情を理解するには幼すぎた。そして父の不在は、自らの青春に大きく影を落とすことになる。

03海外留学が教えてくれた

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好きは上手の元

両親の離婚を機に、少しずつ少しずつ、自らの心に隙間が生じて行った。

気持ちの割れ目が大きくなればなるほど、寂しくて仕方がなくなり、自分の居場所がわからなくなる。

中学1年生のとき、眼鏡からコンタクトに変え、見た目も少し変わった。その頃から先輩や友達と、夜遊びを繰り返すようになる。

学校や家庭ではない場所に、本当の自分の居場所を探してのことだ。

中学校時代は、ただひたすら、さまよう日々の連続だった。

しかしその中でも、心に潤いをあたえてくれる瞬間はあった。幼い頃から通っていた英会話教室から紹介を受けて、中学2年生で体験したアメリカでのホームステイだ。

「習い事は、母のすすめでいろいろ始めました。小学生のときは習字に水泳、バレエ、そして英会話に通っていました。中学生のときは、家庭環境が原因でグレてしまうんですけど(笑)、それでも英会話だけはやめなかったんです。高校生まで続けました」

教育カリキュラムも魅力的だった。まず英語劇をヒアリングして、実際に配役を決めてから演じるのだ。アメリカの文化についてのレクチャーもあり、興味深かった。

「母親がお金を積み立ててくれたので、中2の夏休みにアメリカでホームステイできることになったんです。世界が大きく広がる体験でした」

自分を表現する

ホームステイ先はアメリカ・ミシガン州の小さな村。

買い物に便利な街に出るまで車で5時間かかる、よくいえば大自然の中、悪くいうと辺鄙な場所だった。

外国に行くことも未知の体験だが、東京・渋谷区に生まれ育ったから、環境も新鮮だった。

「小学校低学年からずっと勉強したつもりだったのに、ホストファミリーに迎えられた途端、ひとつも英語が出て来ない。意思疎通ができない日々が、しばらく続きました」

しかしホストファミリーに問いかけられ、意味がわからず笑顔でやり過ごしたり、遠慮していると、三度の食事すら食べられない。

ここはアメリカ、日本のように気持ちを察して、取り計らってはくれないのだ。

「ナツミ、自分を表現しなきゃ。イエス、ノーを示さないと、とホストファミリーに諭されたんです。うまく英語は聞き取れなかったんですけど、言われていることは理解できたんです」

その日からジェスチャーで意思疎通する日々が始まった。

ホストファミリーは自分がどのような人間で、どんな夢を持っているのか、知りたがっていた。

拙い英語と手の動きで、一生懸命、伝えたいと思った。

「ホームステイを通して、人前で自分の心を開いて話すことができるようになりました。ただ困ったのが食事。『ご飯食べる?』の問いかけに『食べたい』と答えると、たくさん提供してくれるので、1ヶ月の滞在で3キロも太ってしまったんです(笑)」

新たな世界と出会って、フレッシュな気持ちで帰国した。

しかしその思いも、現実に戻ると長くは続かなかった。

「なつみがいると、できないことがある」。

まるでお前が邪魔だと言わんばかりの父の言葉がよみがえり、再び胸がふさがり、むせ返るような哀しみが押し寄せてきた。

そして、帰国後も夜に家を出て、遅くまで友達とつるむことが多くなった。

04社会の偏見への憤り

居場所を探して

「初めのうちは、母にも自分の苦しさを伝えていたんです。お父さんに除け者にされて、いかに悲しいかって。でも何度訴えても、やっぱり『許してあげなさい』という言葉しかないんです。しつこく父のことを言うと、母もイライラするようになりました」

