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FTMの自分が戸籍を変更しないのは、叶えたい夢があるから【後編】

FTMの自分が戸籍を変更しないのは、叶えたい夢があるから【前編】はこちら

2024/03/17/Sun
Photo : Yasuko Fujisawa Text : Ryosuke Aritake
柳尾 美佳 / Mika Yagio

1995年、神奈川県生まれ。幼い頃からスポーツが好きで、中学生から大学生までの10年間、ソフトボール部に所属。大学卒業後、自衛隊に入隊。約3年間勤めてから、プロボクサーに転向。現在は障がい者介護の仕事をしながら、ボクサーとしても活動し、日本チャンピオンを目指している。

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INDEX
01 愛情と自由を与えてくれた家族
02 やりたいことと流される自分
03 ソフトボール漬けの日々
04 目指しはじめた “かっこいい自分”
05 女の子と女の子の交際
==================(後編)========================
06 見えはじめた「自分らしく進みたい道」
07 さらけ出せるようになった気持ち
08 腑に落ちたFTMというセクシュアリティ
09 性格にマッチした介護の仕事
10 これから進んでいく道

06見えはじめた「自分らしく進みたい道」

隠さなくていい自分

大学でもソフトボールを続けた。
しかし、オリンピック出場は諦めていた。

「高校生にもなると、自分はオリンピックを目指すレベルじゃない、って気づくじゃないですか」

「でも、競技は楽しいし、続けたいと思ったから、ソフトボール部がある大学を受けて進学しました」

大学に進んでからは、女の子らしいファッションやメイクをやめて、再び髪を短く切った。

「同級生に、自分と同じような女の子がたくさんいたんです。好きな服を着て、髪を短くして、女の子とつき合ってる子もいました」

大学では、自分自身を隠さなくていい。そう思えた。

女の子の恋人もでき、学内では誰にも隠さずに堂々とつき合った。

「その女の子とは大学1年生の頃につき合いはじめて、4年生まで続きました。同じソフトボール部の子で、関係はオープンにしてましたね」

「周りにも女性カップルがいたから、わざわざカミングアウトすることもなく、周りも自然と受け入れてくれました」

この時点で、自分のセクシュアリティを明確に自覚していたわけではない。

「当時はセクシュアリティのことに詳しくなかったし、LGBTQって言葉も知らなかったです」

「自分は男の人を好きにならない、って確信してたわけでもないから、レズビアンという自覚もなかったです。ただ好きになった子とつき合っただけというか」

新たに熱中したスポーツ

高校3年生の6月にソフトボール部を引退してから大学入学まで、半年以上の時間が空く。

毎日続けていた練習や試合がなくなり、このままでは体がなまって太ってしまう、と感じた。

「格闘技好きのお父さんの影響で、テレビでボクシングの試合を見た時に、面白そう! って思ったんです」

「ソフトボールの練習もなくてヒマだし、近くにボクシングジムもあったので、興味本位で行ってみようって」

フィットネス感覚で通いはじめたが、ボクシングの楽しさに目覚めていく。

大学に進んでからも、時間を見つけてボクシングを楽しんだ。

「大学のソフトボール部を引退した時に、新しいボクシングジムに通いはじめたんです」

「そのジムには女性のプロボクサーがたくさんいて、そのかっこよさに圧倒されました」

女性ボクサーの姿に感化され、ボクシングを続けていきたい、と思ったが、その時点で自衛隊に入るという次の道も決めていた。

「自衛隊体育学校に進むことができたら、ボクシングを続けられるかも、って気持ちを切り替えました」

07さらけ出せるようになった気持ち

体を動かす仕事

大学卒業後の進路を思い描く中で、かっこいい職業に就きたい、という気持ちが湧いた。

「親は『警察官がいいんじゃないか』って言ってたんですけど、せっかくなら体を動かしたいから、自衛隊がいいのかなって」

「『自衛隊にはスポーツができる学校もある』って聞いたことがあったので、そこに行こうと決めました」

両親は「大学まで出て自衛隊って・・・・・・」と反対したものの、最終的には「美佳らしくていいんじゃない」と認めてくれた。

当初は自衛隊体育学校を志望したが、スポーツで何かしらの成績を残していないと入れないことがわかり、普通科を希望する。

