02 目立ちたがり屋でムードメーカーだった幼少期
03 人生でいちばん暗かった中学時代
04 同級生への不信感から、疑心暗鬼に
05 「男の姿でないと、受け入れてもらえない」
==================(後編)========================
06 女性への憧れを抱きつつも、役者の道へ
07 夢を叶えるためには、トランスジェンダーではいられない
08 夢と自分らしさの狭間で
09 性別移行を開始、女性の道へ踏み出す
10 MTFとして、女優として、私にできること
06女性への憧れを抱きつつも、役者の道へ
とりあえず男として過ごしているけど
「女の子とのお付き合いはそれなりにちゃんと好きだったし、楽しかったです。あんまり長続きはしなかったけど(苦笑)」
「でも男性で気になる人もいたので、そのときは『ん?』って思いました」
「とりあえずそのときは男として過ごしてたけど、深く考えたら自分も今で言うクィアなのかもしれないって思うようになって」
しかし頑なに気持ちを封じ込めていたために、「自分が女性かもしれない」とはまったく思わなかった。
もしかして、生まれたときは女の子だったんじゃないか
「女性」という選択肢そのものが自分の中から消えていたため、逆に性についてそれほど悩むこともまだなかった。
「ただ、本当は親が隠してるだけで、自分はもしかしたら生まれたときは女の子だったんじゃないか、って考えたりもしてたんですよ(笑)」
「顔もけっこう中性的で、体つきも華奢だし、色も白くて、『男でこんなヒョロいやつおる?』って(笑)」
姉の部屋に、何度か忍び込んでみたこともある。
「何をするわけでもなかったんですけど、バッグとかお洋服とかコスメとかを眺めて。でも『自分とは違う世界だな』っていうような感覚でしたね」
日当たりも良くきらびやかな姉の部屋に、無機質な自分の部屋とは違う居心地の良さを感じていた。
3つの夢の中から「役者」を選んだ理由
高校卒業後の進路を決める段階では、夢は3つあった。
「1つは小説家、もう1つはお笑い芸人、あと1つが役者だったんです」
最終的に選んだのは、役者の道だった。
「ドラマとか映画を観るのが昔から好きで、登場人物の台詞を『自分だったらこう言うな』って、抑揚とかを変えて言ってみたりしてたんです」
「読書も好きだったので、その中の台詞を声に出してみたり・・・・・・」
表現したい気持ちが強く、芝居の世界へ憧れを募らせる。
同時に「有名になりたい」という願望もあった。
「役者で成功すれば名が売れるじゃないですか。とにかく私、有名になりたかったんです」
「地元のちっちゃいコミュニティを抜け出して、見返したいって気持ちがありましたね」
また、才色兼備な姉への劣等感も拭い去りたかった。
「姉は大学生だったんですけど、神戸牛を親に贈ったりとかしてて、それに対して劣等感を感じてたんです」
「役者で有名になれば、親への面目が立つじゃないですか」
姉は学才で親孝行するのなら、自分は役者で親孝行したい。
「私は表舞台で活躍する誉れ高い息子になりたかったんですよね」
幼いころから抱いていた「人と同じは嫌だ」という感覚もあり、東京に出て役者にチャレンジする決意を固める。
07夢を叶えるためには、トランスジェンダーではいられない
東京の豊かさに感動
「役者になりたい」という意志を両親に伝えると、初めは反対されたものの、最終的には「自分の芯を通すのであれば」と送り出してくれた。
高校卒業後は、東京ビジュアルアーツの俳優コースに入学し、新しい世界に飛び込む。
「俳優コースは20人くらいで人数は少なかったんですけど、陰口がないことにびっくりしちゃって(笑)」
「中学時代から女の子は陰口を言うもんだって思い込んでいたので・・・・・・それで女性不信にもなりましたし」
陰湿さのない環境に身を置くことができた10代最後。専門学校時代は、とても充実していた。
トランスジェンダーの役者なんて、仕事がないに決まってる
「表現に関することはなんでも学びましたね。カメラの写り方や、舞台での声の出し方、日舞やバレエ、ヒップホップダンスも」
そのころ、性自認については正直モヤモヤを抱えていた。
女性物の服もインターネットでよく見ていたが、買うには至らなかった。
「なんで男ってズボンしか履けないんだろうって、つまらなさもありました」
「それに世間はまだまだ寛容じゃないだろうなって感じてたので・・・・・・。それこそ役者なんて、あやふやな性別で表舞台に出られるわけがないって思ってたんです」
トランスジェンダーの役者なんてまず無理だと思い込んでいた。
仕事が来るなんて到底思えない。
