02 小学生の頃から、服装はボーイッシュ
03 女子トイレに入るところを見られたくない
04 諦めて女らしくなる努力を
05 Youtubeで同じ悩みを克服した人を発見!
==================(後編)========================
06 テレビのニュースを見ながらカミングアウト
07 悔しくて泣き続けた内定取り消し
08 新しい名前で再出発!
09 イベントで自分探し。FTMの友だちができた
10 居心地のいい会社でいい仕事に巡り会う
01運動はトランポリンを10年間
人生初の記憶は「同じ顔がふたつある!」
出身は神奈川県藤沢市。藤沢と海老名を何回か、行ったり来たり、引っ越しながら育ってきた。
「2歳下に双子の妹がいるんです。人生最初の記憶は、あ、同じ顔がふたつある! 驚きました(笑)。はっきりと覚えてます」
一卵性の双子なので、本当にそっくり。家族の自分でも間違えることがある。
「服の趣味が似ているうえに、それをときどき取り替えて着たりするんですよ。間違えて名前を呼んで、怒られることがしょっちゅうありました。特に後ろ姿は難しかったです。よその人は、どっちがどっちだって、まったく区別がつかないくらいです」
ふたりはそっくりだが、自分はあまり似ていない。
「ぼくは父親似で、妹たちは母親似なんです。みんな仲がいい家族です。今は一人暮らしをしていますが、実家が近いんで、よく帰って話をしてます」
お母さんはフットワークが軽くて明るい性格。子どもたちの面倒をよくみてくれる専業主婦だった。
「お父さんはバスの運転手で、放任主義っていうか、自由にさせてくれるタイプでした。受験のときでも、勉強しろとか、いわれたことがありません」
両親は小学校からの幼なじみで、とても仲がいい。夫婦喧嘩も見たことがない。
「家族5人、全員、同じ小学校なんですよ。ひとりだけ、親の時代からの先生が残っていて、とてもお世話になりました(笑)」
小学生の頃は、よくお父さんの運転でファミリーキャンプに出かけた。
「お父さんもフレンドリーな性格なんで、お父さんの友だちの家族がキャンプに合流することもよくありましたね」
レオタードを着たくない!
いつでも走り回っている元気な女の子だった。
「お母さんと家の近所のショッピングセンターに買い物に行くんですけど、いつもどこかにいなくなっちゃって、毎回、待ち合わせは迷子センターなんです(笑)」
毎度のことなので、いなくなっても、お母さんは心配しなくなったという。
「動き回るわりに、運動神経は悪かったんです(笑)。マットの後ろ回りができたのは、中学生になってからでした」
元気な子にスポーツを習わせたいと、お母さんが探してきたのがトランポリンだった。
「いつも飛び跳ねているから、ちょうどいいと思ったんでしょうね。家から通えるトランポリンクラブに入って、高校2年生まで、10年くらい通いました。体操クラブのなかにトランポリンがあるところが多んですが、そこはトランポリン専門でした」
練習は午後7時から。学校から帰ってきて、晩ごはんを食べてから練習に通った。
「神奈川県では、みんな知っているクラブでした。県の大会にも毎回、出ていました」
練習は楽しかったが、ひとつだけ嫌なことがあった。
レオタードの着用だ。
「普段の練習はTシャツに短パンなんですけど、大会のときはレオタードを着なくちゃいけないんですよ。最初はイヤイヤ着てたんですけど、どうしてもそれが嫌で、大会が近くなると練習に集中できなくなりました」
コーチもいつもは優しいが、「美しく跳ぶために」と、大会用の衣装には厳しかった。「着たくない」と自己主張もできずに悩んでいたが、あるとき、いいことを思いつく。
「小4で、だんだん知恵がついてきた頃でした。そうだ、家に忘れたことにしよう、と思ったんです。怒られるほうがマシだったんです」
「レオタードを忘れてきました」と謝り、なんとかその場を切り抜けた。
02小学生の頃から、服装はボーイッシュ
服装、髪型を尊重してくれた
小学校は男女の区別なく遊ぶ。青とピンクを選ぶときに、女の子が青を選んでも何の違和感もない雰囲気だった。
「クラスの人数も少なくて、20人くらいしかいなかったんです。外で遊ぶより家の中でゲームをするのが好きだったんで、いつも誰かの家に行ってゲームをしてました」
クラスでは、カッコいいとか、かわいいというタイプではなかったが、友だちが多く目立つタイプだった。
服装はそのころからボーイッシュで、スカートはまったくはかなかった。
「お母さんに、こういう服が着たい! っていって買ってもらってました。妹たちにお下がりがいくんで、妹たちもボーイッシュな服を着てましたよ(笑)」
仮面ライダーなど、男の子っぽい遊びばかり好きだったが、お母さんはとがめることなく変身グッズを買ってくれた。小1からポニーテールだったが、あるときからショートカットにした。
「ぼくのことを尊重してくれたんだと思います。女の子らしくしなさい、なんていわれたことがなかったですね」
