INTERVIEW
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成功だけが人を作りはしない。失敗も苦悩も味わってこそ【前編】

透き通るように瑞々しく、可憐。その一方で芯が強く、そして意外にもひょうきんな面を持ち合わせている志波さんは、まるで覗き込むたびに景色の変わる万華鏡のような人だ。知性と品性が潜む言葉選びに、しかしながらわざとらしさはまったく感じられない。

2022/10/18/Tue
Photo : Yoshihisa Miyazawa Text : Chikaze Eikoku
志波 百加 / Momoka Shiba

1993年、静岡県生まれ。幼いころからお調子者で目立ちたがり屋だったが、思春期のある出来事をさかいに内にこもるように。高校卒業後は役者を志し、軌道に乗りかけるが、「男性の役者」として生きることへの葛藤や家族への想いから、一度は夢を手放しかける。その後、友人や家族の理解と愛情により、再び役者の道を歩み直す決意をする。

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INDEX
01 役者を休止中の現在は、夢への準備期間
02 目立ちたがり屋でムードメーカーだった幼少期
03 人生でいちばん暗かった中学時代
04 同級生への不信感から、疑心暗鬼に
05 「男の姿でないと、受け入れてもらえない」
==================(後編)========================
06 女性への憧れを抱きつつも、役者の道へ
07 夢を叶えるためには、トランスジェンダーではいられない
08 夢と自分らしさの狭間で
09 性別移行を開始、女性の道へ踏み出す
10 MTFとして、女優として、私にできること