まずは男性の役者としてでもいいから、とにかく役者としての夢を叶えることが先決だった。
地道に経歴を積み上げ、毎日現場に向かう日々
専門学校を卒業後、芸能事務所に所属。
最初はエキストラから始め、地道に経歴を積み上げていく。
「もう本当どんな仕事でも回ってきたら引き受けてました」
「早朝から深夜まで3000円から5000円でも、朝3時4時起きでも頑張って行って」
「少しでもいいカメラ位置に映れるようにとか、演出をつけてくれる助監督さんに、ご挨拶とかアプローチしたりしてましたね」
アルバイトをしつつも、実家から援助を受けていたために、NGなしでほぼ毎日のように現場に入ることができた。
08夢と自分らしさの狭間で
順風満帆な夢への階段と、避けられない不安
そんな生活を2、3年続けていると、次第にオーディションにも受かり始めるようになる。
「映画に出させてもらったりとか、舞台の主役とか、それなりにやらせてもらってたんですよ」
「事務所からも激推ししてもらってて、『うちの事務所の中だったら志波が一番うまいよね』とか言ってもらってました」
しかし同時に、えも言われぬ不安が胸を支配し始める。
「自分が選択した道で、徐々にお仕事ももらえるようになったんですけど・・・・・・」
「このまま表に出て行ったら、自分のセクシュアリティのモヤモヤはいつ解決するんだろうって不安になったんです」
役者の休止を決意
「男性の役者」をして活動するモヤモヤと、実家の問題を鑑みて、役者の休止を決意する。
「両親から家賃や生活費を助けてもらっていたおかげで役者に専念できてたんですけど、ありがたさと同時に申し訳なさもあったんです」
「親もやっぱり、帰ってきてほしいって言ってたんですよね。姉も東京に出てますし、家を継ぐのは1人息子の自分なので・・・・・・」
ずっと目をそらし続けていたが、そろそろ現実と向き合わなければならない時期が来た。
「そのタイミングで、『ちょっと休止します』って事務所に申告しました。25歳の年ですね」
夢の仕事もできない、ありのままの自分でもいられない
役者になるために、親孝行をするために、東京に出てきたはずだった。
これまで突っ走り続けていた「夢」という原動力を失い、抜け殻のような生活に陥る。
「役者のスキルしか身につけてこなくて、それが『志波』って人間だったので、それを自ら手放したとはいえ、何も無くなってしまって・・・・・・」
夢の仕事もできないし、ありのままの自分でもいられない。
「生きてる心地がしなくて、虚無って言葉がこれ以上ないくらいハマるような時期でした」
「なので何も手につかなくて、バイトもできなくて、休止してから半年間はニートだったんです」
09性別移行を開始、女性の道へ踏み出す
人前に出なくなり、女性服を買い始める
それまで目指していた道がなくなってしまったからこそ、すべてがどうでもよくなった。
人前に出ない生活になったその時期から、女性服を買い始める。
「これまでは女性への憧れとか、そんなものはどうでもいいって突っ走ってきたんです」
「役者ができてたらそれで幸せだったんですよね」
しかしいざ役者を辞めてみると、自分でもずっと気づかないふりをし続けていた想いが一気に爆発した。
「人前に出ないんだったら、人に気持ち悪いって思われようがなんだろうが、もういいやと思って(笑)」
性別移行を決意、背中を押してくれた職場の同僚たち
女性服やコスメを買い集め、徐々に性別移行を始める。
「最初は髪も短くて、まだ見た目が男性だったので、不自然に思われない環境で買えるものをまずは集めて・・・・・(笑)」
女性誌であれば、まだ購入時の抵抗は少ない。
付録のコスメを目的に、ムック本などを買うところから始めた。
「服もGUとか、接客がつかないようなところで買いました」
元々は他人に相談などはせず、すべて自分で解決しようとするタイプだ。
ある意味では自暴自棄になっていたからこそ、できた行動でもあった。
女性として歩んでいこうと決意したときには、すでに現在の販売の仕事についており、徐々に女性の姿で出勤をするようになっていく。
「グレゴリーの同僚が若い女の子たちなんですけど、『いいじゃんいいじゃん』って髪型とか服とかメイクを肯定してくれて。地元のときと違って、すべてが優しかったんですよね」
同僚のおかげで考えが変わり、疑心暗鬼も徐々に治っていった。
「だからありがたいことに、女性への道に踏み込みがしやすかったんです」
上の立場の人に何か言われることもなく、女性の姿で街中を歩くことにも不安はなかった。
「東京だと周りの目とかも多すぎて、気にしすぎてもしょうがないので(笑)」
「それに堂々と歩くほうがかっこいいじゃないですか。不安というか、むしろ『私、いいっしょ?』くらいの気持ちです(笑)」