普通科は、地上戦闘を行う部隊。銃を持ち、最前線で戦う役割を担っている。

「最初は同期の女性隊員が集められて、3カ月の教育を受けるんですけど、その時は200人くらいいたんです」

「配属先の静岡・御殿場の駐屯地で普通科に分けられたら、同期の女性は3人だけでした。男性は60人くらいいましたね」

トレーニングに励む日もあれば、事務作業を行う日もある。2カ月に1回ほど、山間部での訓練もあった。

「最初の頃は毎日覚えることが多くて、必死でした。でも、辞めたい、と思ったことは一度もありません。自衛隊での日々は楽しかったんです」

本当にやりたいこと

自衛隊の訓練や仕事は17時には終わり、消灯時間までは自由に過ごせた。

「自分は駐屯地の中にあるジムで筋トレしたり、隊員を誘ってボクシングしたりすることが多かったです」

「駐屯地の近くには本格的にボクシングができる施設がなかったから、余計にボクシングへの思いが強くなったところがあります」

徐々に仕事や訓練にも慣れ、ただ仕事をこなすだけの日々になっている感覚もあった。

目標のない日々を過ごしていると、生きている実感を得られない。

「大学の頃に通っていたジムのボクサーのSNSを見ると、すごく生き生きしていて、自分もプロでやっていきたい、って気持ちが出てきました」

入隊してから3年ほどで自衛隊を辞め、ボクシングの道に進むことを心に決める。

「1人でどこまでできるか挑戦してみたい気持ちがあったし、ボクシングをしてる時は性別のことをまったく考えないでいられるんです」

素直に生きること

自衛隊に入隊したからこそ、自分のやりたいことに素直になれたのだと思う。

「自衛隊には全国各地から人が集まってきているので、いろんな考え方に触れられたんです」

「性別だけでなく、年齢も生き方も違う人たちと過ごしたことで、社交的になれたかなって」

学生の頃の自分は、周囲の考えを汲み取り、気を使いながら流れに身を任せるタイプだった。

クラスや部活という限られた人の中では目立つのも好きだったが、基本的には人見知りで、自分から話しかけることはなかった。

「社会経験を積んで、いろんな人と話すのが好きになって、ようやく自分を包み隠さずに出せるようになりました」

08腑に落ちたFTMというセクシュアリティ

FTMの自覚

自分のセクシュアリティを意識しはじめたのは、大学生の頃。

高校の同級生が、性別適合手術(SRS)を受けたという話を聞いた。

「ボーイッシュだった女の子が男性になったと聞いて、驚きました」

「同級生の事情を知ったお母さんから電話がかかってきて、『あなたは大丈夫だよね、男になりたいとか言わないよね!?』って、言われたんです」

母の必死な口ぶりから、たとえそうだったとしても受け入れられない、という気持ちが伝わってきた。

だから、「全然そんなことないよ」と、伝えた。

「でも、内心では、自分もその同級生のようになりたい、って思ってました」

「性自認の通り男性として生きるんだったら、早くに社会人になって、お金を貯めて、手術をして。そういうことができるんだ、って衝撃を覚えましたね」

自分には手術を受けられるだけのお金がなかったため、まずは社会に出ることを選んだ。

「女性自衛官の制服はスカートだったけど、普段はほとんど迷彩服を着てるので、あまり気にならなかったです」

「訓練は男女合同なので、男には負けない、ってライバル意識みたいなものはありました(笑)」

最初の一歩

自衛隊を辞めてから、乳房切除術を受けた。

「もともと胸が大きくて、着たい服が着れないのがイヤだったので、まずはそこからと思ったんです」

「さすがに親に言わずに進めるわけにはいかないと思ったので、手術を受けることを伝えました」

子どもの考えに反対することはあっても、最終的には「好きにしなさい」と言ってくれた両親。

今回もきっと最後には応援してくれるだろう、と信じた。

「手術のことや自分がFTM(トランスジェンダー男性)だと感じていることを伝えたら、最初は『胸は取らなくてもいいんじゃない』って言われました」

「でも、親もある程度の想定はしてたんでしょうね。『もう決めたから』って話したら、認めてくれました」

「今は、彼女ができたら両親に紹介するくらい、受け入れてくれてます!」

プロボクサーとしての夢

SRSやホルモン治療は進めていない。戸籍上は、まだ女性のまま。

「ボクシングを続けたいからです。男性になったらプロになれるかわからないし、なれたとしても、一般的な男性とは骨格が違うから、難しいと思うんです」

「プロとしてボクシングを続けるなら、女性のままでやっていくのが一番なのかなって」