01役者を休止中の現在は、夢への準備期間

接客業にいそしむ現在

現在は、アウトドアブランド・グレゴリーの店舗で販売員として働いている。

「休止の理由は親のこととか、経済的なこととか、将来のこととか、いろいろ考えた結果なんですけど、役者の夢自体は全然諦めてないんです」

現在の職場に勤務し始めたのは、2019年の25歳のとき。所属事務所に休止を申し出たあとからだ。

「そのあと半年間はニートになっちゃって・・・・・・」

そこから徐々に抜け出し、日雇いのアルバイトやコールセンター、内職などを経て、今の仕事に就いた。

「元々ファッションがすごく好きだったのもあるし、そもそも表舞台で働いていたから、人前に出たかったんですよね」

「役者を辞めてから絶望っていうか、自分の人生がわからなくなって・・・・・・。だったらまだ人前に出ていた方が、自分の価値を見出せるかなって思ったんです」

1人の時間は好きだけど、誰かと話す時間も大事

「接客は楽しいです。お客様はけっこう老若男女問わずですね」

普段は正直、1人の時間が好きなタイプだと思う。

「でも、かといって一日中だれとも話さないと、それはそれで病むんですよ(笑)」

「1日の中で、ちゃんとだれかと笑える時間は作りたいっていうのもあります」

それに人と接することで、自分のためになっているとも感じる。

「“今、自分人前に出れてるな”っていう、自信にも繋がってますね」

声で「男性」だと判断されて、謝られてしまうこと

「私の声は男性ですし、やっぱり今でもたまに『あれ? 男性ですか?』って、お客様に驚かれることもあるんです」

「しょうがないことだと思うし、全然、なんかもう慣れましたけど・・・・・・」

それ自体は笑い話で済ませられるが、やはり胸の痛む瞬間もある。

また、お客様とのやり取りの中で「ごめんなさい!」と謝られてしまうこともあり、それには引っ掛かりを覚える。

「それは何か違うなって感じるんですよね。驚くことは別に失礼なことではないし」

自分はあくまで普通の人間だけど、トランスジェンダーと接する機会のない人はそういう反応になってしまうのかもしれない。

「ただ昔よりは日本も、LGBT当事者に対して寛容になってきているので、トランスの人が日常に当たり前にいるって感じる人が増えてくれたらいいなって思います」

02目立ちたがり屋でムードメーカーだった幼少期

好奇心旺盛な「普通の男の子」

小さいころは普通の男の子で、周囲も自分も特別に違和感を持つこともなかったと記憶している。

「幼稚園のころなんかは、全然、男の子とも平気で遊んでました」

「ウルトラマンごっことか。友だちが家に遊びに来ることもよくあったんです、ゲームしたり」

いわゆる男の子の好む遊びに、自分も好んで参加していた。

「でも時折、1人のときに、姉が持ってるリカちゃん人形で遊んでた記憶がありますね」

「コッソリっていうわけではなくて、単純にリカちゃん人形があるから着せ替えしてみる感じで、シルバニアファミリーとかも好きでした」

「なので、そのときはただの好奇心旺盛な男の子っていう感じだったのかもしれないです」

放任主義の父と、教育熱心な母

「父は放任主義で、特に教育に関しては主に母が担当だったんです」

母は頭が良く、しつけは特に厳しかった。

「優しいときはめちゃくちゃ優しいんですけど、怒るときは世界一超えてるんじゃないかってくらいほんとに怖くて(笑)」

小学1年生のとき、算数のテストの成績があまりに悪すぎた結果、無理矢理そろばん教室に入れさせられたこともある。

「6年間ずっとそろばん教室に通ってましたね。でも、それで計算とかめっちゃ得意になったんでよかったです(笑)」

「あとは当時、電話を通じて授業を受けるっていう、電話教育みたいなのもやらされてました」

ただ、「これやらなきゃ〇〇は抜き」などといった、理不尽な叱り方は絶対にしなかった。

「単純に教育熱心な母だっただけなんだと思いますね。怒るときは怒りますけど、普段は優しかったです」

また、ボーイスカウトなど、自分がやりたいと希望したことはチャレンジさせてくれた。

「だからむしろ、感謝してますね。ある程度は比較的、自由にさせてくれていたので」

選択肢はたくさん示してくれるものの、レールを敷いて強制されることはなかったのだ。

3人きょうだいの末っ子で、学校ではお調子者

3人きょうだいの末っ子で、2人の姉とは歳の差がある。

「2番目の姉とは6歳差。すごく大人っぽい雰囲気の子どもで、自分とは対照的でしたね」

年齢に開きがあったため、2番目の姉とはあまり接点がなかった。

1番目の姉は脳に障害があり、幼いころから「姉にはお手伝いが必要だ」ということは理解していた。

「でもそこに違和感はまったくなかったですね、これが自分の家なんだって感じでした」

学校ではお調子者のムードメーカーで、目立ちたがり屋だった。

「人と同じは嫌だって感覚があって、ランドセルも赤がいいわけじゃないけど、黒は嫌でした。結局、ネイビーを選びましたね」

田舎だったため2クラスで生徒数も少なかったため、中心に立つのは容易だった。

「昼休みとか教壇の上で、当時TVでやってた『女王の教室』ってドラマの天海祐希さんのモノマネしたりとか(笑)」

「みんなから脚光を浴びるのがすごく気持ちよかったんです。たぶんそれが、のちのちの役者って道に繋がったと思います」

03人生でいちばん暗かった中学時代

思春期に突入、家ではまったく喋らない子に

「中学に入るころには、家ではほとんど喋らなくなりました」

明確な理由があったわけではない。強い反抗心があったわけでもない。

「本当にただの思春期だったんだと思います。自分でも謎な時間が続きましたね(笑)」

しかし両親は怒るわけでもなく、そういう私を温かく見守り続けてくれていた。

「母も父も『あんた全然しゃべらんね』って感じで、普通に優しく接してくれてました」

2番目の姉への劣等感

2番目の姉は優秀だったが、自分は学業に関して苦手意識があった。

「2番目の姉はとにかく頭が良くて、大学時代はアメリカに留学もしてたみたいです」

「なんでも全部、自分でそつなくこなしてて、親に迷惑なんかかけたことないんじゃないか、ってぐらい自立も早かったんですよ」

