02 いつも走り回っている元気な子
03 自分が生きている意味って何なんだ?
04 目標はSKE48の松井珠理奈ちゃん
05 芸能事務所に合格。タレントを目指す
==================(後編)========================
06 最初の仕事でAKBと共演。夢が叶う
07 恋愛シミュレーションゲームで初体験
08 大切な人に子どもを産んでほしい
09 性同一障害の治療を開始
10 ネパールに電波塔を建てて名を残す
01ブラジル生まれのやさしい両親
自分を受け入れてくれる優しい両親
栃木県の那須塩原市には、海外から移ってきた人たちが多く暮らしている。
「ぼくの両親は顔立ちも血も日本人なんですけど、ブラジルで生まれ育った日系2世なんです。お母さんの両親はブラジルで養鶏場を経営してました」
お母さんは先に日本へ渡っていた弟を頼りに、20年ほど前に日本にやってきた。
「両親は一緒にブラジルから来たわけではなくて、日本で知り合ったらしいです。お父さんが一目惚れして、毎朝7時に母の住むアパートの前で待ち構えて、猛アプローチをしたそうです(笑)」
関西で知り合ってからいろいろな土地に住み、最終的に那須に落ち着いた。
「お母さんは日本語をある程度、話せますけど、お父さんは『ありがとう』とか『頑張って』とか、簡単な言葉だけですね。職場のプラスチック工場には同郷の人がたくさんいるので、不便じゃないみたいです」
お父さんと込み入った話をするときは、お母さんが間に入って通訳をするが、子どもの頃のからなので困ったこともない。自分の家が特別だとも思わなかった。
「子どもの頃、おもちゃが欲しいというと、そのときは『ダメダメ』っていうんですけど、次の日にそれを買ってきてくれたりしました」
お父さんもお母さんも自分を受け入れてくれる、やさしい存在だ。
「食事のときは、フェジョアーダっていうブラジルの豆のスープがよく出ました」
豚や牛の内臓、耳、皮など、普通なら捨てる部分がたくさん入っている。
「肉はお金のある人しか食べられなかったらしいですね。材料はブラジル・ショップで手に入ります。実は、ぼくはあんまり好きじゃないんですよ(笑)」
そのほかには、日本人の家庭と変わったことはない。
「お正月に初詣に行ったり、おせちやお雑煮を食べたりすることはないですね。普通の一日と同じです。それくらいかな」
両親だけではなく、自分もブラジル国籍だと知ったのは中学生のときだった。
「それでいじめられたこともありませんでした。特別な意識は何もありません」
2歳のときに、両親に連れられて、一度だけブラジルに行ったことがある。
「そうらしいんですけどね。何も覚えていないんです(笑)」
弟とは喧嘩をしたことがない
3歳違いの弟がいる。
「幼稚園のときは、いつも近所の男の子たちとウルトラマンごっこや木登りをして遊んでました。弟もよく仲間に入ってましたね」
6歳と3歳では体力も考え方もだいぶ違う。当時、弟は手下のような存在だった。
「自慢じゃないんですけど、小さい頃からきょうだい仲がよくて、ほとんど喧嘩をしたことがなかったんですよ」
困ったことがあると頼りにされ、姉として面倒をみることもよくあった。喧嘩をするようになったのは、むしろ大人になってからだ。
「一緒にテレビドラマを観てると、弟が『こんなことあり得ない!』とか文句をつけるんですよ。ていねいに説明してあげると、いろいろと屁理屈をいってきて・・・・・・」
そんな他愛もないことでヒートアップすることがときどきある。まあ、それも仲がいい証拠かもしれないが。
「弟は痩せていて食が細いんです。中学のときに給食を残すなって先生にさんざん叱られて、人間不信になっちゃったんです」
高校に行きたくない、といって、中卒で自動車工場に就職、今も整備士として勤務している。
02いつも走り回っている元気な子
飛んできたボールは全部捕る!
