02 平穏に生きるための防衛本能
03 男子としての生活と募る憧れ
04 夢を諦めて閉ざした心
05 アメフト部で味わった達成感
==================(後編)========================
06 “男らしさ” という強迫観念
07 ようやく知った本来の自分=MTF
08 大切な人たちへのカミングアウト
09 「望月かれん」として生きるため
10 私にはまだまだ叶えたい夢がある
01幼い頃から抱いていた “違和感”
本当に興味のあるもの
幼い頃、『セーラームーン』をはじめとする女の子向けの作品が好きだった。
「3歳上のお姉ちゃんと一緒に、お母さんの化粧道具を勝手に使って、化粧の真似事をしてました」
「お母さんが持ってた女性服の通販カタログも、よく見てましたね。興味があったんです」
しかし、当時の自分は男の子。
近所の床屋は男性と女性でエリアが分けられていて、母と姉についていこうとすると、「男の子はこっちだよ」と、別のエリアにつれていかれた。
「その頃から、ちょっとおかしいぞ、って感覚はありました」
「ただ、大人にそう言われたら男性エリアにいくしかないし、実際自分には男性器がついてたから、男の子だしなって」
男の子っぽい習い事
5歳の頃、ピアノに憧れて、両親に「やってみたい」と言ったことがある。
父から「もっと男の子っぽいこともあるから、そっちをやってみたら」と、返された。
「その時は『そっか』って感じで、諦めちゃったんですよね」
小学生になり、男友だちから「野球やろうぜ」と、誘われる。
「誘われたから野球やりたい」と、父に話すと、「いいじゃないか」と、すぐに少年野球に入ることが決まった。
「野球は多少できたんですけど、いざ始めてみるとあまり気が乗らなくて、変な違和感はずっと抱えてました」
「週末の練習や試合が終わると、友だちは雑木林に行ってクワガタやカブトムシを捕ってたけど、私は虫に触りたくなかったし、虫捕りにも興味がなかったんです」
「それよりも、録画しておいた『セーラームーン』を見るために、すぐ帰ってました(笑)」
厳格で褒めてくれない父
少年野球に乗り気だった父は、漫画『巨人の星』の星一徹のような人。
「かなり厳格で、しつけにも厳しくて、褒められたことはほとんどないです」
父とのやり取りの中で、強烈に覚えていることがいくつかある。
そのひとつが、「お前は左投げをマスターして、プロ野球選手になれ」と、言われたこと。
自分はもともと右投げだったが、「左投げの投手はいないし、両手を使えたほうがいいから」と、特訓させられた。
「お父さんは『お前はもっと上に行ける。ジャイアンツに入れ!』って、言ってました(苦笑)」
「貯めたお年玉でゲームを買っていい?」と聞いた時には、「男子で3位以内の成績を取ったらいい」と、言われた。
「猛勉強して、学年2位の成績を取ったんですよ。それで買えたんですけど、本当に厳しかったですね」
「私は末っ子だけど長男だったから、しっかり育てなきゃいけない、って思いがお父さんの中にあったのかもしれません」
一方、母はとても寛容で、甘えさせてくれる人。
「『セーラームーン』が好きなことも、『あんたはそういう子だからいいんじゃない』って、お母さんは否定しないでいてくれました」
02平穏に生きるための防衛本能
好きな色は「ピンク」
小学3年生の時、友だちの間で好きな色の話になった。
自分は「ピンク」と、答えた。
「次の日、学校に行ったら、『あいつはピンクが好きらしいぜ』って、ウワサになってたんです」
幼いながらに、いじめに発展してしまうのではないかと危機感を抱いた。
「ピンクって言わないほうがいいんだ、って子どもなりの防衛本能みたいなものが働いたんです」
「2年生までは『セーラームーン』の話もしてたけど、それ以降はブレーキを踏んで、自分を抑え始めました」
野球も始めて男友だちが増えたこともあり、より一層意識して “男の子っぽさ” を演じるようになっていく。
「所作はどこか女の子っぽさがあったと思うけど、その時に切り替えて、男の子の動きを観察するようになりました」
「野球の守備練習の時も、最初は『お願いします』って言ってたけど、監督に『弱々しいな』って言われて、『さぁ来い!』って、声を張るようになったり」
「小学5年生の時に、学校の催しで初めてバレリーナを見て、憧れの気持ちが湧いたんです」