駄々をこねた七五三
七五三は、苦い思い出だ。
「ぼくは初孫なんですよ。それで、おばあちゃんが自分が着た着物を着せたいといって大変でした。ぼくは、着物なんか絶対に着たくなくて」
スタジオで晴れ着の撮影をするはずだったが、どうしても行かないと駄々をこねて・・・・・・。
「結局、カメラマンが家に来て、家で撮影されました(苦笑)。メイクも嫌でしたね」
あとから見ると、ちょっと嫌そうな顔をして写っている。今にして思えば、懐かしい思い出だ。
「小学校5年生までは、環境も最高だったし、自分が女の子だと思ったこともなかったですね。思う必要もなかったというか・・・・・・」
5年生のときに、女子だけ集められて性教育の授業があった。
「そのときも、とりあえず聞いておくかって、生理のことは完全に他人事みたいな感じで聞き流してました」
03女子トイレに入るところを見られたくない
他人事だと思っていた生理にショック
6年生のとき。考えもしないことが起こった。
「妹と一緒に家で留守番をしているときでした。トイレに行ったら、生理が始まっちゃって。どうしよう、どうしようって、慌てちゃいました」
そのときになって初めて、学校で習ったことが、「これなのか!」と鮮明に蘇った。それと同時に、自分が女の子であることを認めなくてはいけないのがショックだった。
「親にも1週間、いえませんでした」
その頃から、体型にも変化が起こっていく。
自分は女なんだ。
それを認めなければならない――それが宿命なのだった。
スカートとトイレが鬼門
「中学に行くと、スカートをはかなきゃいけないのも気が重かったですね。小学校の卒業式からスカートが始まりました」
ジャージで授業を受けることが許される学校もあったが、進学した中学は服装には厳しかった。
「スカートの下に短パンをはいてました。外からは見えないんで、意味はないんですけど、なんかはいていれば、まあいいか、という感じでした」
ささやかな抵抗で、なんとかスカート問題に折り合いをつける。その次は、トイレだった。
「女子トイレに行くのを、だれかに見られたくないっていう気持ちが強かったですね。ずっと我慢して、放課後に人がいないときに、さっと行ったりしてました」
女子は、誘い合ってトイレに一緒に行くことが多い。のちにカミングアウトしてから、中学の同級生に「誘っても一緒にトイレに行ってくれなかったもんね」と、いわれたこともあった。
更衣室の着替えは仕方ないと諦めていたが、胸を見られたくないという意識は強かった。
「胸も、自分が女だってことの証拠みたいだったんでしょうね。ブラも嫌で、小学校のときに買ってもらったスポブラを、まだイケるっていって、高校までずっと使ってました(笑)」
勘違いの告白 likeじゃなくてlove?
制服とトイレ以外に、中学生活に悩みはなかった。相変わらずよく喋る性格で、男女を問わず、友だちは多かった。
「美術部に入りました。小学校の頃から絵を描くのは好きでした。両親も絵が上手なんで、ちゃんと習ってみたいな、と思ったんです」
運動部に入りたい気持ちもあったが、男女に分けられることに抵抗があった。
「男子を好きになることは、まったくなかったですね。一度だけ、告白されたことがありましたけど」
小学校のときからの男友だちから、突然、好きなんだ、といわれた。それを友だちとしての「好き」と勘違いして、「自分も好き」と答えてしまったのだ。
「それが、likeじゃなくてloveだと分かって、違う違う違うって、全否定しました(笑)」
一方、気になる女の子がひとりいた。家が近くで、小学4年生のときからお互いの家に泊まりにいく、仲のいい友だちだった。
「その子と中学でも一緒でした。その子の前では、カッコ悪いところを見せたくないって、いつも思ってましたね」
数学の授業でも、その子が見ているからちゃんと答えたい、という気持ちになった。本当はスカートをはいている自分を見られたくない、とも思っていた。
「親友ともちょっと違う感情で・・・・・・。もしかしたら、あの子を好き(love)だったのかもしれない、と高校生になってから気がつきました」
04諦めて女らしくなる努力を
この先、どうしたらいいんだろう
セクシュアリティのモヤモヤは、誰にも打ち明けることができなかった。あれほど仲がいい家族にも相談できなかった。
「親にも友だちにもいえませんでした。いったら、変な目でみられてしまうんじゃないかって怖かったんです。これからどうしたらいいんだろうなぁって、不安でしたね」
当時は、世の中にセクシュアリティで悩んでいる人、悩みを乗り越えた人がたくさんいることも知らなかった。
「テレビで、はるな愛さんとかは見ていましたけど、身近には感じませんでした。男の人は女性になれるのかって思っただけでした」
自分がまだ子どもで幼かったために、そこで完結してしまって、調べてみようという発想もない。
どうすればいいのか、考える糸口すら見つからない日々だった。
ボディタッチ、どうすればいい?