性別移行をためらっていた3つの懸念
2021年の11月から、ホルモン治療を開始する。
早いほうがいいと知ってはいたものの、ホルモン治療をためらっていたのは3つの懸念があったからだ。
「まずは家を継げなくなることです。やっぱり私しか息子がいないので・・・・・」
結婚するとしたら、相手が苗字を変えない限りは自分の「家」がなくなってしまう。
そのことにも寂しさを覚えた。
「それから、自分の子どもの顔が見れなくなることですね。結婚はまだそこまで前向きではないですけど、子どもは見てみたいなってすごく思っていたので・・・・・・」
「あとは自分を溺愛してくれてた祖父が、私が女性になったときにどういう顔をするんだろうって考えてたんです」
女の子の孫が2人続いたためか、祖父は男の子の自分を可愛がってくれていた。そのため、祖父に対する後ろめたさもあった。
「でも、グレゴリーに入った2019年に祖父が亡くなってしまったので・・・・・・」
10 MTFとして、女優として、私にできること
MTFであることを母にカミングアウト
ホルモン治療開始前から、実家には女性の姿で帰っていた。
「父は何も言わなくて、母は『あんた女の子みたいだね』とか言ってきましたけど、特に突っ込んではこなかったですね」
「でも姉は、何も言わずにコスメを送ってくれたりして、なんかわかってんのかなぁって」
ホルモン治療開始直前の2021年10月に、母には電話でカミングアウトを済ませた。
「女性として生きて行きたいって伝えたんですけど・・・・・・」
「『うちから男の子いなくなっちゃうね』『あんた女性大変だに?』とかって言われたし、薄々感じていたらしくて、びっくりはしなかったみたいですね」
しかし「泣いてしまった」と、あとから聞いた。
そのすぐあとに、母から手紙が送られてきた。
―ずいぶんと悩んだと思います。そしておじいちゃんが生きてる間、我慢してくれてたんだね。ありがとうー
自分の苦悩をいたわる予想外の言葉に、思わず涙がこぼれた。
「子どもの頃、とにかく母は私をほめなかったんです。たぶん照れ臭いんですよね」
「でも母は、私が私だってことを一番わかってくれてる存在で、だからありがとうって言われたときに、本当に救われましたね・・・・・・」
「つい最近帰ったときも、おすすめのファンデーションあるんだけど使う? とか、この古着屋かわいいから行ってみない? とか、声をかけてくれたりして」
両親への愛情と、自分の幸せ
一方、父は最初のうち「元の志波のままでいてよ」というメールを何回か送ってきていた。
しかし「私は私だし、息子であることには変わりはないから」と、どうにか説得をした。
「ただ、今でもたぶん、願わくば私に男として生きてほしいって思ってるとは思います」
両親のことは大切だし、愛している。
できることはなんでもしてあげたい。
かといって自分の幸せも犠牲にはできない。
それでも、両親から拒絶の言葉はひとつもなかった。
「母に対して、女の子で生んでくれてたらとか思ったことは何回もありますけど、でもやっぱり、男の子として産んでくれてありがとうって言いたいですね」
MTFとして、女優として、私にできること
今の目標は、女優として復活すること。
SRSに向けて貯金に励んだり、MTFのミスコン『Miss International Queen(MIQ)』にも応募した。
「自分がMTFだからできることって、まだあるんじゃないかなって思ってるんです」
「これまではとりあえず女性として生きられることが楽しかったんですけど、でもやっぱり根は変わっていなくて、平凡なのは嫌で(笑)」
これまでは「セクシュアリティによって、できることとできないことがある」と思い込んでいたが、今はそうじゃないことを知っている。
「性別ってそんなに大事かなって思うんです。私は自分だからできることって何かなって考えることはあっても、不思議とMTFとかトランスジェンダーとかの枠にあんまり捉われてる感覚はないんですよね」
私に似た境遇の人たちへ、伝えたいおもいがある。
「やっぱりトランスジェンダーに限らず、人って孤独を感じると踏み出せないんですよ」
「周りに味方がいないと、縮こまって目立たないようにしようとか。そう思ってしまうと、可能性が見えなくなってしまうんですね」
「今の自分でいて幸せなのかどうか。そこを考えてみてほしい」
もちろん今が幸せなら、無理にチャレンジする必要はない。
ただそうじゃないのなら、自分が幸せになるために動き出してみてほしい。
「1回、世界を信じてみてほしいです。どんな過去があったにせよ、踏み出せば何かは変わるかもしれないから」