「寂しかった」

「お父さんに捨てられたことを、認められなかったんです。その気持ちを母に理解してもらえなくて、余計に悲しくて切なくて、やりきれなくて」

それでも自分の気持ちを理解してくれる、友達といえる人はいた。同じように家庭の問題で悩む同級生や先輩たちだ。

離婚を経験した人、物心ついた時からシングルマザー家庭だった人、両親が仮面夫婦で苦しむ人など。夜になるとよく一緒に遊ぶようになった。

本心を語りだすと止まらなくなり、友達と公園で一夜を明かしたこともあった。

私たちは悪者

「両親の離婚の問題もあって、中学校は不登校になりがちだったんですが、友達と一緒に学校にも行けるようになりました。給食だけ食べに行くこともあったんですけど」

その時に感じたのが、同級生の悪意だ。周りから不良扱いされる。

あの子は学校にも通わないのに遊んでばっか、と陰口を叩かれる。

教師だって同じだった。

「確かに学校に行っていないのは、非難されても仕方ないのかもしれません。だけど不良って勝手にレッテルを貼るけど、本当は人の話をきちんと聞いてくれる、優しい友達ばかりなのに」

「皆、何かしら家庭に問題を抱えていて、それが不登校の原因になっているだけなんです」

「それなのに生徒だけじゃなく、教師まで、まるでダメ人間みたいに酷く言う。同級生の女子も表向きは『心配してたんだよ〜』って声をかけるのに、実は陰口を言うんです」

何もかもが、薄っぺらに感じた。教師の発言、同級生の反応、すべてが。

先生も同級生も、私たちのことを何も分かってくれない。居心地の悪さを感じ、ますます学校から足が遠のいた。

同じ心の傷を持った仲間と過ごす時間が、ますます増えていった。

05ただ私のことを見て欲しかった

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この人じゃない

もちろん、母も娘の不登校を気に病んだ。

学校に行かないでいると「行きなさい!」、夜遅く帰ると「こんな時間まで出歩いて!」と毎回、怒られた。

それでも、従わなかった。

母は私をきちんと見てくれない、分かってくれていないと感じていたからだ。

仲間たちとつるむうちに、彼氏ができた。集団で “頭を張っている”、中心にいる、いかつい男子だ。

「彼の家庭も私と同じ、シングルマザーでした。『いつでもお前を守ってやる』と言ってくれる、頼もしい人でした」

ちょうど男子も好奇心旺盛な年頃だ。身体を求められることもあった。自分も性的な興味が芽生え始めた時期ではあったが、しかし、その一線を越えてはいけないと思った。

「確かに彼のことは好きでしたが、“好き” の種類が違うと感じていました。付き合えて嬉しい、ドキドキするというよりは、単なる安心感でした」

「それに本当に愛すべき人は、この人じゃないとも思っていました」

結局は長くは続かなかった。

他にも仲間内で告白されることはあったが、あくまで仲間であり、恋愛対象にはなりえなかった。

自傷行為の末に

同じ悩みを分かち合える友達はできた。しかしそれだけで、問題は解決しない。

両親が自分の存在を認め、愛情を注いでくれる。それを求め、もがいていた。

友達とつるんでも、手に入れられるものではなかった。

「私、気づいたら、美容師である母の仕事道具・カミソリで、リストカットするようになっていました。もう消えてしまいたいという気持ちが、自分を傷つけることで落ち着くんです」

他にリストカットしている友達がいた。だから初めは深くは考えずに、切ってしまったのかもしれない。しかし一度やり始めると、繰り返すようになった。

「仲間と打ち解けたつもりたったけど、やっぱり本当の悩みは言えなくて。自分の存在意義を見出すことができなくて苦しかった。その辛さを、リストカットで晴らそうとしていたんです」

「今にして思えば、母の仕事道具でやっていたのも、母への当てつけのような気持ちだったのかもしれません」

傷口にはリストバンドをしていた。娘の腕の異変に気付いた母親に心配されても「お前には関係ないだろう!」と、ものすごい剣幕で突っぱねた。

「あるとき気持ちに制御がかけられず、思いっきり、切ってしまって。パックリと傷口が開き、とめどなく腕から血が流れ始めました。もう、自分もパニック状態です」

絆創膏でどうなるような傷では、もちろんない。しかも母は仕事に出かけていて、家には自分ひとり。かといって救急車を呼べば、大騒ぎになるだろう。

本当にどうしよう。

一刻も早く、決断せねばならなかった。

 

<<<後編 2016/11/18/Fri>>>
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06 やっと居場所が見つかった
07 性の気付きは意外な場所で
08 どういう意味の好き?
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10 マイクの向こうに伝えたい

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