高校へ進学。当時はまだ少なかった、女子の制服にスラックスがある高校を選んだ。
「家からも近くて、通うのにも便利でした」
セクシュアリティに関しては、考え方をガラッと変え、女性として生きるしかない、と諦めることにした。
「女の子の友だちを増やして、女の子たちがどんな行動をして、何を話題にしてるのか学ぶことから始めました」
コスメは何がいい? どうやって使う? どうやって選ぶ? 一緒に売り場に行って、いろいろと教えてもらった。
「全然、興味はなかったですけどね(笑)。買う気はまったくないんで、知識だけ学びました」
ジャニーズの話題も多かった。とりあえず、話を合わせることができる程度に勉強はした。
「次の関門は、ボディタッチでした。女の子たちは、自然と相手の体にタッチするんです。最初のタッチをするときに、すごく勇気がいりました。大丈夫か? 今、触っていいのか? いいのか? ああ、うまくいった、みたいな感じでした(笑)」
ボディタッチがうまくできるようになって、「女の子」へ一歩前進した。
05 Youtubeで同じ悩みを克服した人を発見!
成人式が終わったら20歳で死ぬ
高校生活は、自分の女子化ばかりを考えた3年間だった。
「我慢して、我慢して、慣れていこう。そればっかり考えてましたから、全然楽しくなかったですね。自分らしく過ごしてないなぁって、自覚してました」
今は辛いけど、大人になったら女性として生きていくしかないんだから、という諦めの気持ちは、ますます強くなる。
そんな精神状態でいると、おかしな考えも湧いてきた。
「20歳で死のう、と思ったんです。先の人生が真っ暗で、こんなに我慢して生きていてもしょうがないんじゃないかと」
今すぐ、ではなく、20歳というのは理由があった。
「成人式をやりたかったんです。成人式が楽しそうなんで、それを経験してから死のうという設定にしました」
我慢して女性として生きるか、20歳で死ぬか。ふたつの選択肢を設定した。
これだ、これだ! 全部一緒だ!
生活プロデュース学科のある短大へ進学。ファッション、フード、子どもサービスなどのコースがあるなかで、インテリアデザインを選択した。
「部屋の内装なんかを勉強するコースです。共学なんですけど、ぼくの入った学科は女子だけでした」
制服がなくなったので、6年ぶりにボーイッシュな服装に戻る。クラスメイトは女性らしい人ばかりだったので、目立つ存在になった。
「大学でも、高校からの延長で我慢しながら生きている感じでした。20歳で死のうという気持ちも継続してありました」
短大なので、1年生の冬から就活が始まる。
「どうせ20歳で死ぬんだから、就活なんか意味がないと思ったんですよ。でも、ちょっと経験としてやってみるのもいいかな、って思い直しました」
入学式のときに買ってもらったレディーススーツでは就活をしたくない。
何かいい方法はないかな、と家でyoutubeを見ていると・・・・・・。
「なんと、自分と同じ悩みを持つ人のFTMの動画が出てきたんですよ! しかも、その人は性別を変えて男として生きてる!」
スカートをはきたくない、制服を着たくない、体と心の性別が違う、小さい頃から自分を女の子だと思っていなかった。これだ! これだ! これじゃないか!
「自分も全部、一緒だったんです。ほっとしたというか、自分が何なのか、ようやく分かった思いでした」
<<<後編 2023/07/01/Sat>>>
INDEX
06 テレビのニュースを見ながらカミングアウト
07 悔しくて泣き続けた内定取り消し
08 新しい名前で再出発!
09 イベントで自分探し。FTMの友だちができた
10 居心地のいい会社でいい仕事に巡り会う