小学校では、教室でもグランドでも、いつも走り回っていた。
「友だちからあれやって、これやってと頼まれたら、パパッとすぐに片づけるタイプで、パシリって呼ばれてました。そのときは、その言葉の意味が分からなかったんですけどね(笑)」
女の子のスカートをめくったり、カンチョーでふざけたり、いわゆるいたずらっ子だった。
「体育は好きでしたけど、ほかの勉強は全然ダメでしたね。算数の計算が分からなくて、親に教えてもらいながら泣いたこともありました」
小学校4年生のときに、体育の授業でハンドベースボールをしているときだった。
「ぼくが打ったボールがものすごく飛んで、すごいすごいって、みんなに褒められて」
それで気をよくしてソフトボール部に入部した。
「練習はとても楽しかったですね。ライトを守ってたんですが、ボールがどこに飛んでも捕るって決めてました」
外野にきたボールは、チームメイトを押しのけて、全部、自分で捕りにいった。そして、どうだ、とばかりにガッツボーズ!
「親御さんたちからも、あの子、元気があるわねって好評でした(笑)」
まったく思いつかなかった「将来の夢」
小学校は2クラスだけの小さな学校。1年生のときに隣の席になった女の子と仲良くなった。この子とはのちのちまで交友が続く、一番の幼なじみだった。
「しっかり者で、いろいろと世話をしてくれる、おばあちゃんみたいな子でした」
どちらかというとアニメや漫画が好きなタイプで、性格は違ったが、なぜか気が合った。高学年になってからはソフトボール部でも一緒になった。
「家が反対方角だったので放課後は別でしたけど、休みの日に連絡を取り合って遊んでました。キャッチボールをしたり、市内のテーマパークに遊びにいったり、ですかね」
男の子も女の子も好きになった記憶はない。
「バレンタインデーですか? 何も覚えていません!」
卒業文集に、将来の夢を書きなさい、といわれたときも・・・・・・。
「何も思い浮かばなかったんで、隣の子が書いたのを、そのまま写して提出しました(笑)」
03自分が生きている意味って何なんだ?
突然、沸いた大きな疑問
中学校ではバスケットボール部に入部する。
「幼なじみの子が誘ってくれたので入ることにしました。バスケがうまいと女の子にモテるかな、と思って」
初心者は急に上手くなるよ、といわれてその気になった。
「でも、まったくダメでした。下手くそで全然上手くならなくて、1年でやめちゃいました」
バスケットボールにはやりがいを見出せなかった。それどころか、突然、大きな不安に襲われる。
「部活のウォーミングアップでストレッチ体操をしているときに、ふと、自分は何で生きているんだろう、っていう疑問が沸いてきたんです」
自分は何のために、なぜ生きているのか。それを考え始めると、何も手につかなくなってしまった。
「それで学校にも行きたくなくなって・・・・・・」
モヤモヤした気持ちは言葉にすることもできなかった。好きだった体育の授業は出たが、それ以外は欠席が多くなった。
先生なんて当てにならない
「お母さんに『どうしたの?』と訊かれても、『分からない!』と答えてました」
担任の先生からも電話があったが、話が全然かみ合わない。
「先生と話してもすっきりしなくて、先生は当てにならない、と決めつけてしまいました」
不安の原因がセクシュアリティにあったわけではない。
「女の子であることに疑問を持ったことは、一度もなかったです」
ただ、スカートは嫌いだったので、小学生のときはズボンを履き、中学のセーラー服はスカートの下にはハーフパンツを履いて通った。
「同級生と一緒にいて価値があるのか、と考えて・・・・・・。2年生の後半から本格的に休むようになりました」
04目標はSKE48の松井珠理奈ちゃん
頑張っている姿に感動
自分って何だろう? 生きている意味って何なんだ? 悶々とした悩みに苦しんでいるときに、ひとりのアイドルが目の前に現れた。
「SKE48の松井珠理奈ちゃんが好きになったんです。芸能人がこんなに気になったのは、初めてでした」
彼女はSKE48のメンバーとしてデビューすると、すぐに実力と人気が認められてAKB48のダブルセンターにも抜擢された。
「ところがAKBのファンの中にはそれが不満で、何であいつがセンターなんだって、わざわざ暴言を吐くために握手会に来る奴がいたんです」