「でも、その頃は男の子がバレエダンサーになるなんて発想がなかったし、『なりたい』なんて、とても言えなかったですね」
「男らしくしろ」
過去を振り返ると、父からはよく「男らしくしなさい」と、言われていたように思う。
「幼稚園の頃だったか、『お前は女友だちとしか遊ばないから、もっと男らしくしろ』って、言われたことがありました」
「買い物に行った時も、男の子向けのものを勧められるんですよね」
お正月の福袋売り場で、女の子向けの小物が入った福袋をねだった。
父からは、「それは女の子用だから、男の子用にしなさい」と、言われてしまう。
「高校も、父の言う通りに、地元の男子校に進んだんです」
「その頃にはもう心を捨ててたから、黒い学ランも反発せずに着てました」
03男子としての生活と募る憧れ
男友だちと女友だち
中学校では、野球から離れ、ソフトテニス部に入った。
「お父さんに『野球はつらすぎてイヤだ』って言ったら、意外にも『そうか』って、あっさり受け入れられました。やめて良かったのかよ、って思いました(苦笑)」
もともと運動神経が良かったのか、ソフトテニスでは市内のベスト16に入るくらいの成績を収めることができた。
「ただ、男女で練習は別々だし、言葉にならない違和感はずっとありました・・・・・・」
幼い頃からずっと、男の子より女の子と一緒にいるほうが、居心地が良かった。
しかし、中学生になり、体つきが変化してくると、女の子の輪にも入りづらくなる。
「女の子のほうに行くと『チャラ男だ』『やけに女子と仲いいよな』って言われるから、男の子といることが増えましたね」
高い声への憧れ
体の変化に対して、嫌悪感を抱くようなことはなかった。当たり前の変化だと思っていたから。
「でも、合唱コンクールの練習とかで女の子の高い声を聞くと、憧れる気持ちが出てきたんです」
「周りの男の子は声変わりを喜んでるのに、なんで自分は声が低くなるのを喜べないんだろう、って考えてました」
中学2年生の音楽の授業で、ミュージカル『オペラ座の怪人』を見た。
「そこに出てくるソプラノ歌手の女性に憧れました」
「もし女の子に生まれてたら、こういう風に歌えてたのかな、ってふと考える時があったけど、なんでそんなことを考えてしまうのかがわからなかったです」
女の子とのデート
女の子たちからは「将来、やさしいパパになりそう」と、言われていた。
ソフトテニスの試合をきっかけに、他校の女の子から「一緒に出かけよう」と、誘われたりもした。
「私は恋愛とも何とも思ってなくて、女の子と遊べるならうれしいから、『いいよ』って返しました」
「ただ、相手の子はデートだと思ってるから、私があまりにも淡泊で、がっかりしたみたいです」
振り返ると、悪いことをしたと思う。ただ、当時の自分は、女の子と出かけられることが純粋にうれしかった。
「だから、私は『また行こうよ』みたいなことを、平気で言っちゃうんですよ。それで女の子が『何もしてくれないのに』って、怒ってしまって(苦笑)」
「その頃は恋愛感情がよくわからないから、怒る理由もわかってなかったです」
04夢を諦めて閉ざした心
ミュージカル俳優の夢
中学2年生の音楽の授業では『オペラ座の怪人』以外にも、『サウンド・オブ・ミュージック』『キャッツ』『ウエスト・サイド・ストーリー』など、さまざまなミュージカルを見せてくれた。
「それまで映画といったら『ドラえもん』や『ハリー・ポッター』しか見たことがなかったので、歌と踊りで進むストーリーに驚きました」
「同時にすごくステキだな、って思って、心がときめいたんです」
いつからか、舞台に立つ自分を想像するようになった。
「俳優になりたい、って思ってました。声楽やダンスを習って、劇団四季に入って、ミュージカルで活躍したいなって」
両親にも「声楽とジャズダンス、クラシックバレエを習って、舞台の道に行きたい」と、具体的な夢を話した。
しかし、父から「お前じゃ無理だ。進学校に行け」と、言われてしまった。
「父の言葉に諭されて、舞台の道は諦めてしまったんです」
心を捨てた自分
父に言われるがまま、中学卒業後は進学校と名高い男子校に進む。
「舞台の道を捨てて進学したので、高校は楽しい思い出がなくて・・・・・・」
「ただ、心も捨ててるような状態だったから、男子高はイヤだ、って感情もなかったです」
当時の自分は心を捨て、 “無” の状態だったのだと思う。