本格的にボクシングに取り組むようになり、周囲の人の支えをより強く感じるようになった。

「個人競技だから、自分1人が頑張れば強くなると思ってたけど、練習も減量も1人ではできないんですよね」

「指導してくれる人や励まし合える仲間がいるから、意識も技術も高められるし、強くなれるんだと知りました」

掲げている目標は、国内のチャンピオンになること。

「日本タイトル戦に挑戦する権利は持っているので、2024年には挑戦したい、と考えてます。今が頑張りどころですね」

09性格にマッチした介護の仕事

もうひとつの仕事

ボクシングのファイトマネーだけでは食べていけないため、介護の仕事をはじめた。

「大学生の頃に経験したボランティア活動で、障がい者の方々と一緒にスポーツをしたんです」

「はじめて障がい者の方とふれあったので、最初は戸惑いが大きかったですね」

参加していたのはダウン症のある人たちだったが、ほとんどが自立し、健常者と同じようにスポーツができた。

「障がい者に対して、自分が偏見を持っていたことに気づきました。友だちとして仲良くできることを知って、もっと接していきたい、と思ったんです」

その時の感情を思い出し、障がい者を支援する介護施設に就職した。

新たに掲げた目標

勤めている施設は、障がい者がグループホームなどに入居するための準備を行うところ。

「早番、遅番、夜勤の3交代制で、残業はほとんどないので、しっかりボクシングの練習の時間が持てて、ありがたいです」

気づけば、働きはじめて3年目になった。

後輩も入り、指導や教育をする機会が増え、先輩から任される仕事の範囲も広がってきている。

「受け持つ仕事の幅が広がると、障害支援区分などの制度や法律について理解していないと、対応できないことに気づきはじめました」

知識を増やしていくことが、障がい者自身の支援になるだけでなく、障がい者の家族のサポートにもつながる。

「自分は仕事だけをこなすよりも、資格取得という目標を立てて取り組むほうが、モチベーションを維持できるタイプだと思ってます」

「ボクシングも大事だけど、介護の仕事も好きだから、どちらも真剣に向き合いたいですね」

「起きている間はボクシングをやるか、介護施設で働くかのどちらかで、すごく充実してます!」

10これから進んでいく道

「家庭を築く」という夢

プロボクサーを目指しはじめた頃は、30歳になったらボクシングを引退し、戸籍変更しようと考えていた。

「今28歳になって、本当に引退できるかな、って思ってるんです」

「結婚したいし、子どもも欲しいけど、30歳でボクシングという夢をまっとうできるのかなって」

同時に思うことがある。SRSを受けることのリスクだ。

「以前は、完全に男になりたい、って思ってました。でも、調べていくうちに、違う道もある気がしてきたんです」

「SRSを受けなくても、戸籍変更できる社会になるかもしれない。そうなるなら、戸籍変更を急がず、パートナーとパートナーシップを結ぶ形でもいいかもしれませんよね」

家庭を築くという夢は、戸籍を変えなければ実現しないわけではない。

ホルモン治療も戸籍変更もしていないが、数え切れないほどの選択肢があるはず。

「35歳までには家庭を持っていたい、という想いがあるので、いろいろな可能性を探っていきたいです」

自分の意思で決める

かつての自分は、周りの意見に流され、やりたいことを後回しにしていた。

しかし、自衛隊での経験やボクシングへの想いが、自分の意思で行動できる人間に変えてくれた。

「自分で決めたことを実行すると、自信になるし、その後の行動の支えになるんです」

自分はプロボクサーの夢を追いかけるため、SRSを選択しなかった。

その選択が、今の自分につながり、戸籍変更しない未来という可能性に広がっている。

「若いうちにしかできないことってあると思うんです。周りに流されずに優先したいことを考えると、大切なものが見えてくるのかなって」

自分の行動が、未来につながることを知った。
だから、これからも自分自身の意思で進む道を決めていきたい。

あとがき
気がかりはなにもない、とういう感じ。それが柳尾さんだ。振り返ってみれば、イタンビュー中にネガティブな話しは一つもなかったように思う。でも、前向きな印象を残そうなんて、それもまったくないのだ。いたって自然体■性別変更は、今はしないと決めている。夢の実現が別の夢を阻むこともあるけど、柳尾さんは複雑なものをシンプルにとらえなおす。単純にするほど、偽りのない自分のおもいが明確になる。ボクシングでチャンピオンを目指すんだ。(編集部)

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