両親は姉と自分を比較こそしなかったものの、自分にもそういう人生を期待されている雰囲気は感じられた。

「でも私、本当に勉強が嫌いで(笑)。地元でも下から2番目くらいの高校に進学したんですけど、合格したときもあまり喜ばれなかったですね・・・・・・(苦笑)」

04同級生への不信感から、疑心暗鬼に

同級生への不信感

小学校までは見た目に無頓着だったが、年齢が上がるにつれ野暮ったい男性像が嫌になった。

「女の子の綺麗で可憐な感じが、すごく眩しく見えて、自然と『私もああなりたいな』って思ったんです」

「多分それもあって、くせっ毛だったんですけど、中学2年生のときに初めてストレートパーマをかけたんですよ」

しかし学校に行くと、それまで仲の良かった友だちからからかいを受けた。

「男友だちはちょっと引き笑いで、女友だちはコソコソ笑って、陰口を叩いてきて」

人間のいやらしい部分に直面したのは、これが生まれて初めてのことだった。

「それまではムードメーカーとして、『私がこう言ったらみんな笑ってくれるだろうな』って、人に対して疑いがなかったんです」

いつの間にか、些細なことで自分をけなすようになった同級生たちに、衝撃を受けた。

「そこから人前に出るのが怖くなったというか、疑心暗鬼になっていきましたね・・・・・・」

衝動的な自殺未遂

当時は自身の恋愛観が自分でもよくわからずに、混乱していた。

「そのころは普通に女の子が好きで、告白してOKはもらったんですけど・・・・・・」

「やっぱり初めての恋愛だったんで、お互い気まずすぎて何も話さないまま自然消滅しました(笑)」

周囲からのからかいや、恋愛での悩みなど、さまざまな壁にぶち当たった時期だったからか、衝動的に自殺未遂を決行してしまう。

「中2の文化祭の日、終わったあとに家の裏の海で入水自殺をしようとしたんです」

「その数週間前から、太ももの故障なのか、朝唐突に立てなくなったせいで松葉杖をついてたんですけど、その状態で海に行って・・・・・・」

後悔も恐怖もなく、親の顔さえも浮かばず、体が勝手に動いた。

「波打ち際の手前で気絶したところを発見されたらしいんです。気がついたら救急車の中で」

今思うと、文化祭の盛り上がりから一転して1人になった落差が激しすぎたのかもしれない。

「無意識のうちに何かが切れたのか・・・・・・気絶したことなんて人生でそのときだけですね」

親友だった友だちからのいじめ

検査入院もしたが、結局倒れた理由はわからずじまいだった。

容姿へのからかいに加え、今度は松葉杖についても嫌がらせを受けるようになる。

「しばらくすると松葉杖がなくても一応歩けるようにはなったんですけど、バレーボール部だったので見学してたんですよね」

「一見健康に見えるから、顧問からも『おまえいつ復帰するんだ』とか言われたり、小学校からの親友だと思ってた友だちからもいじめられるようになって・・・・・・」

部室に行ったら自分の荷物の上にダンベルが置かれていたり、友だちだった男の子たちがその様子をニヤニヤしながら見ていたり。

「怪我とか見た目とか、あらゆる面で仲の良かった友だちが自分に悪意を向けてきて」

「その子たちが、自分にとって受け入れられない存在になっていったのは苦しかったですね」

05 「男の姿でないと、受け入れてもらえない」

「まっとうな男性の道」を歩み始めた

小綺麗な格好や、他人と違う姿は、受け入れてもらえない。

「男の姿でないとダメなんだ、って悟ったんです」

「ちょっとでも周りの子がからかうような見た目や、陰口を言うような仕草を見せちゃいけないって思って・・・・・・」

綺麗で可憐な女性的な見た目への憧れは、そもそも持ってはいけない。
だからこそ、「まっとうな男性の道」を歩み始めようと試みた。

「あのとき、からかいとか陰口とかがなければ、女性として生きる道に踏み出すのももうちょっと早かったのかな・・・・・・」

地味なやつだと舐められないように

高校生活では友だちもでき、それなりにうまく立ち回っていた。

「そのときは男性の道を進むって決めてたので、普通の男子と同じように、髪にワックス付けたりして舐められないようにしてました(苦笑)」

スクールカーストの下位には、絶対に落ちたくない。
それでも、見た目に関するからかいが消えることはなかった。

「当時は男子って、髪の毛モリモリにするの流行ってたじゃないですか。襟足も長めで」

「でも私がたまたま、短く切っちゃったことがあったんです」

小さな顔に、短い髪型。

可愛らしい印象になってしまったためか、クラスメイトの数人が陰口を叩かれてしまう。

「ストレスで倒れて保健室に行ったら『メンタル弱すぎじゃね』とか言われるし、陰口言ってた女子が今更ながら謝ってきたりとか・・・・・・」

特段女性の見た目に寄せていなくとも、「人と違う」。ただそれだけで、心無い悪口は続いた。

トランスジェンダーは遠い存在

生きるのが精一杯だったが、気丈に学校には通い続けた。

「休んだらもっと何か言われるし、自分の立場も弱くなっていくのをわかっていたので・・・・・・」

実際、所属していた弓道部やクラスメイトに仲の良い男友だちもいたので、孤立していたわけではなかった。

「陰口のせいで女子のことは敬遠してたので、男子とつるむことが多かったです」

そのときはインターネットに触れる機会はなかったが、はるな愛さんや佐藤かよさんらがTVに出演し始めた時期でもあったので、性別を変えられること自体は知っていた。

「でも、芸能人は高嶺の花というか、雲の上の存在でしたね」

「その人たちは綺麗に見えたし、素敵だなって感想はもってましたけど・・・・・・」

「女性になる」という選択肢は消えていたために、自分には関係のない存在だとも感じていた。

 

<<<後編 2022/10/22/Sat>>>

INDEX
06 女性への憧れを抱きつつも、役者の道へ
07 夢を叶えるためには、トランスジェンダーではいられない
08 夢と自分らしさの狭間で
09 性別移行を開始、女性の道へ踏み出す
10 MTFとして、女優として、私にできること

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