しかし、彼女は中傷を笑顔で乗り越えた。
「ぼくと同じ年なんですよ。歌もダンスも演技も上手で、すごく頑張っているな、魅力的だなあ、と思いました」
彼女と比べると、当時の自分は不甲斐なく感じた。
「それから松井珠理奈ちゃんの存在が目標になりました」
高校進学を目指して、自分も頑張る
悩みに対する答えが見つかったわけではなかった。しかし、彼女の存在がどん底にいた自分を救ってくれた。
「好きな人のために頑張ろう、という気持ちが沸いてきました」
目標が見つかりかけていたとき、幼なじみが一緒に2年生の終業式に行こうよ、とタイミングよく誘ってくれた。
「それで、久しぶりに学校に行くことができました。そうしたら、3年生のクラス替えで、その子と同じクラスになったんです」
ときに喧嘩もしながら遊ぶようになると、ふたたび学校に通えるようになってきた。
「親からも高校には進学してくれっていわれてました。そのためには出席日数が必要なので、3年生はしっかりと通いました」
人に会うと、スイッチが入って元気に振る舞うことができた。
「人前にいるときと一人のときの差が大きいんです。同級生に聞けば、『倉富は明るくて元気なヤツ』っていったでしょうね」
05芸能事務所に合格。タレントを目指す
とにかく目立つこと
高校に入ると、SKE48のコンサートや握手会に行くようになった。松井さんの存在が次第に身近に感じ、はっきりとした目標が見えた。
「自分も芸能人になろう、と思ったんです。そうすれば、好きなアイドルに会えるじゃないですか。ちょっと動機は不純ですけど(笑)」
AKB48のメンバー募集に何度も応募したが、いつも書類選考で落とされてしまった。さすがに狭き門だ。
「もし、合格したらフリフリのかわいい衣装を着なきゃいけないんですけど、アイドルに会えるなら我慢するって決めてました」
芸能人になるためには、何が必要か? 自分なりに出した答えは「目立つこと」だった。
「とにかく目立つこと、自分しかできないことをやろうと思って、高校の3年間、体育の授業は半袖短パンで通しました」
那須の冬はめちゃくちゃ寒い。同級生はみんな厚着をしているなか、一人だけ半袖短パンで授業にのぞんだ。
「先生からは、『おい、倉富、季節感だ、季節感!』と、連呼されてましたけど(笑)」
次にチャレンジ(?)したのは、テストで0点を取ることだった。
「外部のテストは必ず0点を取る、と自分で決めました。0点のはずなのに0点じゃなかったときは、落ち込みましたね」
芸能事務所のオーディションに合格
芸能人になりたい。でも、AKBの書類審査は通らない。次に考えたのは、芸能事務所に所属することだった。
「高2のときにネット検索をして、東京の事務所を見つけました」
初めのうちは、親に内緒でオーディションを受けていた。
「なかなか合格しなくて、そのときに思ったのも『周りの子と同じではダメ。いかに目立つか』でした」
オーディションでは演技やダンスの審査がメインになる。ところが、高3で受けたとき「歌いたい人は歌ってください」といわれた。
「チャンスだ、と思って、SKE48の『不器用太陽』をとにかく大声で歌ったんです。そうしたら、受かったんです。歌が決め手だったって、事務所の人にもいわれました」
両親も応援してくれたタレントへの道
合格したのはうれしかったが、東京まで週に1回のレッスンに通わなくてはいけない。もう、親に黙っているわけにはいかなくなった。
「レッスン代や交通費もかかるし、まだ高校生なのにそんなことを許してくれるか不安でしたけど、いいよ、といってくれました」
子どもたちがやりたいことを応援してくれる、やさしいお母さんなのだ。
「お父さんに、タレントになるからっていったら、『そっかー』って笑って応えてくれました」
友だちに相談してかわいい服を選び、髪も長くしてきれいに編んだ。
「そのときが、人生のなかで、一番女の子でしたね(笑)」
ダンスやドラマでの演技指導など、レッスンは楽しく受けることができた。
<<<後編 2021/06/30/Wed>>>
INDEX
06 最初の仕事でAKBと共演。夢が叶う
07 恋愛シミュレーションゲームで初体験
08 大切な人に子どもを産んでほしい
09 性同一障害の治療を開始
10 ネパールに電波塔を建てて名を残す