「“無” になってると、拒絶するところまでいかないんですよね。それだけ何も感じないように、徹底してました」
部活にも入らず、家と学校の往復で、ゲームばかりしていた記憶だけがある。
「猫背になって、座る時は脚を開いて、男らしくあろうという意識だけは常に持ってました」
「男社会って、やさしい雰囲気だといじめられやすかったりするから、強がってたんだと思います」
反抗期らしい反抗期はなかった。
「あんなに厳しく育てられたらグレちゃうと思うんですけど、私はグレなかったですね。いろんなことを諦めてたからかな」
目が向いてしまうキラキラ
当時、家には父が使っていたパソコンがあった。勝手に使ってYouTubeを見ていた。
「無料で動画が見られるサイトを見つけてラッキー、って感じでしたね(笑)」
「そこでバレエの動画や劇団四季の舞台の動画を見てました。どうしても、キラキラしたものを見ちゃうんですよね」
同じ頃、ドラマ『花より男子』が放送され、毎週夢中になって見ていた。
高校にいる間は “無” になっていたが、華やかな世界への憧れがなくなったわけではない。
「男らしくあろうとしているのに、なんでそっちに向いてしまうんだろう、というモヤモヤはありました」
05アメフト部で味わった達成感
心に決めた上京
「進学校に進み、大学に行く」という親が敷いたレールから、外れることはできなかった。
しかし、せめて親元から離れたいと思い、当時住んでいた群馬を離れ、東京の大学に進学する。
「東京でやりたいことがあったわけではなくて、とりあえず親元から離れたかったんです」
大学ではアメリカンフットボール部に入り、夜中はバイトに明け暮れる日々。
「練習や試合を終えて、そのままバイトに行ってたので、満身創痍でしたけど、とにかく自由で充実してました」
がむしゃらにやり切った4年間
アメフト部は、やりたくて入ったわけではない。
「部活勧誘の時期に、社交ダンス部に入ろうかな、って一瞬考えたんです」
「でも、アメフト部の先輩から『社交ダンスは大人になってからでもできる』って言われて、確かにそうだな、って思っちゃったんです」
アメフトのほうが大学生らしい青春を経験できそうで、就職活動にもプラスに働くと感じた。
「何より、アメフトをやれば男らしくなれるんじゃないか、って思ったんです」
自分は、スイッチを入れて意識しないと男らしくなれない変な部分がある、と思っていた。
だから、男同士で激しくぶつかり合うアメフトをすれば、もっと男らしくなれる、と考えたのだ。
「練習はめちゃくちゃ激しかったし、部内のルールも厳しくて、地獄のようでした(苦笑)」
「部室でユニフォームに着替える時に裸になるのも、最初の頃は恥ずかしかったです」
それでも大学4年間、アメフトをやり切った。
「引退する時には、部員全員で一緒に涙を流すみたいなやりがいに気づけました」
「男らしさを模索して入ったアメフト部で、男社会ならではの楽しさを学んだ感覚です」
「達成感はありました。でも、子どもの頃からずっと抱いている違和感やモヤモヤも残ったままでした」
部員から「好きな人いないの?」「彼女作らないのか?」と、聞かれることもあった。
「そういう時は『興味ないんだよ』ってはぐらかして、距離を置きました」
「でも、いつもそんな感じだと『あいつはつき合い悪い』ってなるから、たまには会話に入って楽しそうにしたり、気を使ってましたね」
本物の舞台
部活は週6日。貴重なオフは、ずっと憧れていたものに浸る日にした。
「せっかく東京に出てきたので、劇団四季や宝塚歌劇団の舞台を見に行きました」
「あまりにもアメフトの練習がつらいから、週1回の心の支えがないと耐えられなくて(笑)」
「キラキラした舞台を見て、現実逃避しているようなところがありました」
役者の歌やダンス、オーケストラの生の音に包まれて、気持ちが解放されるようだった。
「そういう時もふと、女の子に生まれてたら、こういう生き方をしてたのかな、って考えてしまうんです」
憧れの気持ちを払しょくすることはできない。しかし、誰かに打ち明けることもできない。
大学ではアメフトに全力を注ぎ、男らしくあることに努めた。
<<<後編 2024/03/30/Sat>>>
INDEX
06 “男らしさ” という強迫観念
07 ようやく知った本来の自分=MTF
08 大切な人たちへのカミングアウト
09 「望月かれん」として生きるため
10 私にはまだまだ叶えたい夢がある